2018年11月21日水曜日

お知らせ


またしばらく休みたいと思います。



ミカンが沢山なりましたが、相当酸っぱいミカンです。










久しぶりにカメラを買いました。わたしはかつて全自動一眼レフのミノルタαを長く使い、その後ミノルタのデジタル一眼レフを使い、これが壊れた後は、しばらくコンパクトカメラを使っていてたのですが、今回ソニーのミラーレスカメラαを購入しました。ソニーの一眼レフカメラはミノルタの技術を継承しているため、今回のカメラもミノルタのαシリーズの継承ということになります。
 私は今までカメラで家族を撮り続けてきました。今は妻と二人だけで過ごしており、私はカメラで何を撮ったらよいのでしょうか。

2018年11月17日土曜日

連続テレビドラマ「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」を観て


「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」は、2012年からアメリカで放映されているテレビ・ドラマで、名探偵シャーロック・ホームズを題材としています。このドラマは相当異色で、まず時代は現代、場所はニューヨーク、相棒のワトソンは元外科医の中国系の女性です。最初は奇をてらった内容に思われ、ほとんど見ていなかったのですが、時々観ている内に、ホームズとワトソンとの軽妙な会話に引かれて、観るようになりました。CATVは、何度も繰り返し放映しているため、ある程度見逃しなく観ることができました。なお、このドラマはDVD化が進んでいるようです。
このドラマでのホームズは、原作通りロンドン警察(スコットランドヤード)の捜査顧問探偵をしていました。「捜査顧問探偵」というのは、世界に一人しかいない職業だそうで、無報酬で仕事をしていました。このドラマでの彼の父は大富豪だったので、お金には困らなかったようですが、彼は父を激しく憎んでいました。彼は、原作と同様、時々麻薬を使用していましたが、彼が唯一愛した女性の死をきっかけに麻薬を常用するようになり、まさに彼の心と体は壊れてしまいます。そうした中で、彼はロンドンを離れてニューヨークに移り、そこで荒んだ生活を続けますが、父が彼をリハビリ施設に入所させます。ドラマは、彼が施設から退院した日から始まります。
「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」とほぼ同じ時期に、イギリスで「SHERLOOK」というテレビドラマが放映されました。このドラマも、時代を現代に設定し、パソコンなど最新の機器を駆使して事件を解決するという話で、大変評判になっているそうで、CATVでも放映していましたが、私は観ていません。いずれにしてもシャーロック・ホームズは、いろいろな想像力を掻き立てる作品のようです。







シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルは、1859年に生まれ、医学部を卒業して開業医となりますが、患者が集まらず、暇に任せて小説を書いて、こちらが本業をなりました。1884年に「シャーロック・ホームズ」の第一作が出版され、小説家としての彼の名声は次第に高まっていきます。しかし彼は自らの本職は歴史小説にあると信じ、「シャーロック・ホームズ」はあくまで余興と考えていました。また彼は帝国主義者であり、熱烈な愛国者でしたので、世紀末に起きた悪名高い帝国主義戦争である南ア戦争(ブール戦争)を熱烈に支持し、従軍記者として参加したチャーチルさえ批判したイギリスの残虐行為を擁護しました。晩年には、彼は心霊学に傾倒し、その普及のために私財を投じました。しかし結局後世に残ったのは「シャーロック・ホームズ」だけであり、彼は最後まで己を知ることなく終わりました。
では、彼の推理小説家としての能力は、どのようにして形成されたのでしょう。もちろん文学作品としては、エドガー・アランポー(「映画「アッシャー家の末裔」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/09/blog-post_9.html))の影響を受けたことは間違いありませんが、それより医学生時代の経験が大きかったようです。ホームズのモデルは、作者の医学部時代の恩師で外科医であるジョセフ・ベルとされています。ドイルは1877年にベルに出会い、エジンバラ王立病院でベルの下で働きますが、ベルは、病気の診断には観察力が重要だと学生に説き、訪れる患者の外見から病名だけでなく、職業や住所、家族構成までを鋭い観察眼で言い当てて、学生らを驚かせたそうです。コナン・ドイルは、学生時代にベルの助手を務め、その行動を日頃から目の当たりにしていました。こうしたことを背景に「シャーロック・ホームズ」が生まれたわけですが、それは単に推理小説に新しい扉を開いたというだけでなく、近代的な犯罪捜査の手法を示しました。そして実際にコナン・ドイルは、2件の冤罪事件を解決します。それは、あまりにもお粗末な警察の捜査に警鐘を鳴らすものでした。しかし残念ながら、本人はそのことの意味を必ずしも認識していなかったようです。

