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2014年1月10日金曜日

第1章 はじめに


 「グローバル・ヒストリー」ということが言われるようなって久しいのですが、では従来「世界史」と言われてきた歴史とどう違うのでしようか。この点については次章で詳しく述べますが、ここでは最も基礎的な用語の解説だけをしておきます。地球のことをEarthと言いますが、これは平たんな地面を指します。それに対してGlobeは地球儀で、まさに「丸」なのです。つまりグローバル・ヒストリーとは、丸い地球を一つのものとして捉えるということです。

 人類は、日本の足で歩くことから始めます。歩けば移動し、その人にとっての世界が広がり、他の人とも接触するようになります。やがて言葉が生まれ、コミュニケーションはますます発展し、馬・蒸気機関車・自動車・航空機などを用いて、この地球が互いに密接に繋がれた球となります。このようなグローバル化がどのようにして形成されたのかを学ぶのが、グローバル・ヒストリーです。

 人が歴史をどのように見るのかは、その人が生まれ育った環境が強い影響を与えます。今日グローバル・ヒストリーが声高に叫ばれるのも、グローバリゼーションが世界の趨勢だからです。私自身はグローバル・ヒストリーに全面的に同調している分けではないのですが、歴史を理解するために必要な一つの側面として、一度体系的に整理してみる必要があると考えました。

 グローバル・ヒストリーには、色々な捉え方が可能であり、ここで述べるグローバル・ヒストリーは、私が大学での講義のために作成した一つの試論です。さらに工業ではパワーポイントを使用して講義を行ったため、多くの図版を用いました。そうしたものを可能な限り使用しました。また、これとは別に、ブログで歴史に関連する映画を紹介しました。そうした映画もここで触れていきたいと思います。グローバル・ヒストリーはカバーする範囲があまりに広いため、内容的に皮相的になりがちです。その点を映画で補い、歴史に肉づけをしていきたいと思います。
 


 

冷戦はヨーロッパで発生しましたが、やがてそれがアジアに波及し、アジアでは熱戦(ホット・ウォー)に発展しました。











ベルリン空輸作戦
1948年にソ連がベルリンを封鎖したため、アメリカは西ベルリンへの物資の空輸作戦を開始し、空輸は約1年続きました。結局、ドイツが東西に分断され、米ソの直接戦争には至らず、冷戦は緊張状態のまま、固定されることになります。


 
 





戦時下の韓国国民
ベルリン封鎖が終わった1949年に、社会主義国家中華人民共和国が成立し、翌年北朝鮮が韓国に侵入して朝鮮戦争が始まりました。戦争には中国やアメリカが介入し、戦火は朝鮮全土に及び、多くの犠牲者がでました。戦争は1953年に一応終結しますが、朝鮮半島はその後も分断状態が続きます。












  そこでまず、私自身がどのような歴史的環境の中で生きてきたかを考えてみたいと思います。私は1946年に生まれました。それは第二次世界大戦終結の翌年であり、翌年の47年から49年にかけて、堺屋太一がいう「団塊の世代」が誕生しますが、すでに前年から出生率は急速に伸びていました。一方、この頃から冷戦が本格化します。トルーマンドクトリン、ベルリン封鎖、朝鮮戦争などが続きますが、当然のことながら私は全く記憶していません。わずかに記憶に残っているのはハンガリー動乱ぐらいですが、もちろん意味はまったく分かりませんでした。

ベトナム戦争 ナパーム弾
1965年にアメリカが北ベトナムを爆撃してヴェトナム戦争が始まります。密林でのゲリラに手を焼いたアメリカは、ナパーム弾や枯葉剤を使用します。ナパーム弾は1000度以上の高温で広範囲を焼き尽くし、さらに大量の酸素を燃焼させるため、周辺でも窒息死します。それはまさに小型原爆ともいえるもので、ベトナムは荒廃します。















