2018年10月27日土曜日

映画「オスマン帝国外伝」を観て

2011年から2014年までトルコで放映されたテレビドラマ・シリーズで、第1シーズンから第4シーズンまであり、私が観たのは第1シーズン(48話)のみです。このドラマは大変に評判が高く、80か国以上で翻訳・放映されたそうです。何しろ、オスマン帝国の全盛期を築いたスレイマン大帝についてのドラマをトルコが制作したわけですから、私も大変注目してこのドラマを見ました。何しろ、スレイマン1世は「壮麗王」と呼ばれ、この映画の原題は「壮麗なる世紀」です。
ところが、観ているうちに、このドラマはハレムでの女の戦いであることが判明し、邦題を見ると「外伝」となっており、サブタイトルが「愛と欲望のハレム」となっていました。今回は、邦題の方が内容を正しく伝えていました。私は、目を皿のようにして観ていたのですが、第7話あたりから飛ばして見るようになり、その内1を話10分で通過、最後の方では1話5分で見てしまいました。それでも話の内容はちゃんと繋がっていましたので、いかにだらだらしたドラマだったか、想像がつくかと思います。
なお、このドラマは映画見放題のhuluで見ましたが、結局この映画だけを見て、無料お試し期間中に終わってしまいました。
 ドラマでは政治上の問題はあまり出てきませんが、それでも一応オスマン帝国とスレイマン1世についての概略を述べておきたいと思います。北アジアや内陸アジアで活動していた遊牧騎馬民族であるトルコ人は、長い時間をかけてイスラーム世界に進出し、13世紀の末にアナトリア半島で台頭した勢力が、やがてオスマン帝国を樹立します。オスマン帝国は15世紀に、一千年以上にわたって繁栄してきたコンスタンティノープルを占領し、これをイスタンブルと改名して帝国の都とします。オスマン帝国は、16世紀のスレイマン1世の時代に全盛期を迎え、その後ゆっくりと衰退の道をたどって、1922年に消滅します。このトルコ人の歴史については、「テュルクを知るための61章」も参照して下さい。私が観たドラマの第一シリーズが扱っている時代は、スレイマンの46年間の治世の内、彼が即位した1520年から1525年までで、この間に彼はハンガリーに侵攻してヨーロッパを恐怖に陥れ、さらにロードス島を占領して地中海に進出しました。
 舞台は、イスタンブルのボスフォラス海峡に面する位置に建てられたトプカプ宮殿です。トプカプ宮殿はオスマン帝国によるコンスタンティノープル占領後建設され、スレイマン1世がいたころには、完成されてから半世紀ほどしかたっていませんでした。この宮殿は三方を海に囲まれた岬の先端に建てられ、壮大な建築物はありませんが、広大な土地に多くの庭園が造営され、多くの建築物が建設されました。この宮殿は、もともと「新しい宮殿」と呼ばれていましたが、19世紀の半ばに皇帝が宮殿を去ってから、「トプカプ宮殿」と呼ばれるようになりました。この名称は、この岬にあった「大砲の門(トプカプ)」に由来するそうです。なお、今日この宮殿は一般に開放され、600年間に集められた至宝が展示されています。そしてハレムも、この宮殿内にあります。

