この投稿は、「映画「Tsotsi(ツォツィ)」」を観て(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/tsotsi.html)と「映画でアフリカを観る」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/blog-post_7359.html)の続編です。ここでは、近代のアフリカに関する映画を観ます。
ズールー大戦争
2001年に南アフリカとアメリカで制作された映画で、19世紀に活躍したシャカ・ズールーというズールー人の王を主人公とした映画です。この映画の日本版のタイトルは「ズールー大戦争」ですが、この映画には戦争は僅かしかありません。原題は「シャカ・ズールー」で、この日本語版のタイトルをつけた人は、映画を観ているのでしょうか。
ウイキペディア
この映画を観るためには、二つの前提となる知識が必要です。ズールー人とケープ植民地です。ズールー人というのは、バントゥー語族に属します。バントゥー語族は、現在のナイジェリアあたりで、4000年程前に発祥したと推測されています。彼らは農業と金属加工の技術を発達させ、数千年かけて東方や南方に移動し、先住の狩猟採集民を吸収していきました。この長期に及ぶ民族移動は、人類の歴史の中でもきわめて重要な事件の一つと言えます。東海岸にまで達したバントゥー語族の言葉に、アラビア語の語彙が入り込んでスワヒリ語が生まれ、この地域一帯の共通語となります。また、15世紀から18世紀まで、現在のジンバブエにモノモタパ王国が繁栄させます。そして5世紀頃には、バントゥー語族は現在の南アフリカに到達したと思われます。現在のアフリカに、400以上の民族と3億5千万の人々がバントゥー系に属するとされています。
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バントゥー語族の一つであるズールー人は、14世紀頃には南アフリカに居住していたと思われますが、本格的に歴史に登場するのは19世紀に入ってからです。1816年にシャカがズールー王国を建設し、斬新な軍事技術と統治法により急速に勢力を拡大しました。ただ、国内では恐怖政治を行ったため、1828年に暗殺されました。そしてこの映画は、シャカ王と、当時南アフリカに進出してきたイギリスとの関係を描いています。
一方、1488年にバルトロメウ・ディアスが喜望峰を発見して以来、喜望峰沖はヨーロッパからインドに向かう重要な航路になっており、17世紀の半ばにオランダが寄港地としてケープタウンを建設しました。しかし、18世紀末のフランス革命とナポレオン戦争の際にオランダがフランスに占領されたため、イギリスはインド航路の要衝ケープ植民地を占領し、1815年のウィーン条約で正式にイギリスの領土として認められました。そしてちょうどこの頃、シャカがズールー王国を建国し、急速に勢力を拡大していました。それはイギリスにとって重大な脅威であり、イギリスは和平のためズールー王国に使節を派遣しました。これがこの映画の背景です。
この映画で語られていることが事実かどうかわ分かりませんが、イギリスのフェアウェル大佐がシャカのもとに滞在しており、イギリスとの和平を提案したり、銃器を提供して戦争に協力していました。すでに彼は2年もズールー王国に滞在しており、実は彼はアフリカの大地とシャカに魅せられてしまったようです。そのため、彼の娘が父を捜し出すために、無謀にも一人で旅に出、奴隷船に乗せてもらいます。そして奴隷狩りに捕まったシャカが、この奴隷船に乗せられてきます。こんなことってあるのでしょうか。おそらく創作だと思います。多分ヨーロッパ人の奴隷貿易の非道さ示すために描かれたのだと思います。その後シャカは自力で奴隷船から脱出し、大軍を率いてケープ植民地のはずれにあるキングストン(現在のポートエリザベスの一部)を包囲しますが、結局攻撃せずに帰って行きます。そしてフェアウェル大佐もシャカと行動をともにし、平和は保たれました。
この映画では、シャカは聡明な人物として描かれます。この映画を制作したのは南アフリカであり、南アフリカにとってシャカは英雄ですので、こうした描き方になっているのだと思います。一方で、シャカの残虐な行為も多く伝えられていますが、これもヨーロッパ人が生み出したイメージが含まれていると思われるので、多少割り引いて考える必要があります。私自身がシャカについてほとんど知りませんので、この点について判断のしようがありません。ただシャカは最後に、フェアウェル大佐に、イギリス人が沢山やってきて、やがて「われわれの間に生まれてくる子はどの国の子になるのか」という意味ありげな言葉を残して映画は終わります。
事実、その後白人の数は急速に増え、やがて先住民を圧倒し、アパルトヘイトによって先住民は差別され、さらに後に先住民による国家が成立します。この映画は、その後の南アフリカの激動を予感させるような映画でした。
ズールー戦争/野望の大陸
1979年に制作されたアメリカ・オランダの合作映画で、イギリス軍がズールー軍に敗北したイサンドルワナの戦いを扱っています。この戦いは1879年なので、多分百周年を記念して制作されたものと思われます。なおこの映画の原題は「Zulu Dawn」です。
前の映画で観たシャカ・ズールーの時代には、南アフリカにおけるイギリスの勢力は弱小で、ズールー族と戦うなど、まだ夢物語でした。しかし、しだいにイギリス人の入植者も増え、軍隊も増えると、領土を拡大するようになり、その結果ズールー王国と境を接するようになります。ただ、当時イギリスはアフガニスタンで戦争をしていたため、政府は現地総督にズールー王国との和平を求めていました。そして当時のズールー国王セテワヨも、イギリス領に侵入する意志はなく、和平を求めていました。
