2017年にイギリスとフランスによって制作された映画で、1953年におけるスターリンの死から葬式までのドタバタを、コメディ・タッチで描いていますが、私には幾分不快な映画でした。なお、原題は「スターリンの死」です。
スターリンについては、どのような言葉をもってしても適切に表現できないので、ウイキペディアの説明をそのまま引用します。「ウラジーミル・レーニンの死後、スターリンは権力を自身の手に集中させ、ソ連の急速な社会主義化を推し進めた。国際的には、資本主義国であるアメリカやイギリス、ファシズム国家であるナチス・ドイツや大日本帝国などソ連と対立する国々に囲まれており、ソ連は内外に緊張を抱えていた。こうした状況のなかで、スターリンは強権的・独裁的な政治体制を作りあげ、大粛清によって数百万人におよぶ国民・党員・外国人が政治犯として逮捕され、処刑されるかシベリアをはじめ各地の政治犯強制収容所で強制労働に従事させられた[1]。こうした政治は、「社会主義の建設が進めば進むほど、帝国主義に援助された"内部の敵"の反抗も激烈になる」という、いわゆる「階級闘争激化論」によって正当化された。」
1953年3月1日スターリンは、首相マレンコフ、第一副首相ベリヤ、国防省ブルガーニン、党中央委員会筆頭書記フルシチョフとともに徹夜で会食を行い、その後寝室に入って、そこで脳卒中の発作で倒れました。スターリンは朝になっても起きてこず、眠りを妨げて怒りを買うのを恐れた警備責任者は放置し、気づいたのは午後になってからでした。倒れているスターリンが発見され時、彼は昏睡状態にあり、5日に危篤状態に陥り、死亡しました。74歳でした。翌日彼の遺体は、市民に公開され、多くの市民が参拝しました。
当然のことながら、この間スターリンの後継者を巡って暗闘が繰り広げられ、映画はこれをブラック・ユーモアで描いているのですが、内容が凄まじすぎて全然ユーモアになっていません。ブラック・ユーモアにも何か救いが必要だと思うのですが、ただソ連の権力闘争を揶揄するのみです。この映画がロシアで制作されたなら、自虐ネタとしてそれなりに意味があるかもしれませんが、ソ連の敵だったイギリス人やフランス人が制作しても、ブラック・ユーモアになっていません。この映画の制作者は、まずチャーチルやド・ゴールをブラック・ユーモアで描くべきです。
なお、ベリヤは1953年12月に処刑され、1956年にはフルシチョフの実権が確立、57年にマレンコフとブルガーニンがフルシチョフの失脚を図って失敗し、失脚します。
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