 私が大学に進学する頃から、受験者人口が急増し、いわゆる受験戦争が始まりました。同時にこの頃からベトナム戦争が本格化します。私は毎日図書館へ行き、3種類の新聞を読み続けました。当時、ベトコンとか、北爆とか、エスカレートという文字が新聞に踊っていました。そしてある時気が付きました。新聞によって書き方が違うということです。それ以来マスコミ不信に陥り、自分で調べるしかないと思い、歴史を勉強し始めました。私が歴史を学ぶきっかけとなったのは、ベトナム戦争であり、私の知的出発点は常にベトナム戦争にありました。今日から見れば、マスコミを全面的に否定することはできません。マスコミは営利を目的とするため、色々と問題があるとは思いますが、結局われわれは世界の出来事についてマスコミから情報を手に入れるしかありません。ただ、マスコミから得られた情報を鵜呑みにするのではなく、自分で判断する賢明さをもつことが大切なのだと思います。

マルタ会談
 1989年に地中海のマルタ島で、ソ連のゴルバチョフとアメリカのブッシュが会談し、冷戦の終結が宣言されました。これによって米ソによる核戦争の危険は低下しましたが、各地で局地紛争が頻発するようになります。












9.11同時多発テロ
2001年にイスラーム過激派のアルカイダがアメリカの航空機を乗っ取り、ニューヨークの募役法センタービルに突入するなどの事件が発生しました。これをきっかけに、アメリカはイラクやアフガニスタンに対する強硬な政策を推し進めます。











 


 1989年にマルタ会談で冷戦の終結が宣言されました。私の前半生は冷戦とともにあったといえます。とりあえず冷戦は終わり、米ソの全面核戦争の危機は薄らいだものの、世界各地で局地紛争が頻発するようになります。そして2001年にアメリカで9.11事件が起きます。こうした情勢の変化の中で、冷戦の中で構築されてきた私の歴史観を再構築する必要に迫られました。その一つの結果が、これから紹介する内容です。


≪映画≫
プラトーン 
 
1986年 アメリカ合衆国
ベトナム戦争に関する映画。アメリカは1965年に北ベトナムへの爆撃を開始し、本格的にベトナムに介入するようになります。ベトナムに駐留したアメリカ兵は最高時で50万人を超え、200万人のベトナム人が殺され、6万人以上のアメリカ兵が死にました。この映画は、一人のアメリカの青年が、この戦いを自由と民主主義のための戦い信じて志願兵となり、そしてこの戦争の現実と空しさを知る、という物語です。結局アメリカはベトナムで敗北し、1975年にベトナムから全面撤退をすることになり、そのほぼ10年後にこの映画が製作されました。
 ベトナム戦争とは一体何だったのか。アメリカは何のためにベトナムで戦ったのか、そしてなぜアメリカは今なおイラクやアフガニスタンで戦っているのか。この問いには簡単に答えることができませんが、グローバル・ヒストリーという側面から、こうした戦争の背景を考えてみたいと思います。
 
WORLD TRADE CENTER 
 
2006年 アメリカ合衆国
 2001911日、ニューヨークの世界貿易センタービルに2機の旅客機が突入し、数千人が死亡するというテロ事件が発生しました。この映画は、この事件を題材として、命がけで救出活動に当たる港湾警察官たちの英雄的な活動を描いたものです。登場人物は実在の人物で、ドキュメンタリー風に描かれています。内容的には、アメリカでよく製作されるパニック映画ですが、事実に基づいているだけに、重みのある映画です。多分、この映画がわれわれに訴えようとしているのは、絶望的な状況の中でも「希望」を見出そうとする「意思」ではないか、と思います。しかし、その後アメリカが行ったことは、アフガニスタンへの侵攻とイラク戦争でした。それは、この映画が訴えようとした「希望に向けた意思」とは異なっているような気がします。
 この事件はなぜ起こったのでしょうか、また、アメリカはなぜこんな酷い目に合わされなければいけないのでしょうか。この問いにも簡単に答えることはできません。ただ、同じ年の3月にアフガニスタンでバーミヤンの石窟が爆破されました。実は、この二つの事件は深く関わっているのです。こうした事件が起きる背景を、グローバル・ヒストリーとい側面から、考えてみたいと思います。
 
