最近、16世紀の女性を主人公とした三本の映画を見ました。「女王フアナ」「エリザベス」「王妃マルゴ」です。この三人の女性は、宗教改革により価値観が大きく変わろうとしていた16世紀という時代を生きた女性たちです。一人は狂女として、一人は絶対君主として、一人はしたたかな女性として。
この三本の映画を理解するためには、最初に歴史的な背景を述べておく必要があります。中世のヨーロッパにおいては、カトリック教会が人々の精神的な拠り所となっていましたが、14・15世紀に飢饉・ペスト流行・戦争があいついで起きると、人々の間にカトリック教会に対する不信感が高まり、人々は新しい価値観を求めるようになりました。その結果、16世紀に宗教改革が始まり、カトリック信仰を守ろうとする人々=旧教徒と新しい信仰を求める人々=新教徒とが激しく対立するようになります。その後のヨーロッパの人々は、150年もの間、宗教のために命をかけて血みどろの闘いをすることになります。この三本の映画は、こうした時代を背景としています。
「女王フアナ」
2001年にスペインで制作された映画で、原題は「狂女フアナ」です。この映画を理解するためには、当時のスペインの置かれた状況を知っておく必要があります。
15世紀のイベリア半島には4つの国がありました。カトリックのポルトガル・カスティリャ・アラゴンと、イスラーム教のグラナダ王国です。イベリア半島は800年間イスラーム教徒に支配されていましたが、この時代にイスラーム教国はキリスト教国の激しい攻撃をうけ、イベリア半島から追い出されようとしていました。つまりイベリア半島は異教徒との戦いの最前線にあり、カトリックの威信が崩れようとしていた時代に、イベリア半島の国々はカトリックの守護者として戦っていたのです。すなわち、スペインは時代の流れに棹差す位置に立っていたわけです。
15世紀の終わり頃、カスティリャの女王イサベルとアラゴンの王子(後に国王)フェルナンドが結婚し、スペイン王国が成立します。とはいっても、この統一は見かけだ けで、カスティリャの君主はイサベルであり、アラゴンの君主はフェルナンドであり、2人が夫婦であるため統一されているように見えるだけです。真に統一スペインが成立するためには、2人の間に生まれた子供が、カスティリャの王とアラゴンの王を兼ねる必要があります。そしてこの悲願は、両王の子供たちによっては達成されませんでした。
イサベルは1男4女をもうけますが、唯一の男子は若くして死に、まもなく長女も死にます。3番目の子が、この映画の主人公であるフアナです(1478年生)。彼女は、1496年に、当時急速に力を強めつつあったハプスブルク家の公子フィリップに嫁ぎますが、期せずして兄と姉があいついで死んだため、イサベルの死後カスティリャ王国の女王の地位を受け継ぐことになります。ここから彼女の悲劇が始まります。
ちなみに5人目の子カタリーナ(英語名キャサリン)は、イングランドの皇太子アーサーに嫁ぎますが、結婚後まもなくアーサーは死んでしまいます。その後、彼女はアーサーの弟ヘンリと結婚します。彼がイングランド王ヘンリ8世です。ところがキャサリンに男子が生まれなかったため、ヘンリ8世はキャサリンを離婚して再婚するため、カトリック教会から離れて国教会を打ち立てます。これがイングランドの宗教改革です。そしてヘンリ8世が再婚したアン・ブーリンとの間に生まれた子が、次の主人公であるエリザベス(スペイン名はイサベル)女王です。
話しが横にそれましたが、フアナの夫フィリップは美麗公と言われるほど美男子だったようで、フアナはフィリップに一目ぼれし、2人の間に2男4女をもうけます。その一人が、後のスペイン国王にして神聖ローマ皇帝となるカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)です。ところが、フィリップは女癖が悪く、フアナが人一倍嫉妬深かったこともあって、彼女はしだいに精神的に不安定になっていったとされます。こうした中で、1504年に母イサベルが死去し、フアナはカスティリャの女王に即位しますが、夫フィリップは相変わらず浮気を繰り返し、また政治的に無能だったこともあって、フアナの精神状態はますます不安定になります。ところが、1506年フィリップが突然死亡し、これをきっかけにフアナは正気を失ったとされています。彼女は夫の死を受け入れることができず、棺にいれた夫を馬車に乗せて、数年間カスティリャをさまよいます。