ところが現地の高等弁務官フレアが野心家で、色々言いがかりをつけてはセテワヨを刺激し、1879年1月11にチェルムスフォードを総司令官として、本国の許可なしに12000人の軍隊をズールー王国に侵攻させ、これを4万のズールー軍が迎え撃ちます。映画の後半はほとんど戦争の話で、かなり正確に戦争の経過を再現していますので、軍事映画ではないかとさえ思われます。近代的な火器で装備されたイギリス軍は数で劣っていたとはいえ、鑓と楯しかもたないズールー軍に勝利することは可能でした。しかし、本来敵地に侵入する場合、軍隊を分散させるのはタブーですが、イギリス軍は軍隊を3つに分散させ、その内1200人の部隊が1月22日に遮蔽物のない平地であるイサンドルワナに野営しました。これに2万のズールー軍が攻撃を行い、イギリス軍は全滅しました。
映画はここで終わりますが、結局何を言いたいのかよく分からない映画でした。植民地主義を批判しているのは確かで、この映画が制作される少し前にアメリカはヴェトナム戦争で敗北していますので、それへの反省が込められているのかもしれません。大国アメリカは小国ヴェトナムを侮って押しつぶそうとしましたが、結局アメリカはゲリラとの戦いで屈辱的な敗北を喫することになります。ただ、ズールー戦争の場合、まだ続きがあり、結局ズールー王国はイギリスに征服されることになります。
映画の戦争場面はよくできており、兵士の展開や戦闘が丁寧に描かれて、かなり迫力のある映画でした。
ズール戦争
1964年制作のイギリス映画で、前の「ズールー戦争/野望の大陸」でのイサンドルワナの戦いの直後に起こったロルクズ・ドリフトの戦いを扱っています。原題は「ズールー」です。
1979年1月22日にイサンドルワナの戦いでズールー軍がイギリス軍を全滅させると、その勢いで、翌23日に4000人のズールー軍がロルクズ・ドリフトというイギリス軍の小さな要塞を攻撃します。要塞には139名のイギリス兵しかおらず、すでに彼らはイサンドルワナでの「虐殺」の報に接していました。「虐殺」という表現はイギリス側の表現で、一方的にズールー領に侵入したイギリス軍をズールー軍が破っただけのことです。イギリス軍が敵軍を全滅させれば大勝利、イギリス軍が敵軍により全滅させられれば、野蛮な大虐殺ということになるようです。
映画では、前の映画同様、後半はほとんど戦闘場面です。両軍とも死力を尽くして戦い、2日目に入ってイギリス軍は精も根も尽き果てましたが、突如ズールー軍はイギリス軍の勇気を讃えて撤退しました。まだズールー軍が圧倒的に優勢でしたが、あまりにも被害が大きかったことと、イギリスの援軍が近づいていたためだったとされます。そして、何とか耐え抜いたイギリス軍は、到底勝利したという気持ちにはなれませんでした。映画はズールー軍が勇敢に戦ったことを称賛し、彼らを「勇気ある野蛮人」として描くことで、イギリスの偉大さを示そうとしているように思われました。
イサンドルワナとロルクズ・ドリフトでの戦いがズールー戦争の第一幕です。その後両軍は一進一退を繰り返しますが、7月にイギリス軍が王都を攻略し、これによりズールーランドはイギリスの植民地として併合されることになります。
1960年代には、イギリスのヴィクトリア時代の植民地を扱った映画がたくさん制作されました。ここで観た「ズールー戦争(ズールー)」、後で観る「カーツーム」、その他「北京の55日」やクリミア戦争を扱った「遥かなる戦場」などがあります。こうした背景には、この時代がヴィクトリア黄金時代の最盛期の百周年に当たっていたこと、「イギリス病」とまで言われた衰退したイギリスの過去への郷愁、そしてアメリカがかつてのイギリスの繁栄を自己に投影したこと、などがあるのではないでしょうか。これらの映画は、ほとんどパターンが決まっています。世界中に侵略したイギリス軍が敵の大軍に対峙し、絶望的な状況で戦い抜くという、いわば英雄物語です。
しかし、幾らなんでも侵略軍が敵に包囲されて戦ったというだけでは、イギリス側に道理というものがありません。したがって、これらの映画では他国の侵略や暴君から現地人を救出するという大義名分が与えられることになります。このような筋書きは、この時代にアメリカで隆盛した西部劇についても言えることで、要するに野蛮に対する文明の戦いという話です。しかし1970年代になると、もう少し現地人の視点が入るようになります。
ここでは、ズールー王国に関する三本の映画を観ました。知識以外に得るものはあまりありませんでしたが、それぞれの映画が制作された時代に興味を持ちました。ここでは、事件が起こった年代順に映画を配列しましたが、制作の年代は逆です。最後の「ズールー戦争(ズールー)」はイギリスが勝利した戦いで、1960年代のヴィクトリア朝植民地主義への郷愁が残っている映画でした。二番目の「ズールー戦争/野望の大陸」は、イギリスが敗北した戦いで、ヴェトナム戦争敗北への半生が込められているように思われました。最初の「ズールー大戦争(シャカ・ズールー)」は21世紀初頭で、すでに黒人政権が成立しており、シャカ・ズールーを幾分賛美する映画でした。この様に、制作された時代によって、映画の内容が微妙に変化してきています。これらの地域の歴史を客観的に見つめるには、まだ少し時間がかかりそうです。
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