2020年4月29日水曜日

映画「王朝の陰謀」を観て


2010年に中国で制作された映画で、中国お得意のワイヤー・アクションやコンピューター・グラフィックを駆使したアクション映画です。なお、ディーというのはオランダの推理小説「ディー判事シリーズ」で有名な実在の人物だそうで、映画はこの名前以外はオリジナルだそうです。
映画の背景は、唐代中期の則天武后の時代で、則天武后については、「映画で観る中国の四人の女性 則天武后」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_1111.html)を参照して下さい。そして主人公はディー・レンチェ(狄仁傑 てき じんけつ)で、実在した人物です。彼は科挙に合格して官僚となり、極めて優秀な人物でしたが、その直言によって周囲の人々から煙たがられ、しばしば投獄されたり左遷されたりしていました。しかし則天武后は、彼の筋の通った発言、諫言を高く評価し、則天武后の治世においてなくてはならない人物となります。彼の行為は伝説となり、その後しばしば小説などの題材となりました。
映画は、690年則天武后が皇帝に即位する直前に、これに反対する様々な勢力が不穏な動きしていました。そうした中で、生きた人間が公衆の面前で突然発火するという事件が相次いで起きます。そこで則天武后は、当時謀反の罪で投獄されていたディーを呼び出し、事件の解明を依頼します。ここからディーによる謎解きと怪しげな人々との闘争が始まり、それ自体はたわいもないものでした。しかし映画としては、結構楽しく観ることができました。



2020年4月25日土曜日

映画「メアリーの総て」を観て

















2017年のアイルランド・ルクセンブルク・アメリカによる合作映画で、怪奇小説「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリーの半生を描いています。メアリーは1797年に生まれ、父は無神論者でアナキズムの先駆者であるウィリアム・ゴドウィン、母はフェミニズムの創始者とも呼ばれるメアリー・ウルストンクラフトですが、彼女はメアリーの出産とともに死亡しました。いずれにせよ、彼女は大変知的で自由主義的な雰囲気の中て育ちました。とはいえ、幼いころより母が埋葬されている墓地で、怪奇小説を読むのが好きで、「私の魂には不可解な衝動がある」と感じていたようです。
18世紀末から19世紀初頭にかけて、ゴシック小説と呼ばれる怪奇小説が流行しました。すでに18世紀半には墓場派と呼ばれる詩人が現れ、さらにゴシック式建築物の廃墟を舞台とした小説が生まれ、これがゴシック小説と呼ばれるようになります。また、このころ古代の調和と均衡より、中世の情念の世界を尊重するロマン派が形成されつつあったことも、ゴシック小説の形成に影響を与えたと思われます。ゴシック小説は、幽霊や怪物、その他の超自然的な現象が登場する神秘的で幻想的な小説で、メアリーの父ウィリアム・ゴドウィン自身が、犯罪小説風のゴシック小説を書いています。メアリーは、こうした環境のもとで育ちました。
 1814年メアリーが14歳の時に、ロマン派の詩人パーシー・シェリーと恋をし、彼には妻子がいましたが、16歳の時に駆け落ちします。この間流産し、さらに妊娠して子供を産みますが、まもなく死んでしまいます。また、母の思想を受け継いで自由恋愛を主張していたとはいえ、夫の奔放な行動に嫉妬し、自分が最も苦しんでいた時に夫が助けてくれなかったことに絶望します。そうした経験を10代半ばに重ねていくうちに、内面に大きな変化が起きてきたようです。そして18際の時「フランケンシュタイン」が誕生します。
 「フランケンシュタイン」が出版されたのは1818年で、原題は「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」です。スイスの科学者フランケンシュタインが、ドイツで勉強中に生命の謎を解き明かし自在に操ろうという野心にとりつかれ、それが神に背く行為であると自覚しながらも、自ら墓を暴いて人間の死体を手に入れ、それをつなぎ合わせることで怪物の創造に成功しました。誕生した怪物は、優れた体力と人間の心、そして知性を持っていましたが、容貌があまりにも醜くかったため、フランケンシュタインは怪物を残したままスイスへと逃亡しました。怪物は自分の醜さゆえ人間達からは忌み嫌われ、創造主たる人間に絶望し、フランケンシュタインの妻や友人を殺害します。憎悪にかられたフランケンシュタインは怪物を北極海まで追跡し、怪物もまた北極海に消えていきます。(ウイキペディア参照)
 これは、もはや怪奇小説の枠を超えています。当時フランス革命を通じて無神論が増えていたとはいえ、かつて神の領域と考えられていた生命を人間が創造したのですから、画期的な発想です。しかも呪いによってではなく、科学によって生命と人間を創造したわけですから、この小説はSF小説の先駆ともいうべきものです。考えすぎかもしれませんが、こうした発想は女性として生命を生み出した実体験によるものかもしれません。また、怪物は人との触れ合いを求めて博士に接しようとしますが、博士が恐れて逃げてしまい苦悩しますが、それは彼女と夫との体験に基づくのかもしれません。ただ、仮にそうした実体験が影響を与えたとしても、彼女の想像力の豊かさは、実体験をはるかに超えるものでした。

