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2020年12月23日水曜日

「江戸・東京の「地形と経済」の仕組み」を読んで

 

鈴木浩三著 2019年 日本実業出版社

 言うまでもなく江戸は、家康が1590年秀吉の命令で江戸に入ってから、本格的な都市づくりが始まります。秀吉存命中はやや遠慮がちに、秀吉死後は大規模に、江戸の改修が行われました。改修は全国の大名に請け負わせたため、江戸には全国から、大名、家臣、職人、労働者が集まり、全国の物資が集まりました。改修はおよそ70年を要しましたので、ヒト・モノ・カネが全国をかけまわる流通システムが形成され、本書はこうした様子が、大変分かりやすく書かれています。

 私自身は東京に住んだことはありませんが、今までに数えきれないほど東京に行き、今まで何気なく見ていた地名などの背景をしり、本書を大変興味深く読むことができました。

 

2020年12月12日土曜日

「東海道・中山道」を読んで

 新田時也編著 2019年 静岡新聞社

東海道と中山道は、江戸時代に、江戸と京・大坂を結ぶ大動脈であり、多くの旅人がこれらの街道を通って東西に移動しました。本書は、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」や安藤広重の浮世絵などを通して、当時の街道の様子を分かりやすく述べています。ただ、私は、東海道に関する本はすでに何冊も読んでおり、私が読みたかったのは中山道についてだったのですが、本書では中山道についてわすがかしか扱われていませんでした。

中山道は、坂道や足元の悪い道が多く、さらに冬は寒いのですが、東海道も大きな河川の河口近くを通るため、これを渡るのがやっかいでした。私は、中山道というのは、今日の中央自動車道に沿った道だと思っていたのですが、日本橋から北上して埼玉に入り、碓氷峠を越えて長野に入り、ここから先はほぼ現在の中央自動車道に沿っています。ただ、中央自動車道は名古屋に向かいますが、中山道は恵那あたりから関ヶ原に向かい、京・大坂に向かいます。なお、当時東海道は、桑名から鈴鹿山脈を越え草津に至っていました(現在の第二名阪)

 中仙道を通った最も大きな行列は、1861年皇和宮の降嫁で、25日間に及ぶ長旅となりました。当初一行は東海道を通る予定でしたが、神奈川宿周辺で異人との小競り合いがあり、中山道を通ることになったのですが、嫁入り道具は東海道を通ることになりました。中山道の行列は空前の長さで、先頭から最後尾の通過まで、4日要した宿もあったそうです。この大規模道中に要した人足は、延べ6070万人だったとされます。

本書には、しばしば興味深いエピソードが述べられており、ここでその一つを紹介します。当時、「上方」が「上」であるので、上方ら江戸に向かうことを「下る」といっていました。特に上方でも「剣菱酒造」の清酒は良質で有名でした。このように良質の清酒は上方から「下る」ものなので、「下り酒」と呼ばれていました。質の悪いもの、粗悪な商品は江戸に下ることもなく、現代では「下らないもの」の語源となっています。


2020年11月4日水曜日

「東海の神々を開く」を読んで

 

森浩一など著 2009年 風媒介社

 本書は、東海の神社に祀られる神々や、東海の考古学的研究を扱った専門書で、私にはほとんど理解できませんので、私が関心のある部分だけをつまみ食いしました。

 日本における神社の数は数えきれないでしょう。私が住む小さな町にも、8か所も神社があります。これら多くの神社で祀られる神々は多様です。一般に多いのは、建国神話に関わる神々で、出雲大社、伊勢神宮、熱田神宮などです。その他に、古代の氏族の伝承に関わる神々が祀られていることが多いようです。また、それ以外に、それぞれの地方に伝わる伝承に関わる神々も祀られます。

 美濃や飛騨に広く伝わる「サエノカミ」という伝承があります。「相手を求めがたいほどの美男と美女の兄妹が、それぞれに、ふさわしい連れ合いを探すために分かれて旅に出た。時を経て、お互いの心に叶う相手を得てむつまじくなったものの、身の上話をするに至り、かつて、別れ別れに旅に出た兄妹であることを知った。そして、道ならぬ夜を過ごしたことをはかなんで命を絶った。」これを哀れんだ村人が、供養のために像を創りました。従って、サエノカミの像は双体像が多いそうです。

 津島神社には、牛頭天王が祀られています(表紙の写真参照)。この神がインドから仏教とともに耐えられたのは間違いないようですが、それがどのようにして人々に受け入れられていったのか分かりませんが、今日厄除けの神として多くの参拝者を集めており、また建国神話スサノウとも結びついているようです。

2020年10月11日日曜日

「図説 神道」を読んで

三橋健著 2013年 河出書房新社

 日本の神話や国家神道は、戦前における天皇制を正統化するために用いられたため戦後は神話や神道に触れることはタブーとされ、私もこれらの分野について無知でした。最近神話については多少勉強しましが、神道については、相変わらず無知のままです。今回、本書を読むにあたっては、私自身に内容を批判する能力がないため、かなり警戒心をもっていたのですが、意外にも素直に本の中に入っていくことができました。

