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2020年12月26日土曜日

最近観た映画(2)

 一輪明月 〜弘一大師の生涯〜


2005年に中国で制作された映画で、20世紀に活躍した孤高の天才芸術家 弘一(李叔同)の生涯を描いています。彼は、西洋画、音楽、書、文学、演劇など多岐に渡る芸術的足跡を残しますが、その生涯は、激動する時代を超越し、天に輝く月のごとくでした。






無言歌

2010年に制作された香港・フランス・ベルギーによる合作映画です。1960年、中華人民共和国の反右派闘争によって、多数の人間が甘粛省の砂漠にある政治犯収容所に送られ、強制労働を強いられました。権力に圧し潰された人々の姿が描かれています。







天安門

1995年にアメリカで制作された映画で、1989年に中国で起きた天安門事件について、膨大な映像取材と、関係者へのインタビューを通じて描いており、天安門事件についての貴重な資料ともなっています。なお、この頃から、ソ連も含めて多くの国で社会主義が崩壊していきましたが、中国では、なお共産党一党独裁が続いています。






名もなきアフリカの地で

2001年にドイツで制作された映画で、ナチスによるユダヤ人迫害を逃れて、アフリカのケニアに逃れた家族の物語で、家族はしだいにアフリカの大地と人々を愛するようになります。大変美しく、感動的な映画です。







さすらいの航海

1976年にドイツで制作された映画で、ユダヤ人迫害が強まるドイツから、海外へ亡命するため千人近いユダヤ人を乗せた客船が出航しますが、各国から受け入れを拒否されて大西洋上をさまよいます。これは1939年に実際に起きた事件に基づいた映画です。







フランス外人部隊 アルジェリアの戦狼たち

2002年にイギリスで制作された映画で、いわゆる「外人部隊」における一人の兵士の葛藤を描いています。外人部隊とか傭兵部隊というのは、正規兵にはできないような、危険で汚い仕事をしますが、それに矛盾を感じる人もいます。映画では、フランスの植民地アルジェリアの独立戦争を背景に描かれています。







2020年11月25日水曜日

最近観た映画(1)

 ウォリアークイーン

2003年にイギリスにより制作された映画で、1世紀にイングランドに実在したケルト族の女王ブーディカとローマ軍との戦いを描いています。彼女についてはタキトゥスが記録を残しており、現在ロンドンで戦闘馬車に乗るブーティカを観ることができます。







以前にこのブログに、「映画「虐殺の女王」を観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/01/blog-post_14.html)を公開しましたが、同じ人物を扱っています。

 




ヴァイキング

2016年のロシア映画で、ロシアの最初の君主となったウラジーミル1世の半生を描いた物語です。同じ時代のロシアについては、「映画でロシア史を観る」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/05/blog-post.html)を参照して下さい。







フューリアス

2018にロシアで制作、13世紀におけるモンゴルの侵入を描いており、ロシア南部は長くモンゴルの支配下に置かれます。同じ頃ロシアは、スウェーデンからも攻撃されます。これについては、「アレクサンドル・ネフスキー~ネヴァ川の戦い」を参照してください。







1900

1976にイタリアで制作、316分にも及ぶ長編です。混迷する20世紀前半を生きた二人の人物の物語です。









ヒトラー最後の代理人





2016年にイスラエルで制作された映画で、アウシュヴィッツ強制収容所ルドルフ・F・ヘスの手記を元に、アウシュヴィッツでの虐殺について語られます。前に見たアイヒマンと同様、命令を実行したにすぎない役人でしたが、アイヒマンにとって虐殺される人々は数字でしかありませんでしたが、ヘスは虐殺に立ち会うたびに、自分の家族のことを考えたと、述べています。






希望の灯り

2018年のドイツで制作された映画で、東西ドイツ統一後の旧東ドイツの人々の心の安定を描いています。









ヴィクトリア女王 最期の秘密

2017年 イギリス アメリカ

晩年のヴィクトリア女王が描かれています。若い時代のヴィクトリア女王については、「ヴィクトリア女王 世紀の愛(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/03/blog-post_7.html)







ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋





2011年にイギリスで制作された映画で、イギリス国王エドワード8世とアメリカ人既婚女性ウォリス・シンプソンとのロマンスを、シンプソン夫人に視点をあてて描いています。








レジェンド・オブ・サンダー

2004年にイギリスで制作された映画で、原題は「火薬陰謀事件」で、邦題の意味はよく分かりません。17世紀初頭のイギリス・ステュアート朝初代の君主ジェームズ1世の暗殺未遂事件を扱っています。私はジェームズ1世についてほとんど知識がありませんので、大変参考になりました。

映画は、「火薬陰謀事件」について述べる前に、その前提となる歴史、つまりスコットランド女王メアリーとジェームズの誕生ついて述べます。メアリーについては、「映画「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」を観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2020/08/blog-post_70.html)を参照して下さい。ジェームズ1世は、エリザベス女王の死後イングランド国王となりましたが、イングランドも宗教対立が激しく、そうした中でカトリック教徒によりこの事件が引き起こされます。事件は未遂に終わりましたが、その後のイングランドは、ピューリタン革命や名誉革命など苦難の時代を経験し、18世紀になってようやく新しいイギリスが形成されることになります。

 この映画は、特によくできた映画だとは思いませんが、私の知識の空白部分を埋めてくました。

スエズ

 1938年にアメリカで制作された映画で、フランス人レセップスによるスエズ運河の建設が描かれています。スエズ運河の開削が空前の大工事だったことは言うまでもありませんが、映画では工事の過程より、資金調達や外交的な駆け引きを中心に描かれます。とくにスエズ運河は地政学的に重要な意味をもちますので、これに利害関係をもつ国々との交渉はかなり厄介で、大変興味深く観ることができました。なお、映画ではフランス皇帝ナポレオン3世の皇妃ユージェニーとレセップスとのロマンスが語られますが、こうしたことが実際にあったのかどうか、私は知りません。


2020年11月15日日曜日

時代劇を観て

 幕末太陽傳

 1957年に制作された映画で、かつて品川に実在した遊女屋である相模屋を舞台としたドタバタ喜劇で、日本映画史上で傑作の一つに数えられている映画です。幕末の動乱の中にあって、逞しく生きる町人の姿が描かれています。







たそがれ清兵衛

2002年に、山田洋次監督によって制作された映画で、原作は藤沢周平です。映画では、幕末におけるある(架空の)藩の下級武士の悲哀が描かれており、低迷する時代劇および日本映画の中で高い評価を得た作品です。







殿、利息でござる

2016年に制作された映画で、18世紀の仙台藩吉岡宿での宿場町の窮状を救った町人達の記録です。彼らの構想は、1000両という大金を8年かけて捻出し、その金を仙台藩に貸付けて、その利子で宿場を運営するというもので、その計画は1773年頃に成就されました。






サムライマラソン

2019年に制作された映画で、「安政遠足(あんせいとおあし)」と呼ばれる史実を描いています。幕末期に今日の群馬県ある小藩安中藩で行われた、今日風に言えばマラソン大会の顛末が、コミカルに描かれています。







武士の献立

2013年に制作された映画で、江戸時代における加賀料理の発展について述べています。加賀藩は百万石の大藩なので、将軍や他の大名への供応が多く、料理担当の武士たちもたくさんいました。映画では、料理担当の一人の武士が、抜群の味覚をもつ妻の協力を得て、加賀料理を発展させていきます。






天心

2013年に制作されて映画で、西洋美術が隆盛するなかで、日本美術の保護に生涯をかけた岡倉天心の生涯を描いています。国内の日本美術を保護し、日本画の画学生を指導し、多くの著書を著して、日本の美術を世界に伝えました。岡倉天心の、こえしたバイタリティあふれる生涯を描いています。