 映画は、墓場で読書するメアリーや、彼女や父との関係、14歳で恋をし、16歳で出産し、やがて「フランケンシュタイン」を出版するまでの過程が描かれています。16歳の出産は早すぎると感じるかもしれませんが、マリ・アントワネットは14歳で嫁いでいますので、当時としては決して早すぎるわけではないし、他の多くの女性も彼女と同様の苦しみを味わったはずです。ただ彼女は、想像力がずば抜けていたということだと思います。















 ところで、フランケンシュタインが創造した怪物の容姿はどのようなものだったのでしょう。左側の絵は1831年版の表紙に描かれた絵で、この時メアリーはまだ生きていますので、メアリーが同意していた絵なのでしょう。右側の写真は1931年に制作された映画での怪物で、この容姿がその後の怪物の容姿として定着していきます。なお、この怪物に名前はなく、今日ではこの怪物がフランケンシュタインとみなされることが多いようです。

2020年4月22日水曜日

「ヨーロッパ紋切型小辞典」を読んで


パスカル・ドゥテュランス著 2008年 田中訓子訳 作晶社 2011
 「皮肉屋のフロベールは、言葉の意味を知るよりはむしろ決まりきった意味を忘れたい人のための辞書を考案した。「紋切型辞典」の中では、猫は猫ではなく、すべての語は一つの現実ではなく、一つの陳腐な考え、一つのうわさ、一つの幻想を表している。それぞれの語は新しい一つの意味を受け取る。言葉はパンドラの箱となり、そこから、あらゆる潜在的な意味が飛び立つ。それではヨーロッパは?……」
 「ヨーロッパについての概念と評価の全体的な見直しの時期がきているように思われる。というのもヨーロッパについて言われていることは、断言というよりはほとんど信仰、描写というよりは願望、既成事実というよりは固定概念の集合のようなものだからだ。……」「この小さな事典に教訓的な狙いを期待しないでほしい。ここにあるのは訂正したり非難したりするためのものではない。すべては私たちのヨーロッパ観と戯れるためのものだ。また、ここから立派な学識を得ようなどと思わないで欲しい。うまくいけば、図版の後ろに隠れているものや、言葉の下で沈黙しているものの面白さを味わってもらえるだろう。」
 以上が本書の目的です。これまでに「ヨーロッパとは何か」と繰り返し問われてきました。こうした問いがなされる場合、ギリシア神話、つまり美しい女神エウロペをゼウスが牡牛に姿を変えて略奪し、西方に連れ去ったという物語で、それは本書の表紙にも描かれています。この物語からヨーロッパ人がイメージするのは、美しい悲劇の貴婦人というものですが、それ以外にもエウロペはさまざまに解釈されてきました。このように、本書はヨーロッパについてのさまざまなイメージに語っていますが、こうした思考方法になれない私には、かなり難解な本でした。そして結局、「ヨーロッパとは文化である」という紋切型の結論で終わりますので、少しがっかりしました。

 なお、表紙の絵は1919年に描かれたものですが、この絵に描かれた勝ち誇った牡牛は、私にはアメリカ合衆国のように見えます。

2020年4月18日土曜日

「英国総督 最後の家」を観て

2017年にイギリスとインドにより制作された映画で、1947年におけるインド独立に至る経過が、デリーにあるインド総督府を中心に描かれています。なお、2017年とは、インド独立70周年にあたります。
 イギリスはインドへは17世紀に進出し、18世紀にフランスとの激しい主導権争いに勝利し、19世紀に本格的にインド進出を進め、1877年にインド帝国を成立させます。そしてヴィクトリア女王がこのインド帝国の皇帝であり、以後インドはイギリス資本主義に組み込まれていきます。インドは豊かであり、イギリスの繁栄はインド支配なしにはありえませんが、同時にインドの社会は大きく歪められ、人々の不満が増大します。20世紀に入ってガンディーが登場すると民族運動は高まり、第二次世界大戦で疲弊したイギリスには、もはやこれを抑える力はありませんでした。
 1947年に、イギリスはインドの独立を認め、イギリス政府はインドへの主権移譲のため、インド最後の総督としてマウントバッテン卿を派遣しました。マウントバッテン卿の母はヴィクトリア女王の娘でしたから、彼は王家と結びつきがあり、大した手柄は立てていませんでしたが、順調に出世し、インド独立を果たすという重要な任務を与えられたわけです。デリーの総督邸は馬鹿馬鹿しいほど広く、その中で500人ものインド人が働いていました。そこではヒンドゥー教徒もイスラーム教徒もゾロアスター教徒も働いていました。