 日本には八百万の神々といわれるほど多くの神々が存在し、我々の身近にも深く関わっています。私は、こうした身近な神々と、それに関わる神道について、驚くほど何も知らないことに唖然とします。これらの神々の多くは自然現象と関わっており、われわれの日常生活と深く関わっています。こうした神々は美しく、日本人の心に深く根差して育まれてきたものですので、これらの神々を知ることは、日本人の文化と心を理解するうえで、大変重要だとおもいます。

 こうした宗教は世界中どこにでも生まれる宗教です。中国の道教、インドのヒンドゥー教、日本の神道などは多神教で、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教は一神教として比較されますが、こうした単純な比較には問題があるようです。とりあえず、私自身としては、日本の美しい神々を愛でたいと思います。


参勤交代について読んで

 久住祐一著 2019年 インターナショナル新書

 本書は、三河吉田藩の目付け役の記録をもとに、江戸時代に行われた大名の参勤交代の実情を再現しています。ただ、私自身としては、参勤交代そのもより、舞台となった三河吉田藩(豊橋)の方に興味があります。豊橋には、以前仕事で毎週のように訪問しており、静かな地方都市として、私が大変好きな町でした。

 今日の愛知県は、古代令制国家の尾張と三河からなり、江戸時代には尾張は尾張徳川家により統一支配されていましたが、三河には、大名領、直轄領、旗本領、寺社領などが多数散在しており、そのうち東海道の三河吉田藩は東海道の要衝をおさえる重要な藩です。この藩は領地替えが多く、5~8万石程度の藩でしたが、名門に与えられることが多く、この藩の領主になることは、幕閣への登竜門とさえ言われていたそうです。18世紀半ばに、ようやく松平家が藩主として定着しますが、第4代藩主の松平信明1788年に老中に任じられて、事実上の最高権力者として幕政を主導しまた。

その後嫡男が後を継ぐことになりますが、嫡男は江戸で過ごしますので、一度お国入りすることになりました。大名の嫡男にとって、故郷は国元ではなく江戸だったのです。ところが藩主が長く幕閣にいましたので、吉田藩は長く参勤交代の経験がありません。ここからが、本書の中心課題となます。他藩から参勤交代のマニュアル・本を借りてきたりして、些細なことに命をかけた奮闘が始まります。参勤交代に関わる儀式は、今日の我々からは笑ってしまうようなくだらないことが多く、それを大の大人が真剣に取り組んでいるのも滑稽です。

しかしこうした儀式を通して、地方文化と中央文化の一体化が進み、まもなく訪れる黒船の到来に対応する柔軟性が形成されたのではないかと思われます。


 2014年に制作された映画で、参勤交代をコミカルに描いています。時代は、8代将軍・徳川吉宗治世下で、陸奥国磐城の小藩・湯長谷藩が諸々の事情から5日で参勤交代を行わねばならなくなりました。参勤交代は、一定の基準を守らねばならず、磐城からだと普通8日かかるそうです。それを5日で達成するために、ある意味馬鹿々々しい努力が滑稽に描かれています。



2020年8月10日月曜日

「図説 台湾の歴史」を読んで

周婉窈(Wanyao Zhou)著 濱島敦俊監訳 2007(2013年増補版) 平凡社
 本書が出版されるまで、台湾には「台湾の歴史」がなかったそうです。台湾は、1945年に日本が敗戦した後、再び中国領となり、1949年に蔣介石が率いる中国国民党が中国共産党との戦いに敗北すると、蒋介石は台湾を制圧して拠点をここに遷し、これを中国の正統政府としました。以後、1975年まで蔣介石の独裁政権が続き、冷戦が終結した1989年に国民党の独裁も廃止され、言論の自由が認められるようになります。この頃の事情については、「台湾映画「非情都市」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_8669.html)を参照して下さい。
 戦後、台湾の「歴史」は、数千年の中国の王朝史と、それに続く欧米・日本の侵略と、国民党の中華民国の歴史として描かれます。アメリカ合衆国の歴史でも、古代ギリシア・ローマの時代から中世・ルネサンス・宗教改革・ピューリタン革命を経てアメリカ合衆国の歴史に入っていきます。このような歴史は、私たち日本人には違和感がありますが、アメリカの場合ヨーロッパ文明の影響が圧倒的ですので(もちろん少数民族は否定できません)、彼らの文明のルーツは古典古代にあるという意識が強いでしょう。しかし台湾には、数百年前から移住してきた中国系の人々がおり、さらにそれよりはるか昔から住んでいる先住民がいます。こうした中へ、突然大陸から蔣介石とその軍隊が台湾を征服し、彼らの歴史を捏造し、それを人々に押し付けたのです。
 ところで、通史とは何なんでしょうか。単純に言えば一国史で、それは政治的枠組みであり、民族的枠組みであり、文化的枠組みであり、地理的枠組みであり、郷土へのアイデンティティだったりします。そして従来からの「台湾の歴史」の場合、地理的枠組みや郷土へのアイデンティティが欠けています。では、一つの地域の通史を学ぶことに意味があるでしょうか。台湾の先住民は、何万年も前からここに住み、言語的にも民族的にも文化的にも中国とは無関係です。しかし、日本の縄文文化が今日の日本人と直接関係かなかったとしても、われわれの郷土の歴史の一部として愛着を持つでしょう。
 従来の台湾の歴史に欠けていたのは、この点なのではないかと思います。先住民も中国系も国民党系も、ともに共感できる台湾の歴史が必要でした。しかし1987年に戒厳令が解除されるまで、そのような歴史を書くことは困難でした。しかし戒厳令が解除されると思想的な自由がみとめられ、1997年に本書の初版が出版されました。本書は台湾で高い評価を受けて版を重ね、2007年には増補版の日本語訳が出版されました。
 私は以前から、台湾の歴史について書いたものを探していましたが、断片的な記述や日本の立場から書かれたものが多く、ようやく本書に巡り合い、目が覚める思いでした。台湾人も本書を好意的に受け止めているとのことですから、台湾もようやく「台湾の歴史」を手に入れたことになり、そして多くの人々が自らを台湾人と呼べる日も近いのではないかと思います。ただ、台湾の場合、個々の時代の研究が非常に遅れているようです。もちろん見方によっては日本の研究も遅れているのかもしれませんが、台湾の場合、政治的な事情からまっとうな研究ができなかったようで、著者自身も今後の研究に期待しています。