UNITED93 
 
2007年 アメリカ合衆国 
 2001911日に4機の飛行機がハイジャックされ、その内の2機が世界貿易センタービルに突入し、もう1機はワシントンの国防総省に突入しました。そして4機目がユナイテッド航空93便で、この飛行機もワシントンに向かいましたが、自分たちの飛行機が自爆テロに使われることを拒否した乗客たちが反乱を起こし、飛行機は目的地に到達する前に墜落して、乗客・乗員が全員死亡しました。この映画は、その時の客室の状況を再現したものです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
追記

 当初、ホームページを作ることを考えていたのですが、かなり難しそうなので断念しました。しかし、ブログの作製でも思うようにいかず、行間がやたらに空いてしまったり、図版がぼけてしまったりで、大変見苦しい内容となりました。行間は、編集画面では詰まっているのですが、プレビュー画面では空いてしまい、どうすることもできませんでした。また、図版は、ペイントで作製したものがぼけてしまいます。拡大すればぼけないのですが、方法が分からないため、そのままにしてあります。

 なお、使用した図版については、ネット上から借用したものが多数ありますので、不都合があればご連絡下さい。



















第2章 歴史とは何か





1.世界史という教科

2.歴史は現代史か

3.歴史的事実とは何か

4.歴史を学ぶ意義

 











1.世界史という教科

 高校で学ぶ「世界史」をつまらないと思っている人は多いでしょう。理由は色々ありますが、最大の理由は、「試験」のために覚えるべき「歴史用語」があまりにも多いからだと思います。一体なぜこんなに多くの用語を覚えなければならないのか、という疑問を最初から抱き、その時点で「歴史」に対する拒否反応を起こしてしまうのではないでしょうか。そもそも、歴史に登場する事件や人物を「歴史用語」という受験的な表現で示さねばならないこと自体に、問題があるように思います。

2.歴史は現代史か

では、歴史は一体何のために学ぶのでしょうか。イタリアの思想家であるB.クローチェは20世紀初めに「すべての歴史は現代史である」と述べ、イギリスの歴史家であるE.H.カーは、第二次世界大戦後に「歴史とは過去と現在との対話である」と述べています。まず、このことの意味を考えたいと思います。

もちろん、これらの言葉は、現代史だけを勉強すればよいのであって、古い時代を勉強する必要はない、という意味ではない。また、単に現代との関係においてのみ歴史を勉強すればよい、という意味でもありません。

よく次のように言われる。「現代を理解するために、現代の前提となる過去を理解せねばならない」と。確かに、現在行われているすべてのことが、過去と深く関わっており、過去の理解なくして現在の理解はありえません。その意味において、この言葉は一つの真実を語っている。しかし、現在を理解するためだけに過去を学ぶとするなら、過去を正しく把握することはできません。とくに、政治的思惑で過去に起きたことを利用しようとするなら、歴史をゆがめてしまうことになります。そして、「歪められた歴史」から現在を正しく理解することはできません。


神武天皇
 明治維新以降、日本では天皇制を神話と結びつけることが盛んに行われました。その結果、「古事記」や「日本書紀」に従い、天照大神の子孫である神武天皇が初代天皇とされました。神武天皇は前660年に即位し、127歳まで生きたことになります。これは途方もない話ですが、戦前には学校教育で取り上げられ、歴代の天皇を暗記することが義務付けられていました。















ムッソリーニとヒトラー
イタリアでは、第一次世界大戦後の混乱が収まらず、1922年にムッソリーニが率いるファシスタ党が武力で政権を獲得します。ドイツでは、世界恐慌後の混乱の中で、ヒトラーが率いるナチスが政権を獲得します。ムソリーニは古代ローマの地中海帝国の再現を掲げ、ヒトラーはアーリア民族の優秀性を掲げて、侵略政策を推進します。














