藤井耕一郎著 河出書房新社 2015年
このところ私は日本古代史にはまっており、すでに何冊か紹介しましたが、私自身が内容を消化しきれない本が多く、ここで紹介していない本も多数あります。また最近では日本神話に関心をもち、何冊かの本を読んだのですが、私の基礎知識があまりに不足しすぎているため、消化しきれませんでした。でも折角読んだので、一冊だけ紹介しておきたいと思います。
神話についての我々の第一の資料は「記紀」であり、「記紀」は神話を権力に都合よく捏造したものですから、本来の姿がどのようなものであったかを知らねばなりません。「記紀」では、ニニギ降臨の際にサルタヒコが道案内を行い、最後に伊勢の海で好物の貝を採ろうとして溺死しました。そのためサルタヒコは伊勢の椿大神社に奉られますが、私はこの神社に行ったことがあり、かなり荘厳な神社でした。この間に、サルタヒコについてのエピソードが各地で形成されますが、サルタヒコはその都度相当にことなる風貌や性格をもって登場します。それはあたかもヒンドゥー教の神々のようですが、本来神話の神々とは、こうしたものかも知れません。
この本に先立って読んだ「大国主対物部氏」(藤井耕一郎)は、琵琶湖の東南にある「へそ」と「まがり」という地名を起点に、神話と現実世界の接点を描き出します。また、「隼人の古代史」(中村明蔵)についても、南九州は天孫降臨の地 高千穂のおひざ元なので、当然神話と深く結びついています。すでにこの地を支配したクマソはヤマトタケルに滅ぼされたし、隼人は海幸彦の子孫として「記紀」組み込まれています。
ところで筆者によれば、神話に基づく古代史の研究は、非常に厄介な手続きが必要だそうです。「日本の古代史は、戦後に文献資料としての神話をばっさりと切り捨ててしまったこともあり、何か新しい問題提起をしようとすると、厄介な手続きを踏まねばなりません。まず最初に嘘か誠か判然としない「古事記」「日本書紀」に出てくる物語と登場人物をゼロの状態から説明し、それらの通俗的な解釈を示して理解してもらったうえで、今度はそれをひっくり返してしまうような作業が欠かせず、……そういう手順を踏みながら、「~かも知れない」という推論を積み重ね、できる限り簡潔な推論を進めていきたいところですが、むろん数学の照明のような論証は使えず、可能性の高さを主張しながら土台を固めていくしんありません。」そして、ここに歴史研究の醍醐味があるのだと思います。