 日本統治下での霧社事件、台湾の日本兵、さらに戦後の2.28事件とその後など、台湾では本当に心痛む事件が続きました。こうした事件について、一層研究が進むことを期待します。

2020年8月9日日曜日

「学校では教えてくれない世界史の授業」を読んで

佐藤賢一著 2018年 PHP
 本書のタイトルは、長年世界史を教えてきた者には、聞き捨てならない内容です。筆者が追求するのは「ユニヴァーサル・ヒストリー」だそうです。「ユニバーサル」というのは、一般的には「普遍的」というような意味で用いますが、筆者はこの言葉の語源から「一方向の歴史」と解釈します。ここでいう「一方向」とは、「他の総てを征服して、どこまでも一元的に支配して、自分以外のものを認めない、そのような国や地域の歴史」がユニヴァーサル・ヒストリーの一例となります。もちろん私も、このような歴史を否定するわけではなく、このブログの最初に掲載した「グローバル・ヒストリー」は、一つの方向から歴史を見ようとしているものです。しかし私は何よりも多様性を重視しますので、その後のブログの内容は、ほとんど「グローバル・ヒストリー」の批判と言えるでしょう。本書で示されたような「一方向」の歴史は、ドイツ第三帝国の成立で完結するという論法も可能となります。
 本書は、アレクサンドロスから始まり、ローマ帝国、西洋世界形成、イスラーム世界形成、東方世界(ロシア)と続き、現在の世界は西方世界・東方世界・イスラーム世界からなるというものです。そしてこのユニヴァーサル・ヒストリーには、インドや中国がまったく欠落しています。この点では、前に見たアメリカの世界史教科書と同じです。ただ、アメリカの教科書の違いは、欧米民主主義の勝利で終わっている点です。これについては、「「イスラームから見た世界史」を読んで」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2020/06/blog-post_10.html)を参照して下さい。筆者によれば、インドや中国が除外された理由は、インドは最終的に西方世界に吸収され、中国は世界帝国を目指さなかったからだ、と主張しています。

 もちろん著者は、これ以外の歴史を否定しているわけではないし、内容はシンプルで面白く、生徒は興味をもって読むことができるでしょう。しかし私自身は、こうした単線的な歴史ではなく、歴史の多様性を教えたいと思います。現在教えられている「世界史」が面白くないから、「ユニヴァーサル・ヒストリー」がよいというのは、少し違うような気がします。

「ジョン万次郎」を読んで

中濱武彦 2018年 ロング新書
 著者は万次郎の直系の曽孫です。万次郎は土佐の長浜で生まれ育ったことから、帰国後長濱万次郎と改名し、その姓が著者の姓に受け継がれているわけです。
 万次郎の人生は、幸運だったのか、不運だったのかよく分かりません。1841年に14歳で猟師見習いとして初めて海に出、難破し、死の直前まで追い詰められます。しかし、間一髪アメリカの捕鯨船に救われ、以後万次郎は多くの善意の人に助けられ、高等教育までうけます。彼は、帰国すれば処刑の可能性がありましたが、1851年開国間近の日本に帰国します。そして薩摩の島津斉彬や土佐の山内容堂などの理解を得、さらに江戸に出て、多くの人々に影響を与えます。