2020年10月25日日曜日

北朝鮮の映画を観て

  朝鮮は、日本統治時代から映画制作が盛んで、日本で学んだ映画人たちが、多くの映画を制作していました。朝鮮戦争後も、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)国内に多くの映画館が建設され、映画は大衆娯楽としておおいに発展しました。特に1960年代後半になると、独裁者金日成(キム・イルソン)の後継者金正日が映画界の改革を行い、ソ連や西欧から現代的な映画製作設備を導入し、映画の社会的地位を高めました。1980年代に入っても、日本や香港などとの合作を進め、国際的な映画祭にも出品しました。

 今日では想像しにくいかもしれませんが、この頃までの北朝鮮は、経済的にも政治的にも韓国より安定しており、余裕をもって文化政策を行うことが可能でした。しかし、やがて北朝鮮の社会主義経済は停滞に向かい、1990年代における金日成の死去後、金正日が政治権力を継承しますが、北朝鮮の経済状況は悪化し、国際的にも孤立が進みました。そうした中で、映画も政府のプロパガンダに利用され、金正恩の時代には映画の制作本数が激減することになります。

ここで紹介する映画は、1970年代から80年代に制作された映画で、比較的よい品質が保たれています。













 1979に制作された映画で、1909年、朝鮮の民族主義者安重根(アン・ジュングン)による伊藤博文暗殺事件を題材としています。

 1905年に日露戦争に勝利して以降、日本は伊藤博文を中心に露骨な朝鮮侵略政策を推進します。伊藤博文は、日本では明治の元勲ですが、朝鮮にとっては諸悪の根源とでもいう存在でした。これにたいして朝鮮での反日闘争は高まり、両班階級出身の安重根もこれに身を投じますが、日本による弾圧は凄まじく、やがて元凶である伊藤博文を殺さなければ、事態は改善されないと考えるようになります。言い換えれば、伊藤博文さえ殺せば、朝鮮は独立できる、と考えたわけです。

 映画は、日露戦争終結から伊藤暗殺に至るまでを、伊藤と安重根を交互に登場させながら、事件の推移を追います。多少話の繋がりは悪いですが、それでも客観的に事実を追っています。また、映画ではしばしば朝鮮の美しい景色が映し出され、さらに美しい歌も挿入されており、まるで日本の古い映画を観ているようでした。

 当時日本人は安重根を「不逞鮮人」と呼びましたが、映画は最後に彼を「民族の英雄」と呼びます。ただし、映画は、彼のテロリズムは間違っており、このような方法では民族の独立は達成できないこと、そして民族の独立を可能にするのは、祖国光復会(金日成による創設)の活動を待たねばならい、主張しています。これが、この映画における唯一のプロパガンダでした。

 

 1972年に制作された映画で、金正日(キム・ジョンイル)が指揮して制作されたそうです。貧しい農民の娘に次々と不幸が襲い掛かり、それに耐えていく物語で、これでもか、これでもか、というほどの不幸の連続で、正直なところ、うんざりしてきました。

 映画では、地主の横暴が彼女の不幸のもとですが、その背景には日本による資本主義経済の導入と搾取があったことは、言うまでもありません。これは当時の世界的な現象で、この時代の日本でさえ、「おしん」が貧困に喘いでいました。

 結局この映画も、金日成が率いるゲリラが唯一の救いとなる、という物語です。映画は全体として冗長でしたが、時々ハッとするような美しい場面が映し出され、優れた映像技術を感じさせました。



2020年8月20日木曜日

インド映画「パドマーワト 女神の誕生」を観て

2018年にインドで制作された映画で、16世紀に生み出された叙事詩「パドマーワト」を映画化したものです。映画は莫大な資金を投じた160分を超える大作で、使用される言語は、インドの公用語であるヒンディー語と、パキスタンの公用語であるウルドゥー語です。










インドでは、仏教が隆盛した古代インドは7世紀には衰退し、各地にヒンドゥー教の国が建設されるようになります。さらに7世紀ころからアフガニスタン方面からいろいろな民族が侵入し、やがて彼らはヒンドゥー教徒と混交してクシャトリアを名乗り、ラージャスタンで強力な武装勢力を形成するようになり、彼らはラージプート族と呼ばれるようになりました。この映画の舞台となるメイワール王国は、ラージプート族の王国の一つです。

