1.世界史という教科
2.歴史は現代史か
3.歴史的事実とは何か
4.歴史を学ぶ意義
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1.世界史という教科
高校で学ぶ「世界史」をつまらないと思っている人は多いでしょう。理由は色々ありますが、最大の理由は、「試験」のために覚えるべき「歴史用語」があまりにも多いからだと思います。一体なぜこんなに多くの用語を覚えなければならないのか、という疑問を最初から抱き、その時点で「歴史」に対する拒否反応を起こしてしまうのではないでしょうか。そもそも、歴史に登場する事件や人物を「歴史用語」という受験的な表現で示さねばならないこと自体に、問題があるように思います。
2.歴史は現代史か
では、歴史は一体何のために学ぶのでしょうか。イタリアの思想家であるB.クローチェは20世紀初めに「すべての歴史は現代史である」と述べ、イギリスの歴史家であるE.H.カーは、第二次世界大戦後に「歴史とは過去と現在との対話である」と述べています。まず、このことの意味を考えたいと思います。
もちろん、これらの言葉は、現代史だけを勉強すればよいのであって、古い時代を勉強する必要はない、という意味ではない。また、単に現代との関係においてのみ歴史を勉強すればよい、という意味でもありません。
よく次のように言われる。「現代を理解するために、現代の前提となる過去を理解せねばならない」と。確かに、現在行われているすべてのことが、過去と深く関わっており、過去の理解なくして現在の理解はありえません。その意味において、この言葉は一つの真実を語っている。しかし、現在を理解するためだけに過去を学ぶとするなら、過去を正しく把握することはできません。とくに、政治的思惑で過去に起きたことを利用しようとするなら、歴史をゆがめてしまうことになります。そして、「歪められた歴史」から現在を正しく理解することはできません。
神武天皇
明治維新以降、日本では天皇制を神話と結びつけることが盛んに行われました。その結果、「古事記」や「日本書紀」に従い、天照大神の子孫である神武天皇が初代天皇とされました。神武天皇は前660年に即位し、127歳まで生きたことになります。これは途方もない話ですが、戦前には学校教育で取り上げられ、歴代の天皇を暗記することが義務付けられていました。
ムッソリーニとヒトラー
イタリアでは、第一次世界大戦後の混乱が収まらず、1922年にムッソリーニが率いるファシスタ党が武力で政権を獲得します。ドイツでは、世界恐慌後の混乱の中で、ヒトラーが率いるナチスが政権を獲得します。ムソリーニは古代ローマの地中海帝国の再現を掲げ、ヒトラーはアーリア民族の優秀性を掲げて、侵略政策を推進します。
事実、過去にこのような形で歴史がゆがめられたことが何度もありました。例えば、戦前の日本では、朝鮮支配や天皇制・軍国主義を正当化するため、日本の歴史が歪めて教えられたし、第一次世界大戦後のイタリアやドイツでも、ファシズムは歴史を自己の権力の正当化に利用しました。このように、権力というものは、大なり小なり、自己の権力を正当化するため、歴史を利用し、歴史を歪曲する傾向があります。クローチェが主張する「すべての歴史は現代史である」という言葉には、幾分この傾向が見られ、現代的な視点で歴史を見るべきである、という観点が含まれている。そして、こうした歴史の捉え方が、二度の世界大戦を引き起こす原因の一つとなったのである。
これに対して、第二次世界大戦の後にE.H.カーは、このように意図的に歴史を現代から見ることを否定し、むしろ真摯に過去を見つめ、できる限り客観的に学ぶことの重要性を強調しました。もちろん、どれほど客観的に歴史を見ようと、その歴史を見ている「自己」は、「現在」という環境の中で形成された自己であり、現代的な視点を完全に否定することはできません。しかし同時に、可能な限り客観的に歴史を学ぶことにより、現代をより正しく理解し、その視点で再び歴史を見れば、以前とは異なった視点で歴史を見ることができます。カーの「歴史とは過去と現代との対話である」という言葉は、このような意味です。
3.歴史的事実とは何か
われわれは、歴史書に書かれている「歴史的事実」をどのようにして知ることができたのでしょうか。過去には無数の「歴史的事実」が存在していますが、そのような「歴史的事実」と歴史書に書かれている「歴史的事実」との違いはどこにあるのでしょうか。
ミッシングリンク
ハンムラビ法典は各地に建てられましたが、前12世紀にバビロンを略奪した民族が、ハンムラビ法典も略奪し、イランのスサに放置しました。それが今日われわれが見ることができるハンムラビ法典です。
ロゼッタストーンは、エジプトの要塞の建築資材として用いられていましたが、たまたまエジプト遠征のナポレオン軍によって発見されました。
時代が古くなればなるほど、われわれが知っている「歴史的事実」は少なくなります。むしろ、われわれが知っている「歴史的事実」は偶然の発見によるものだといっても言い過ぎではありません。とくに、人類進化の過程については、われわれは偶然発見された化石をもとに推測しているに過ぎず、その過程には多くの「ミッシングリンク(失われた環)」が存在しています。また、有名な古代バビロニア王国のハンムラビ法典や、象形文字の解読の手がかりとなったロゼッタストーンも、それが後世に残ったこと自体が偶然であり、それをわれわれが発見したことも偶然です。われわれは、こうして手に入れたわずかな事実をもとに、歴史を再構成していくのでする。つまり、歴史的事実とは、歴史家の解釈によって生み出されるのであり、当然そこには歴史家の意図が反映されることになります。