 彼の人生は不運の連続でしたが、著者によれば、結局万次郎は決して諦めないという強い心をもって、不運を幸運に代えていったということです。



2020年7月27日月曜日

「自伝を読む」を読んで


斎藤孝著 2014年 筑摩書房
 本書は、世界の14人の人物の自伝をとりあげ、一人の教育者として、自伝を読むことの重要性を訴えています。著者によれば、本は人格であり、そこに著者のメッセージがありとすれば、「自伝」というのは、著者の魂を結晶させた、まさに本の中の本であり、それを読むことこそ読者の醍醐味である、ということです。
 本書では、日本や欧米でよく知られた人物だけでなく、高峰秀子「私の渡世日記」、藤子不二雄A「まんが道」、古今亭志ん生「なめくじ艦隊」、石光真人「ある明治の記録-会津人柴五郎の遺書」など、多種多彩な人々の自伝のエッセンスが記されており、大変興味深く読むことができました。ここでは、これらの人々のうち二人のエピソードを紹介します。  
 高峰秀子は、私にはお嬢様俳優のように見えるのですが、自伝を読むと彼女の役者根性の凄まじさを感じます。彼女が杉村春子の演技に接したときについて次のように述べています。「うめいた。「これこそ演技だ! 私が求めて、見たこともなかった芝居がここにあった。チキショー! 誰だお前は。いったい、どこのどいつなんだ! 」「同じ演技を売るなら、これほどの演技を売らねば俳優ではない」と、私は思った。」こうした向上心の一つ一つが、文化の発展に大きな役割を果たしてきたのでしょう。
 柴五郎は会津藩の出身で、その後帝国軍人として、日本国家に大きな貢献をしますが、彼には秘めた思いがありした。教科書的には、明治維新は薩長軍による幕府軍の打倒によって達成され、会津などは抵抗勢力として歴史から抹消されていく運命にありました。しかし、薩長軍が東北地方で行った行為は傍若無人であり、柴は死の直前までその悔しさを胸に秘めていました。「いくたびか筆とれども、胸塞がり涙先立ちて綴るにたえず、むなしく年を過ごして齢すでに八十路を越えたり」「悲運なりし地下の祖母、父母、姉妹の霊前に伏して思慕の情やるかたなく、この一文を献じるは血を吐く思いなり。」


2020年7月26日日曜日

「ベトナム戦争と私」を読んで


 石川文洋著 2020年、朝日新聞出版
筆者は、長年ベトナム戦争を撮り続けてきた写真家・ジャーナリストで、多分私も過去に、筆者の写真や文章を見たことがあるだろうと思います。私の世代の青春時代はベトナム戦争とともにあり、新聞には毎日「ベトコン」「北爆」「エスカレート」という言葉が躍っていました。
報道という観点から見た場合、ベトナム戦争は稀有な例です。どの国のジャーナリストだろうと、また戦争に批判的なジャーナリストだろうと、アメリカは彼らの取材活動に便宜を払い、自由に取材し報道させました。アメリカは、この戦いが自由と民主主義のための戦いだと信じており、この戦争を世界に知らせたいと思っていました。そのため、この戦争は戦争報道にとって画期的な意味をもっていました。しかし結果的には、多くの報道によりこの戦争の醜さを、世界に拡散することになります。今日でもアメリカは、ジャーナリストによる取材を歓迎していますが、それでもベトナム戦争時代に比べれば、相当制限していると思います。
「拷問を受けたり殺されたりする青年をカメラマンは何故、止めないで撮影していたのか」「傷ついた子を前に嘆く親に向かって、どうして何枚もシャッターが切れるのか」。筆者は、こうした疑問をしばしば投げかけられたそうです。実は、私もそう思っていました。これに対して、筆者はこう答えます。「可哀そうだからこそ、何枚もシャッターを切ったのである。傷ついた子供、親の悲しみ、そしてそのような状況つくりだしたアメリカ政府、村を攻撃した米軍への怒りがシャッターを押させる。もし、被害者たちが嫌がったら続けてシャッターは押せない。撮る方、撮れらる方の間に暗黙の了解があって成立したと思っている。写真には私の気持ちが表れている。」
いずれにしてもヴェトナムは、ジャーナリストやカメラマンにとっても、大きな試練だったのだと思います。

2020年7月25日土曜日

「こうして歴史問題はねつ造される」を読んで


有馬哲夫著、2017年、慎重新書
 「古事記」「日本書記」以来、歴史のねつ造は世の常であり、ねつ造をいかにして正すかは、歴史家の主要な役割の一つです。「歴史=記述された歴史」には当然多くの誤りがあり、歴史家の人となりも歴史書に反映されるでしょうから、絶対的な歴史などありえません。「100人の歴史家がいれば、100の歴史が生まれる」とさえ言われます。ただ、ここで問題となっているのは、意図的にねつ造された歴史としての南京大虐殺と朝鮮の従軍慰安婦問題です。
 著者は、このよう事実がなかったというのではなく、資料を駆使して、これらについての歴史記述がねつ造されていることを証明します。もちろん私には、その証明が正しいかどうかを証明する術がありませんが、概ね筋は通っているように思われます。また著者は、戦後の日本の歴史観を自虐的歴史観と主張します。このことについては、以前から言われており、筆者はこのような歴史観が生まれた背景を説明しています。ただ、自虐的歴史観の中で育ってきた私としては、筆者の主張は理解できるものの、私が学んだ歴史が、それ程間違っているとは思っていません。
 ところで、このような自虐史観を修正しようとする人は、悪意をもって歴史修正主義者と呼ばれ、筆者もしばしばそのように呼ばれるそうです。しかし本書の内容は概ね筋が通っており、筆者がこれをプロパガンダのために書いたとは思えません。むしろこうした研究による誤った歴史の修正は必要であり、納得できる形で全体像が記述されることを願います。ただ、こうした研究は、歴史修正主義者と非難されることよりも、右派の人々によって利用される危険性があります。事実よりもイデオロギーを重視する人々は、どんなことでもプロパガンダに利用する傾向があるからです。

