カルロ・M・チポッラ著(1985年) 柴野均訳 白水社(1990年)
本書は、イタリア中部にあるトスカナ大公国における、17世紀における疫病対策のための公衆衛生局を扱ったものです。本書は四つの論文から構成されており、本書のタイトルは、この四つの論文の内の最初の論文のタイトルです。
栄養状態の悪化が疫病を蔓延させることは確かですが、病原菌が存在しなければ疫病は発生しません。14世紀のペストの流行は、海外からのペスト菌の流入によるものですが、17世紀になると、そのペストや天然痘やチフスなども、すでに風土病と化しており、各地で断続的にこれらの病気が流行していました。そしてこの病原菌を蔓延させるのは、極度の衛生状態の悪さです。排水施設が存在しなかったため、糞尿は家の中に蓄積され、道路や川に捨てられます。糞尿を回収する業者が存在しましたが、人々は彼らに金を払うのを嫌がって、相変わらず外に捨てられていました。
当時は疫病の感染の原因が分かっていませんでしたので、悪い空気が感染させると考えられており、衛生状態を改善することと、患者を隔離することが唯一の予防法でした。トスカナの中心都市フィレンツェでは、すでに15世紀に公衆衛生局が設立されており、彼らは疫病が流行すると、獅子奮迅の働きをするとともに、膨大な資料を残しました。本書は、これらの資料をもとに、疫病対策だけでなく、当時の人々の生活を再現しており、大変興味深い内容でした。
ペスト菌を媒介するノミを保菌するのはネズミであり、したがって冬になるとペストは沈静化します。これに対してチフスを媒介とするシラミは冬に活動するため、チフスは冬に多く発生します。本書は、1616年から1622年にかけて、フィレンツェを襲った飢饉と経済危機と深刻な失業と疫病を描いています。何しろ敵の姿が見えない疫病に対し、何をなすべきかがほとんど分かっておらず、今日から見れば、かえって事態を悪化させるような方法も採用されました。しかし、細菌学が確立するには、まだ300年近くかかるわけですから、やむを得ないことだと思います。
本書が面白いのは、時々余談に逸れ、その余談が意外に面白いのです。例えば、「工業化以前の社会の低い生産力を考えれば、分配すべきパイは惨めなほど小さく、多数の人間を締め出すことによってのみ限られた数のエリートが繁栄を享受できたということである。両者のコントラストは確かに激しく、その時代において社会正義の理想をもつ者は不快感を覚えたことであろう。だがその者にしても、もし小さなパイが均等に切り分けられていたならば決して生み出されなかったであろう素晴らしい芸術作品の前に、陶酔するのである。」要するに歴史を学ぶに当たっては、感傷的に非難したり賞讃したりすべきではない、ということなのでしょう。
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