はじめに
ホメロスの叙事詩に関する三本の映画を紹介したいと思います。ただその前に、ホメロスと彼が吟唱したトロイア戦争についてふれておく必要があります。結論から先に言えば、どちらについても、歴史的に証明されていることは、非常に少ないということです。
ホメロスは、8世紀末頃ころのギリシアで「イーリアス」「オデュッセイア」を吟遊した盲目の詩人です。しかし、まずホメロスの実在そのものが証明できないし、「盲目」というのは、当時の詩人のステイタス・シンボルのようなものなので、これもはっきりしません。また上記二大叙事詩をホメロスが創作したかどうかも分かりません。多分、長い年月の間に様々な詩人によって造られてきたものを、ホメロスが集大成したのだろうと考えられます。なお、上記二大叙事詩は朗誦されたものであり、これらが文字化されるのは、前7世紀から前6世紀ですので、この文字化の過程でも、変更が加えられたと思われます。こうした問題があるとしても、ここでは一応、二大叙事詩は8世紀末頃にホメロスによって創作されたということにしておきましょう。
次に、トロイア(当時はイリオスと呼ばれていました)という都市は存在したのか、トロイア戦争は実際に行われたのか、行われたとすれば、それは何時かという問題です。トロイアの存在は19世紀末のシュリーマンの発掘によって確認されました。しかし、これが「イーリアス」の舞台となったトロイアかどうかは、確定されていません。そもそもトロイア戦争なるものはあったかのか。ウイキペディアによれば、トロイア戦争は「紀元前1700年から紀元前1200年頃にかけて、小アジア一帯が繰り返し侵略をうけた出来事を核として形成されたであろう神話である」とされています。ただ、紀元前1250年頃に大規模な戦争があったとされており、一般にはこれがトロイア戦争ということになっているようですが、これも基本的には仮説の上に成り立った推測です。
この戦争が起こったとされる時代は、ミュケナイ時代の末期にあたります。ミュケナイ文明はギリシアのミュケナイを中心に発展した高度な文明ですが、その文明がオリエントの強い影響を受けていたことは間違いありません。ミュケナイから見れば、オリエントは富と文明の象徴であり、ミュケナイが憧れのオリエントに侵略しようとしたことは在り得ることで、トロイア戦争もそうした戦争の一環だったと思われます。
ところが、トロイア戦争が終わってまもなく、紀元前1200年頃、東地中海一帯が大混乱に陥ります。一般に「紀元前1200年のカタルシス(破局)」と呼ばれているものです。このカタルシスが何故起き、どの様なものだったかについては、意見が多すぎて紹介し切れません。また、これをきっかけに「暗黒時代」と呼ばれる時代が数百年つづきますが、その実態もよく分かりません。この時代が本当に「暗黒時代」だったのかについても異論があり、むしろこの時代について何も知らない我々が「暗黒」なのではないか、とさえ言われています。
いずれにせよ、紀元前8世紀にギリシアの各地にポリスが形成され、ミュケナイ文明とは異なる「ギリシア文明」が形成されてきます。このギリシア文明の形成の出発点となったのが、ホメロスの二編の叙事詩です。そこで、この叙事詩の内容を、映画を通じてみていきたいと思います。
トロイのヘレン
2003年に制作されたアメリカのテレビ・ドラマです。ホメロスの「イーリアス」は、10年に及ぶトロイア戦争の最後の年を扱っているだけですが、このドラマは戦争の原因から始まって、経過と結末を時代順に描いているため、内容的に分かりやすいと思います。ドラマでは、スパルタの王女ヘレネー(ヘレン)とトロイアの王子パリスとの運命的な恋、トロイアの姫カッサンドラーの予言、ミュケナイの王アガメムノーンの野心などが描かれます。
パリスはトロイアの第二王子として生まれますが、彼の姉で予知能力があるとされるカッサンドラーが、この子はやがてトロイアを滅ぼすと予言したため、彼は山に捨てられて山羊飼いとして育てられます。彼は成長すると三人の女神から、三人の内最も美しいのは誰か選ぶよう求められます。一人の女神は自分を選べば富を、もう一人は王座を、そしてもう一人は世界一の美女を与えると約束し、彼は美女をもらうことを選びました。それがヘレネーです。やがてパリスの身分が明らかとなり、王宮に戻り、使節としてスパルタに派遣され、そこでヘレネーと出会います。