2020年7月24日金曜日

「キューバ現代史」を読んで


 後藤政子著 2016年 明石書店
 キューバ現代史といえば、カストロの歴史そのものであり、彼は本書が出版された2016年に死亡しました。私たちの世代にとってカストロは、毛沢東やホー・チ・ミンなどともに英雄でしたが、彼らの実像が明らかになるにつれ、その英雄像は色あせていきました。そうした中で、カストロは半世紀以上カリスマ性を維持した稀有な例のように思われます。
 カストロについての評価は大きく分かれます。カストロを英雄視し崇拝する人々から、カストロを嫌悪し激しく非難する人まで多様で、両極端の人々の多くは政治的立場に左右されていると思います。本書は、客観的にカストロを描いていますが、それでも幾分カストロに好意的に描いているように思われます。この点については私も同様ですが、私の場合はたいした根拠はなく、青春時代の感覚を引きずっているだけです。
 キューバは、アメリカの裏庭とまでいわれたカリブ海の小国であり、アメリカによって厳しい経済制裁を受け続けながら、なお生き延びているということは、驚くべきことのように思われます。キューバにとっての保護者ともいうべきソ連の崩壊は厳しい試練でした。しかしキューバは中国と接近することで、苦境を乗り切ります。アメリカにとって、アメリカの独壇場ともいうべき中南米に中国が入り込むことは不愉快でしたが、多極化する世界情勢には逆らえず、オバマ大統領の時、アメリカはキューバと国交を回復します。こうしてキューバに新しい時代が訪れるかに思われ、また同時に貧富の差の拡大が深刻な問題となることが予想され、本書はここで終わっています。しかしトランプ大統領は、再びキューバに厳しい態度をとるようになります。オバマ大統領による国交回復は英断でしたが、アメリカ国民にはキューバに対する根強い反感がありますので、今後アメリカとキューバの関係がどのようになるのか、私には予測できません。


2020年7月23日木曜日

「哀しみのダルフール」を読んで


ハリマ・バシール&ダミアン・ルイス著 2008年、真喜志順子訳、PHP研究所、2010年。ハリマ・バシールというスーダンの女性がジェノサイトに遭遇してイギリスに亡命し、そこでダミアン・ルイスという高名な作家・映画監督の協力を得て、本書を執筆しました。したがって本書に書かれている非道な出来事は、すべて事実です。










 「スーダン」とは、アラビア語で「黒い人」を意味し、アフリカ北部を支配するアラブ人から見て、南の「黒い人」といった意味で、広い意味ではアフリカ東部から西部を指していたようですが、ここで問題となるのはエジプト南部のスーダンです。この地域では、アラブ系イスラーム教徒、非アラブ系イスラーム教徒、イスラーム教徒でもアラブ語を使用しない人々、伝統宗教を維持する人々などが混在していました。問題の発端は、19世紀末にヨーロッパ列強がアフリカ大陸を分割し、彼らの都合で境界線を引き、結果的にその多くが今日の国境となったため、一つの地域に複数の民族が混在したり、一つの民族が複数の国に分断されるという事態は、アフリカでは恒常的です。その結果、ある民族が他の民族を絶滅させるというジェノサイトが起きますが、これについては、このブログの「映画でアフリカを観る ルワンダの涙」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_7359.html)を参照して下さい。
 この物語の主人公ハリマは、1979年にダルフールで非アラブ系として生まれ、大変気が強く、また頭がよく、町の学校に通い、やがて大学の医学部に入って医師となります。彼女が語るダルフールの農村での生活や学校生活についての記述は、大変興味深いものですが、すでにこの時代には子供たちの間にさえ、アラブ系と非アラブ系の対立が随所に見られました。そして2003年にアラブ系の民兵組織が大規模な殺戮を開始し、2010年までの間に40万人が虐殺され、250万人が難民となったとされます。この間の彼女の生活は惨めで厳しいものでした。レイプされ、拷問され、お尋ね者となってチャドの難民キャンプに逃げ込み、さらにイギリスに渡ってマスコミにダルフールの実情を語ります。
  罪なき人々が死んでいく。食べる物も飲む物もない人々。家を失い、路上で、草むらの中で暮らす人々。砂漠で道に迷い、飢えと渇きによって、戦争の犠牲となって死んでいく。なぜ? 彼らが何をしたというのだろう? 何もしていないではないか。誰もがもっているはずの人間愛に思いをいたすべきだ。もしあなたが、彼らと同じ目に遭ったら、それを受け入れられるだろうか? もしあなたの家族が同じ目に遭ったら、それを受け入れられるだろうか?
  イスラーム社会はどこにあるのか? アラブ世界はどこにあるのか? 世界中の人々はどこにいるのか? イスラーム教徒が何の理由もなく、同じイスラーム教徒をどうして殺せるのか。これは神が禁じられたことだ。神は言われた。「正当な理由と権利無くして、命を奪ってはならない。」だが彼らは、権利も、正当な理由もなく、命を奪っている。
  ダルフールは世界から分離されていない。スーダンは世界から孤立してはいない。だが人々は、このような犯罪を止めさせる力があるのに、ただ、立ちすくんで眺めていただけだ。状況を政治的に捉えるべきでない。なぜなら犠牲となっているのは、罪なき人たちだからである。彼らは何も悪いことをしていないのに殺されているのだ。彼らが何をしたのか? 
  わたしは自分がそれをくぐり抜けた生存者の一人、生き延びた人々の一人だと思った。そして世界にメッセージを送るために、罪なき人なき人々が死んでいることを世界中に知らせるために、神は私を選ばれたのだろう。世界は彼らを守り、助けの手をさしのべてくれるかもしれない。


