2017年2月25日土曜日

映画「サン・ルイ・レイの橋」を観て

2004年にスペイン・イギリス・フランスで制作された映画で、アメリカのワイルダーの小説が映画化されたものです。この小説は、過去に何度も映画化されており、多くの人々に深い感銘を与えてきました。

















映画の舞台は、1714年のペルーのリマです。ペルーはインカ帝国の中心地でクスコが首都でしたが、クスコは標高が高いため、インカ帝国を滅ぼしたピサロが、海岸に近いリマに首都をおきます。スペインは中南米の統治のために副王を派遣し、彼らが王の代理として統治します。最初は、アステカ帝国を滅ぼした後にメキシコに副王が派遣され、二番目にインカ帝国を滅ぼした後に、南米を統括するペルー副王領が設置され、リマがその首都となりました。リマは、銀山の経営で栄え、17世紀初めには人口が25千人に達し、教会や宮殿や大富豪の立派な建物が立ち並び、ヨーロッパの都市とほとんど変わらない都市文明が栄えていました。しかし、当時地震や津波、飢饉や疫病が相次ぎ、人々は疲弊していました。
そしてリマの近郊で一つの事件が起きます。深い谷にかかった吊り橋が突如落下し、そこを通行中の5人の人物が死亡したのです。たまたまこれを目撃した修道士ジュニパーは、何故5人の人物がこの橋を渡り、何故死ななければならなかったのか、これは神の意志なのか、だとすれば神の意志とはどのようなものなのか、と考えるようになります。その後ジュニパーは6年の歳月をかけて、この橋に至るまでの5人の人生と関係を調べ、それを一冊の本にまとめて出版します。これに対して教会は、神の意志を知ろうとすることは神への冒涜であり、異端であるとして、彼を宗教裁判にかけ、その結果彼は異端として火炙りになります。映画は、宗教裁判での修道士の回想という形で、5人の人生と相互の関係とが語られます。
ここでは具体的には述べませんが、5人はまったく別々の人生を歩み、それぞれの関係も僅かしかありません。僅かしかないということは、微妙に関わりがあるということでもあります。ただ、怠惰で退屈している副王の気まぐれが、微妙に5人の人物の人生に影を落としているように感じました。そして5人が、それぞれの思いで橋に向かい、一瞬にして死んでしまいます。こうした事実を調べた後、修道士は言います。「この世は計画され、人生には型があるのか。その秘密が5人の突然の死に隠されているはず。人は偶然に生きて、偶然に死ぬのか。生は定められ、死も定められているのか。」そこには、明らかに信仰への疑念が認められます。当時の人々は、この橋は絶対に落ちないと信じていました。しかしパッケージの写真にもあるように、落ちても何の不思議もないような脆い橋で、なぜ人々は橋が落ちないと信じていたのか不思議なくらいです。「橋は落ちない」というのは人々の信仰であり、それは一瞬にして崩れ去ったということです。
映画では、当時のリマの街並みが再現され、大変興味深いものでした。ただ、多数住んでいるはずの先住民はほとんど登場せず、当時のマドリードと大して変りがないように思えました。また映画では、一見何の関係もない人々の人生が淡々と語られますので、途中少し退屈になりましたが、最後は感動して終わりました。なかなか見ごたえのある映画でした。


2017年2月22日水曜日

「シラミとトスカナ大公」を読んで

カルロ・M・チポッラ著(1985) 柴野均訳 白水社(1990)












