2009年にイタリアで制作された映画で、第二次世界大戦中に北イタリアで起きたマルザボットの虐殺事件を描いています。
1939年9月にヒトラーの率いるドイツ軍がポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が勃発します。ヒトラーにとってイタリアのムッソリーニはファシズムの先輩であり、ヒトラーはムッソリーニを尊敬していましたが、ムッソリーニは現実的な政治家であり、ヒトラーの誇大妄想的な理念に不信感を抱いており、当初は戦争に参加しませんでした。しかし1940年6月にドイツがフランスを制圧すると、国王や軍部も参戦支持に転じたため、イタリアはイギリスとフランスに宣戦布告します。さらにイタリアは北アフリカやバルカン半島に戦線を拡大しますが、準備不足と物資の不足のため、たちまち防戦一方となり、ドイツの援助を受けるようになり、イタリアはヒトラーの誇大妄想的な戦略に巻き込まれていきます。
1943年に入って戦況が不利になると、7月に国王などによりムッソリーニは逮捕され、新たに成立したバドリオ政権は連合国と休戦交渉を開始します。9月には、バドリオ政権は連合国に無条件降伏すると同時に、ドイツに宣戦布告、ドイツ軍がイタリアに侵攻してムッソリーニを救出、ムッソリーニによるイタリア社会共和国の建国、これに対するパルチザンの蜂起など、まさにイタリアは混乱の頂点に達していました。映画は、こうした事態を背景とした1943年12月、北イタリアの都市ボローニャ近郊の小さな村マルザボットで、8歳の少女マルティーナを主人公として進行します。
映画は、この8歳の少女の目線で描かれます。彼女は、彼女が日々目にする光景を、日記に次のように描写します。
私の家は農家です。小さな家族ですが、じき弟ができます。素敵な馬に乗る地主さんの土地で働いて、父さんは「作物を納めさせすぎだけど、地主だから」と言います。ときどきドイツ人がものを買いに来ます。言葉は通じません。なぜここに来たのでしょうか。なぜ自分の家で自分の子供たちと一緒に過ごさないのでしょうか。ドイツ人は武器でどこかにいる敵を撃ちます。連合軍と戦っているそうですが、見たことはありません。あと、反乱軍がいます。彼らを追い払うために戦うそうです。反乱軍も武器を持っています。私たちと同じ言葉を話し、服装も同じです。……それからファシストもやって来て、私たちの言葉を話します。怒鳴って、反乱軍は山賊だ、殺せと言います。それで私は皆、人を殺したいのだと知りました。理由は分かりません。
彼女は、以前生後数か月の弟が自分の腕の中で死んでいった経験をしたため、それ以後口がきけなくなっていました。でも母が妊娠し、また新しい弟が生まれることを楽しみにしていました。そして1944年9月、弟が誕生した日に、虐殺事件が起きました。
ところで、パルチザンとは非正規の軍事活動を行なう遊撃隊のことで、国によりゲリラとかレジスタンスとも呼ばれます。正規軍にとって、こうした非正規の遊撃隊は大変厄介です。彼らは正規軍に追われれば、村に逃げ込んで民間人になりすますため、民間人との区別がつかなくなります。そして正規軍が引き上げるとき、パルチザンがどこからともなく攻撃してきます。まさに正規軍にとってパルチザンは恐怖であり、パルチザンは民間人を人間の盾として正規軍と戦っているのです。こうした戦いが続くと正規軍は恐怖にかられ、パルチザンが逃げ込んだ村の人々を虐殺するといった事件がしばしば起きます。アフガニスタンなどでは、今もこうしたことがしばしば起きていることでしょう。
1944年9月にドイツ軍がこの村に侵入して、虐殺を始めました。この村の住民ほとんどすべて、700人以上が虐殺され、マルティーナの両親も殺されました。マルティーナも殺されかけましたが、うんよく弾が外れて生き残り、彼女は生まれたばかりの弟を腕に抱えて脱出に成功します。その時突然、彼女は歌を歌い始めます。つまり弟を取り戻して、声を取り戻したわけです。それは悲惨な虐殺現場における、ただ一つの光明だったといえるでしょう。
映画では、最後に「この戦争で死んでいった多くの民間人に捧げる」というテロップがながされます。