覇王伝 アッティラ
2001年にアメリカで制作されたテレビ用のドラマで、5世紀に一大帝国を築き上げたフン族のアッティラを描いています。時代的には「映画で古代ローマを見て(2) ザ・ローマ帝国興亡 第6話西ローマ帝国の滅亡」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/05/2.html)に登場する西ゴート族のアラリックより少し後、後に述べる「映画で西欧中世を観て(2) ニーベルンゲンの指輪」と同時代、その後476年に西ローマ帝国が滅亡し、これも後に述べる「キング・アーサー」より少し前となります。要するに、西ゴート族のアラリックが一時ローマを占領し、フン族のアッティラがローマ帝国内を荒らしまわり、その結果「ニーベルンゲンの指輪」の舞台となるブルグンド王国が一時滅亡します。そして西ローマ帝国が滅亡し、ローマ支配から脱したイングランドでアーサー王が登場するわけです。
(ウイキペディア)
まず、フン族について述べたいと思います。フン族は、4世紀に黒海北方に出現した遊牧騎馬民で、彼らが西方に移動してゴート族を圧迫したため、ローマ帝国へのゲルマン民族大移動を引き起こしました。5世紀にアッティラが登場し、ローマ帝国への侵入を繰り返し、一大帝国を築きますが、アッティラの死とともに帝国は解体します。そもそもフン族とは何者なのか、実はよく分かりません。中国の北方にいた匈奴が西に移動してフン族となったという説がありますが、これについては肯定も否定もできません。また、フン族は特定の民族集団ではなく、多くの民族を統合した政治集団ではないかとも考えられています。ローマ帝国に侵入した他のゲルマン民族とは異なり、フン族は定住生活を行わず、特にアッティラの時代になると、略奪と従属部族からの搾取によって勢力を拡大していきました。したがってフン族の帝国はアッティラのカリスマ性によって維持されていたと思われ、彼の死とともに崩壊していきます。この間ヨーロッパの人々はフン族を恐れ、そのためフン族は「神の鞭」とさえ言われました。また、今日でもヨーロッパでは、イギリスの元首相サッチャーのように、気の強い人物にアッティラというあだ名をつけることがあるそうです。
映画は、アッティラの成長から死に至る過程を描きますが、同時に当時の西ローマ帝国の将軍アエティウスの動向を詳細に描き出し、当時のローマ帝国と蛮族との関係を描いています。軍人の子として生まれたアエティウスは、幼少期に西ゴート族やフン族のもとに人質としておかれ、そのため蛮族について精通していました。やがて彼は優れた軍人に成長しますが、西ローマ帝国は腐敗の極みにありました。423年、かつて西ゴート族のアラリックにローマを占領されたホノリウス帝が(「映画で古代ローマを観て(2) ザ・ローマ帝国の興亡 第6話 西ローマ帝国の滅亡」参照http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/05/2.html)死亡し、その後皇帝位を巡って醜い争いが続いた後、翌年まだ5歳のウァレンティニアヌスが皇帝となります。実にホノリウスから4代目の皇帝です。こうした中で、母后ガッラ・プラキディアが実権を握りますが、新帝の姉ホノリアも出来が悪く、色々騒動を起こします。
この間、アエティウスは宮廷工作に辣腕を発揮するとともに、ガリア総督として蛮族を巧みに操り、帝国の平和を維持します。映画では、彼にとって皇帝が誰であろうと関係なく、彼が目指したのは1千年に及ぶローマの栄光を守ることでした。当初、アエティウスとアッティラは友好関係にあり、アエティウスはアッティラと同盟して西ゴート族やブルグンド族を破ります。この時アッティラは2万人のブルグンド族を殺したといわれ、これが後に述べる「ニーベルンゲンの歌」に取り入れられています。