 次に、コナン・ドイルが生み出したシャーロック・ホームズという人物について考えてみたいと思います。コナン・ドイルはシャーロック・ホームズを書くことにあまり積極的ではなく、一度シャーロックを殺してしまい、物語を終わらせてしまい、その後復活させたりしていますので、シャーロック・ホームズの人物像を描き出すのは容易ではありません。とはいえ、多くの研究者やホームジアンとかシャーロキアンと呼ばれる愛好家たちの努力によってホームズ像が形成されています。まず彼の過去や家族については、ほとんど分かりません。1850年代に生まれ、1881年にベーカー街でワトソンと共同生活を始めますので、彼は著者のコナン・ドイルと同様、ヴィクトリア朝時代に活躍した人です。
体格は痩身で、身長は少なくとも約183センチメートル以上、鷲鼻で角張った顎が目立つそうで、1985年から10年近くイギリスで放映されたジェレミー・ブレットのシャーロック・ホームズが、最もイメージに近いとされています。性格は極めて冷静沈着。行動力に富み、いざ現場に行けば地面を這ってでも事件の一端を逃すまいと活動し、徹底した現場観察によって得た手掛かりを、過去の犯罪事例に関する膨大な知識、物的証拠に関する化学的知見、犯罪界の事情通から得た情報などと照らし合わせて分析し、事件現場で何が起きたかを推測します。彼はしばしば消去法を用い、「不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」と主張します。(ウイキペディア)なお、イギリスで制作された「シャーロック・ホームズの冒険」での、ジェレミー・ブレットが演じるホームズが、最もホームズのイメージに近いとの評判です。
さてここで話を、「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」に戻します。このドラマのバックボーンとなっているのは、薬物依存症の克服です。依存症患者は、まず施設で強制的に薬物を断ち切りますが、施設を出た後、経験を積んだ付添人が四六時中彼を監視して薬物に手を出さないようにします。さらに依存症患者を復帰させる上で大切なのは、依存症患者のミーティングに参加することです。依存症患者とって回復の第一歩は、自分が依存症であることを認めることですが、これはプライドの高い人にとっては高いハードルです。自分が依存症であることを認め、ミーティングで体験者の話を聞き、自らも人前で自分の恥を語ることは容易でありません。ドラマでは、毎回のようにこの問題が取り上げられ、まるで依存症回復のマニュアルのようでした。もちろん私には薬物は関係ありませんが、ほぼ1年前に50年以上吸ってきたタバコを止めました。これはそれ程大変なことではありませんが、それでもこのドラマの教訓は役に立ちました。
ホームズが出所した日、付添人ワトソンが彼の前に現れます。彼女は優れた外科医でしたが、手術ミスで患者を死なせたため外科医を辞め、今は付添人をしていました。彼女もまた、心に傷を負っていました。彼女にとって、ホームズは面食らうことばかりでした。ホームズはずば抜けて頭がよく、人を小ばかにし、平気で人を傷つけます。彼はニューヨーク市警の捜査顧問探偵となり、面会初日に殺人現場に連れ行かれます。こうしてホームズとワトソンとの奇妙な関係が始まります。ホームズには自閉症の傾向が見られ、一方的に自己の正当性を主張し、他者を思いやる気持ちに欠け、常に人と対立し、対人関係をうまく構築できませんでした。
二人は毎日激しい口論を行いますが、ワトソンはしだいにホームズのずば抜けた才能と純粋さに魅かれ、やがて彼女は探偵業に転身していきます。一方ホームズは、ワトソンとのやり取りを通じて他者への思いやりを学び、成長していきます。そして毎回複雑な事件が起き、二人はパソコンやスマホなど最先端の機器を駆使して事件を解決していきます。したがって、このドラマの柱は、依存症からの回復、ホームズの人間的成長、個々の事件の解決が柱となり、原作とはかけ離れていますが、かなりユニークな作品に仕上がっていると思います。
ホームズは、最も多くの俳優に演じられた架空人物の一人に数えられ、ギネスブックによれば、「最も多く映画化された主人公」として記録されているそうです。最初にホームズを演じたのは、アメリカの舞台俳優ウィリアム・ジレットで、彼は1300回ホームズ役を演じました。彼が舞台で使った「Elementary, my dear Watson. (初歩的なことだよ、ワトソン君)」というのは名セリフとして知られ、このドラマのタイトルになりました。なお、ジレットの舞台でホームズの給仕であるビリー少年を演じたのは、チャールズ・チャップリンという名の子役俳優でした。