2020年7月22日水曜日

「地質学者ナウマン伝」を読んで


矢島道子著、朝日新聞出版、2019
 明治政府は、西欧の学問を学ぶため、日本人を欧米に留学させるとともに、欧米人をお雇い学者として、日本に招聘しました。ナウマンはドイツの地質学者で、1875年(明治8年)に日本についた時、彼はまた二十歳でした。彼を含むドイツ人お雇い学者の宿舎は、加賀屋敷におかれましたが、この加賀屋敷の遺物としては、今日の東京大学の赤門が有名です。










 日本における彼の最大の功績の一つは、東北日本と西南日本の境目となる地帯中央地溝帯(フォッサマグナ)を発見したことで、富士山をこの上もなく愛したナウマンが、富士山をさまざまな角度から観察する過程でこの地溝帯を発見したとされます。これを含めて、彼の研究は日本の地質学の発展に決定的な影響を及ぼしました。ただ、ナウマンについて広く知られているのは、彼の命名によるナウマン象です。横須賀や浜松などで発見された象の化石が、日本の固有種であるとして、大変話題になりました。
 ナウマンは、日本の地質学の発展に大いに寄与したことは間違いありませんが、それにも関わらず彼の功績は日本ではあまり語られません。本書よれば、その原因の一つは、森鴎外によるナウマン批判にあるそうです。当時ドイツに留学していた森鴎外は、たまたま帰国していたナウマンが日本を侮辱するようなことを言ったとして批判しました。ナウマンの真意がどこにあったのか知りませんが、森鴎外は日本を代表する文豪ですので、日本ではナウマンに対する批判的な世論が生まれたとのことです。
 本書で説明されている地質学についての説明はよく分かりませんでしたが、明治のお雇い学者やナウマンについて、詳しく知ることができました。

2020年7月21日火曜日

「青年渋沢栄一の欧州体験」を読んで

泉三郎著、2011年、祥伝社
渋沢栄一の業績はあまりに多岐にわたり、何を主要な業績といってよいのか分かりませんが、銀行の設立や多数の株式会社の設立などの業績から、2024年から彼の肖像が1万円札に使用されることになっています。かれについては、このブログの「映画で明治を観て 獅子の時代」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2016/08/blog-post_20.html)を参照して下さい。本書には渋沢栄一の洋行時代が詳しく述べられています。
渋沢栄一は、豪農とはいえ農民身分に生まれます。彼は幼い時から優秀で、文武に優れ、当時の身分制度の矛盾に憤り、尊王攘夷と討幕を唱えるようになります。やがて彼の有能さから一橋家で登用され、武士の身分が与えられます。一橋公慶喜は聡明な人物で、若い栄一のそうした態度を、面白がっていたようです。ところが問題が起きました。慶喜が将軍になってしまい、栄一からすれば慶喜が討幕の対象となってしまったのです。こうした事態に悶々としていた栄一に、助け船が出されました。幕府は1867年のパリ万国博覧会に参加することになっていましたが、渋沢も随員としてこれに同行することが許されたのです。
本書は、渋沢の欧州体験を中心に述べています。渋沢は、欧州のあらゆることに感心を抱き、あらゆることを貪欲に学びましたが、特に関心を抱いたのは、単なる知識ではなく、欧州の社会の特色でした。もともと渋沢は幕府を頂点とする身分制度に対する批判から、尊王攘夷を唱えるようになりました。ところが欧州に行くと、日本では商人が武士と交渉する際土下座しますが、欧州では商人も政治家も対等に話をします。その違いは何か。彼はこの相違を生み出すものの一つが株式会社だと考えます。彼が帰国するころには、尊王攘夷の思想は、跡形もなく消え去っていました。
大きな夢をもって渋沢は帰国しますが、帰国した時幕府は消滅し、慶喜は蟄居の身にありました。渋沢は幕臣でしたから、逮捕・投獄の危険があり、密かに帰国し、恩義ある慶喜のもとで働いていました。しかし彼の有能さは広く知れ渡っており、明治政府から招かれ、拒否した場合には慶喜を罰すると脅されて、新政府のもとで働くことになります。そこでも彼は有能さを発揮しますが、かれはもともと政治より民業に関心が強く、以後1931年に92歳で逝去するまで、500以上の企業を設立したとされますが、三菱や三井のように決して財閥を形成することはありませんでした。また渋沢は、社会貢献活動にも熱心で、何度もノーベル平和賞の候補にもなっています。