ところが、ここで重大事件が発生しました。皇帝に不満を募らせていた姉のホノリアが、なんとアッティラに手紙と指輪を送り、これをホノリアによる求婚と解釈したアッティラが、皇帝に西ローマ帝国領の半分を持参金として要求したのです。驚いた皇帝はホノリアを監禁しますが、アッティラは大軍を率いて帝国領に侵入します。これに対してアエティウスは、かつてアッティラと結んで勝利した西ゴート族と同盟し、451年に世に名高いカタラウヌムの戦いが勃発します。この戦いでアッティラは手痛い敗北を喫しますが、その後イタリアに侵入して各地を掠奪し、故郷に帰ります。そして453年に結婚式の宴席で突然倒れ、死亡します。映画では、彼の死因は妻による毒殺ということになっていますが、実際には大量の飲酒か食道静脈瘤による内出血だとされています。アッティラ、47歳くらいの時でした。一方、西ローマ帝国では宿敵アッティラが死んだことに安堵し、むしろ皇帝は今後ますます力をつけてくるアエティウスを警戒するようになり、翌年アエティウスを殺害します。さらに翌455年に、皇帝はアエティウスの部下によって暗殺されます。西ローマ帝国の滅亡まで、あと21年です。
映画では、剛直で権謀術数に長けたアエティウスの行動が詳細に描かれ、むしろ侵略と掠奪だけのアッティラより、興味深く感じました。結局アッティラとは、何者だったのでしょうか。この時代は、ユーラシア大陸全体で遊牧騎馬民族の活動が活発だった時代でした。内陸アジアでは、6世紀に突厥が大遊牧帝国を建設し、それに押されるようにしてアヴァール人がヨーロッパに侵入、またエフタルがササン朝ペルシアやグプタ朝に侵入します。アッティラもそうした動きの一つだったのだろうと思います。たまたま彼の行動が、滅びつつあった西ローマ帝国の滅亡を加速させた、ということだろうと思います。
キング・アーサー
2004年にアメリカで制作された映画で、イギリスの伝説的な君主アーサーを描いたものです。アーサーは、5世紀から6世紀頃に、土着のケルト系民族であるブリトン人を率いて、当時大陸から侵入してきたサクソン人(ゲルマン人)と戦い撃退した人物です。当時のブリテン島は、ローマの支配が終わろうとしており、そこへサクソン人やスコット人などが侵入して、混乱状態にありました。当時のイギリスについては、このブログの「グローバル・ヒストリー イギリスの形成」 (http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/20.html
)を参照して下さい。
実はアーサー王については、その存在さえも証明されておらず、アーサー王が広く知られるようになったのは、12世紀のジェフリー・オブ・モンマスによる歴史書「ブリタニア列王史」が人気を博したことにより国を越えて広まりました。しかし本書は歴史書というより、荒唐無稽な空想物語であるというのが一般的な見方のようです。そしてアーサー王についてのすべての物語が、この「列王史」を拠り所としていますので、それらはほとんど虚構というしかありません。アーサー王の存在については、「いたかもしれない」という程度のことしか言えないようです。ただアーサー王の物語は多くの騎士道文学を生み出し、中世の人々に大きな影響をあたえましたので、これらの物語は別の機会に具体的に述べたいと思います。
映画は、最新の研究に基づき、新しいアーサー像の構築を試みたとのことです。2世紀から3世紀にかけて、ローマのアナトリウスという軍人がブリタニアに赴任し、そこで現地の女性との間に生まれたのがアーサーということになっています。アナトリウスというのは、現地語で訛ってアーサーとなるのだそうです。彼はローマで育ちましたが、父同様ブリタニアに赴任し、アーサーは15年の兵役を終えた後に理想の国ローマに帰ることを夢見ていました。しかしアーサーが戦ったサクソン人がブリタニアに侵入するのは5世紀ですので、時代を200年以上ずらすことになります。映画の始まりは415年ということになっていますが、この時代にはローマ帝国は衰退し、410年にはアラリックによってローマは陥落し、もはやローマは夢の国ではなくなっていました。キリスト教もこの時代には、権力を握って変質していました。丁度この頃アレクサンドリアでヒャパティアが殺害されます。いずれにしても、アナトリウスとアーサーを同一視するのは無理があるように思いますが、彼がアーサー王伝説のモデルの一人だったという可能性は否定できません。