 一方、7世紀にアラビア半島で成立したイスラーム教は瞬く間に拡大し、アフガニスタンからインドへ繰り返し侵入しますが、ラージプート族はこれをよく撃退しました。しかし、13世紀に入るとデリーを拠点に奴隷王朝が成立し、以後16世紀までに、デリー・スルタン朝と呼ばれる短命な5つのイスラーム王朝が続くことになり、やがて16世紀にムガル帝国が全インドを支配するイスラーム王朝となります。そして、この映画で問題となるのは、2番目のハルジー朝(1290 - 1320年)です。この王朝のスルタンであるアラー・ウッディーンは野心的な人物で、積極的な領土拡張政策を採り、その結果メイワール王国と対立することになります。なお、デリー・スルタン朝については、「「インド・イスラーム王朝の物語とその建築物」を読んで」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2019/12/blog-post_11.html)を参照して下さい。

映画では、メイワール王国の王ラタン・シンが旅の途中で、スリランカのシンガール王国の王女パドマーワティに一目惚れし、后として国に迎え入れ、二人は華麗なチットールガル城で幸せな日々を過ごします。ところが、パドマーワティに横恋慕したアラー・ウッディーンがチットールガル城を包囲し、ラタン・シンは戦死して城は陥落し、パドマーワティは自ら炎の中に入って死亡します。
 パドマーワティをはじめ、映画で多くの女性がまとっているインド更紗はとても美しく、また、チットールガル城も華麗であり、その映像美に圧倒される映画でした。ただ、幾つかの問題があり、制作されてから一般公開されるまでに、かなり時間がかかったようです。第一は、映画の構成が「悪のイスラーム教徒」と「善のヒンドゥー教徒」の対立というステレオ・タイプとなっており、インドに多くいるイスラーム教の反発を受け、幾つかの州では上映が禁止されました。また、最後にパドマーワティが火の中に入って殉死する場面がありますが、インドの因習サティ(寡婦殉死)を美化するものではないかと批判されました。

