2004年にスペイン・イギリス・フランスで制作された映画で、アメリカのワイルダーの小説が映画化されたものです。この小説は、過去に何度も映画化されており、多くの人々に深い感銘を与えてきました。
映画の舞台は、1714年のペルーのリマです。ペルーはインカ帝国の中心地でクスコが首都でしたが、クスコは標高が高いため、インカ帝国を滅ぼしたピサロが、海岸に近いリマに首都をおきます。スペインは中南米の統治のために副王を派遣し、彼らが王の代理として統治します。最初は、アステカ帝国を滅ぼした後にメキシコに副王が派遣され、二番目にインカ帝国を滅ぼした後に、南米を統括するペルー副王領が設置され、リマがその首都となりました。リマは、銀山の経営で栄え、17世紀初めには人口が2万5千人に達し、教会や宮殿や大富豪の立派な建物が立ち並び、ヨーロッパの都市とほとんど変わらない都市文明が栄えていました。しかし、当時地震や津波、飢饉や疫病が相次ぎ、人々は疲弊していました。
そしてリマの近郊で一つの事件が起きます。深い谷にかかった吊り橋が突如落下し、そこを通行中の5人の人物が死亡したのです。たまたまこれを目撃した修道士ジュニパーは、何故5人の人物がこの橋を渡り、何故死ななければならなかったのか、これは神の意志なのか、だとすれば神の意志とはどのようなものなのか、と考えるようになります。その後ジュニパーは6年の歳月をかけて、この橋に至るまでの5人の人生と関係を調べ、それを一冊の本にまとめて出版します。これに対して教会は、神の意志を知ろうとすることは神への冒涜であり、異端であるとして、彼を宗教裁判にかけ、その結果彼は異端として火炙りになります。映画は、宗教裁判での修道士の回想という形で、5人の人生と相互の関係とが語られます。
ここでは具体的には述べませんが、5人はまったく別々の人生を歩み、それぞれの関係も僅かしかありません。僅かしかないということは、微妙に関わりがあるということでもあります。ただ、怠惰で退屈している副王の気まぐれが、微妙に5人の人物の人生に影を落としているように感じました。そして5人が、それぞれの思いで橋に向かい、一瞬にして死んでしまいます。こうした事実を調べた後、修道士は言います。「この世は計画され、人生には型があるのか。その秘密が5人の突然の死に隠されているはず。人は偶然に生きて、偶然に死ぬのか。生は定められ、死も定められているのか。」そこには、明らかに信仰への疑念が認められます。当時の人々は、この橋は絶対に落ちないと信じていました。しかしパッケージの写真にもあるように、落ちても何の不思議もないような脆い橋で、なぜ人々は橋が落ちないと信じていたのか不思議なくらいです。「橋は落ちない」というのは人々の信仰であり、それは一瞬にして崩れ去ったということです。
映画では、当時のリマの街並みが再現され、大変興味深いものでした。ただ、多数住んでいるはずの先住民はほとんど登場せず、当時のマドリードと大して変りがないように思えました。また映画では、一見何の関係もない人々の人生が淡々と語られますので、途中少し退屈になりましたが、最後は感動して終わりました。なかなか見ごたえのある映画でした。