2019年7月31日水曜日

「大杉栄伝 永遠のアナキズム」を読んで















栗原康著、2013年 夜光社
 彼は、明治末期から大正時代にかけて活躍したアナキズムの思想家で、私は彼については表面的なことしか知りません。そもそも私はアナキズムについても、よく知りません。
 自由恋愛論者で、何人もの女性とスキャンダルを起こし、何度も逮捕され、その度に監獄で猛勉強して思想を磨き、何度も重傷を負い、最後に憲兵による暴行で死亡しました。38歳でした。彼の遺骨は静岡県にひっそりと埋葬されましたが、地元の女子高生の間で大杉の墓を詣でると恋が叶うという噂が広がり、大杉はついに恋の神様になってしまいました。
 大杉は、子供のときからひどい吃音でしたが、吃音について本書に興味深いことが述べられています。「いつまでたっても吃音がなおらないから、母親にひっぱたかれたりしていた。……吃音はまるで恥ずかしい病気であるかのようだ。この点ついて、アナキズム研究者の梅森直之は、非常に興味深い考察をしている。梅森によれば、当時、明治政府は国語改良から言文一致をへて、標準語を制定しつつあった。国民の言葉、国語の誕生である。それまで方言でも吃音でも、地域や人によって発生が違うのは当たり前であり、なんら疑問をもたれることはなかった。しかし国語という基準が設けられると話は変わってくる。正しい日本語に照らして、方言はなまっているとか、吃音は音声的におかしいとか言われてしまう。それらはまちがった発声法であり、矯正されるべき悪しき対象なのである。」「大杉がすごいのは、いくら叩かれても、いくら馬鹿にされても性根を治さなかったことである。」
 大杉は、あらゆる既成の価値観や概念を打破しようとしました。
 「どんなに口汚くののしられ、おまえは社会に無用な存在だとか、おまえは日本国民の道徳に背いているとかいわれても、大杉はただ一つのことだけを信じていればそれでよかった。ありふれた生の無償性。他人のためになにかしてあげたいとと思うこと、ほどこされたものをありがたくうけとること、決して恩を返そうとは思わないこと、自分が楽しいとおもうことだけをやってみること、何も考えなくていい、何の役にたたなくていい、それでも湧き上がってくる、やむをえない性のうごめき。それが自由だ。「そうだ! 俺はもっと馬鹿になる、修行を積まなければならぬ」。あそぶことしか知らない子供たち、狂気に満ちた猿たちの賭博。愚かな野獣たちは、何度でも同じことを繰り返してしまう。やっちゃいけないと言われても、たとえひどい目にあわされたとしても、気づいたらまた同じことをやってしまう。いつだって頭は空っぽだ。生まれて初めて味わうかのように、楽しいことだけにのめり込んでしまう。永遠だ。人間の野獣性を理想主義の衣で覆い隠すのはもうやめよう。もっと素直に、野獣でありたいとおもう。とまれ、アナキズム。」