 結局これらの問題については、微修正された上で公開され、インドでも大好評でしたし、私にとっても、大変すばらしい映画でした。

2020年8月11日火曜日

台湾映画「セデック・バレ」を観て


2011年に台湾(中華民国)で制作された映画で、日本の支配に対する先住民セデックの反乱(霧社事件、1930)を描いています。「第一部 太陽旗」と「第二部 虹の橋」を合わせて277分の大作です。なお、「セデック・バレ」とは、セデック語で「真の人」を意味するのだそうです。台湾については、このブログの「台湾映画「非情都市」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_8669.html)「「図説 台湾の歴史」を読んで」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2020/08/blog-post_10.html)を参照して下さい。
 台湾の面積は日本の九州と同程度で、島をほぼ南北に縦走する5つの山脈が島の総面積の半分近くを占めており、耕作可能地は島の約30%にすぎません。台湾には、古くから先住民が住み、その言語系統は東南アジアのそれに類似している部分があるということですが、これについては今後の研究が待たれるとのことです。なお、日本では「原住民」という言葉は「野蛮」を連想させるので、「先住民」という言葉を使うことが多いのですが、台湾では「先住民」という言葉はすでに居ない民族を連想させるため、「原住民」という言葉を使用するのだそうです。
 17世紀末に中国(清王朝)による支配が始まると、中国から台湾へ移民する人が増大し、西部の平地の開墾が進められ、平地に住む先住民との混血も進みました。したがってこれ以降の先住民は、高地先住民のことです。この時代に移住した人々は、今日本省人と呼ばれ、台湾人口の85パーセントを占めています。日清戦争の結果1895年に締結された下関条約により、台湾は日本に割譲されます。ただしこれは日本と清朝との政府間で決定されたことであり、台湾に住んでいる人々の意志とは無関係です。当時台湾には、11万人の先住民と290万人の漢人が住んでいました。
 台湾統治は、日本にとって最初の植民地統治であり、とりあえず中国による統治形態を踏襲しつつ、試行錯誤を繰り返していきます。時には、日本の統治が台湾の発展に役立ったと強弁されることがあったとしても、植民地統治の本質は植民地からの収奪であり、50年に及ぶ日本支配の間に、漢人や先住民による反乱はしばしば起きました。特に先住民に対しては、日本は強力な警察権力を通して統制し、さらに労役を課していたため、先住民の間に不満が高まっていました。
 その他に、様々な問題がありました。当時日本は、先住民を日本人と同じ小学校に通わせ、先住民の同化を図っていました。そうした中で花岡兄弟(実際には兄弟ではない)という先住民は、警察官に採用され、名前も日本風に改め、日本にとっては蛮人でもこのように文明化できるという宣伝材料となりました。実際には、二人の給料は日本人警官よりはるから安く、また常に日本人から侮辱されていました。そして反乱が起きた時、二人は警察と先住民との板挟みになって苦しみ、結局遺書を残して自殺します。悲しい結末でした。
 また、当時日本は先住民の統治を利する目的で、警察官に先住民の有力者の娘を娶ることを奨励していました。しかしこうした警察官の多くは、日本本土にすでに妻子がいましたので、本人が帰国すれば先住民の妻は捨てられることになります。先住民はこうしたことにも不満をもっており、霧社事件を率いた頭目モーナ・ルダオの妹もまた日本人警察官に嫁いでいましたが、夫は数年前に行方不明になっていました。頭目の妹がこのように捨てられたとしたら、それは許しがたいことでした。
 一方、先住民も一致結束していませんでした。先住民には、言語さえ違う民族が含まれており、古くから部族間の争いは絶えませんでした。当然部族の中には親日派もおり、モーナ・ルダオに反感をもつ人もいましたし、勝てる見込みのない戦いに部族を巻き込むわけにはいきませんでした。その結果、先住民族は結束できず、親日派の部族の中には、報償目当てで反乱者の討伐に加担する部族もいました。これもまた悲劇でした。
 反乱のきっかけは、1930107日にモーナ・ルダオの長男が引き起こした日本人警察官殴打事件でした。モーナ・ルダオにとって、このままでは長男が逮捕されることは確実ですので、決起の決意をしたとされます。それは最初から勝利の見込みのない、部族としての誇りを取り戻すためだけの戦いでした。セデック族は、誰からも支配されることなく自然の中で狩猟をし、先祖から伝わる掟に従い、暮らしていました。当時の官憲の資料によると、モール・ルダオは「気性は精悍、体躯は長大、そして少壮のころより戦術に長じている」とのことです。
 戦いは、当初はセデックが有利でしたが、やがて日本は大砲や飛行機を投入し、最後には毒ガスを使用したとも言われます。さらに山岳戦に慣れた親日派の先住民が投入されると、セデックたちは次第に追い詰められ、殺害され、自殺する者もあらわれました。そうした中で、戦っている男たちの妻たちは、やがて日本人により凌辱されることは明らかでしたので集団自殺し、モール・ルダオも山中深く入り、自殺しました。そして蜂起したもの700人が戦死し、500人ほどが投降して処刑されました。まさに悲劇でした。
 蜂起に参加した人々はほとんど戦死したため、彼らの証言を聞くことは出来ず、日本側の資料に依存するしかありませんが、ただ、映画で描かれるセデックの姿は、日本人に対する憎しみというより、セデックとしてのアイデンティティの喪失に対する哀しみでした。しばしば映画で、古老がセデックの伝承を歌います。「虹の橋に行けば、古の英雄たちに会え、自らも英雄になれる」と。