 事実、過去にこのような形で歴史がゆがめられたことが何度もありました。例えば、戦前の日本では、朝鮮支配や天皇制・軍国主義を正当化するため、日本の歴史が歪めて教えられたし、第一次世界大戦後のイタリアやドイツでも、ファシズムは歴史を自己の権力の正当化に利用しました。このように、権力というものは、大なり小なり、自己の権力を正当化するため、歴史を利用し、歴史を歪曲する傾向があります。クローチェが主張する「すべての歴史は現代史である」という言葉には、幾分この傾向が見られ、現代的な視点で歴史を見るべきである、という観点が含まれている。そして、こうした歴史の捉え方が、二度の世界大戦を引き起こす原因の一つとなったのである。

  これに対して、第二次世界大戦の後にE..カーは、このように意図的に歴史を現代から見ることを否定し、むしろ真摯(に過去を見つめ、できる限り客観的に学ぶことの重要性を強調しました。もちろん、どれほど客観的に歴史を見ようと、その歴史を見ている「自己」は、「現在」という環境の中で形成された自己であり、現代的な視点を完全に否定することはできません。しかし同時に、可能な限り客観的に歴史を学ぶことにより、現代をより正しく理解し、その視点で再び歴史を見れば、以前とは異なった視点で歴史を見ることができます。カーの「歴史とは過去と現代との対話である」という言葉は、このような意味です。

 

3.歴史的事実とは何か

 われわれは、歴史書に書かれている「歴史的事実」をどのようにして知ることができたのでしょうか。過去には無数の「歴史的事実」が存在していますが、そのような「歴史的事実」と歴史書に書かれている「歴史的事実」との違いはどこにあるのでしょうか。

ッシングリンク

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハンムラビ法典は各地に建てられましたが、前12世紀にバビロンを略奪した民族が、ハンムラビ法典も略奪し、イランのスサに放置しました。それが今日われわれが見ることができるハンムラビ法典です。
ロゼッタストーンは、エジプトの要塞の建築資材として用いられていましたが、たまたまエジプト遠征のナポレオン軍によって発見されました。
 
 

 
 
 
 
 
 
 時代が古くなればなるほど、われわれが知っている「歴史的事実」は少なくなります。むしろ、われわれが知っている「歴史的事実」は偶然の発見によるものだといっても言い過ぎではありません。とくに、人類進化の過程については、われわれは偶然発見された化石をもとに推測しているに過ぎず、その過程には多くの「ミッシングリンク(失われた環)」が存在しています。また、有名な古代バビロニア王国のハンムラビ法典や、象形文字の解読の手がかりとなったロゼッタストーンも、それが後世に残ったこと自体が偶然であり、それをわれわれが発見したことも偶然です。われわれは、こうして手に入れたわずかな事実をもとに、歴史を再構成していくのでする。つまり、歴史的事実とは、歴史家の解釈によって生み出されるのであり、当然そこには歴史家の意図が反映されることになります。
 
 一方、時代が新しくなればなるほど、逆の問題が発生してきます。時代が新しくなればなるほど膨大な資料が存在し、そこには無数の事実が記載されており、そして、これら無数の事実を羅列するだけでは、とうてい「歴史」とはいえません。つまり、「古い時代」とは逆に「新しい時代」においては、資料によって知ることができる大半の過去の事実を捨て、「重要な事実」を選択して歴史を再構成することになります。そして、それを再構成するのは歴史家であり、当然そこには歴史家の意図が反映されることになります。
 その意味において、「歴史」をつくるのは歴史家であり、「歴史」とは歴史家によって書かれた「歴史叙述」なのです。したがって、それぞれ異なった社会背景をもつ百人の歴史家が、同じ対象について歴史を叙述すれば、百の歴史が生まれるとさえいわれます。このような言い方をすると、「歴史」には客観性がなく、歴史家が好き勝手に想像したものにすぎないかのように思われるが、決してそうではありません。

 歴史学は学問=科学であり、広く認められたルールに従って研究され、叙述されねばなりません。それを無視した歴史叙述は学問とはいえず、単なる物語でしかありません。したがって、歴史家の仕事は、まず第一に一定のルールに従って、可能な限り客観的に過去を再構築することにあります。しかし、単に事実の羅列や、歴史上のエピソードを叙述するだけでは、学問としての歴史学とはいえませんい。歴史を研究するにはそこに何らかの意味を見いださねばならず、どのような意味を見いだすかは、歴史家によって、また時代や地域によって千差万別です。では、そのように叙述された歴史を、われわれはどのように学んだらよいのでしょうか。