こうした中で、父フェルナンド(アラゴン王)は、カスティリャがアラゴンから分離するのを恐れ、フアナを狂女として修道院に幽閉します。以後フアナは、1555年に死去するまで、40年以上幽閉生活を続けることになります。この間、1516年に父フェルナンドが死去すると、フアナの長子カルロスがアラゴンとカスティリャの王位を継承します(厳密にはフアナはカスティリャ女王のまま幽閉されているので、カスティリャに関してはカルロスが政務を代行するという形をとります)。その結果、イサベルとフェルディナントが追及したスペイン統一の夢は孫の代で実現され、さらにカルロスはヨーロッパ各地にまたがる領土を継承するとともに、1520年に神聖ローマ皇帝に戴冠されます。こうしてスペイン国王カルロス1世は、ヨーロッパ最強の君主であるだけでなく、新大陸の支配者であり、このころから始まった宗教改革に対抗するカトリックの擁護者として、重要な役割を果たすことになります。
フアナは、こうした歴史の激動に翻弄された女性でした。夫に裏切られ、父に裏切られ、息子に裏切られ、後半生を幽閉の身で過ごします。彼女が本当に狂女だったのかどうかは、はっきりしません。スペインの統一とハプスブルク帝国にとって無用となったため、狂女として烙印を押され、世間から遮断されてしまったのかもしれません。しかし、彼女が16世紀の政治の主役カルロス1世とその子フェリペ2世の母であり、祖母であったことは間違いありません。彼女は1555年に死亡し、翌年カルロスは引退して修道院に入ります。それが母の死と何か関係があったかどうかは、知りません。
この映画は、こうした時代背景を前提としており、大変よくできた映画でした。そして、女王フアナの物語は、次の「エリザベス」の物語とは深く関わっています。
「エリザベス」 (1998年、イギリス)
「エリザベス:ゴールデン・エイジ」 (2007年、イギリス)
エリザベスというタイトルの映画が2本あります。主演は同じ女優なので、前者を前編、後者を後編とよぶことにします。前編を観たのは相当前で、今回観たのは後編の方ですが、私は前編の方が好きなので、前編を中心に書きたいと思います。その前に、ここでも歴史的背景に触れておく必要があります。舞台は。16世紀のイングランドです。
前に書いたように、イサベルの娘キャサリンは結婚直後に未亡人となり、皇太子夫人としての地位も失いましが、8年後の1509年に国王に即位したばかりの弟ヘンリ8世と結婚します。ヘンリ8世は、数ヶ国語を理解し、知力・体力・意志力ともに優れた人物で、しかもこの結婚はヘンリ8世自身が望んだものでした。当時ヘンリ8世は18歳、キャサリンは24歳でしたが、夫婦仲はよかったと伝えられており、メアリという女の子も生まれます。問題は王位継承者となる男の子が生まれなかったということです。もちろん女性が国王になってもよいのですが、イングランドでは過去に例がありませんでした。
そこでヘンリ8世はキャサリンとの離婚を考えたのですか、カトリックは離婚を認めていません。もちろん、何事にも裏があり、教皇の許可を得れば事実上離婚は可能なのですが、教皇がなかなか離婚を認めてくれませんでした。というのは、キャサリンは、彼女の姉フアナの息子、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのスペイン国王カルロス1世の叔母であり、教皇はカルロス1世を敵にまわすことができなかったのです。そこでヘンリ8世はカトリック教会を捨て、イギリス国教会を樹立し、自らその首長として自分の離婚と再婚を認めることになります。ヘンリ8世のこの様な行動は、直接的には離婚問題をきっかけとしていますが、カトリック教会に対する不信感が高まっていた当時の歴史的な背景の中で起こった宗教改革でもありました。