 1937年に日中戦争が始まると、本格的な皇民化政策が推進され、台湾人の母語の使用が制限され、新聞の漢文欄も廃止され、伝統的宗教行事も禁止されました。さらに日本語の使用強制、天照大神の奉祀や日本式姓名への改姓名運動が終戦直前まで強行されました。そうした中で、先住民による「高砂義勇隊」が結成され、南方戦線に送られました。かつて日本と闘った先住民族は、今や「天皇陛下万歳」を叫びながら死に、靖国神社に奉られることになったのです。これもまた、悲しい話です。


2020年8月9日日曜日

映画「レッド・ウォリアー」を観て

2005年にフランスとカザフスタンによって制作された映画で、邦題の「レッド・ウォリアー」というのは意味不明です。原題は「遊牧の民」です。
 この映画の内容は、東方から侵入してきたジュンガルとカザフスタンとの戦いで、その内容は映画「ダイダロス 希望の大地」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/09/blog-post_30.html)とほぼ同じです。ただ、「ダイダロス 希望の大地」の主人公サルタイは実在した人物でしたが、この映画の主人公は創作です。

 映画では壮大な草原や、そこで暮らす遊牧民の生活が描かれ、戦闘場面も勇壮で、映像的には観るに対する映画でした。




映画「コーカサスの虜」を観て

1996年にカザフスタンで制作された映画で、コーカサスのチェチェン紛争を題材としています。カザフスタンやコーカサスについては、このブログの以下の項目を参照して下さい。
映画「ダイダロス 希望の大地」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/09/blog-post_30.html)2012
映画「草原の実験」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2019/05/blog-post_11.html)2014
映画でグルジア(ジョージア)を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/05/blog-post_16.html)
映画「厳戒武装指令」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/05/blog-post_19.html)
 この映画の原作は、トルストイの「コーカサスの虜」で、ここで扱われている時代は19世紀で、それを現在のチェチェンに当てはめました。チェチェンの捕虜となった二人のロシア兵の村での生活、解放交渉などが主なテーマですが、ロシア兵は村人から憎まれるわけでも、警戒されるわけでもなく、淡々と過ごしています。戦争などくだらない、平和が第一だという、トルストイらしいメッセージが込められた映画でした。


映画「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」を観て

 2018年にアメリカとイギリスの合作による映画で、16世紀後半のスコットランド女王メアリーを描いた映画です。
 メアリーの生涯は、波乱に富んだものでした。1542年に誕生した直後に父王が死亡したため、生後6日でスコットランド女王となり、さらにヘンリ8世の要求でイングランドの王太子エドワードと婚約させられますが、エドワードは早逝します。5年後にイングランド軍が侵入したため、メアリーはフランスに亡命し、1558年にフランスの王太子フランソワと結婚します。翌年フランソワはフランス国王となり、メアリーはフランスの女王となりますが、まもなくフランソワが病死し、1561年メアリーはスコットランドに帰国します。この間にメアリーは、イングランドのエリザベス女王が庶子であること、自らがエドワード6世の婚約者だったことを理由に、イングランドの王位を要求します。

 映画は、この二人の女王の対立を、メアリーを中心に描いています。その後メアリーはスコットランドから追放されてイングランドに亡命し、1587年にはエリザベス女王に対する謀反の罪で処刑されます。しかしエリザベスには子がなく、メアリーにはジョージという男子がいました。そしてエリザベスの死後、このジョージがスコットランドとイングランドの王位を継承し、その血統は現在のイギリス王家に引き継がれています。

映画「愛欲の十字架」を観て

1951年にアメリカで制作された映画で、旧約聖書に記載されているダビデを描いた映画です。この時代のアメリカでは、旧約聖書を題材とした映画が多数制作されました。「十戒」「サムソンとデリラ」「キング・ダビデ」「ソロモンとシバの女王」などで、このブログの「映画で聖書を観る https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/04/blog-post_3082.html」を参照して下さい。
この映画の原題は、「ダビデとバトシェバ」で、ダビデの後半生における女性問題を扱っています。信仰深かったダビデが、バトシェバに一目惚れし、彼女の夫を死地に追いやり、やがて神の怒りを買って罰せられ、信仰を取り戻すという話で、旧約聖書の他の物語と同じパターンです。

