2010年に中国映画で制作された映画で、春秋時代の晋を舞台としています。春秋時代とは、周が東遷した前770年に始まり、東周の大国晋が三つに分裂した前5世紀までのおよそ320年間を指し、「春秋」というのは、この時代の末期に登場した孔子の著書とされる「春秋」に由来します。春秋時代については、このブログでも何度も扱っていますので、そちらも参照して下さい。
復讐の春秋(臥薪嘗胆(がしんしょうたん))
恕の人―孔子伝、孫子≪兵法≫大伝
春秋時代には、周の統治原理である封建制度が弛緩し、諸侯が力を持つようになり、周王の存在は有名無実化し、政治的には無秩序状態になります。それでも一応東周の王は存在し、諸侯は東周の王を奉じて実権を握ります。安易な比較は許されませんが、日本における鎌倉から江戸時代に、武家が天皇を奉じて実権を握りますが、その実権を握った武家の本拠地が、鎌倉だったり、室町だったり、江戸だったりするわけです。春秋時代の晋は、そうした諸侯のうち最も有力な諸侯の一つでした。
晋は、前7世紀後半に強力となって覇者となりますが、前6世紀に楚に敗れて覇権を奪われ、その責任を巡って内紛が勃発します。そして事件は前583年に起きます。それまで宮廷では趙氏が実権を握っていましたが、屠岸賈(とがんか)がクーデタを起こし、趙一族300人を皆殺ししました。ところが、その直後に趙氏の跡継ぎの妻が男子を出産し、その子を医師に託して自らは自害します。ちょうど同じ日に、医師の妻が男子を出産し、いろいろあって、結局医師の妻子は殺され、医師は預かった子を自分の子として育てることになります。映画の前半は、このような嬰児のすり替えがスリリングに描かれています。このすり替え事件は、中国ではよく知られた話だそうです。
後半は、後に趙武と名乗ることになる少年の成長過程が描かれ、やがて成人すると彼の素性が明かされます。彼は趙氏を再興し、屠岸賈を殺し、朝廷でも実権を取り戻します。映画はここで終わりますが、その後、彼は周辺諸国と和睦し、かつての晋の覇権を取り戻し、世に名宰相と称えられます。しかし、彼の後には、晋内部で有力な家系が対立し、結局前403年に晋は三つの国に分裂して滅亡します。
映画で語られた趙武の物語は、司馬遷の『史記』に語られており、中国では大変よく知られた物語で、京劇の演目にもなっているそうです。映画は、大変面白く観ることができたのですが、映画の画面に、いかにも春秋時代と分かるようなものが欲しかったと思います。例えばこの時代の文字である篆書とか、青銅器とか、宗教儀式などです。私などは、この映画の時代が500年後の漢代だと言われて、気が付かなかったでしょう。一方、映画ではしばしば飲食店で食事をする場面がありますが、貨幣経済がほとんど存在しないこの時代に、飲食店などあったのでしょうか。飲食店では、どのようにして支払いをするのでしょうか。
この映画は多分、そうした細かな時代考証を無視して、時代を超えた英雄物語を描いているのだと思います。ただ、この映画の主人公は趙武というより、趙武をわが子とすり替え、趙武を育てた医師だったように思います。映画では彼は,趙武を育て、趙武に一族への復讐をさせることで、殺された妻子への復讐を果たそうとしていたようです。この映画は、時代を超えた人間の情を描いているように思われます。
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