 本書は、イタリア中部にあるトスカナ大公国における、17世紀における疫病対策のための公衆衛生局を扱ったものです。本書は四つの論文から構成されており、本書のタイトルは、この四つの論文の内の最初の論文のタイトルです。
 栄養状態の悪化が疫病を蔓延させることは確かですが、病原菌が存在しなければ疫病は発生しません。14世紀のペストの流行は、海外からのペスト菌の流入によるものですが、17世紀になると、そのペストや天然痘やチフスなども、すでに風土病と化しており、各地で断続的にこれらの病気が流行していました。そしてこの病原菌を蔓延させるのは、極度の衛生状態の悪さです。排水施設が存在しなかったため、糞尿は家の中に蓄積され、道路や川に捨てられます。糞尿を回収する業者が存在しましたが、人々は彼らに金を払うのを嫌がって、相変わらず外に捨てられていました。
 当時は疫病の感染の原因が分かっていませんでしたので、悪い空気が感染させると考えられており、衛生状態を改善することと、患者を隔離することが唯一の予防法でした。トスカナの中心都市フィレンツェでは、すでに15世紀に公衆衛生局が設立されており、彼らは疫病が流行すると、獅子奮迅の働きをするとともに、膨大な資料を残しました。本書は、これらの資料をもとに、疫病対策だけでなく、当時の人々の生活を再現しており、大変興味深い内容でした。
ペスト菌を媒介するノミを保菌するのはネズミであり、したがって冬になるとペストは沈静化します。これに対してチフスを媒介とするシラミは冬に活動するため、チフスは冬に多く発生します。本書は、1616年から1622年にかけて、フィレンツェを襲った飢饉と経済危機と深刻な失業と疫病を描いています。何しろ敵の姿が見えない疫病に対し、何をなすべきかがほとんど分かっておらず、今日から見れば、かえって事態を悪化させるような方法も採用されました。しかし、細菌学が確立するには、まだ300年近くかかるわけですから、やむを得ないことだと思います。
本書が面白いのは、時々余談に逸れ、その余談が意外に面白いのです。例えば、「工業化以前の社会の低い生産力を考えれば、分配すべきパイは惨めなほど小さく、多数の人間を締め出すことによってのみ限られた数のエリートが繁栄を享受できたということである。両者のコントラストは確かに激しく、その時代において社会正義の理想をもつ者は不快感を覚えたことであろう。だがその者にしても、もし小さなパイが均等に切り分けられていたならば決して生み出されなかったであろう素晴らしい芸術作品の前に、陶酔するのである。」要するに歴史を学ぶに当たっては、感傷的に非難したり賞讃したりすべきではない、ということなのでしょう。


2017年2月18日土曜日

映画「ミッション」を観て

 1986年にイギリスで制作された映画で、18世紀に、今日のパラグアイあたりで行われたイエズス会による宣教活動を描いたもので、史実に基づいてします(ただし、登場人物は架空の人物です)。宣教師が未知の世界で宣教活動を開始する場合、まず活動の拠点として宣教所を建てますが、これがミッションで、今日も当時この地域に建てられたミッションが幾つも残っており、それらは今日世界遺産となっています。