その後、改心した二人の間にソロモンが生まれ、彼が次の王となり、やがて「ソロモンとシバの女王」の物語に、つながっていくわけです。


映画「悪女」を観て

2004年にイギリスとアメリカの合作で制作された映画で、サッカレーの「虚栄の市」を映画化したものです。邦題は「悪女」ですが、主人公は悪女というわけではなく、虚栄の市を強かに生きた女性ですので、原題通り「虚栄の市」の方がよいのではないかと思います。
サッカレーは、19世紀半ばに活躍した作家で、ディケンズとほぼ同世代です。ディケンズが貧しい人々を描いたのに対し、サッカレーは上流階級を痛烈に批判しました。この時代のイギリスでは、一方では産業革命により貧富の差が拡大し、他方ではインドからの収奪により富める者はますます豊かになっていきました。サッカレーの父は東インド会社の職員で、サッカレー自身6歳までインドで暮らし、この映画でも色々な形でインドとの関係が描かれています。

この映画の背景には、ナポレオン戦争がありました。字幕に1802年とありましたので、一時的に平和だった時代です。主人公のベッキーは孤児だったので、寄宿学校の家政婦をしており、そこを出て上流階級の道を目指します。それは虚栄の市でしたが、彼女は逞しくいきていきます。

2020年7月15日水曜日

映画「やさしい本泥棒」を観て

2013年にアメリカで制作された映画で、思想の自由のないナチス支配下のドイツで、本を通して心の自由を育んでいくという物語です。ナチスに関する映画は、これまでに数えきれないほど観ましたが、この映画はごく普通の少女の心の軌跡を通して、物語や言葉の大切さを語るという、異色の映画でした。
 時代は、1938年から1945年で、ナチスがドイツを席巻し、やがて第二次世界大戦が始まりドイツが破滅していく時代です。ナレーションは死神で、この期間に多くの命が失われます。主人公はリーゼル・メミンガーという12歳くらいの少女で、義父・義母に預けられることになりますが、そこへ行く過程で幼い弟が死神に抱かれます。やがて空襲は激しくなり、親友も義父も義母も死に、世の中は死に神に支配されますが、それでもリーゼルは生きつつ続けます。
 リーゼルの両親は共産主義者で、逃亡生活を続けていたため、彼女はこの年になるまで読み書きができませんでしたが、本に強い憧れを抱いていました。そこにはあらゆる知識が書かれていると思ったのでしょう。彼女が最初に手に入れた本は、葬儀屋が落としていった本で、葬儀の手引書でした。彼女は、義父に手伝ってもらって、この本を暗記するまで読みました。次は、ナチスが危険思想の本を集めて焼いている場所から、GH・ウェルズの「透明人間」という本を盗み出しました。「透明人間」とは「得体のしれない人」というヒトラーへの当てつけでしょうか。
 こうしてリーゼルは沢山の本を読み、言葉を通して自由と豊かな想像力を育んでいきます。また、多くの人との出会いもありました。しかし、死神は相変わらずせっせと働いています。終戦の直前には、義父も義母も親友のルディも空襲で死んでしまいます。しかし死神は彼女には手出しできず、戦争が終わった時、リーゼルは立派な女性に成長していました。

 リーゼルはその後作家になったようで、その言葉でこの時代の不幸を語り伝え、多くの人に感銘を与えました。世界は平和となり、結局言葉は死神に勝ったのです。映画は、幾分コミカルで大変面白く、感銘をうけました。