映画では、もう一つの新しい視点、つまりアーサーの軍団がサルマティアの出身であるという視点が取り入れられています。サルマティア人は、黒海北岸で遊牧生活を送っており、騎馬技術に優れていました。彼らはローマ人に傭兵として雇われていたため、彼らがブリテンに赴任したことは十分考えられます。そしてその中にアーサーが含まれていた可能性もあるでしょう。少なくともアーサーが率いた軍団がサルマティアの騎兵だった可能性は十分あります。というのは、ヨーロッパ中世の騎士道がサルマティアの影響を受けていたことは、一般に認められているからです。
そして映画は、アーサー王伝説に登場するランスロットが、ブリタニアに向けてサルマティアを出発するところから始まります。そしてさらに15年の歳月が過ぎて兵役が終わり、サルマティア兵は故郷に帰ることを夢見、アーサーは理想の国ローマに帰ることを夢見ていました。しかしその前に、北方で布教している司教一家がサクソン人に襲われそうになっていたため、彼らを救出する任務が与えられます。そしてこの時から、アーサーとその騎士たちの運命が大きく変わっていくことになります。
アーサーは、司教が支配する地域の住民を奴隷のように酷使し、またキリスト教に改宗しない住民を拷問しているのを目撃しました。憤ったアーサーは彼らを助け、彼らとともにサクソン人と戦い、ブリタニアを救うことを決意します。凄まじい戦いの末、アーサーは勝利し、現地人の指導者の娘と結婚し、ブリタニアの王となります。そして自由のために戦うと決意表明を行って終わるところは、典型的にアメリカ的な結末です。しかし、結局ブリタニアはアングロ・サクソン人によって征服されて、3世紀程後に、イングランドが成立する分けですが、アーサーはローマ帝国の支配が終わった後の、混乱するブリタニアで形成された伝説的な英雄として生み出された人物だろうと思われます。
映画は、事実に基づいて制作されたと主張していますが、それは多分無理だと思われます。とはいえ、別の機会に観るアーサー王に関わる一連の騎士道物語に比べて現実感があり、アクション映画としても面白く観ることができました。
ベオウルフ
2005年にカナダで制作された映画で、北欧の大叙事詩「ベオウルフ」を映画化したものです。2007年にアメリカでも「ベオウルフ 呪われし勇者」という映画が制作されていますが、私は観ていません。「ベオウルフ」は、現在のデンマークを舞台とする最古の古英語文献の一つです。デンマークのノルマン人(ゲルマン人)はデーン人と呼ばれ、彼らは9世紀にイングランドに侵攻して以来、イギリスとは深い関係にあります。シェイクスピアの「ハムレット」も、デンマークを舞台としています。
「ベオウルフ」が成立したのは8~9世紀頃と推測されていますが、物語の舞台となったのは6世紀初め頃と思われます。この時代はゲルマン民族大移動の混乱時代であり、ちょうどアーサーが活躍していた時代でもあります。フロスガールが支配するデネ(デンマーク)で巨人が乱暴を働いていました。そこで当時のスウェーデンにいたベオウルフが、かつて父がフロスガールの恩義を受けたことから、巨人退治にやってきます。巨人(グレンデル)とはいっても、映画では身長2メートル程度で、かつて父を殺された復讐をしているだけで、女子供には手を出しません。要するに仲間外れになった孤独な人物として描かれます。村の外には、魔女と言われている若い女性がおり、これも仲間外れにされていますが、グレンデルとは不思議な関係にあります。結局、ベオウルフはフロスガールを倒し、故郷に帰って行きます。映画で語られているのは、怪獣とか神々の物語ではなく、仲間外れになった不幸な人々を、同情的に描いていました。
しかし実際の「ベオウルフ」は、人間の運命や憎しみの連鎖を描き出す壮大な悲劇です。この叙事詩には第2部があり、優れた王として国を統治し、すでに年老いベオウルフにドラゴンが襲い掛かり、ベオウルフはドラゴンと相討ち形で死んでいきます。叙事詩はベオウルフの悲劇的な一生を壮大に詠いあげますが、残念ながら映画はその一部だけをファンタジーとして描いていました。ただ、アイルランドでロケを行ったそうで、北欧の厳しい自然と生活の様がよく描かれていました。
