檀一雄の長編小説で遺作となった同名小説を映画化したものです。本書は、「新潮」で1955年から20年にわたり断続的に連載され、1975年に新潮社で単行本が刊行され、翌年著者は死亡しました。64歳でした。
檀一雄は、大衆小説、歴史小説、料理本まで書くという、多作な売れ子作家でしたが、それでもどのように生きるべきかを模索して、親友であった太宰治と自殺未遂を図ったことがありました。そうした苦闘を通して、20年かけて書き上げたのが私小説「火宅の人」でした。「火宅の人」というのは仏教に出てくる話で、家が火事で燃えて危険が迫っているのに、欲望のままに生きる人、つまり「煩悩に身を焦がし、不安の絶えないさまを、火災にあった家にたとえて「火宅」という」というとことです。
彼には、日本脳炎の後遺症をもつ子を含め5人の子がいましたが、家の中はごった返していました。彼自身はしばしば外に愛人をもち、絶えず旅をし、滅多に家に帰ってはません。彼は、そのような生活を決してよしとしているわけではありませんが、「苦しみや悲しみもさえ楽しみながら、おめでたく生きていきたい」のだそうです。太宰治が「人間失格」であるなら、檀一雄はまさに「火宅の人」でした。
映画は、緒形拳をはじめとするベテラン俳優が多数出演し、大変おもしろく観ることができました。なお、女優の檀ふみは、檀一雄の長女で、映画では檀一雄の母親役で出演していました。