この不思議なタイトルの本は(「16世紀の一粉挽屋の世界像」というサブタイトルがついています)、イタリアのカルロ・ギンズブルグが著した専門的な歴史書です(1976年 杉山光信訳 みすず書房、1884年)。先に紹介した安部氏の「ハーメルンの笛吹き男」とほぼ同じ頃に世に出た社会史に関する本ですが、それをさらに一歩進め、16世紀における一人の粉挽屋がどのようなものの考え方をしていたかを分析しています。この様な研究分野は心性史と呼ばれ、このころから非常に注目されてきた分野です。
私たちが学ぶ歴史は、おもに文字資料に依存しています。ほとんどの人が読み書きできなかった時代に、書き残された資料は、ほとんど支配階級に属する人々によって書かれたものであり、たとえそうした資料に「普通の人々」についての記述があったとしても、「普通の人々の心」を伝えることは、まずありません。したがって、歴史上に無数に存在する「普通の人々の心」を探求するには、非常に困難が伴います。つまり、私たちが学んでいる歴史の多くは、特別な人々の歴史であり、歴史の本当の姿を伝えているとはいえないのです。
この本は、16世紀の終わり頃の、通称ピノッキオと呼ばれる粉挽屋の物語です。彼は読み書きができ、おそらく10冊余りの本を読んでいたため、本当の意味で「普通の人」とは言えないのですが、一人の民衆として民衆文化と深くつながりをもった人物でした。イタリア農村の粉挽屋だったピノッキオは、1583年に異端の疑いでローマ教皇庁に告訴され、その後色々あって、結局1598年に異端の罪で処刑されました。67歳でした。この15年に及ぶ異端審問の過程で、膨大な裁判記録が残され、それがピノッキオという一人の粉引屋の思想を浮き上がらせるのに役立ったのです。
彼の主張は奇妙なものでした。キリスト教によれば、神が昼と夜、天と地、植物、太陽・月・星、生物、人間を創造したと、されています。ところが、ピノッキオは、この世のはじめには何も存在しなかったが、しだいにどろどろとした塊が生まれ、そこから人間が生まれる、というのです。一見奇妙に思われるこの考え方は、農民の日常的な経験から生まれてきたものです。
ヨーロッパ農村の多くの家庭では、自分たちでチーズを作ります。とくにイタリアでは、どろどろとしたチーズの表面にカビが生えるカマンベール・チーズが多いそうです。このチーズは、牛乳がしだいに凝固して形成されるのですが、衛生管理が悪かった時代には、虫がチーズに卵を産み、それがうじ虫となってわいてくることが多かったようです。今日われわれは、虫が卵を産んで、それがうじ虫となることを知っていますが、それが知られていなかった時代には、明らかに生命とは異なるチーズから、うじ虫という生命が発生することは、不思議なことだったでしょう。このことは、ヨーロッパの農民のだれもが経験することです。そしてピノッキオは、この経験から、無から生命が発生すると考え、すべての「創造者」としての神を否定したのです。
一見奇妙に思われるピノッキオの考え方は、古くから農民の間で語り伝えられていた普通の考え方だったようです。たまたまピノッキオは読み書きができ、こうした考え方を幾分理屈っぽく述べたため、教会の眼にとまってしまったのでしょう。彼が生きた時代は、宗教改革を経て宗教対立が激しくなっていた時代で、支配階級の間では難しい教義論争が展開されていました。われわれが歴史において学ぶのは、こうした表面に表れた教義論争ですが、当時の普通の人々が、そのような難しい教義論争を理解できるはずがありません。今日我々のほとんどが「素粒子論」をまったく理解できないのと同じ様に、当時の普通の人々にとって、難しい教義論争は別世界の出来事でした。
我々は、ピノッキオの考え方を、馬鹿げたこととして切り捨ててしまうことは出来ません。彼の考え方こそ、当時の普通の人々の考え方であり、今生きている我々も「普通の人」だからです。その我々が歴史をつくっているのなら、ピノッキオのような普通の人の普通の考え方を理解することなしに、歴史を理解することはできないでしょう。歴史を学ぶということは、特別な人物や事件を学ぶだけでは十分ではなく、普通の人々についても学ばなくてはいけないのではないか、考えます。
ギンズブルクのこの著書は、高度に専門的ではありますが、あたかも推理小説を読むように我々を問題の核心に引き込んでいきます。ちょうど名探偵シャールック・ホームズが、知りうる事実を積み重ね、犯人を割り出していくように、ピノッキオの思想を浮き上がらせていきます。これ程の歴史書を描くには、多くの努力と才能を必要とするように思われますが、このような歴史書がもっと盛んに出版されるようになれば、われわれの歴史認識も一層深まっていくと思います。
ところで、最近、「チーズとうじ虫」というタイトルの映画があることを知りました。私はこの映画を観ていないのですが、監督が自分の母親の死に至る過程を撮った映画のようです。このタイトルと映画の関係についてはよく分かりませんが、自分の母親というミクロの世界を描くという意味で、このタイトルがつけられたのかも知れません。もちろん、この歴史書は単にミクロの世界を描いたというだけではなく、文字文化(支配者の文化)と口承文化(民衆の文化)の違いを示すとともに、この頃から文字文化が口承文化を征服していく過程が描かれている点で、真に歴史書となっています。ただ、この映画の監督が、自分の母親の死という個的な世界の中に普遍性を見たように、私もまた、ピノッキオという一人の普通の人間の中に、世界の歴史を見たように思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