2019年12月28日土曜日

映画「独裁者と小さな孫」を観て


2014年公開のジョージア・イギリス・フランス・ドイツの合作映画で、原題はThe Presidentです。映画の内容は、ある独裁国家でクーデタが起き、逃げ遅れた独裁者と小さな孫が逃げ惑うという物語で、特定の国が念頭に置かれているわけではありません。
当然、登場する独裁者も特定の国の独裁者ではなく、独裁者一般です。独裁者については、すでにチャップリンが映画「独裁者」で描いたように(「映画でヒトラーを観て」https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/02/blog-post_24.html)、「自分勝手で、残酷で、滑稽なまでに自己陶酔的」です。映画の一場面で、5歳の孫の目の前で、町全体の電気を自分の命令で付けたり消したりして、自分の力を誇示する幼稚さ、そしてそのことがいかなる結果を生むかを理解できない想像力の欠如。
 孫とともに変装して逃げる独裁者、その過程で独裁者に対する民衆の恨みの声を至る所で聞こえます。独裁者は、自分がいかに恨まれているかを今さらながらに知りますが、だからといって後悔しているだけではなく、この危機を脱すればまた復権できると信じています。民衆の中にも、独裁者への復讐を叫ぶ者もいれば、復讐の連鎖を恐れる人もいます。そして結局、最悪の事態へと進行していきます。













アラブ騒乱におけるアラブ諸国の情勢

  抗議運動・暴動などによる政権の打倒
  持続する抗議運動・暴動による政府の変革
  比較的小規模な抗議運動による政府の変革
  武装反乱・事実上の内戦状態
  大規模な抗議運動(上記該当国除く)
  小規模な抗議運動(上記該当国除く)
  アラブ世界以外への抗議運動の広がり
 *ウイキペディア

始まりは、チュニジアで起きたアラブの春でした。若者の失業率が高く、政府に対する不満が高まり、若者たちがSNSを通して連絡し合い、大規模な反政府デモに発展しました。この運動は、たちまちアラブ各国に波及し、後に「アラブの春」と呼ばれるようになりました。この一連の騒動で、一部に長期独裁政権が倒されることもありましたが、結局独裁政権が復活したり、内乱が勃発したりして、今なおこの混乱から抜け出せない地域が多数あります。

映画は、こうした時代に倒された独裁者と孫の逃避行を描いており、長期間の独裁政治の傷跡がいかに深く、人々の恨みがいかに深いかを描いています。しかし、それにもかかわらず解決策が見出せません。欧米的な民主主義が絶対なのか、イスラーム原理主義が正しいのか、あるいは事前の策として独裁政治しかないのか。それとも、まったく異なる道があるのか。今のところ、解答を見出すことができません。

2019年12月25日水曜日

「グアム・チャモロの歴史と文化」」を読んで


中山京子・ロナルドT.ラガニャ著、2010年、明石書店
グアムは日本人にとって最も身近な海外観光地の一つですが、私を含めて意外に知られていないことが沢山あります。まず第二次世界大戦中に、日本の真珠湾攻撃と同じ日にグアム攻撃が行われ、日本軍によって占領されました。以後日本軍はこの島を大宮島と呼んだそうです。また、島の3分の1は軍用地で、まさにグアムはアメリカ軍の基地の島です。沖縄から、アメリカ軍の一部がグアムに移転することになっているため、軍事基地としての性格はますます強まるでしょう。
 グアムには、紀元前3千年頃から東南アジアから人々が移住し、これがグアムの先住民となります。そして1617世紀にヨーロッパ人が進出しますが、このあたりの経緯については、太平洋の島々は似たようなものです。グアムの場合、19世紀末に最終的にアメリカ領となり、一時日本軍に占領されますが、その後再びアメリカ領となります。日本軍の占領時代に、日本軍は先住民に日本語を強制し、アメリカ軍が復帰した後は英語が強制されました。そのため先住民であるチャモロのアイデンティティが失われそうになりますが、今日チャモロ文化の復興と継承に努力が注がれているそうです。おしゃれなホテルが林立する今日のグアムからは、想像もできないことです。
 本書は、それ程深い内容の本ではありませんが、グアムの本当の姿を我々に教えてくれます。ただ、もう少しカラフルな写真あるとよかったと思います。













