斎藤孝著 2014年 筑摩書房
本書は、世界の14人の人物の自伝をとりあげ、一人の教育者として、自伝を読むことの重要性を訴えています。著者によれば、本は人格であり、そこに著者のメッセージがありとすれば、「自伝」というのは、著者の魂を結晶させた、まさに本の中の本であり、それを読むことこそ読者の醍醐味である、ということです。
本書では、日本や欧米でよく知られた人物だけでなく、高峰秀子「私の渡世日記」、藤子不二雄A「まんが道」、古今亭志ん生「なめくじ艦隊」、石光真人「ある明治の記録-会津人柴五郎の遺書」など、多種多彩な人々の自伝のエッセンスが記されており、大変興味深く読むことができました。ここでは、これらの人々のうち二人のエピソードを紹介します。
高峰秀子は、私にはお嬢様俳優のように見えるのですが、自伝を読むと彼女の役者根性の凄まじさを感じます。彼女が杉村春子の演技に接したときについて次のように述べています。「うめいた。「これこそ演技だ! 私が求めて、見たこともなかった芝居がここにあった。チキショー! 誰だお前は。いったい、どこのどいつなんだ! 」「同じ演技を売るなら、これほどの演技を売らねば俳優ではない」と、私は思った。」こうした向上心の一つ一つが、文化の発展に大きな役割を果たしてきたのでしょう。
柴五郎は会津藩の出身で、その後帝国軍人として、日本国家に大きな貢献をしますが、彼には秘めた思いがありした。教科書的には、明治維新は薩長軍による幕府軍の打倒によって達成され、会津などは抵抗勢力として歴史から抹消されていく運命にありました。しかし、薩長軍が東北地方で行った行為は傍若無人であり、柴は死の直前までその悔しさを胸に秘めていました。「いくたびか筆とれども、胸塞がり涙先立ちて綴るにたえず、むなしく年を過ごして齢すでに八十路を越えたり」「悲運なりし地下の祖母、父母、姉妹の霊前に伏して思慕の情やるかたなく、この一文を献じるは血を吐く思いなり。」