 何とも凄まじい思想家です。

2019年7月27日土曜日

映画「J.エドガー」を観て



 2011年にアメリカで制作された映画で、初代FBI(連邦捜査局) 長官であるジョン・エドガー・フーヴァーの生涯を描いています。
 FBIとはウイキペディアによれば、「テロ・スパイなど国家の安全保障に係る公安事件、連邦政府の汚職に係る事件、複数の州に渡る広域事件、銀行強盗など莫大な被害額の強盗事件などの捜査を担当する。さらに、誘拐の疑いのある失踪事案では、事案認知から24時間を経過すると、広域事件として自治体警察からFBIに捜査主体が移される」ということです。つまりまず第一にFBIは政治警察であり、ついで州境を超える重大犯罪を扱います。
 20世紀に入ったころのアメリカの警察は地方単位でばらばらに行動し、統一的な警察組織は存在しませんでした。こうしたことを背景に、1924年、フーヴァーは29歳の若さで司法省の捜査局長官に任命されます。当時フーヴァーに課せられた最大の任務は捜査官の綱紀粛清でしたので、彼は多くの捜査官を罷免し、同時に全国から優秀な捜査官を集めました。新任の捜査官には大学卒業などの高い教育を求め、上等なスーツを着こなすなど、エリート捜査官を育成します。  
 世界恐慌で荒廃した1930年代には、ギャングの取り締まりや営利誘拐事件の解決などで人々から英雄扱いされ、漫画や映画などでも取り上げられるようになります。第二次大戦中や戦後にはスパイや共産主義者の摘発を行い、さらに黒人公民権運動を弾圧するなど、思想統制の役割を担うようになります。今やFBIは国家の中の国家といわれる程強大な権力を握るようになり、歴代の大統領はFBIを抑えようと努めますが、フーヴァーは重要人物の弱点を調査した極秘ファイルをもっており、これをちらつかせることで、権力による介入を避けてきました。
 結局フーヴァーは、1972年に77歳で死亡するまで、実に48年間、8代の大統領に仕えて、長官としての地位を全うします。映画は、FBIにおけるフーヴァーの活動を描くとともに、私生活につても彼がマザーコンプレックスかつホモセクシャルであるとして描かれていました。多分そうかも知れませんが、私にはどうでもいいことです。アメリカでは、半世紀にわたってFBIを支配してきたフーヴァーを知らない人はいないと思いますが、私はあまり知りませんでしたし、日本でもFBIについても映画やテレビでしばしば見かけますが、日本とはことなるこのシステムについてはよく知りませんでした。そういう意味で、この映画は、FBIの創設過程を描いており、大変に参考になりました。フーヴァーについてはいろいろな功罪があるかと思いますが、アメリカに近代的な警察システムを生み出した功績は大きいと思います。ただ、アメリカ人は、こうした中央集権的なシステムを、あまり好まないようですが。
 この映画を観ていて、私はフランス革命期に活躍したジョセフ・フーシェという政治家を思い出しました。フーシェは、フランス革命から王政復古に至る時代に活躍した政治家で、ロベスピエールの恐怖政治に協力し、彼の処刑に加担し、ナポレオンの下でも重要な役割を果たし、ナポレオン没落後の臨時政府の中心となるなど、まるでカメレオンのように姿を変えながら時の権力者にとりついて生きていきます。彼の強みは、優れた警察制度の創設と圧倒的な情報収集能力にありました。こうした人物は、権力者にとって便利であると同時に、自分の弱点を握られているため、危険な存在でもあり、政治を謀略という邪道に向かわせてしまいます。彼のような人物はいつの時代にもいるようで、そのことは情報というものが権力にとっていかに重要であるかを示しています。なお日本の警察制度は、明治時代にフランスの警察制度をモデルに創設されたそうですが、それはフーシェが創設した警察制度です。

2019年7月24日水曜日

「父フロイトとその時代」を読んで

マルティン・フロイト著 1958年、藤川芳郎訳 白水社 2007
 本書は、ユダヤ系の偉大な精神分析学者フロイトの息子による自叙伝です。本書には、期待したほどフロイトについては述べられておらず、むしろ天才の子として生まれた者の半生が描かれています。精神分析学者としてのフロイトは、当時の常識とは180度異なる見解をとって、コペルニクス、ダーウィンとも並び称されますが、家庭人としてのフロイトは、電話、タイプライター、自転車など「新しい発明品」には好意を示さなかったようです。
 世紀末のウィーンは、多文化が混在する自由な都市で、多くの文化人が活躍し、ユダヤ人も自由に活躍することができました。もちろんユダヤ人に対する差別はあり、フロイト自身が教授に昇進するのが遅れましたが、それでもいずれこうした差別もなくなるであろうと、期待できるような時代でした。ウィーンにおけるユダヤ人については、以下を参照して下さい。 
「「道化のような歴史家の肖像」を読んで」 エゴン・フリーデル
「「ウィトゲンシュタイン家の人びと 闘う家族」を読んで」
 第一次世界大戦後に反ユダヤ主義が高まり、1938年にロンドンに亡命し、翌年癌で死亡します。オーストリアに残してこざるを得なかった4人の娘たちは、収容所で殺害されました。
 フロイトはウィーンを離れる前に、著者の弟に次のような手紙を書いています。