2020年7月14日火曜日

映画「カラーパープル」を観て


1985年にアメリカで制作された映画で、アリス・ウォーカー原作の同名小説を映画化したものです。20世紀前半における一人の黒人女性を描くことによって、奴隷解放後も南部に存在し続けた抑圧構造を描き出しています。
奴隷解放宣言によって、法的には奴隷制がなくなったとはいえ、当面黒人は従来とほとんど変わりなく、白人のプランテーションに縛り付けられていました。しかし、長い年月の間に、没落するプランテーションもあったでしょうし、自立する黒人もいたでしょう。このことについて、私は具体的に何も知りませんが、この映画の始まりの年である1909年には、黒人がある程度の土地を経営しており、映画はこれらの黒人社会に焦点を当てています。唯一登場する白人は市長夫婦で、彼らは差別主義者で、黒人を人間以下の存在と考えていました。そして、その黒人たちの中でも差別が存在しました。
 14歳の少女セリーは義父によって暴行され、2度出産し、生まれた子はどこかに売り払われました。その後彼女はミスターと呼ばれる男に嫁がされ、そこでは、暴力と酷使の毎日が続きます。さらに彼女が心の拠り所としていた妹のネティから引き離され、彼女は行方不明になってしまいます。こうしたことは、かつての奴隷制度のもとでは日常的に行われていたことで、今や黒人がかつての白人の真似をしているのです。映画では、さまざまな抑圧や差別に耐え忍び、次第に精神的に強くなり、自立していくセリーの姿が描かれており、最後に妹に再開して映画は終わります。タイトルの「カラーパープル」は「高貴な、誇り高き色の肌を持つ人々」というような意味です。

 なお、セリーを演じたのは、「天使のラブソング」(1993)のウーピー・ゴールドバーグで、これが彼女のデビュー作となったそうです。

2020年7月13日月曜日

映画「クンドゥン」を観て

1997年にアメリカで制作された映画で、チベットのダライ・ラマ14世の半生を描いています。チベットは、ヒマラヤ山脈の北に広がる、平均標高4千メートルの高原地帯にあり、古くからインドとの関係が深く、高度な仏教文化を築きあげていました。チベットの歴史やチベット仏教については、このブログの「ココシリ」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_6195.html)、映画「風の馬」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/04/blog-post_21.html)を参照して下さい。なお、クンドゥンとは、「殿下」というような意味で、日本では法王と訳されることが多いようです。
 チベット仏教では、最高指導者ダライ・ラマは弥勒菩薩の化身とされますので、現ダライ・ラマが死亡すれば、その魂は別の人に転生します。そのため、チベット仏教の高僧たちは、転生したダライ・ラマを探し出すことなります。1933年にダライ・ラマ13世が死ぬと、転生したダライ・ラマを発見するための捜索隊が派遣され、農村で9番目の子として生まれた3歳の子が、1939年にダライ・ラマと認定されます。先代が逝去してから、6年も経っています。私たちから見れば、一体どうゆう根拠で「発見」されるのかと疑ってしまいますが、映画では、この「発見」の手続きと過程をかなり詳しく再現しており、我々には理解できないにしても、決していい加減に「発見」しているわけではありません。
 少年時代のダライ・ラマ14世は、子供らしい遊びをしつつも、勉学と修行に励み、聡明な青年に育っていきます。ただ、イギリスがインドからチベットへの進出を狙っていてたため、チベットに対する中国の圧力が強まり、1949年に中華人民共和国が成立すると、人民解放軍がチベットに侵攻しました。その後チベット政府とダライラマとの長い交渉が続きますが、1959年のチベット暴動の勃発を契機に、ダライ・ラマ14世は中国と国境問題で対立するインドに亡命し、ここに亡命政権を樹立し、今日に及んでいます。当時のダライ・ラマ14世は25歳、現在は85歳です。

 映画は、こうした事件を史実に基づいて、またダライ・ラマの心の動きも含めて描いていますので、大変興味深い内容となっています。残念ながらチベットでの撮影は許可されなかったので、地形のよく似たモロッコで撮影したそうですが、セットによってチベットの建造物などが復元され、さらにチベットのさまざまな風習や宗教儀式などが再現されていますので、大変興味深く観ることができました。

 インド亡命後のダライ・ラマ14世の活動は多岐にわたり、様々な政治的背景もあって彼についての評価は大きく分かれており、私には客観的な評価は不可能です。ただ、ダライ・ラマ14世は、今も多くのチベット人の心のよりどころとなっているようです。