ハレムとは、「性的倫理の逸脱を未然に保護するためには男女は節理ある隔離を行わなければならない」という性倫理に基づくそうで、こうした倫理は他の世界でもしばしば見られます。儒学なども、そうした傾向をもっています。ただアッバース朝やオスマン帝国のように規模の大きな帝国の宮廷では、規模の大きなハレムが置かれますが、それは日本の江戸時代の大奥や中国の後宮と同じようなものです。決してハレムを擁護するわけではありませんが、上の写真にあるような淫靡な世界としてのハレムは、19世紀のヨーロッパ人の妄想が生み出したものです。今日では、東洋についての事実と異なったこのような空想は「オリエンタリズム」と呼ばれ、厳しく批判されています。しかし、ハレムについてのこうしたイメージは、今日でも広く浸透していることも事実です。
ハレムを含めて宮廷には、帝国の内外から多くの人が集まっています。しかし、そこでは民族や宗教や言語の違いは問題にはなりません。映画ではスルタンの眼はブルーに見えましたが、ハレムにはヨーロッパ出身の女性も多数おり、金髪のスルタンがいたとしても、何の不思議もないでしょう。またハレムにはキリスト教やユダヤ教など「異教徒」の女性もたくさんいましたが、改宗は強制されませんでした。また、帝国内には多様な言語を話す人々がいますが、統治機構内では、本来のトルコ語に多くのペルシア語やアラビア語の語彙が入り込んだオスマン語ともいうべき言語が共通語として存在しており、これが広大な帝国と多様な人々が入り混じる宮廷の統一に大きな役割を果たしていました。中国の広大な帝国には多くの民族や言語が存在しましたが、漢字という共通の文字が中華帝国の維持に大きな役割を果たしたのと同じだと思います。
スレイマン1世は、1520年に26歳でスルタンに即位します。オスマン帝国では珍しく、後継者を巡る血みどろの争いなしに、彼は平和的にオスマン帝国の独裁者となり、その帝国は、すでに彼の祖先たちにより三大陸にまたがる大帝国に発展していました。そして彼が即位する前年の1519年に、ハプスブルク家のカールが、神聖ローマ皇帝カール5世として即位し、オスマン帝国の拡大に抵抗します。カール5世は、内部で宗教改革に苦しめられていたこともあって、スレイマン1世には押され気味でしたが、それでも何とか耐えることができたのは、彼がスペイン国王として新大陸の富を手に入れたからです。新しい時代が始まりつつありました。新大陸からの富はスペインをインフレに陥れましたが、同じくオスマン帝国もインフレに陥れ、それが帝国の財政難を引き起こしたのです。

スレイマン1世は、早くも1521年に、彼の祖先たちが果たせなかったハンガリーの征服に乗り出します。ハンガリーはハプスブルク家の保護下にあるため、スレイマン1世による侵攻はカール5世への挑戦でした。1522年にはロドス島を征服して東地中海の制海権を確保し、1525年にはエジプトで起きていた反乱を制圧して、帝国の支配を固めます。そして、この第1シリーズの48回分が扱っているのはここまでで、後はハレムでの女の闘争が描かれています。さしずめ大奥物語です。なお、スレイマンというのは旧約聖書のソロモンのトルコ語であり、彼の側近イブラヒムというのはアブラハムのことです。旧約聖書はユダヤ教の聖典であるだけでなく、キリスト教・イスラーム教の聖典でもあることが、よく分かります。
 さて、ドラマはウクライナのある村が奴隷狩りの集団に襲われたところから始まります。この時、ギリシア正教の司祭の娘だったアレクサンドラは捕らえられ、奴隷としてオスマン帝国の宮廷に売られ、ハレムに入れられます。はじめ彼女は反抗的でしたが、やがてここから出ることは不可能であること、スルタンの寵愛を受け、子を産めば宮殿を支配できることを知ります。まず、自らイスラーム教に改宗し、名前をトルコ風にヒュッレムと改め、ライバルを次々と蹴落とし、スルタンの子を産み、壮絶な女の戦いを開始します。そのため彼女は「ロシアの魔女(ロクセラーナ)」とも呼ばれました。彼女については、当時からヨーロッパでも有名で、彼女の行動についてはゴシップネタとして噂されました。
 結局彼女は六人の子供を産みました。オスマン帝国では、ハレムの女性は一人子供を産むと身を引く慣例があったようですが、彼女は異例でした。さらに美人の女性をハレムから追放して事実上一夫一婦制にし、さらに奴隷身分から解放されてスルタンの生活区域で生活しましたので、事実上正夫人でした。彼女について、あるイタリア人は次のようにかたったそうです。「スレイマンのロクゼラナに寄せる愛情と信頼の深さは、すべての臣民があきれかえるほどで、スレイマンは魔法にかかったとさえ言われている」(ウイキペディア)。結局、1558年に彼女が死にますが、後継者を巡る血みどろの戦いと宮廷で母后が実権をにぎるという悪しき慣習が残ることになりました。
 この間スレイマン1世は、ウィーンを包囲し、プレヴェザの海戦に勝利して地中海の制海権を掌握し、さらに東方での支配も確立し、国内体制も整備しました。宿敵カール5世は、1556年に引退し、もはやスレイマン1世に対抗できる勢力はありませんでした。しかし、時代は地中海から大西洋の時代に移りつつあり、それがオスマン帝国を空洞化させていくことになります。そしてスレイマン1世は1566年、死去します。

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