2014年1月10日金曜日

クルド人の映画を観て

 最近注目されているイランのクルド人監督バフマン・ゴバディの映画「わが故郷の歌」  (2002年 イラン)と、「亀も空を飛ぶ」(2004年 イラン・イラク)を観ました。
私はクルド人について何も知りません。私の本箱にクルド人に関する本はありません。百科事典やウィキペディアで調べると、最近のことについてはかなり詳しく書かれていますが、古い時代については、ほとんど記述がありません。
 
クルド人はトルコ・イラン・イラクなどに分布し、その人口は2500万から3000万人とされ、国家をもたない世界最大の民族集団です。クルド人の起源は、今から3000年以上前に遡り、隣のイラン人と同じ言語系統に属するようですが、それでもクルド語という独自の言語を持つ民族集団です。長い歴史の中で自らは一度も国家形成を行ったことがなく、ペルシア人・アラブ人・トルコ人などさまざまな巨大帝国の支配下に置かれてきました。普通こういう場合、他の巨大な支配民族に同化され、民族集団として消滅していくことが多いのですが、クルド人は今日に至るまで民族集団として生き残っています。彼らの居住地域=クルディスタンの北にはアゼルバイジャン人・アルメニア人・グルジア人などの民族集団が存在しますが、現在、彼らは一応国家を形成しています。
 
第一次世界大戦後に、ヨーロッパ諸国の都合によりトルコ・イラク・イランなどといった国の国境の線引きが行われ、その結果クルディスタンはそれぞれの国に分割され、それぞれの国で少数民族となってしまいました。それでも、クルド人の間では、統一的なクルド人国家を作るという運動が高まることは少なかったようですが、それぞれの国で少数民族として自治あるいは分離独立を求めるという運動が高まりました。そのため、それぞれの国でクルド人は迫害され、それに対するテロによる応酬といった悪循環が繰り返されています。

「わが故郷の歌」

 1980年に国境問題を原因として始まったイラン・イラク戦争(1988)では、イラクのサダム・フセイン政権は、国内のクルド人がイランと提携するのを恐れて、化学兵器を用いてクルド人の大量殺戮を行いました。これが「わが故郷の歌」の背景となっています。
クルド人の間で高名な老歌手ミザレは、イラク側にいる元妻ハナレから助けを求める手紙を受け取ります。元妻も歌手で、宗教色の強いイラン政府が、女性が人前で歌を歌うことを禁じため、イラクに別の男と駆け落ちしたのです。ミザレは元妻に裏切られたわけですが、ミザレは歌を歌えなくなったハナレの心を理解しており、二人の息子を連れて国境に向かいます。二人の息子にとってハナレは母親ではないので、彼らは行くのを嫌がったのですが、無理やり連れて行きます。ここから3人の珍道中が始まります。クルディスタンの乾いた大地で砂埃にまみれながら、大声で話し、怒鳴りあい、歌を歌い、さらに強盗に身ぐるみ剥がされます。まるでやじきた道中です。
 イラクの国境を越えると、様相は一変します。一面が雪で覆われた山岳地帯で、上空にはしばしばイラクの爆撃機が通過し、あちこちで村や町が廃墟となっています。イラクの化学兵器で殺された何千人もの遺体の前で女たちが泣き叫び、難民キャンプは両親を失った子供たちで溢れています。それでも子供たちは元気一杯に歌います。
 一人ぼっちの痛みを知った僕らさ
 僕らは自分の家も見たことない
 運は真っ黒さ ホクロのように
 でも気にしない 一輪の花さえあれば
 希望がもてるから
 
この暗い歌詞を、実に陽気なリズムで歌います。ミザレの2人の息子も歌手で、この光景を見て、嫌っていたハナレの歌を歌います。
 美しいハナレ 石榴の花のよう
 美しいハナレ 君をさらいたい
 山賊になって バーネの道の所で
 
息子たちも、この光景を前にして、父の心を理解したのでしょう。そして、彼らの歌を聞いて、難民たちの顔に笑顔がこぼれました。
 やがてミザレはハナレが住むキャンプにたどりつきますが、ハナレはミザレに合うことを拒否します。化学兵器で声がつぶれ、歌を歌えなくなってしまったからです。そして、彼女はミザレに自分の幼い娘を託します。きっと彼女は、子供に歌を教えてやって欲しいと、ミザレに伝えたかったに違いありません。

「亀も空を飛ぶ」


 イラン・イラク戦争に続いて、1991年アメリカ軍のイラク空爆により湾岸戦争が始まり、さらに2003年にイラク戦争が勃発します。そしてこの映画の舞台は、イラク戦争でアメリカ軍がイラクに進駐する直前のクルディスタン北部です。
 
相次ぐ戦争で、クルディスタンは疲弊していました。ある村で子供たちが、地雷を掘り出して売り、それを生活の糧にしていました。中には地雷で片足を失った少年もいましたが、元気に走り回っています。これらの子供たちをリードしていた少年は、アメリカ軍がフセインを倒し、この村を解放してくれれば、すべてが良くなると信じていました。彼は生き生きとしていました。この限りにおいて、子供たちは不幸な運命を背負って、たくましく生きている、という物語です。
ところが、この村を訪れた難民の兄妹と幼児がいます。彼らは自分たちの過去を決して語りませんでした。兄は両手がありませんでしたが(化学兵器による奇形だと思われます)、幼児を一生懸命育てていました。彼は口を使って器用に地雷を掘り出すことができ、また不思議な予知能力がありました。一方、妹は、多分1415歳くらいだと思われますが、決して微笑むことがありませんでした。幼児は、12歳くらいだと思われ、目が見えません。リーダーの少年はこの少女に淡い恋をしますが、まったく相手にされません。
 
しかし兄妹のことがしだいに明らかとなります。家族をイラク兵に殺され、少女は何人ものイラク兵に乱暴されました。幼児は彼女の弟ではなく、子供だったのです。しかも、父親は家族を殺したイラク兵でしたが、誰かは分かりませんでした。少女は子供に愛情を抱けず、子供を捨てようと何度も兄に言いますが、兄は受け入れません。結局、幼児は沼で溺れ死に、少女は断崖から飛び降りて死んでしまいます。それを知ったリーダーの少年の目は、空ろとなります。その眼前を、待ちに待ったアメリカ軍が通過していきますが、それも今となっては空しいことです。
 
「亀も空を飛ぶ」というタイトルは、どういう意味でしょうか。亀が甲羅を背負っているように、人も宿命を背負っています。そして亀が空を飛ぶなら、亀のように宿命を背負った無力な人間でも、新たに飛び立つことができる、という意味なのでしょうか。あるいは、「ありえないこともある」という意味なのでしょうか。その場合、「ありえないこと」とは何でしょうか。「ありえない」ような不幸という意味でしょうか、それとも「ありえない」ような奇跡が起きるという意味でしょうか。また、両手のない兄は足を使って巧みに泳ぐことができますが、その姿は亀が泳ぐ姿に似ており、少女は死を望んで空を舞う(自殺する)、という意味でしょうか。おそらく、それらすべてのことが、このタイトルに込められているのだと思います。
 
いずれにしても、この映画は衝撃的でした。また、クルディスタンに対する監督の深い愛情が感じられました。



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