2019年12月21日土曜日

オーストラリア映画「ライオン」を観て

2016年のオーストラリア・アメリカ・イギリス合作の映画で、サルー・ブライアリー原作のノンフィクション本『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』を映画化したものです。キャッチコピーは、「迷った距離1万キロ、探した時間25年、道案内はGoogle Earth」です。









インド中部のカンドワという小さな町に、5歳のサルーは母や兄妹と暮らしていました。貧しい暮らしでしたが、それでも家族で幸福に暮らしていました。たまたまサルーは駅に停車していた列車に乗り込んで遊んでいたところ、突然列車が動き始め、23日かけて東部のカルカッタ(コルタカ)まで行ってしまいます。1600キロも移動したわけです。カルカッタは人口2000万人の大都会であり、彼はたちまちストリート・チルドレンとなり、やがてボランティア団体に保護されます。インドでは、毎年8万人もの子供が行方不明になるそうでいすが、一部はこうしたボランティア団体に保護されます。そしてストリート・チルドレンを養子にしようという国際的なボランティア組織が存在し、この組織を通してサルーはオーストラリアのタスマニア島に養子として送られることになりました。
 オーストラリアについては、このブログの「「オーストラリア歴史物語」を読んで」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/11/blog-post_14.html)と「映画でオーストラリアを観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/10/blog-post_31.html)を参照して下さい。オーストラリアは移民の国であり、人口が少ないことから、移民を奨励してきましたが、白豪主義をとり、イギリスの孤児を強制的に連れてきたり、先住民の白人化を進めるといったおぞましい手段が採用されました。そして今日では、ストリート・チルドレンを積極的に受け入れたりしているようです。もちろん、ストリート・チルドレンを受け入れることは人道にかなったことかもしれませんが、たまたま道に迷ったインドの子を、はるばるオーストラリアまで連れていくことには、何か釈然としないものがあります。かつてオーストラリアが、イギリスから孤児を連れてきたのと、大差ないように思われます。
 サルーは、新しい両親のものとで、何不自由なく幸せに暮らします。しかし20年を過ぎたころから、少年時代の記憶が断片的によみがえり、精神的に不安定になります。そこで彼は、当時普及し始めたグーグル・アースを使って、自分の出身地を探そうとします。何しろヒントは、カルカッタより列車で23日の位置というだけですので、いくらグーグル・アースでも限界があります。しかし彼は記憶をたどり、衛星写真を使って記憶のある場所を探し、ついに故郷をつきとめます。2012年、ついに母と妹に再開し、さらに彼の育ての親とも合わせ、ハッピー・エンドとなります。最後に、サルーは自分の名前を間違って覚えていました。彼の本当の名はシェルウで、意味はライオンです。

 

2019年12月18日水曜日

「物語ナイジェリアの歴史」を読んで















島田周平著、2019年、岩波新書、岩波新書の「物語……の歴史」シリーズの一つで、私もこのシリーズをずいぶん沢山読みました。また、アフリカ史に関する本を読むのは、本当に久しぶりです。ただ、各国別歴史が意味を失う中で、とりわけ人工的に生み出されたアフリカの各国史を学ぶ意味があるのでしょうか。とはいえ、今あるアフリカの国々が消えてしまうわけではではないので、将来の発展を期待して、歴史を学んでおくことは必要かもしれません。














 