 映画の背景は非常に複雑で、私も知らないことが多く、調べるのにかなり時間がかかりました。まず南米の植民地の過程ですが、15世紀末以来スペインとポルトガルが進出していきます。スペインはカリブ海から中米に進出し、そこから南米へ進出すると同時に、現在のアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに上陸して、そこから内陸に進出します。これに対して、ポルトガルは東海岸から奥地へと進出し、その結果南米は、スペインとポルトガルによって二分される分けですが、その過程で両国の境界が問題となり、この映画で直接問題となったのはパラグアイです。
 当時のパラグアイからウルグアイにかけての地域には、幾つかの部族集団が住んでいましたが、その内グアラニー族は粗放ながら農耕を行い、比較的温和な部族だったため、スペイン人は彼らと友好関係を築いていきます。17世紀に入ると、イエズス会の宣教師たちがこの地方で宣教活動を始め、当初は迫害されましたが、しだいにキリスト教に改宗する人々が増えていきます。映画のカバー写真は、迫害された宣教師が十字架に縛られて滝から落とされる場面で、この映画の最初の場面です。宣教師たちは、グアラニー人に粗放な農業を止めさせ、より合理的な農業を教えます。その結果生産力は増え、生産物は皆で平等に分配しましたので、原始共産社会のような社会が形成されていきます。それは、あたかも地上の楽園のようであったとも伝えられています。
 18世紀に入ると、いろいろな問題が起こってきました。まず、イエズス会に対する圧力が強まってきます。イエズス会はローマ教皇に絶対的な忠誠を誓い、国境など関係なく活動しますが、ヨーロッパ各国で強力な国家が形成されるようになると、イエズス会のような超国家的存在は目障りになってきます。ローマ教皇にとっても、グアラニー人による地上の楽園などは許しがたいものでした。もし地上に楽園があるなら、人々は天上の楽園を望まなくなり、そうなれば、教会の権威も失われるからです。こうした中で、18世紀半ばにスペインやポルトガルなど各国がイエズス会を追放し、1773年にはローマ教皇がイエズス会を禁止することになります。
 もう一つ大きな問題が存在しました。すなわち奴隷制の問題です。スペインが当初征服した地域は、アステカ帝国やインカ帝国のような高度な文明と農耕社会を形成していましたから、スペイン人はそれを征服して支配すればよく、新たに奴隷を持ち込む必要がありませんでしたので、スペインは奴隷制を禁止していました。ところが、ポルトガルが進出したブラジルには、そうしたまとまりのある社会は存在しなかったため、やがてポルトガル人は先住民を奴隷として農場を経営するようになります。しかし奴隷とするための先住民が減少すると、アフリカから黒人奴隷を輸入するとともに、さらに奥地に奴隷狩りを行うようになります。この奴隷狩りは大変儲かる商売だったようで、ウルグアイやパラグアイ地域にも多くの奴隷商人が進出していました。しかしこれらの地域はスペインの領土であり、スペインは奴隷制を禁じていますので、これらの地域を巡ってスペインとポルトガルが激しく対立することになります。
 こうした情勢の中で、イエズス会はグアラニー人に武装させ、奴隷商人の侵入を阻止し、今や彼らは独立国家の様相を呈してきました。このグアラニー人の共同体は、ポルトガルにとっても厄介であり、スペイン人にとっても厄介でした。というのは、スペイン人の中には、奴隷禁止に違反して奴隷制による農場経営を行う者がおり、彼らにとってグアラリー人は格好の奴隷の対象でしたが、イエズス会がいる限り彼らを奴隷にすることはできませんでした。こうして、グアラニー人を巡って、ポルトガル、スペイン、イエズス会が三つ巴になって対立することになります。そして1750年代に、グアラニー人はスペインとポルトガルの両軍によって攻撃され、さらにスペインとポルトガルでイエズス会の追放が決定されたため、グアラニー人の理想郷は消滅することになります。
 映画は、この1750年代におけるイエズス会宣教師とグアラニー人の苦悩を描いています。映画は、150年ほどの間に起こったことを、10年間ほどの時間に圧縮して描いています。まず、イエズス会のガブリエル神父が滝の上にミッションを建設し、グアラニー人への布教活動を開始しますが、これ自体は150年ほど前から始められていることです。一方、元傭兵で奴隷商人だったメンドーサは、恋人を巡って対立した弟を殺してしまい、深い自責の念にとらわれていました。そしてガブリエル神父に誘われて、滝の上のミッションを訪れ、ここで彼はイエズス会の宣教師となり、生きがいを見出していきます。そしてスペインやポルトガルとの戦いが始まると、ガブリエル神父は宣教師として戦わずして殉教の道を選び、メンドーサは宣教師の道に反して剣をとって戦い、死んでいきます。

 こうした事件はおそらく、スペインやポルトガルが中南米を征服していく過程で、数えきれない程起こってきたと思われます。そうした中で、グアラニー人の抵抗は、ヨーロッパの侵略に対する最後の抵抗の一つだったと思います。映画の背景は極めて複雑で、南米の歴史を深く考えさせられる映画でした。

