「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」は、2012年からアメリカで放映されているテレビ・ドラマで、名探偵シャーロック・ホームズを題材としています。このドラマは相当異色で、まず時代は現代、場所はニューヨーク、相棒のワトソンは元外科医の中国系の女性です。最初は奇をてらった内容に思われ、ほとんど見ていなかったのですが、時々観ている内に、ホームズとワトソンとの軽妙な会話に引かれて、観るようになりました。CATVは、何度も繰り返し放映しているため、ある程度見逃しなく観ることができました。なお、このドラマはDVD化が進んでいるようです。
このドラマでのホームズは、原作通りロンドン警察(スコットランドヤード)の捜査顧問探偵をしていました。「捜査顧問探偵」というのは、世界に一人しかいない職業だそうで、無報酬で仕事をしていました。このドラマでの彼の父は大富豪だったので、お金には困らなかったようですが、彼は父を激しく憎んでいました。彼は、原作と同様、時々麻薬を使用していましたが、彼が唯一愛した女性の死をきっかけに麻薬を常用するようになり、まさに彼の心と体は壊れてしまいます。そうした中で、彼はロンドンを離れてニューヨークに移り、そこで荒んだ生活を続けますが、父が彼をリハビリ施設に入所させます。ドラマは、彼が施設から退院した日から始まります。
「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」とほぼ同じ時期に、イギリスで「SHERLOOK」というテレビドラマが放映されました。このドラマも、時代を現代に設定し、パソコンなど最新の機器を駆使して事件を解決するという話で、大変評判になっているそうで、CATVでも放映していましたが、私は観ていません。いずれにしてもシャーロック・ホームズは、いろいろな想像力を掻き立てる作品のようです。
シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルは、1859年に生まれ、医学部を卒業して開業医となりますが、患者が集まらず、暇に任せて小説を書いて、こちらが本業をなりました。1884年に「シャーロック・ホームズ」の第一作が出版され、小説家としての彼の名声は次第に高まっていきます。しかし彼は自らの本職は歴史小説にあると信じ、「シャーロック・ホームズ」はあくまで余興と考えていました。また彼は帝国主義者であり、熱烈な愛国者でしたので、世紀末に起きた悪名高い帝国主義戦争である南ア戦争(ブール戦争)を熱烈に支持し、従軍記者として参加したチャーチルさえ批判したイギリスの残虐行為を擁護しました。晩年には、彼は心霊学に傾倒し、その普及のために私財を投じました。しかし結局後世に残ったのは「シャーロック・ホームズ」だけであり、彼は最後まで己を知ることなく終わりました。
では、彼の推理小説家としての能力は、どのようにして形成されたのでしょう。もちろん文学作品としては、エドガー・アランポー(「映画「アッシャー家の末裔」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/09/blog-post_9.html))の影響を受けたことは間違いありませんが、それより医学生時代の経験が大きかったようです。ホームズのモデルは、作者の医学部時代の恩師で外科医であるジョセフ・ベルとされています。ドイルは1877年にベルに出会い、エジンバラ王立病院でベルの下で働きますが、ベルは、病気の診断には観察力が重要だと学生に説き、訪れる患者の外見から病名だけでなく、職業や住所、家族構成までを鋭い観察眼で言い当てて、学生らを驚かせたそうです。コナン・ドイルは、学生時代にベルの助手を務め、その行動を日頃から目の当たりにしていました。こうしたことを背景に「シャーロック・ホームズ」が生まれたわけですが、それは単に推理小説に新しい扉を開いたというだけでなく、近代的な犯罪捜査の手法を示しました。そして実際にコナン・ドイルは、2件の冤罪事件を解決します。それは、あまりにもお粗末な警察の捜査に警鐘を鳴らすものでした。しかし残念ながら、本人はそのことの意味を必ずしも認識していなかったようです。