一方、時代が新しくなればなるほど、逆の問題が発生してきます。時代が新しくなればなるほど膨大な資料が存在し、そこには無数の事実が記載されており、そして、これら無数の事実を羅列するだけでは、とうてい「歴史」とはいえません。つまり、「古い時代」とは逆に「新しい時代」においては、資料によって知ることができる大半の過去の事実を捨て、「重要な事実」を選択して歴史を再構成することになります。そして、それを再構成するのは歴史家であり、当然そこには歴史家の意図が反映されることになります。
その意味において、「歴史」をつくるのは歴史家であり、「歴史」とは歴史家によって書かれた「歴史叙述」なのです。したがって、それぞれ異なった社会背景をもつ百人の歴史家が、同じ対象について歴史を叙述すれば、百の歴史が生まれるとさえいわれます。このような言い方をすると、「歴史」には客観性がなく、歴史家が好き勝手に想像したものにすぎないかのように思われるが、決してそうではありません。
歴史学は学問=科学であり、広く認められたルールに従って研究され、叙述されねばなりません。それを無視した歴史叙述は学問とはいえず、単なる物語でしかありません。したがって、歴史家の仕事は、まず第一に一定のルールに従って、可能な限り客観的に過去を再構築することにあります。しかし、単に事実の羅列や、歴史上のエピソードを叙述するだけでは、学問としての歴史学とはいえませんい。歴史を研究するにはそこに何らかの意味を見いださねばならず、どのような意味を見いだすかは、歴史家によって、また時代や地域によって千差万別です。では、そのように叙述された歴史を、われわれはどのように学んだらよいのでしょうか。
4.歴史を学ぶ意義
歴史を学ぶ意義にはいろいろあります。物語風の歴史を学ぶのも一つの意義ではありますが、これは単なる知識あるいはエピソード寄せ集めにすぎません。また、歴史に教訓を求めることも一つの意義です。歴史上で起こったことを、現在の問題に対処するための参考にすることは、重要ではありまかが、ただし過去に起きたことと現在起きていることとは決して同じではないので、単純な比較は慎まねばなりません。
また、歴史に法則を見いだし、その法則に基づいて現在を理解し、未来を予測することが、歴史を学ぶ意義であるとされました。その典型的な例がマルクス主義です。マルクスは、歴史を決定する要因は「生産手段」であり、生産手段の変化により歴史を古代奴隷制社会・中世農奴制社会・近代資本主義社会に区分し、やがて共産主義社会が到来すると予言しました。しかし、歴史に法則があるのでしょうか。日々無数の事件が起きていますが、それらの事件が一定の法則の下で起きているとは、とうてい思えません。ましてや、マルクスが主張するような硬直的な法則は、歴史を歪めてしまうことになるのではないでしょうか。これは、先に述べた現代を説明するために過去を歪めてしまった典型的な例であるとおもいます。
とはいえ、マルクスは、彼が生きた時代における資本主義社会の矛盾を解明するために、歴史を研究したのであり、そのような研究方法は必ずしも間違っているわけではありません。この講座で扱うテーマは、今日のグローバル化する世界がどのように形成されてきたかを探ることにあくます。その場合、注意しなくてはならないことは、グローバル化の歴史が、歴史のすべてではないということでする。したがって、ここでの目的は決して法則を見いだすことではなく、あくまでも一つの現象のルーツを探ることであり、法則のために事実を不当に歪曲してしまうことがあっては、決してならないとおもいます。
最後に、歴史を学ぶ意義をもう一つ指摘しておきたいと思います。そしてこれが、私が個人的に最も重要であると考えていることなのです。長い人類の歴史において、さまざまな時代に、さまざまな地域で、さまざまな人々が、日々、さまざまな考えを持って生きてきました。彼らは、つまりそれは私たち自身でもあるのですが、決して過去や未来のために存在しているのではなく、それ自体に存在価値があるのです。そのような多様な人々をあるがままに捉え、理解することが歴史を学ぶもう一つの意義であると思います。最近では、特別な人々ではなく、普通の人々の日常的な考えを研究する研究者があらわれており、このような歴史を「心性史」と呼んでいる。
そのようなことを学んで何の役に立つのかと、思われるかもしれません。しかし、自分たちとはまったく異なる地域の、まったく異なる時代に生きた人々の考え方を、あるがままに理解することができる能力こそが、本当の意味での知性であるのだと思います。われわれは、過去と現在との共通性を理解することも大切ですが、相違を理解することも大切なのです。しかだって、この講座では、ここでは、グローバゼーションのルーツを探ることを目的としますが、同時に、折に触れて、異なる時代に生きた人々の考え方を探っていきたいと思う。
≪映画≫
独裁者
チャップリン主演・監督の映画、1940年。
1930年代から1940年代前半にかけて、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニなどの独裁者が登場し、世界中が混乱しました。彼らは歴史を自分たちの都合のよいように 解釈し、人々を扇動しました。チャップリンは、こうした独裁者の愚かしさをコミカルに、そして物悲しさを漂わせながら演じています。この時代に、これほど大胆に独裁者を風刺化できる人は少なかったと思います。やはり、チャップリンは並外れた映画人だったといえるでしょう。この映画を通じて私が言いたいことは、歴史を政治的な意図をもって一方的に解釈してはいけない、ということです。なお、この映画ではチャップリンは一人二役を演じています。明らかにヒトラーと思われる独裁者と、不幸にも独裁者と瓜二つの小市民を演じ、最後にこの小市民が独裁者を痛烈に批判します。
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