2017年2月15日水曜日

「歴史を変えた昆虫たち」を読んで

JL・クラウズリー・トンプソン著、1979年、小西正泰訳、思索社(1982)
 本書は、昆虫、中でも昆虫を媒介とする疫病について述べています。疫病については、すでにかなり前に、ハンス・ジンサー「ネズミ・シラミ・文明」、マクニール「疫病と世界史」などを読んでおり、またこのブログの「グローバル・ヒストリー 第14章 1415世紀-危機の時代 1.疫病と世界史」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/141415.html)でも、疫病が歴史に与えた影響を述べています。もちろん、昆虫の中には、イナゴの大群のように、疫病を媒介するだけではなく、直接人間に被害を与える場合もあります。イナゴの被害については、このブログの「映画「大地」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/07/blog-post_1.html)を参照して下さい。また、逆に蚕のように、中国を一大帝国にした昆虫もいるわけです。
 本書は、太古の昔から現代に至るまで、昆虫が人間の歴史に及ぼした影響を、幅広くかつ詳細に述べています。特に、戦争では、不衛生や食糧事情の悪化により疫病が蔓延しやすく、疫病が戦争の勝敗を決定するようなことは、しばしば起きます。ただ、本書は全体に昆虫・疫病の与えた影響を過大に評価し過ぎている傾向があります。著者自身も、しばしば「それだけが原因ではないにしても……」と述べてはいますが、読んでいると、あたかも疫病がすべての決定要因であるかのような錯覚を受けます。それ程、疫病は歴史に大きな影響を与えてきた、ということではありますが。
ただ、微生物の側から見ると、宿主が死ねば微生物も死ぬわけですから、微生物にとっては命がけの寄宿ということになります。また、微生物はそれ自体では移動しませんので、本来特定の疫病は特定の地域に限られ、その地域の生物はある程度免疫をもっているわけですが、保菌した昆虫や動物や人間が移動すると、宿主とともに微生物も移動するわけです。地球上には多くの生物が存在し、微生物もその中に含まれているわけですから、本来共存しなければならないのでしょうが、その共存を破壊しているのは人なのではないでしょうか。何か分けの分からないことを書いていますが、この本を読んでいて、悪いのは微生物ではなく人間なのではないか、と考えるようになりました。



2017年2月11日土曜日

映画「カラヴァッジョ」を観て

1986年にイギリスで制作された映画で、16世紀末から17世紀初頭に活躍したイタリアの画家カラヴァッジョの生涯を描いています。ただし、カラヴァッジョの生涯を忠実に再現しているのではなく、彼を通して製作者にとっての美の世界が描かれています。
 16世紀の前半に、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロなどの天才が活躍したため、その後はこれら三人の手法を継承するマニエリスムが流行します。もちろんマニエリスムは単なる模倣ではなく、バロックへの橋渡しの役割を果たすのですが、そうした風潮の中で一人の異彩を放つ画家が出現します。光と陰を巧みに利用し、従来のように人物を理想化せず、「決定的な瞬間を誰にも真似できないほどに鮮やかに切り取って描く優れた能力」を持ち、「人間の絶望的なまでの不安と心の弱さを表現すると同時に、人間が代々受け継いできた優しさ、謙虚さ、柔和さなどが未だ失われていないさまを描き出している」(ウイキペディア)のだそうですが、私にはよく分かりません。
 カラヴァッジョは、ミラノで修行した後、ローマで才能を見出されます。当時、宗教改革と対抗宗教改革が激しく対立し、カトリックの中心であるローマでは、従来とは異なる人を引き付けるような芸術が必要とされていました。そうした時代に、彼は枢機卿や大貴族から保護を得ることができ、金銭的にはあまり苦労しませんでしたが、相当に素行が悪く、舞踏会や居酒屋で喧嘩して暴れたり、殺人まで犯し、教皇から死刑宣告を受けたことさえありました。その後、各地を転々とした後、1610年に許しが出てローマへ帰る途中、病死しました。38歳でした。死因は、絵具に含まれる鉛の中毒だそうで、画家にはこの病気が多いそうです。
 映画は、そうした彼の経歴にはほとんど触れず、死の直前に過去を思い出す形で進められ、主として彼の創作活動の姿が描かれています。アトリエには、ホモセクシャルあり、バイセクシャルありで、かなり猥雑な世界として描かれていました。この映画の監督が同性愛者で、彼の嗜好がかなり強く表れているように思いました。さらに、この時代にはありえない、タイプライターや自転車、写真集まででてきますので、はっきり言って、私にはほとんど理解できない世界で、ただ、バロック絵画の初期にこういう画家がいたということを知ったのみで終わりました。
カラヴァッジョは、生存中は大変評判の高い画家でしたが、死後まもなく忘れ去られ、20世紀に再発見され、この映画で広く人々に知られるようになったそうです。