2018年11月14日水曜日

「オーストラリア歴史物語」を読んで


ジェフリー・ブレイニー著、1994年、加藤めぐみ・鎌田真弓訳 明石書店、2000
 本書はオーストリアの通史を扱ったもので、私もかつてオーストラリアに関する本を随分読みましたが、通史を読んだのは初めてです。本書の解説によれば、オーストラリアの通史は、本書を含めて2冊くらいしかないようです。なお映画については、「映画でオーストラリアを観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/10/blog-post_31.html)を参照して下さい。
 私はずいぶん前に、本書の著者が著した「距離の暴虐」という本を以前読んだことがあります。この本は、オーストラリアを研究している友人から紹介されたもので、オーストラリアと本国との距離、オーストラリア大陸内部の距離、これがオーストリアに大きな影響を与えたことを論じています。確かに面白い本ではありましたが、私はあまり感銘を受けませんでした。なぜかというと、本書はイギリスからの移民の視点で書かれており、先住民(アボリジニー)の視点が欠けているように思われたからです。
 今回読んだ「オーストラリア歴史物語」は、非常にバランスよく書かれた通史で、エピソードも豊富で、面白く読むことができましたが、それでも先住民の視点が欠けていることが不満です。

2018年11月10日土曜日

連続テレビドラマ「ザ・プラクティス」を観て


 1997年から2004年までアメリカで放映されたテレビドラマで、ボストンのある弁護士事務所を舞台とした物語です。このシリーズは第8シリーズまであるのですが、日本でDVD化されているのは、第2シリーズまでのようです。
 アメリカでは陪審員制度が定着しており、多くの人が陪審員を経験しますので、裁判物の映画やテレビドラマが非常に多く、このブログでも「映画でアメリカを観る(6)(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/02/6.html)で、こうした映画を紹介しています。このドラマと並行して、「LAW  ORDER」というドラマが放映されており、これは実に20年も続きました。「LAW  ORDER」は、検察と警察の物語ですが、「The Practice」は主に刑事訴訟を扱う小さな法律事務所の物語で、「LAW  ORDER」に比べると幾分内容が雑ですが、それでも放映期間中に何度も賞を得ています。残念ながらどちらのドラマも、日本ではDVD化があまり進んでいません。内容が重すぎることと、司法制度が日本人には馴染みにくいからではないかと思います。
 主人公のボビー・ドネルは一流の弁護士事務所に勤めていましたが、企業や金持ち相手の仕事に嫌気がさし、刑事事件を中心とする小さな弁護士事務所を開きます。彼の理想は、富や社会的地位に関係なく、法が公正に適用されることです。多くの被告人が無実を主張し、実際にはそのほとんどが有罪で、彼らの多くは司法取引で減刑されて服役します。そして、彼らの中には釈放されると再び罪を犯すこともあるでしょう。ただ稀に、そういった人々の中に本当に無実の人がいることがあります。こうよう人々のために、法を公正に適用し、えん罪を生み出さないようにすることが大切です。