 ナイジェリアという国名の起源は、ニジェール川に由来し、ナイジェリアの国章のYの字は、ニジェール川とベヌエ川の合流を示しているそうで、ナイジェリアはまさにニジェール川の国なのです。ニジェール川流域では、古くから高度な文明と経済が発展しますが、やがて19世紀末にはヨーロッパにより分割され、ナイジェリアはイギリスの植民地となり、よく言えば開発が、悪く言えば収奪が行われました。1960年に独立が認められますが、イギリスの利権や影響は残り、凄まじい内戦と独裁政権という、アフリカの新興国では珍しくないパターンを繰り替えしました。
 本書の著者は、ナイジェリアの農業研究のため長期間ナイジェリアに滞在し、ナイジェリアを愛し、ナイジェリアについての紹介に努力しています。ナイジェリアの前史の紹介は大変参考になりますし、またイスラーム過激派として知られるボコ・ハラムがどのように形成されたかについては大変興味深く読むことができました。ボコ・ハラムには単純に過激派と切り捨ててしまえない歴史的背景があるようです。

 一方、ナイジェリアは石油資源が豊富で、アフリカで経済大国になりつつあるそうで、「アフリカの巨人」とも呼ばれているそうですが、そのことがナイジェリアに幸運をもたらすのかどうか、私には分かりません。

2019年12月15日日曜日

映画「ソ満国境 15歳の夏」を観て















2015年に日本で制作された、文部省選定、少年向き映画で、田原和夫の同名の著書を映画化したしたものです。DVDジャケットの写真には2種類あり、左側は満州からの逃避行を行った15歳の少年たちを中心としており、右側は中国に取材に行った15歳の少年たちを中心としています。
 ことの起こりは、19455月に満州在住の中学生に、関東軍が食料確保のためと称して、ソ連との国境近くに少年開拓団を派遣しました。やがてソ連軍が侵入し、少年たちは必至で逃走します。日本の敗戦は明らかだったにも関わらず、なぜ関東軍はこの時期に少年開拓団を国境付近に派遣したのでしょうか。映画によれば、関東軍を撤退させるためのカムフラージュだったそうで、だとすれば少年たちはまさに帝国主義の犠牲者でした。関東軍の上層部とその家族は、さっさと逃亡し、列車も停止し、彼らは置き去りにされたのです。こうしたことは、決して彼らだけのことではなく、多くの人が満州に置き去りにされ、辛酸をなめることになります。少年たちは幸運にも、中国の村人に助けられ、国に帰ることができました。村人たちが少年たちは助けたのは、民族の違いとか過去のいきさつなどは関係なく、ただ困っている人々を助けたということでした。
 2011年東日本大震災が起き、津波と原子力発電所の事故が起きました。震災から1年後、発電所の近くに住んでいた人々は仮設住宅に住み、不自由で不安な生活を送っていました。中学では、未だに作業員たちが放射能の除染作業を続けていました。そんな中、中学の放送部員たちに、中国のある村の村長から手紙が届き、かつて満州から逃げてきた少年たちの物語を取材するよう招待していました。彼らは中国の村に行き、少年たちの苦労を知り、彼らに手を差し伸べた村人たちの心を知り、そしてこの村長が村に残った日本人少年の一人だったことを知ります。福島に帰った中学生たちは、そこでもう一つの事実を知ります。ボランティアで除染作業を行っていたお年寄りたちの中に、かつて満州から逃げかえった中学生たちがいたということです。

 全体として、何となく学芸会を観ているようで、満州からの逃避行と原発事故を結び付けるには無理があるように思いましたが、帝国主義と原発事故というという不条理のもとで苦しんできた人々がおり、苦しんでいる人々がいれば、手を差し伸べよう、というのがこの映画のテーマのようです。