2017年2月8日水曜日

お知らせ

アクセス回数が、とうとう10万件を越えました。このブログを始めて3年余りで、これほどのアクセスがあるとは想像もしませんでした。特に多いのは「グローバル・ヒストリー」で、中でも「グローバル・ヒストリーとは何か」は4000件を超えています。「グローバル・ヒストリー」以外で多いのは、「映画で観る中国の四人の女性」で、1681件です。

ところで、私のパソコンで、「ハーデディスクに異常が検出されました。すぐデータのバックアップして下さい」という警告が頻繁に出るようになりました。私は、すべてのデータを外付けのハードディスクに入れているため、バックアップの必要はないのですが、ついにこのパソコンも寿命がきたようで、買い替えることにしたのですが、新しいパソコンを自分用に仕立てるにはかなり時間がかかり、少々うんざりしています。

























庭に花が咲き始め、冬もそろそろ終わりに近づいてきました。また、畑仕事を始めなければなりません。








2017年2月4日土曜日

映画「十二夜」を観て

シェイクスピア原作の喜劇「十二夜」(副題「御意のままに」)を、1996年にイギリスで映画化されたもので、男女が入れ替わり三つ巴の恋が展開するという物語です。この戯曲も、何度も映画化・舞台化・テレビドラマ化が行われており、さまざまなバージョンがあり、アメリカでは現代のハイスクールに舞台を置き換えた映画も制作されているそうです。なお、この映画は、時代を19世紀においています。シェイクスピアについては、このブログの「映画でシェイクスピアを観て」を参照して下さい(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/10/blog-post_17.html)

 まず十二夜とは、イエスの誕生を予言した東方の三人の博士がイエスに合うためベツレヘムを訪れ、イエス誕生から12日目にイエスに出会ったという故事に基づき、この日をお祝いするというもので、お祭り騒ぎをするそうです。この日は16日で、エリザベス女王が、シェイクスピアにこの日に芝居を上演するようにと命じたことから、この戯曲は「十二夜」と名付けられました。したがって、「十二夜」という戯曲の内容は、十二夜とは直接関係がありません。このエピソードは、前に観た「恋におちたシェイクスピア」でも扱われています。