4.歴史を学ぶ意義

  歴史を学ぶ意義にはいろいろあります。物語風の歴史を学ぶのも一つの意義ではありますが、これは単なる知識あるいはエピソード寄せ集めにすぎません。また、歴史に教訓を求めることも一つの意義です。歴史上で起こったことを、現在の問題に対処するための参考にすることは、重要ではありまかが、ただし過去に起きたことと現在起きていることとは決して同じではないので、単純な比較は慎まねばなりません。

 また、歴史に法則を見いだし、その法則に基づいて現在を理解し、未来を予測することが、歴史を学ぶ意義であるとされました。その典型的な例がマルクス主義です。マルクスは、歴史を決定する要因は「生産手段」であり、生産手段の変化により歴史を古代奴隷制社会・中世農奴制社会・近代資本主義社会に区分し、やがて共産主義社会が到来すると予言しました。しかし、歴史に法則があるのでしょうか。日々無数の事件が起きていますが、それらの事件が一定の法則の下で起きているとは、とうてい思えません。ましてや、マルクスが主張するような硬直的な法則は、歴史を歪めてしまうことになるのではないでしょうか。これは、先に述べた現代を説明するために過去を歪めてしまった典型的な例であるとおもいます。

 とはいえ、マルクスは、彼が生きた時代における資本主義社会の矛盾を解明するために、歴史を研究したのであり、そのような研究方法は必ずしも間違っているわけではありません。この講座で扱うテーマは、今日のグローバル化する世界がどのように形成されてきたかを探ることにあくます。その場合、注意しなくてはならないことは、グローバル化の歴史が、歴史のすべてではないということでする。したがって、ここでの目的は決して法則を見いだすことではなく、あくまでも一つの現象のルーツを探ることであり、法則のために事実を不当に歪曲してしまうことがあっては、決してならないとおもいます。

 最後に、歴史を学ぶ意義をもう一つ指摘しておきたいと思います。そしてこれが、私が個人的に最も重要であると考えていることなのです。長い人類の歴史において、さまざまな時代に、さまざまな地域で、さまざまな人々が、日々、さまざまな考えを持って生きてきました。彼らは、つまりそれは私たち自身でもあるのですが、決して過去や未来のために存在しているのではなく、それ自体に存在価値があるのです。そのような多様な人々をあるがままに捉え、理解することが歴史を学ぶもう一つの意義であると思います。最近では、特別な人々ではなく、普通の人々の日常的な考えを研究する研究者があらわれており、このような歴史を「心性史」と呼んでいる。

 そのようなことを学んで何の役に立つのかと、思われるかもしれません。しかし、自分たちとはまったく異なる地域の、まったく異なる時代に生きた人々の考え方を、あるがままに理解することができる能力こそが、本当の意味での知性であるのだと思います。われわれは、過去と現在との共通性を理解することも大切ですが、相違を理解することも大切なのです。しかだって、この講座では、ここでは、グローバゼーションのルーツを探ることを目的としますが、同時に、折に触れて、異なる時代に生きた人々の考え方を探っていきたいと思う。

≪映画≫ 

独裁者

チャップリン主演・監督の映画、1940年。
 1930年代から1940年代前半にかけて、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニなどの独裁者が登場し、世界中が混乱しました。彼らは歴史を自分たちの都合のよいように 解釈し、人々を扇動しました。チャップリンは、こうした独裁者の愚かしさをコミカルに、そして物悲しさを漂わせながら演じています。この時代に、これほど大胆に独裁者を風刺化できる人は少なかったと思います。やはり、チャップリンは並外れた映画人だったといえるでしょう。この映画を通じて私が言いたいことは、歴史を政治的な意図をもって一方的に解釈してはいけない、ということです。
なお、この映画ではチャップリンは一人二役を演じています。明らかにヒトラーと思われる独裁者と、不幸にも独裁者と瓜二つの小市民を演じ、最後にこの小市民が独裁者を痛烈に批判します。