次に、コナン・ドイルが生み出したシャーロック・ホームズという人物について考えてみたいと思います。コナン・ドイルはシャーロック・ホームズを書くことにあまり積極的ではなく、一度シャーロックを殺してしまい、物語を終わらせてしまい、その後復活させたりしていますので、シャーロック・ホームズの人物像を描き出すのは容易ではありません。とはいえ、多くの研究者やホームジアンとかシャーロキアンと呼ばれる愛好家たちの努力によってホームズ像が形成されています。まず彼の過去や家族については、ほとんど分かりません。1850年代に生まれ、1881年にベーカー街でワトソンと共同生活を始めますので、彼は著者のコナン・ドイルと同様、ヴィクトリア朝時代に活躍した人です。
体格は痩身で、身長は少なくとも約183センチメートル以上、鷲鼻で角張った顎が目立つそうで、1985年から10年近くイギリスで放映されたジェレミー・ブレットのシャーロック・ホームズが、最もイメージに近いとされています。性格は極めて冷静沈着。行動力に富み、いざ現場に行けば地面を這ってでも事件の一端を逃すまいと活動し、徹底した現場観察によって得た手掛かりを、過去の犯罪事例に関する膨大な知識、物的証拠に関する化学的知見、犯罪界の事情通から得た情報などと照らし合わせて分析し、事件現場で何が起きたかを推測します。彼はしばしば消去法を用い、「不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」と主張します。(ウイキペディア)なお、イギリスで制作された「シャーロック・ホームズの冒険」での、ジェレミー・ブレットが演じるホームズが、最もホームズのイメージに近いとの評判です。
さてここで話を、「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」に戻します。このドラマのバックボーンとなっているのは、薬物依存症の克服です。依存症患者は、まず施設で強制的に薬物を断ち切りますが、施設を出た後、経験を積んだ付添人が四六時中彼を監視して薬物に手を出さないようにします。さらに依存症患者を復帰させる上で大切なのは、依存症患者のミーティングに参加することです。依存症患者とって回復の第一歩は、自分が依存症であることを認めることですが、これはプライドの高い人にとっては高いハードルです。自分が依存症であることを認め、ミーティングで体験者の話を聞き、自らも人前で自分の恥を語ることは容易でありません。ドラマでは、毎回のようにこの問題が取り上げられ、まるで依存症回復のマニュアルのようでした。もちろん私には薬物は関係ありませんが、ほぼ1年前に50年以上吸ってきたタバコを止めました。これはそれ程大変なことではありませんが、それでもこのドラマの教訓は役に立ちました。
ホームズが出所した日、付添人ワトソンが彼の前に現れます。彼女は優れた外科医でしたが、手術ミスで患者を死なせたため外科医を辞め、今は付添人をしていました。彼女もまた、心に傷を負っていました。彼女にとって、ホームズは面食らうことばかりでした。ホームズはずば抜けて頭がよく、人を小ばかにし、平気で人を傷つけます。彼はニューヨーク市警の捜査顧問探偵となり、面会初日に殺人現場に連れ行かれます。こうしてホームズとワトソンとの奇妙な関係が始まります。ホームズには自閉症の傾向が見られ、一方的に自己の正当性を主張し、他者を思いやる気持ちに欠け、常に人と対立し、対人関係をうまく構築できませんでした。
二人は毎日激しい口論を行いますが、ワトソンはしだいにホームズのずば抜けた才能と純粋さに魅かれ、やがて彼女は探偵業に転身していきます。一方ホームズは、ワトソンとのやり取りを通じて他者への思いやりを学び、成長していきます。そして毎回複雑な事件が起き、二人はパソコンやスマホなど最先端の機器を駆使して事件を解決していきます。したがって、このドラマの柱は、依存症からの回復、ホームズの人間的成長、個々の事件の解決が柱となり、原作とはかけ離れていますが、かなりユニークな作品に仕上がっていると思います。
ホームズは、最も多くの俳優に演じられた架空人物の一人に数えられ、ギネスブックによれば、「最も多く映画化された主人公」として記録されているそうです。最初にホームズを演じたのは、アメリカの舞台俳優ウィリアム・ジレットで、彼は1300回ホームズ役を演じました。彼が舞台で使った「Elementary, my dear Watson. (初歩的なことだよ、ワトソン君)」というのは名セリフとして知られ、このドラマのタイトルになりました。なお、ジレットの舞台でホームズの給仕であるビリー少年を演じたのは、チャールズ・チャップリンという名の子役俳優でした。