 舞台となったイリリアは、空想の国です。イリリアとは、イタリアの西のアドリア海の対岸にあり、前1000年頃からイリリア人と呼ばれる人々が住んでいましたが、彼らについすてはほとんど分かっていません。彼らの言語はインド・ヨーロッパ系に属するようで、その言語の一部が、現在のアルバニア語に残っているそうです。イリリアは紀元前5世紀頃から勢力を拡大しますが、紀元前2世紀にローマによって征服され、やがてイリリア語も消滅しますが、イリリアは空想の国として人々の記憶に残り、「十二夜」では「恋の国」として描かれます。
 映画は、双子の兄妹が乗っていた船が難破するところから始まります。私は性の異なる双生児に出会ったことは在りませんが、二卵性双生児のうち約4割が男女の双子だそうですので、それ程珍しいことではないようです。この双生児の兄はセバスチャンで、妹はヴァイオラで、二人は顔がそっくりです。ヴァイオラはイリリアの浜辺に漂着しますが、兄と生き別れになってしまいます。こまったヴァイオラは、男装して名前もセザリオと替え、この地を支配しているオーシーノ公爵の小姓となります。
 オーシーノ公爵は伯爵令嬢オリヴィアに恋をしていたため、ヴァイオラ(セザリオ)に恋の取持ちを頼みますが、オリヴィアがヴァイオラに恋をしてしまい、またヴァンオラがオーシーノ公爵に恋をしてしまいます。つまり、妙な三角関係が生まれる分けです。結局、ヴァンオラに瓜二つの兄のセバスチャンが現れてセバスチャンとオリヴィアが結ばれ、ヴァイオラが女であることが明らかとなって、オーシーノ公爵とヴァイオラが結ばれるという話です。
 この物語は、ジェンダーの問題と深く関わりがあります。ジェンダーについては、古くからさまざまな解釈がありますが、今日一般的には、「社会的・文化的に形成された性別」を指します。つまり「ある社会において、生物学的男性ないし女性にとってふさわしいと考えられている役割・思考・行動・表象全般を指し」ます。したがって、今日においては、「女らしさ」の基準が社会に適合していないことから、ジェンダーを性差別と同様に捉えることもあります。この物語でも、男性に変装した女性が女性から恋をされ、女装した女性が男性に恋をする分けですから、「社会・文化的に形成された性」と「生物学的な性」との関係が問題となっている分けです。
 日本の平安時代に「とりかへばや物語」という物語が生まれました。内気で女性的な性格の男児と快活で男性的な性格の女児がおり、父親は取り替えたいと思い、女児を「若君」、男児を姫君として育てます。やがて若君は高貴な女性と結婚しますが、当然妻は他の男性と浮気し、結婚は破綻します。姫君は上司に女性であることを見破られ、二人は恋をし、やがて姫君は出産します。その後、姫君と若君は密かに入れ替わり、本来の状態に戻った、という話です。生物学的な性と社会的な性との葛藤を描いた大変珍しい話で、「十二夜」と共通するものがあるように思います。
 映画と直接関係のない話ばかりを書いてしまいましたが、映画はとても面白く観ることができました。ただ、私は原作を読んでいないので分かりませんが、映画は原作より喜劇の部分が削除されているようです。それと関係するかどうか分かりませんが、伯爵家の執事マルヴォーリオが徹底的に苛められる理由が、よく分かりませんでした。このエピソードは、まるで「ヴェニスの商人」のシャイロットの物語のようでした。この二組の幸福な男女の、暗い結末を予想させるようでもありました。

2017年2月1日水曜日

「アジアの医学」を読んで

ピエール・ユアール、ジャン・ボッシー、ギ・マザール著、1978
赤松明彦、高島淳、荻本芳信訳、せりか書房、1991
 歴史上、あらゆる地域において多くの民間医療が存在し、現在も続けられていますが、インドや中国ように文化的にも歴史的にも伝統のある地域では、ある程度体系化された医療技術が生み出されます。本書は、インドと中国における医療の歴史を扱っており、具体手的な内容については、私には難解すぎますが、両地域の医療の大きな特徴を捉えることはできます。
 インドでは、ヴェーダ期の終わり頃に当たる紀元前800年から700年頃に「アーユル・ヴェーダ」という形で、医療が体系化されたとのことです。「アーユル・ヴェーダ」とは、「長寿についての知」という意味で、単に医学であるだけでなく、あらゆる意味での種々多様な生命現象を取り扱うものです。特にインドでは、外科手術が発達していたそうで、腸の縫合手術までしたそうです。また、「アーユル・ヴェーダ」と並んでシッダの医学というのがあり、化学療法を用いたそうです。その他にヨーガがあり、これは身体と精神の制御を獲得するための一連の技法からなっており、治療法というよりは予防法というべきものです。

 中国の医学は、すぐれて中国的な宇宙観と結びついています。「西洋の習慣とは異なり、中国的なものの見方からすれば、何よりも人間が含みこまれる宇宙というものを述べることなしに、人間の解剖学や生理学を考えるわけにはいかない。というのも、この宇宙は閉じられた世界であり、その部分部分は類似した構造をもち、一つの相関的なシステムによって密接に結び合わされているからである。このようなシステムは、西洋人の眼から見ると誤謬があるように思われるが、美的かつ倫理的な面での魅力は否定し難い。それは因果的推論ではなく、思考のシンプルな短絡である。すなわち、類似した関係は宇宙にあるさまざまな要素の中で定まるのである。それは時間―空間の壮大な概念であり、「太極」によって図説される。この概念はタオ「道」という不動の原理のもつリズムから生まれる。タオは休息()として、あるいは運動()として表わされる。」つまり、この陰と陽の調和が崩壊する時、あらゆる有害な現象が生じる、ということです。