栗原康著、2013年 夜光社
彼は、明治末期から大正時代にかけて活躍したアナキズムの思想家で、私は彼については表面的なことしか知りません。そもそも私はアナキズムについても、よく知りません。
自由恋愛論者で、何人もの女性とスキャンダルを起こし、何度も逮捕され、その度に監獄で猛勉強して思想を磨き、何度も重傷を負い、最後に憲兵による暴行で死亡しました。38歳でした。彼の遺骨は静岡県にひっそりと埋葬されましたが、地元の女子高生の間で大杉の墓を詣でると恋が叶うという噂が広がり、大杉はついに恋の神様になってしまいました。
大杉は、子供のときからひどい吃音でしたが、吃音について本書に興味深いことが述べられています。「いつまでたっても吃音がなおらないから、母親にひっぱたかれたりしていた。……吃音はまるで恥ずかしい病気であるかのようだ。この点ついて、アナキズム研究者の梅森直之は、非常に興味深い考察をしている。梅森によれば、当時、明治政府は国語改良から言文一致をへて、標準語を制定しつつあった。国民の言葉、国語の誕生である。それまで方言でも吃音でも、地域や人によって発生が違うのは当たり前であり、なんら疑問をもたれることはなかった。しかし国語という基準が設けられると話は変わってくる。正しい日本語に照らして、方言はなまっているとか、吃音は音声的におかしいとか言われてしまう。それらはまちがった発声法であり、矯正されるべき悪しき対象なのである。」「大杉がすごいのは、いくら叩かれても、いくら馬鹿にされても性根を治さなかったことである。」
大杉は、あらゆる既成の価値観や概念を打破しようとしました。
「どんなに口汚くののしられ、おまえは社会に無用な存在だとか、おまえは日本国民の道徳に背いているとかいわれても、大杉はただ一つのことだけを信じていればそれでよかった。ありふれた生の無償性。他人のためになにかしてあげたいとと思うこと、ほどこされたものをありがたくうけとること、決して恩を返そうとは思わないこと、自分が楽しいとおもうことだけをやってみること、何も考えなくていい、何の役にたたなくていい、それでも湧き上がってくる、やむをえない性のうごめき。それが自由だ。「そうだ! 俺はもっと馬鹿になる、修行を積まなければならぬ」。あそぶことしか知らない子供たち、狂気に満ちた猿たちの賭博。愚かな野獣たちは、何度でも同じことを繰り返してしまう。やっちゃいけないと言われても、たとえひどい目にあわされたとしても、気づいたらまた同じことをやってしまう。いつだって頭は空っぽだ。生まれて初めて味わうかのように、楽しいことだけにのめり込んでしまう。永遠だ。人間の野獣性を理想主義の衣で覆い隠すのはもうやめよう。もっと素直に、野獣でありたいとおもう。とまれ、アナキズム。」
何とも凄まじい思想家です。