このような渋沢を生み出したのが、洋行の経験だったことは、間違いありません。洋行が渋沢のすべてを変えてしまいました。

2020年7月20日月曜日

「ヴェネツィアと水」を読んで

ピエロ・ベヴィラックワ著 1995年 北村暁夫訳 2008年 岩波書店
ヴェネツィアに関る本は、私も過去に多数読み、ヴェネツィアと水との関係についてもよく知っているつもりですが、本書はヴェネツィアと水との関係だけを論じています。ヴェネツィアは河川から流れ出す土砂が海に堆積し、そこに島が生まれ、そこに人が住み、都市になっていきました。ヴェネツィアは、高潮や嵐により何度も水害に見舞われますが、優れた政治システムにより、水を克服し、ヴェネツィアに繁栄をもたらしました。
海水との戦いについては、いままでにも繰り返し論じられてきました。これらに対して本書の新しい点は、川の水の影響について述べていることです。河口から流れ出る土砂は海を埋め、やがてヴェネツィアを生み出しましたが、その後も絶え間なく流れ出る土砂はヴェネツィアを陸地と繋ぎ、今やヴェネツィアは島ではなくなる可能性が出てきました。もともとヴェネツィアを生み出した人々は、陸での動乱を避けるために逃げてきた人々で、地続きなれば防衛上の問題が発生します。さらに、土砂の堆積は海流の流れを悪くし、ラグーンの生態系を破壊し、不衛生となり、疫病が発生します。これを解消するためにヴェネツィアが採った方法は、河川の河口の位置を大きくずらせることでした。これは大変な工事でしたが、このようにしてヴェネツィアは海だけでなく川の水とも戦いながら存続してきたのです。

しかし19世紀後半になるとヴェネツィアはイタリアに併合され、イタリアの一都市となったため、ヴェネツィアの存在感が低下し、かつてのように水との戦いのため大規模な工事を行うことが困難となってきました。また20世紀には陸地の海岸地帯に工場が立ち並び、環境破壊が深刻となってきました。さらに温暖化により、海水面が上昇し、ヴェネツィアは水没の危機にあります。筆者は、このヴェネツィアの状態は世界への警告である同時に、これにヴェネツィアがどう対処するかが、今後の世界の教訓となるだろう、と述べています。

2020年7月19日日曜日

「大英帝国は大食らい」を読んで


リジー・コリンガム著 2017年 松本裕訳 河出書房出版 2019
 大英帝国が及ぼした影響については、今までに何冊もの本を紹介してきました。そして今回は、大英帝国と「食」についてです。世界にはさまざまな食文化が存在し、例えば中国内部だけでも、多様な食文化が存在するでしょう。そしてイギリスは、全世界に進出する過程で、多くの食文化を融合し、新しい食材、新しい料理を生み出しました。彼らは行く先々で食料を調達せねばなりませんが、見たこともないような食材や調理方法を学び、時には彼ら独自の調理方法を生み出します。さらにそれらの食材をまったく別の地域にもたらし、その地域独自の食材と組み合わせた料理が生み出されます。こうした行為は、初期には単に食料を調達するための手段でしかありませんでしたが、それらの食材や調理方法が、時には洗練されてコース料理に取り入れられ、テーブルの上に様々な地域の料理が並ぶことになります。すでに18世紀には、イギリスの貧しい労働者さえ、中国の茶にカリブ海の砂糖を入れて飲んでいました。本書では、こうして生まれてきた様々な料理のレシピが多数に記載されており、大変興味深い内容です。
 しかし、本書が本当に言いたいことは、イギリス人の「食」を求める行動の帝国主義的な意味です。食料を効率的に得るため、イギリス人は、大量の人間を移動させたり、動物や植物を地球的な規模で移動させたりしました。最悪なのは、伝統的に自給自足していた地域に単一の商品作物の栽培を強制したことです。これにより、自給自足体制が崩れて飢餓が発生し、食料を外国から輸入せねばならなくなります。イギリス人により商品作物が輸出され、食料が輸入される、商品作物を栽培せねば食料を買うこともできません。今や第三世界の人々の胃袋はイギリスの手に握られていることになります。アフリカのある政治指導者は次のように言いました。「帝国主義がどこにあるのか分からないというのか?……目の前の皿を見てみろ」と。