 こういう言い方をすると綺麗事に聞こえますが、日々の活動で行っていることの多くは、ボビーの言葉を借りるなら「ルールを曲げ、規則をかいくぐるのをモットー」としていました。その手法は、時には反吐が出そうなほど汚いやり方で、彼ら自身も自己嫌悪に陥ることもしばしばでした。また刑事裁判の弁護料は安いため、麻薬の売人の顧問をしたり、つまらない訴えを引き受けたりして、事務所の経営を維持しています。彼らが日々行っていることは、理想とは程遠いのですが、それでも事務所を維持していけば、時には彼らが本当にやりたいと思っている裁判に出会うこともあります。この事務所には5人の弁護士と1人の女性事務員がいますが、彼らはこのような価値観でほぼ一致しています。
 アメリカの裁判物の映画を観ていると、アメリカの司法制度は日本のそれと相当異なっていると感じます。もちろんどの国の司法制度も、それぞれ長い歴史をもっていますので、異なっているのは当然なのですが、それにしてもアメリカと日本のそれは根本的に異なっているように感じます。アメリカでは12人の陪審員が評決を下しますが、それは有罪か無罪かだけで、中間はありません。もし検察官がある被告を第一級の殺人で起訴し、陪審員が有罪と判断すれば、被告はほぼ自動的に終身刑(州によって異なる)です。もちろんそこに至るまでに、例えば「罪をみとめれば懲役20年」といった具合に司法取引が行われますが、もし被告が本当に無罪で陪審員による評決を望んだとしても、有罪の評決がでる可能性があります。もし被告が有罪評決を恐れて司法取引に応じれば、被告は無実のまま20年の懲役を務めることになります。もちろん、日本にも冤罪は相当あると思われますが。
 日本の司法制度に馴染んだ人にとっては、こうしたアメリカの司法制度には容易に馴染めないように思いますが、アメリカではこれが最も優れた制度だと思っている人が多いようです。陪審員制度の原型はヨーロッパ中世に生まれ、イギリスを通じて北米植民地にも伝えられました。18世紀後半にイギリス本国に対する反発が強まると、イギリスから派遣された裁判官や検事に対して、植民地人である陪審員がことごとく反発しました。つまり陪審員制度は、アメリカ合衆国独立の核となったのです。そのため、陪審員制度はアメリカの司法制度の根幹となり、アメリカ人の文化として定着していったのだと思います。それは人民による統治を確立するための重要な方法であり、参加型民主主義の典型的な例です。
 陪審員制度にあっては、検察官や弁護士が陪審員をどう説得するかが重要になってきますので、裁判では検察官も弁護士もあらゆる手をつくして陪審員の説得を試みます。そのため裁判ドラマはスリリングで知的ゲームのような面白さがあり、この映画でも、手練手管を駆使した裁判闘争を見ることができます。ただ、ドラマでは日本ではありえないような法廷闘争が展開されますので、少し馴染みにくいかもしれません。
 ドラマではさまざまに問題が取り扱われ、単に法廷闘争だけでなく、深刻な問題についても議論されます。例えば第2シリーズの最終回では、13歳の少年が母を銃で撃ち殺すという事件がありました。アメリカでは、殺人の場合こどもでも成人として裁かれる傾向があります。ではこの少年は成人として裁かれるべきか。もし成人として裁かれて有罪となれば終身刑です。このことについて検察官と弁護士が激しく議論しますが、結局判事は成人として裁くことを決定します。判事は、毎日嫌になるほど醜い事件と向き合い、それでも子供たちに希望を見出していました。だから子供が母親を殺すなどということはあってはならないことです。だからこそ、この13歳の少年を成人として裁くしかないということです。大変厳しい選択です。