なお映画では、デンマークで宣教師がキリスト教を布教し、巨人に怯える人々が次々とキリスト教に改宗していきますが、デンマークがキリスト教化するのは10世紀頃であり、496年にフランク王国のクローヴィスがカトリックに改宗したばかりですので、6世紀初頭におけるデンマークのキリスト教化はありえないと思います。
バイキング
1958年にアメリカで制作された映画で、タイトルの通り、一時海賊として恐れられたヴァイキングを扱った映画です。特に、映画では9世紀におけるヴァイキングとイギリス(イングランド)との関係が描かれています。
まず、この時代のイングランドの情勢について述べておきたいと思います。5世紀にブリタニアからローマ軍が撤退した後、ブリタニアにはアングロ・サクソン人の侵入が本格化し、ブリトン人やアングロ・サクソン人の小国家が入り乱れる状態が続きました。アーサーが活躍したのは、この時代だと思われます。そしてその中で、イングランドでは七つの国が強力となっていき、これらの国が300年以上もの間離合集散を繰り返します。9世紀になると、デンマークからデーン人(ノルマン人・ヴァイキング)が侵入して各地に定住するようになります。これに対抗して、七王国の一つウェセックスの王エグバートがアングロ・サクソン人を結集して、イングランドの盟主となりますが、その後もデーン人の侵入は続きます。
一方、ヴァイキングとは何かについても触れておく必要があります。彼らは、今日のノルウェー・スウェーデン・デンマークに住む人々で、ノルマン人と呼ばれていました。彼らは漁業や商業、時には海賊行為を行い、vikが湾とか入り江を意味したためヴァイキングと呼ばれたとされますが、他の説もあり、はっきりしません。9世紀頃から彼らは積極的に他地域への侵略を行うようになり、その理由として人口増加などがあげられていますが、これにも他の説が色々あります。スウェーデン地域の人々は東へ進んで今日のロシアの形成に影響を与え、ノルウェーの人々はアイスランドやさらにアメリカ大陸にも移住します。そしてデンマークのノルマン人はデーン人と呼ばれ、イギリス東部に進出し、これがこの映画の舞台となります。
映画では、時期ははっきりしませんが、ヴァイキングがノーサンブリアの城を襲って王を殺し、さらに族長が王妃を犯して去って行きました。やがて王妃は族長の子を産み、その子はエリックと名付けられ、経緯は分かりませんが、ヴァイキングの奴隷となります。当時は本人も知りませんでしたが、エリックはヴァイキングの族長の子であると同時に、ノーサンブリアの王子でもあった分けです。その後いろいろあって、族長がノーサンブリアで殺されたため、族長の息子アイナーがエリックとともにノーサンブリア城を攻撃して占領します。その過程でアイナーが死んで映画は終わりますが、当然エリックがノーサンブリアの王となるはずです。そして彼はヴァイキングの族長の息子でもありましたから、ノーサンブリアとデーン人との関係が強まったはずでず。
この間に、多くのデーン人がこの地方に侵入し、この地方はデーンロウと呼ばれて、長くデーン人の風習が残りました。イギリスという国は、ブリトン人(ケルト人)、アングロ・サクソン人、デーン人、スコット人など、様々な民族によって形成されてきた国です。そしてこの映画は、ヴァイキングという一時代を画した民族を描くとともに、デーン人がイギリスの形成に果たした役割も描いています。私は、ヴァイキングの風俗についてほとんど知りませんが、それでもこの映画は彼らの風俗を比較的よく再現しているように思いました。
ところで、自分で好きな料理を選んで食べる形式の料理をバイキングといいます。これは、北欧の食べ放題メニューであるスモーガスボードのことで、日本の帝国ホテルでこの料理を始めました。しかしスモーガスボードでは日本には馴染みがなさすぎるため、従業員に名称を募集したところ、たまたまホテルの近くでこの映画が上映されていたことから、「バイキング」という案が多かったため、この名称に決定されたそうです。日本でのバイキング・スタイルの料理の名称は、この映画に由来する分けです。欧米では、このスタイルの料理はブッフェ・スタイルと呼ばれていますが、今日では本家の北欧でも、バイキング・スタイルで通用するそうです。