1533年に王妃となったアン・ブーリンは、同年にエリザベスを生みます。しかし、結局彼女は、1536年に離婚され、刑死します(アン・ブーリンについては、「1000日のアン」(1969年イギリス)という映画があります)。エリザベスの人生の第一歩は、母の処刑から始まったわけです。3番目の妃は待望の男子を出産し、彼は1547年9歳にしてエドワード6世として即位しますが、6年後に死んでしまいます。ちなみに、ヘンリ8世は生前に政略結婚として、スコットランド女王メアリ・ステュアートとエドワードを婚約させますが、この女性が後にエリザベスの統治に大きな影を落とすことになります。さて、エドワード3世の死後、結局、男子の継承者を得るために離婚までしたキャサリンの娘メアリが、メアリ1世として女王となります。
この映画は、ここから始まります。メアリの生い立ちも悲しいものでした。18歳の時母キャサリンが離婚されると、彼女も母から引き離されて修道院で暮らすことを強いられます。しかし1553年にエドワード6世が死ぬと、メアリが国王となります。彼女は、国内ではカトリックを復活させて新教徒を弾圧するとともに、対外的には1554年にスペインの王子フェリペ(カルロス1世の子)と結婚します。メアリは38歳、フェリペは26歳でした。しかし2年後にフェリペはスペイン王となるために帰国し、その2年後にメアリは病没します。不幸な42年の生涯でした。ちなみに、メアリについては批判的な意見が多いのですが、最近では彼女について肯定的な見方をする人々も出てきているようです。
エリザベスは母アン・ブーリンが処刑された後には、私生児として扱われ、さらにメアリ2世の時代には一時ロンドン塔に幽閉されて、死の恐怖を味わいます。こうした苦しい経験の後に、1558年にメアリの死によって彼女が女王となります。24歳のときでした。しかし、彼女が即位した時のイングランドは、さまざまな対立で引き裂かれていました。とくに宗教対立は抜き差しならない状態にありました。エリザベスは悩み苦しみますが、やがて彼女は一つの決断をします。つまり彼女は、自らがイングランドの神、あるいは国家そのものになることによって、国民(当時はまだ国民などといえるようなものは存在しませんでした)を統合しようとしたのです。これが、この映画のクライマックスです。彼女はある日突然、奇抜な化粧とはでな衣装を身に着けて宮廷に登場します。その姿は人間を超越したもののように思われ、すべての人々が彼女に跪かせるようなものでした。そして、この瞬間に彼女は、女であることも人間であることも止め、国家そのものになったのです。その後の彼女の口癖は、「私はイングランドと結婚しました」です。
「エリザベス:ゴールデン・エイジ」は、その続編です。その後も、エリザベスの苦労は続きます。とくに当時の最強国家スペインとの対立は深刻で、国内にもスペインに内通する人々がたくさんいました。その過程でエリザベスは、イングランド王位を要求するスコットランド女王メアリ・ステュアートを処刑するという、苦渋の決断をします。そしていよいよ、世に名高いアルマダ海戦が始まります。
この映画は、アルマダ海戦の歴史的な背景を知る上で役に立つ映画ですが、内容的には前編の方がはるかによくできていました。この映画には、さらにエリザベスの晩年を描いた続編が制作されるのではないか、という噂もありますが、私としてはもう観たくありません。
エリザベスと同じ時代に生き、やはり宗教動乱の渦中で生きたのが、次の主人公マルゴです。
「王妃マルゴ」 (1994年 フランス)
16世紀後半のフランスは、ユグノー戦争と呼ばれる宗教対立で混乱していました。これは新教徒(ユグノーと呼ばれる)と旧教徒との対立でしたが、事態が容易に収拾できなかったのは、宗教対立に貴族間の対立が絡んでいたからです。さらにアンリ2世の死後、国王が次々と早死にしたことも、混乱に拍車をかけました。