2018年11月7日水曜日

「イランとイスラム」を読んで


森茂男編、2010年、春風社
本書は、イランとイスラムをテーマにした国際セミナーが開催され、参加者のうち8人のイラン人を含む18人の研究者の執筆により出版されました。このように言うと、本書は専門家による高度な専門書のように思われますが、表紙にあるように、イランにおけるファッションなど意外に分かりやすいテーマを扱っています。
 イラン人は、紀元前8世紀に成立したメディア王国以来、2700年以上の歴史をもち、7世紀にイスラーム化するまでに、アケメネス朝ペルシアとササン朝ペルシアという世界史上でもずば抜けた文明を形成ました。そして、その後千年近くの間に、イランは多くの民族の支配を受けつつ、イスラーム教を自らの宗教として受容していきます。私は、この間のイランにおける政治的変動についてはある程度知っていますが、イラン人がイスラーム教を受け入れていく過程については、何も知りませんでした。
 本書はこうした疑問について、さまざまな角度から説明しています。この過程は、イランのイスラーム化であると同時に、イスラーム教のイラン化の過程でもありました。要するに「習合」が起きたのです。ヨーロッパでも、キリスト教が普及していく過程でゲルマンの宗教との習合があったし、日本でも神仏習合が起きました。この過程は、どこでも千年単位の長い時間を必要としました。
 本書は、その具体的な例を多数あげていますが、その内容は多岐にわたっているため、ここでは触れません。ただ、例えばペルシアにとって悪魔だったアレクサンドロスが、イスラーム世界で英雄に変貌していく過程や、旧約聖書に依拠するイスラーム教の創世神話がペルシア的(ゾロアスター教的)創世神話に置き換えられ、それがイスラーム教に影響を与えていく過程などは、大変興味深く読むことができました。


2018年11月3日土曜日

映画「マリ・アントワネットに別れをつげて」を観て」


2012年のフランスとスペイン合作による映画で、フランス革命が勃発して混乱する中で、ヴェルサイユ宮殿の混乱を一人の下女の眼を通して描いています。
ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世によって建造された壮大な宮殿ですが、あまりに壮大すぎて、この時代になるとメンテナンスが行き届かず、雨漏りはするし、運河にボウフラが沸き、蚊が発生し、さらに鼠が走り回っています。主人公のシドニーは孤児の下女で、どういう経緯で宮殿に入ったか分かりませんが、マリー・アントワネットの朗読役で、常に王妃の傍にいて、王妃の気まぐれに応じて朗読する役割でした。彼女は王妃のお気に入りですが、王妃の気まぐれに対応するのは大変でした。それでも彼女は王妃の傍で使えることが幸福であり、もしかするとレスピアン的感情を抱いていたかもしれません。
マリー・アントワネットについては、「映画でフランス革命を観て マリー・アントワネット」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/11/blog-post_14.html)を参照して下さい。この時のマリー・アントワネットはまだ14歳でしたが、今回の映画ではすでに34歳になっており、3年後に彼女は刑死することになります。彼女は若くて美しいポリニャック夫人に恋をしており、シドニーはポリニャック夫人に嫉妬していました。
そんな中、1789714日にパリでバスティーユ牢獄襲撃事件が起き、また首を切るべき286人の名を記したパンフレットが市中に出回り、ヴェルサイユ宮殿はパニックに陥り、貴族たちは王を捨てて逃げ出し始めました。そんな中で王妃は、民衆の憎悪の対象となっていたポリニャック夫人を国外に逃がそうとします。その際、王妃はシドニーに、ポリニャック夫人の衣装を着て夫人の身代わりになれと命じたのです。言い換えれば敬愛する王妃から、彼女にとってはライバルであるポリニャック夫人の身代わりになれと命じられたのです。彼女はショックを受けますが、彼女には命令を拒否する術はありません。結局彼女は夫人の衣装を着て、夫人が下女の衣装を着て出立し、結局検問を無事にパスして亡命に成功します。そして最後はシドニーの独白で終わります。
「私の名はシドニー・ラボルト。身寄りのない孤児。元王妃の朗読役で、王妃の命令通り、ヴェルサイユから去る。そして誰でもなくなる。」
この映画のストーリーをどのように解釈してよいのか分かりませんが、この映画は従来喧伝された絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿の小汚い部分や狭苦しい部分を描いており、私自身は大変興味深く観ることができました。私の世代は「革命」に特別な思い入れがあり、フランス革命を革命の典型として美化してきました。しかし今日ではこのような革命観は跡形もなく崩壊し、さまざまな角度からの研究が行われています。この映画は、革命そのものについて描いているわけではなく、バスティーユ牢獄襲撃事件が起きた1789714日から17日までの4日間のヴェルサイユ宮殿を、一人の下女の眼を通して描いており、それはまさにヴェルサイユ宮殿崩壊の姿だったと思います。そしてこれも革命の一つの局面でした。