一方、ヘレネーはスパルタの王女として生まれ、絶世の美女だったそうです。彼女への求婚者がギリシア中から集まったため、婚約者を籤で選ぶことになりました。その際、外れた者が怨みを持たないように、誰が選ばれても、その男が困難な状況に陥った場合には、全員がその男を助ける、という約束をします。そしてアガメムノーンの弟メネラーオスが選ばれ、彼がヘレネーと結婚してスパルタ王となります。そこへパリスがやってきて、ヘレネーは彼に一目ぼれし、そのままトロイアへ逃亡します。ヘレネーがトロイアに現れた時、カッサンドラーは再びトロイアの滅亡を予言します。こうしたことから、カッサンドラーという名前は、今日でも「不吉・破局」といった意味で使われるそうです。
いずれにしても、ここで「全員が助ける」という約束が果たされることになります。ヘレネーを取り戻すため、アガメムノーンを総大将として、総勢10万、1168隻の大艦隊がトロイアに向かうことになります。この遠征には、エーゲ海の覇権を握ろうとするアガメムノーンの野心があったとされ、オデュッセウスやアキレウスは参加したくなかったのですが、結局断りきれず参加することになります。いよいよ出発の準備が整いましたが、逆風が吹き続け、なかなか出帆できません。ところがアガメムノーンの娘を生贄にすれば風向きが変わるというお告げを受け、アガメムノーンは苦悩の末、娘を生贄とします。これに怨みを抱いた妻は、戦後、帰国したアガムノーンを殺害することになります。
この戦いは10年を要し、神々もそれぞれの側について対立します。そして10年目が訪れる分けですが、これは次の映画で述べたいと思います。
この映画で語られていることは、欧米の人ならほとんどが知っている内容だと思います。ただ、誰に焦点を当てるかで、それぞれの性格付けが異なってきます。映画では、ヘレネーは野性的で天真爛漫な少女として描かれますが、やがて運命に翻弄されて悲劇の女性へと変わっていきます。パリスは、自分のせいで戦争が起きた割には、平然としています。アガメムノーンは、傲慢で非情、所有欲の強い男として描かれます。また、アキレウスは、なんとスキンヘッドの凶暴な男として描かれていました。全体に、一貫性も深みもない映画でしたが、内容を整理するには役立つ映画でした。
トロイ
2004年にアメリカで制作された映画です。この映画は、トロイア戦争についての若干の前史が描かれますが、後はホメロスの「イーリアス」と同様、戦争が始まって10年目におけるアガメムノーンとアキレウスとの対立が中心となって描かれます。ただ、この映画は、ホメロスの「イーリアス」とはかなり異なっており、「イーリアス」を題材とした創作ものというべきです。
アキレウスの母は海の女神テティスとされ、彼女は息子を不死の体にするために冥府を流れる川の水に息子を浸しましたが、そのとき、テティスの手はアキレウスのかかとを掴んでいたためにそこだけは水に浸からず、かかとのみは不死身となりませんでした。これが後にアキレス腱と呼ばれるものです。ギリシア神話には、アキレスのように女神から生まれた者、神が人間の女に生ませた者が沢山おり、それは神話と現実の世界との境界が不明朗だった時代であるとともに、私などには不倫の結果生まれた子についての言い訳のように思えます。
アガメムノーンとアキレウスが対立するようになった事情はかなり複雑ですが、結論だけ言えば、アガメムノーンがアキレウスが戦利品として得た女性ブリセイスを奪い取ろうとしたからです。怒ったアキレウスは戦線から離脱してしまい、戦争はギリシア側が不利となります。そうした中で、パリスとメネラーオスとの一騎打ちも行われますが、決着がつきません。映画では、この時メネラーオスがトロイアの第一王子ヘクトールに殺されますが、「イーリアス」ではメネラーオスは生きてトロイアを去ります。
戦争はギリシアが劣勢となりますが、ここでアキレウスが再び戦闘に参加します。理由は、彼が可愛がっていた甥が戦闘中にヘクトールに殺されたからです。アキレウスはヘクトールに決戦を挑み、ヘクトールを倒して彼の遺体を戦車で引きずりまわします。しかしアキレウスはヘクトールの父の懇請で遺体をトロイアに帰し、「イーリアス」はヘクトールの盛大な火葬の儀式の中で終わります。それは後継者の死んだトロイアの滅亡を象徴する事件でした。