1559年にフランソワ2世が国王となったとき、彼はまだ15歳で、翌年に死亡します。彼はすでにスコットランドのメアリ・ステュアートと結婚していましたが、それはフランソワ12歳、メアリ・ステュアート16歳の時です。つまり、メアリ・ステュアートはフランスの王妃となったのですが、1560年にフランソワ2世が死亡すると、彼女は故郷のスコットランドに帰り、今度はエリザベスに対してイングランドの王位を要求するようになります。
1560年にフランソワ2世の弟シャルル9世が国王となりますが、当時彼は10歳でした。このような状態でしたので、国王たちの母親カトリーヌ・ド・メディシスが政治的な実権を握ることになります。そして、このシャルル9世の時代に、悪名高いサン・バルテルミの虐殺事件が起きます。
ここで、主人公のマルゴ(正式にはマルグリット)が登場します。カトリーヌ・ド・メディシスは新教派と和解するため、新教派の中心人物であるブルボン家のアンリと、彼女の7番目の娘マルゴとの結婚を提唱しました。マルゴは美人でかつ相当教養のある女性だったようで、宮廷の華でもありましたが、かなり自由奔放な生き方をしていたようです。当時彼女には好きな男性がいたようですが、政略結婚を拒否することはできません。かくして1572年に盛大な結婚式が挙げられることになりますが、その6日後にカトリック側の人々が結婚式のために集まったユグノーたちに対する大虐殺を行い、アンリも捕虜となります。これがサン・バルテルミの虐殺事件です。シャルル9世はその2年後に死亡し、シャルル9世の弟アンリ3世が国王となります。この間、1576年に幽閉されていたアンリは脱走に成功します。そして、1589年にアンリ3世が暗殺されると、結局ブルボン家のアンリがアンリ4世として国王となり、ここにブルボン朝が始まります。
その結果、マルゴはブルボン朝の王妃となったわけですが、夫アンリとの関係は冷え切っており、それぞれに愛人がいました。そのため1599年に正式に二人は離婚し、アンリは別の女性と結婚しますが、離婚後もマルゴは友人としてアンリと親しくつきあい、アンリの妻や子供を大変可愛がったと伝えられています。ちなみに、アンリ4世は大変気さくな人物だったようで、今日に至るまで、フランス国民に最も愛された国王と言われています。
マルゴは、宗教改革という動乱の中に身をおきつつ、したたかに、そして自由奔放に生きた女性でした。その意味で、最初に書いた女王フアナとは対照的であり、そのしたたかさにおいては、彼女と同じ時代に生きたエリザベスと似ているかも知れません。なお、この映画は『三銃士(鉄仮面)』で有名なデュマの小説を映画化したもので、これもよくできた映画だと思います。
付録 「娼婦ベロニカ」 (1998年 アメリカ合衆国)
今まで述べてきた3人の女性は、王妃あるいは女王という高貴な生まれの人々でしたが、この映画の主人公は娼婦です。彼女が生きた時代は、マルゴと同じ時代、またシェイクスピアが『ロミオとジュリエット』を発表した時代であり、場所は、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』の舞台となり、文化が爛熟し、退廃期に入っていたヴェネツィアです。
ベロニカは一人の青年貴族に恋をしますが、身分違いのため結婚は許されませんでした。恋人が生きる世界に入り、彼に近づくために唯一可能な道として、彼女は高級娼婦になります。当時の高級娼婦は、教養や技芸を身につけ、貴族や王侯の相手をする女性で、彼女は最高の高級娼婦となり、恋人との思いをとげることにも成功します。しかし、やがて事態は悲劇的で感動的な結末に向かっていきます。
ベロニカは実在の人物で、詩人としても名を知られているそうです。彼女もまた、自我に目覚め、当時の許される範囲内で精一杯生きた女性でした。
大変長く、かつ複雑な話しになってしまいました。この文章は、「つぶやき」というより、これら3本の映画を観て、私自身が内容を整理したくて書いたものです。ただ、非常に複雑であるため、間違っている部分があるかもしれません。
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