2019年12月11日水曜日

「インド・イスラーム王朝の物語とその建築物」を読んで

宮原辰夫著 2016年 春風社
 10世末にイスラーム勢力がインドに侵入し、やがてデリーを中心にいくつもの王朝が続き、16世紀ムガル帝国が成立してインド・イスラーム文明が集大成されます。このインド・イスラーム文明を理解するためには、中世インド、特にデリー・スルタン朝時代を理解する必要があり、過去に何度もこの時代に関する本を読んだのですが、この本も含めて、未だによく理解できません。中国の五胡十六国や五代十国時代もそうですが、短命な王朝の政治的推移は、社会との変化の中で捉えることが難しく、上滑りの事実関係しか頭に入らず、すぐに忘れてしまいます。
 ただ本書は建築物をテーマの一つとしており、他の本とは少し趣が異なります。インドは多様です。仏教やヒンドゥー教やイスラーム教の建築物が並び、説明がなければ、とうてい我々の頭では整理しきれません。イスラーム教徒は異教徒の寺院や像を破壊しますが、それでも多くの建造物が残っており、破壊された建造物の材料を使って新たなイスラーム建築を建設しますので、当然異教徒の技術が残ります。有名なアショーカ王の鉄柱が、なぜデリーのイスラーム教のモスクのそばにあるのか。世界で最も高いミナレットとして知られるクトゥブ・ミナールはどのような事情で建設されたのか。こうした問題は、大変興味深い問題です。

 ただ、できればもう少し多くのカラフルな写真が掲載されていると、もっとよかったと思います。

2019年12月7日土曜日

映画「プラハのモーツァルト」を視て

2017年のチェコ・イギリスによる合作映画で、タイトルの通りプラハでのモーツァルトを描いています。モーツァルトについては、このブログの「映画でヨーロッパの音楽家を見て アマデウス」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2016/03/blog-post_26.html)を参照して下さい。
音楽家は、従来職人として王侯貴族に雇われて仕事をするのですが、ベートーヴェンの頃にははっきりと音楽家は自立するようになります。そしてモーツァルトも、少しずつ自立して仕事をするようになりますが、生計を維持していくのは容易ではなく、観客を集められる人気のある作品を書く必要がありました。そこで1786年にモーツァルトは、フランスの劇作家ボーマルシェの「フィガロの結婚」をオペラ化してウィーンで上演しますが、貴族を痛烈に批判していたため不評でした。ところが、このオペラはボヘミア(チェコ)のプラハでは大変好評で、モーツァルトはプラハに招かれます。そしてこのプラハがこの映画の舞台となります。
 モーツァルトは、プラハの(マスカレード)仮面舞踏会で出会った歌手スザンナに恋をしますが、劇団のスポンサーである猟色家のサロカ男爵がスザンナに目を付け、彼女に結婚を強要します。こうしたことと並行して、モーツァルトは次回作「ドン・ジュアン」を作曲します。「ドン・ジュアン」については、映画「ドン・ジュアン」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/10/blog-post_20.html)を参照して下さい。結局、サロカ男爵は激高してスザンナを絞め殺し、その後サロカ男爵の数々の悪行が露見して、男爵は絞首刑となります。スザンナと男爵との話が事実かどうかについては、私は知りませんが、こうした事件の間にオペラ「ドン・ジュアン」が作曲されるわけです。

 この映画の主題が、モーツァルトとスザンナとの恋にあるのか、「ドン・ジュアン」の制作にあるのか、私にはよくわかりませんでしたが、今もプラハに残る中世の街並みを、たっぷり味わうことのできる映画でした。

2019年12月4日水曜日

「メソポタミア文明の光芒」を読んで

平山美知子など、2011年、山川出版社
 平山美知子の夫平山郁夫は、日本画家として、また教育者として功績を残した他、シルクロードなどの古代遺物の保存にも力をつくしました。
平山郁夫は、日本の壁画を研究する過程で、シルクロードの壁画を観たいと思ったのですが、当時中国では文化大革命が進行中で入国できず、やむなく夫人とともにメソポタミアを旅することになりました。その後シルクロードへの旅も可能となり、メソポタミアやシルクロードでの多くの遺物を収集し、平山郁夫シルクロード美術館を設立しました。本人は2009年に亡くなりましたが、その後夫人が美術館の館長を務め、本書の執筆にも関わりました。

本書はこの美術館が所蔵するメソポタミアに関する遺物を紹介し、解説しています。私は、メソポタミアに関する本は数えきれないほど読みましたが、本書のように美しい写真とともに具体的な遺品の解説を読むと、とても新鮮な感覚で読むことが出来ました。