 「この暗い日々にも変わることのない二つの期待があります。おまえたちみんなと一緒になること、そして自由の身で死ぬことです。ときどき自分を老いたヤコブと比べています。たいそう高齢な身で、子供たちに連れられてエジプトに向かうヤコブです。望むらくは、かつてのエジプト脱出のようなことにはなりませんように。今はアハスヴェールが、いずれの地においてか、安らぐ時なのです(アハスヴェールは刑場に向かうキリストを自分の家の前で休ませなかったために、キリストの再来まで地上をさまよう運命を与えられたユダヤ人の靴屋。「永遠のユダヤ人」あるいは「さまよえるユダヤ人」と呼ばれる)。」

2019年7月20日土曜日

映画「アウンサンスーチー」を観て















2011年にフランスとイギリスにより制作された合作映画で、ビルマ(ミャンマー)の政治家アウンサンスーチーの半生を描いています。原題は“The Lady”です。なおスーチーは、ビルマ建国の父アウンサンの娘です。
ビルマは、東南アジアのなかでも豊かで強力な国でしたが、19世紀にイギリスが侵略して富を収奪し、ビルマ人と少数民族との分断を促しました。そうした中で、アウンサンは日本と提携して独立をしようとしますが、日本がビルマに独立を与える気がないことを知り、1944年には日本と決別します。1945年に日本が敗北しイギリス支配が再開されますが、アウンサンはイギリスとの交渉を重ね、1948年に独立することを承認します。しかし1947年、独立準備中のアウンサンは親日派によって暗殺されました。32歳でした。そしてこの時、娘のアウンサンスーチーは2歳になったばかりでした。
1948年にビルマ連邦建国後も混乱が続き、1958年に軍事政権が成立し、以後2015年まで、いろいろと曲折はあったとしても、基本的には軍事政権が続きます。この間、アウンサンスーチーはインドや欧米で教育を受け、一時日本にも留学しました。そして1972年にオックスフォード大学の後輩でチベットの研究者マイケル・アリスと結婚し、以後二人の子供をもうけ、専業主婦としてイギリスで暮らしていました。しかし1988年に母が危篤のため帰国し、ビルマの惨状をつぶさに観察し、英雄アウンサンの娘へのビルマ国民の期待がいかに大きいかを認識します。この時、アウンサンスーチーは43歳でした。
映画はここから始まります。彼女は今まで政治的関心などもったことがありませんでしたが、以後ビルマの民主化の象徴として生きていくことになります。1989年に彼女は自宅軟禁され、その後軟禁と解放が繰り返されます。この間に、夫の尽力でノーベル平和賞を授与されますが、授賞式には出席できませんでした。1999年に夫が癌で死亡しますが、彼女は夫の最期を看取ることが出来ませんでした。2007年に仏教徒が反政府運動を行った民主化要求が高まり、映画はここで終わりますが、まだ軟禁状態は続きます。
 2015年の総選挙でアウンサンスーチーの政党は圧勝し、いろいろ条件付きではありますが、一応彼女が政治の実権を握ります。アウンサンスーチーが70歳の時であり、彼女がビルマに帰国してから28年ぶりのことです。先進諸国は、アウンサンスーチー政権の成立に好感して積極的な投資を行い、経済も順調に進んでいるようですが、まだ少数民族問題が残っています。最近イスラーム系の少数民族が虐殺される事件が起き、これにアウンサンスーチーが直接かかわっているのかどうかは知りませんが、彼女からノーベル平和賞を剥奪しようとする動きもあるようです。