2020年7月18日土曜日

「倭人伝を読み直す」を読んで

森浩一著 2010年 ちくま新書
 中国では、前漢の司馬遷の「史記」以来、歴代の王朝で「正史」が編纂されました。「正史」の多くは国家によって編纂されたものですが、司馬遷や陳寿のように個人で編纂されたものが、後に正史となる場合もあります。「倭人伝」は、3世紀末に陳寿が編纂した「三国志」のうちの「魏志」のうちの「東夷伝」のうちの「倭人伝」のことです。中国の「正史」は、単に王朝史だけではなく、列伝や地誌や周辺の国々についても述べています。中国周辺の古代については、自らの文字資料が残されていないため、多くの知識を中国の資料に依存しており、まさに中国は東アジアの記録係ともいえます。なお、陳寿の「三国志」は名著として知られ、明代にこれを基に「三国志演義」という長編小説が書かれ、これが我々が映画などで観る「三国志」です。
 当然日本の古代史についても、われわれは中国の記録に依存しており、中でも邪馬台国や卑弥呼が登場する「三国志魏志倭人伝」が最もよく知られています。戦前の古代史研究は、「古事記」「日本書紀」に依存しており、「魏志倭人伝」は無視されていました。しかし戦後には、「古事記」「日本書紀」が否定され、代わりに「魏志倭人伝」が肯定されて、邪馬台国論争などが活発となりました。戦後の日本の古代史研究は、「魏志倭人伝」が出発点だったといえるかもしれません。とはいえ、「魏志倭人伝」の解釈を巡っては、我が国の考古学的発掘などと照らして議論百出で、最近では「魏志倭人伝」に否定的な見解もあり、さらに「古事記」「日本書紀」の見直しの動きもあります。
 本書は、「魏志倭人伝」の重要性を認めたうえで、もっと幅広い観点から見直すことを主張していますが、私には多少難しすぎました。


2020年7月17日金曜日

「数学の大統一に挑む」を読んで

エドワード・フレンケル著 2013年 青木薫訳 文藝春秋 2015
 著者は、旧ソ連で生まれ、数学に卓越した能力を発揮しましたが、ソ連では数学で職をえることは困難でした。しかし幸運にも彼の論文がアメリカのハーバード大学の教授の目に留まり、彼はハーバード大学に客員教授として招かれました。当時ソ連ではペレストロイカが進められ、ソ連人が外国に出国しやすくなっていたため、彼はアメリカに渡ることができました。1989年、21歳のときです。
 著者が目指したのは数学の諸分野や量子物理学の大統一で、その萌芽は前に述べた天才数学者ガロアに認めることができます。著者にとって数学は芸術のように美しく、これ程素晴らしいものを、数学を苦手だと思い込んでいる人にも理解してもらいたいと考え、本書を執筆しました。筆者はこの上もなく数学を愛し、本書の原題は「愛と数学」でしたが、訳者がこのタイトルでは本屋が本書を置く棚を間違えるのではないかと心配して、上記のタイトルにしたそうです。
  おそらく、より重要なのは、分からないことがあっても気にしなくていいということだ。わたし自身、数学をやっているときの90%は、そう思ってやっている。お仲間というわけだ!そういう分からない感じこそ、数学者であることの本質的な部分なのだ。しかし、悪いことばかりではない。何もかもが容易に理解できてしまう世界なんて、つまらないじゃないか!数学をやることの面白さは、その混乱を克服し、理解し、謎を覆い隠しているヴェールを少しばかり引き上げたいという、われわれ自身の燃えるような情熱にある。そしてそれができたとき、すべての苦しみは報われる。
 大変励まされる言葉ですが、それでも私にはほとんど理解できませんでした。それは本書のせいというよりは、すでに私自身に、400ページを超える大著を精読する気力がなくなっているからだと思われます。
 「数学者」については、過去にこのブログで触れていますので、参照して下さい。
「「大数学者」を読んで」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)
「「ガロア 天才数学者の生涯」を読んで」
 また、数学に親しみをもたせるため、彼は「愛の数式」という映画まで制作しました。それは構成において三島由紀夫の「憂国」に強い影響を受けたそうですが、この映画は日本で観ることができないようです。なお、「憂国」は、三島由紀夫原作・監督・主演の短編映画で、三島の死後夫人の要望ですべてのフィルムが破棄したそうですが、フランスでは海賊版が出回ってといるそうです。しかし最近三島家でフィルムの原本が発見され、DVD化されているそうです。

2020年7月16日木曜日

「ドゴールを」を読んで

エリック・ルーセル著 2008年 山口俊明・山口俊宏訳 祥伝社 
 ドゴールはフランスの軍人・政治家で、第二次世界大戦中にロンドンに亡命政府を樹立してドイツと対抗し、ドイツ敗北後、ドゴールは救国の英雄としてフランスに凱旋します。戦後彼は第五共和制を樹立し、大統領として超大国米ソに媚びない外交政策を推進しました。ドゴールについて、私は伝記を読むのは初めてですが、いろいろな本で繰り返し読んでおり、本書に書かれている内容については、大筋ですでに知っている内容でした。それでも、本書はドゴールの活動を生き生きと描いており、大変面白く読むことができました。
 ところで、第二次世界大戦前頃から各地で独裁者が出現するようになりました。ドイツのヒトラー、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチル、フランスのドゴールなどです。もちろんチャーチルやドゴールを独裁者と呼ぶことには異論があると思いますが、私には彼らに共通する側面が見られるように思うのです。彼らは、命令一つで何万人もの将兵を戦場に送り、死に追いやることができるのです。つまり彼らには共感する心が欠けているように思うのです。それを指導力と呼ぶなら、ヒトラーやスターリンの行動も卓越した指導力によるものと、言えるのではないでしょうか。
 少なくとも私には、そのような命令を下すことがではません。