その後アキレウスはパリスの放った矢によって踵を射抜かれて死亡し、パリスもまた戦闘中に死にます。こうした中で、ギリシア軍で最も聡明なオデュッセウスが一計を案じます。つまり「トロイアの木馬」の経略です。ギリシア軍を一旦撤退させ、その後に巨大な木馬を残し、中に何人かのギリシア兵が隠れ、夜中に木馬から出て、トロイアを内側から滅ぼすというものです。今日でも、内通者や巧妙に相手を陥れる罠を指して「トロイの木馬」と呼ぶことがあり、インターネットのウィルスにも「トロイの木馬」というのがあります。映画ではこの時の戦闘でアキレウスが死ぬことになっています。作戦は成功し、トロイアは炎上し、男たちは殺され、女たちは奴隷とされました。それはミュケナイ文明の終焉を予告するような光景でした。
勝利したギリシアの男たちの運命も過酷でした。アガメムノーンは、映画ではヘレネーに殺されますが、「イーリアス」では帰国後妻に暗殺され、オデュッセウスは10年も海を漂流します。ただ、ヘレネーとメネラーオスは寄りを戻し、帰国して静かに暮らしたとのことです。結局この戦争は何だったのでしようか。この戦争後100年もたたないうちにミュケナイは廃墟となります。トロイア戦争は、ミュケナイ文明滅亡過程の一環だったのかもしれません。
この映画は、英雄アキレウスとアガメムノーンに奪われた人質の女性ブリセイスとの愛を描いたもので、結局二人とも死んでしまいます。したがって、この映画はホメロスの「イーリアス」とはかなり内容が異なるため、この映画に対する評価はあまり高くありませんでしたが、「イーリアス」をよく知る欧米人はともかく、ほとんど基礎知識のない私にとっては、些細な相違はどうでもよいことで、映画そのものは面白く観ることができました。
その後形成されるギリシア文明は、ホメロスの二大叙事詩から流れ出したといっても言い過ぎではありません。事実、紀元前5世紀頃多くの悲劇が創作されますが、その多くがこれら叙事詩から題材を得ています。したがって、ヨーロッパ文明の源流も、この二大叙事詩にあると言えるでしょう。
オデュッセイア/魔の海の大航海
1997年にアメリカで制作されたテレビ映画です。ホメロスの「イーリアス」の続編にあたり、オデュッセウスの苦難の帰国の旅を描いています。「イーリアス」においては、アガメムノーンは冷酷な野心家、アキレウスはずば抜けた戦士として描かれますが、オデュッセウスは言わば智将として描かれます。木馬を考案したのも、オデュッセウスでした。こうして10年の歳月を経ていよいよ帰国するわけですが、その帰国に10年の歳月を要することになります。
ここでも、事の起こりは神でした。オデュッセウスは、ゼウスに次いで力のある海の神ポセイドンを怒らせてしまったのです。理由は、トロイアの勝利に対して、オデュッセウスがポセイドンに感謝しなかったからだというのです。オデュッセウスは、各地の海を放浪し、多くの困難に遭遇し、それを知恵と勇気で切り抜けます。そこでは、さまざまな神々が登場し、ギリシア神話に関心のある人には興味深いと思いますが、私は少し退屈しました。
一方、オデュッセウスの故郷でも大変でした。彼の故郷はイタカーという島で、今日ギリシア西方に同名の島がありますが、これが彼の島であったかどうかは、はっきりしていないようです。彼はこの国の王であり、子供が生れた直後にトロイアに出陣して以来、20年間不在だった分けです。オデュッセウスはすでに死んだものと思われ、多くの男たちが彼の王位と財産を狙って彼の妻ペネローペに求婚し、彼女もしだいに断りきれなくなっていました。そうした絶望的な状況の中で、オデュッセウスが帰国し、求婚者たちを倒して、ハッピーエンドとなります。
「オデュッセイア」という一大叙事詩が、人々に何を伝えようとしているのか、私にはよく分かりません。ただ私に伝わったのは、一つは当時の海上航行の危険性です。地中海は一見静かな内海のように見えますが、冬の疾風が吹く季節には、風向きは激しく変化し、予想もつかない逆波や横波が生じるため、この時期の航海は困難です。また、多くの神々が人間に関わってきますが、オデュッセウスはそれを神の意志だからと諦めることなく、敢然と立ち向かいました。そもそも彼はポセイドンの意志に逆らって船出し、さまざまな苦難に遭遇しますが、彼はそれらを理性と勇気によって克服していきます。紀元前13世紀のオデュッセウスの時代には、まだ人間と神々の境界は不明確でしたが、紀元前8世紀頃のホメロスの時代には、人間は神々を尊敬しつつも、しだいに人間の意志や理性の果たす役割が大きくなっていきます。そしてこの叙事詩の作者と見做されるホメロスは、紀元前8世紀の人ですから、当然叙事詩には彼が生きた時代が繁栄されていたはずです。トロイア戦争からホメロスの時代までの空白の時代に、一体何が起きたのでしょうか。