 英雄アウンサンの娘としての彼女は、立派に義務を果たしたとは思いますが、それでも映画は彼女を美化しすぎているように思います。

2019年7月17日水曜日

「古代ギリシア 11の都市が語る歴史」を読んで

ポール・カートリッジ著 2009年、新井雅代訳 橋場弦監修 2011年、白水社
 久しぶりに古代ギリシア史の通史を読みました。私にとっての古代ギリシアはアテネの歴史でしたが、そんなものはもう通用しないことを、私自身がよく知っています。とはいえ、私はこれに代わる古代ギリシアの歴史像を持ち合わせていません。こうしたことを理解したうえで、著者は言います。「この短い本の最大の狙いは、古代ギリシア文明史という、複雑で多様性に富み歯ごたえのあるテーマについて、過度に単純化することも薄味にすることもなく、そこそこ平易で、高度に刺激的な入門書を提供することである。」彼にとってギリシア世界とは、黒海からイベリア半島の東海岸まで、「池の周りに群る蛙のように」沿岸部に誕生した千を超えるポリス全体のことです。
 そこで著者は、多くのポリスの中から11のポリスを取り上げます。先史時代の例としてクノッソスとミュケナイを、歴史時代初期の例としてアルゴス、ミレトス、マッサリア、スパルタを、古典期の例としてアテナイ、シュラクサイ、テバイを、ヘレニズム時代の例としてアレクサンドリアを、総括としてビュザンティオンをあげています。それぞれのポリスがそれぞれ異なった発生と成長の歴史を持ち、同時に都市間の間に複雑な関係があります。このようにギリシア世界を拡大して、全体を見渡すと、従来見たこともないギリシア世界が見えてきます。できれば、もう少し多くの都市を扱ってくれると良いと思いますが、著者自身も、相当苦しみながら、11のポリスを選んだとのことです。
 本書が強く主張する点がもう一つあります。それはギリシア文明を近代西欧文明の輝かしい祖先として崇拝してはならないということです。彼は、繰り返し、古代ギリシア文明が近代西欧とは決定的に異なるものであることを、常に主張します。このことについても、私は以前から理解していましたが、私の脳細胞はまだこれを克服できていません。私の西欧中心主義的な先入観は、私のDNAに今だにしっかりと組み込まれているようです。

2019年7月13日土曜日

映画ドストエフスキーの「悪霊」を観て

1987年にフランスで、ポーランドのワイダ監督の下で制作された映画で、ドストエフスキーの原作をもとに制作されました。ワイダ監督については、このブログの「映画でポーランド現代史を観て:カティンの森・ワレサ-連帯の男」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2016/10/blog-post_8.html)を参照して下さい。またドストエフスキーについては「映画でロシア文学を観て カラマーゾフの兄弟」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2016/04/blog-post_30.html)を参照して下さい。
ドストエフスキーの小説は難解であり、その中でも「悪霊」はとくに難解だとされています。「カラマーゾフの兄弟」も難解でしたが、内容がシンプルで分かりやすかったのですが、「悪霊」はストーリーさえ十分把握できませんでした。はるか昔に、多分私は「悪霊」を読んだはずですが、ほとんど覚えていません。多分、ほとんど意味を分からないまま読み飛ばしていったのでしょう。そして今回、この映画を観ても、全然意味が分からず、私も全然進歩していないことが判明しました。
小説の舞台は1870年頃の、ある地方の町です。これより少し前に農奴解放が行われて、社会は流動化しつつあり、さまざまな思想が議論されます。まず西欧の理性万能主義、社会主義、ニヒリズム、アナーキズム、テロリズム、そして神は存在するのか、ロシアは生き残れるのか、さらに狂気、陰謀、裏切り、殺人などが渦巻き、最後に旧世代の知識人ステパンが死んで、物語は終わります。
ウイキペディアによれば、
ステパン氏が死ぬ直前にルカ福音書に書かれた、「病人にとりついた悪霊が、病人から出て豚にとりつき、豚は自ら湖に飛び込み溺れ死んだので、病人は治癒した」という箇所を引いて、「病人はロシアであり、悪霊は彼にとりついた思想、そして自分やピョートルが豚だ」と言う。
ドストエフスキーは新しく生まれた思想とそれに熱狂する人々が、ロシアという国の精神性を破壊してしまうと考えていた。
「過度に先鋭化した思想が一人歩きをし、生身の人間性を無視し破壊する」
というのは、現代までの歴史でもありとあらゆる形で繰り返されている。
ということだそうです。

 これでは救いを見出せませんが、ドストエフスキーは、「当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教、ことに正教に基づく魂の救済を訴えている」とされます。」