 ところが、アリ・ジンナーは統一インドでは少数派のイスラーム教徒が迫害されるとして、パキスタンの分離独立を強硬に主張します。すでに各地で暴動が始まっており、ジンナーは分離独立さえすれば、暴動はなくなると主張します。一方、統一インドの初代首相を約束されていたネルーは、分離に断固反対します。ガンディーは、インドを分断することは魂の分断であるとし、統一を維持するなら、少数派のジンナーに初代首相の地位を当てえてもよいと提案しますが、ジンナーはこれを拒否します。マウントバッテンは手詰まり状態となり、流血の惨事はますます拡大します。
 実は、パキスタンの分離独立とインドとの国境線は、すでに決まっていたのです。チャーチルは1945年に退陣しますが、彼はそれ以前に分離案を作製していたのです。チャーチルは徹頭徹尾植民地主義者であり、反共主義者でしたから、インドを分裂させておく方がイギリスに有利であること、さらにソ連の南下に対する緩衝地帯が必要であることから、この分割案を作製したのでした。つまり、初めからマウントバッテンには選択の余地などなかったのです。この映画の冒頭に、「歴史は勝者によってしるされる」という言葉が映し出されますが、この場合勝者とはチャーチルのことかもしれません。最近の研究では、ジンナーは1947年まで統一を支持していたとのことで、結局彼もチャーチルの決定に従わざるをえなかったのかもしれません。

 映画は、独立に至る時期の混乱がよく描かれています。普段はヒンドゥー教徒もイスラーム教徒も一緒に仕事をしていたのですが、分離問題が表面化すると、次第に対立するようになります。またヒンドゥー教徒の男性とイスラーム教徒の女性との恋もあ
り、パキスタンに移るのか、インドに住むのかという決断を迫られます。かくして1400万人の人々が、インドからパキスタンへ、パキスタンからインドへと移動し、その過程で100万人の人々が死亡しました。

2020年4月15日水曜日

「デンマークという国を創った人々」を読んで

ケンズ・ステファン・スズキ著 2014年 合同出版株式会社
 最近私は、内容の思い本を読み通すことが負担になってきたため、なるべく内容の軽い本を選んで読むようにしていますが、残念ながら本書は軽すぎました。著者は、50年以上前にデンマークに渡り、デンマーク国籍を取得し、デンマークと日本の架け橋としての役割を果たし、デンマークについての善意の紹介者として本書を出版しました。したがって、当然デンマークの素晴らしさが延々と述べられています。
 しかしデンマークそして北欧の歴史は、血塗られた歴史でした。19世紀になった、北欧の周辺に、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアといった大国が出現し、デンマークに至ってはドイツとの戦争で国土の3分の1を失います。こうした時代の中で、北欧諸国は強国の道ではなく穏健な国家の建設へと向かって行きます。本書は、こうした時代のデンマークを描いており、その意味においては参考になる本だと思います。
 北欧に関する映画は非常に少ないのですが、それでも、これまでに8本の映画を観ています。
映画で西欧中世を観て(1)  「ベオウルフ」 「バイキング」
映画で西欧中世を観て(4)  「アーン 鋼の騎士団」 スウェーデンのテンプル騎士団
映画で西欧中世を観て(7)  「エスケープ 暗黒の狩人と逃亡者」 14世紀ノルウェー
映画「ロイヤル・アフェア」を観て 近世デンマーク
映画で三人の女王を観る 「クリスチナ女王」近世スウェーデン
映画「ファイヤーハート 怒れる戦士」を観て リトアニア
映画「四月の涙」を観て フィンランド


2020年4月11日土曜日

映画「マチルダ 禁断の恋」を観て















2017年にロシアで制作された映画で、マチルダというバレリーナとロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世との恋を描き、絢爛たるロシアの宮廷と退廃が描き出されています。ロシアについては、「グローバル・ヒストリ 第27章 社会主義の挑戦」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/27.html)を参照して下さい。
 まだニコライが皇帝に即位する前、1892年から2年ほどニコライとマチルダは関係をもっていました。当時二人は二十歳代前半で、この恋がどのようなものであったのかは分かりませんが、映画ではマチルダは皇后になることを望み、ニコライも彼女を皇后にすることを望みますが、身分違いのため不可能で、結局ニコライはドイツの大公の娘にしてイギリスのヴィクトリア女王の孫アレクサンドラと結婚します。
 もともとニコライとアレクサンドラの結婚は既定路線であり、そこにマチルダが割り込む余地はありません。また、マチルダ自身もニコライ以外の多くの男性と関係をもっており、ニコライ結婚後は別の貴族と結婚しました。彼女はロシア革命も乗り切り、その後バレー学校を創設し、99歳まで生きました。一方、アレクサンドラは5人の子を産みますが、彼女は祖母ヴィクトリア女王から血友病の因子を受け継いでおり、唯一の男子が血友病を発病します。いずれにしてもロシア革命により家族全員が捕らえられ、1918年に処刑されました。

 戴冠式の日、記念品と食べ物が民衆に配布されますが、それをもらうために50万人もの群衆が殺到し、将棋倒しとなって数千人もの死傷者がでます。そして映画は、この事件を描写して終わります。結局、この映画は何をいいたいのかよく分かりませんでしたが、多分帝政末期の退廃を描いているのでしょう。

2020年4月8日水曜日

映画「英国王のスピーチ」を観て















 2010年にイギリス・オーストラリア・アメリカにより制作された映画で、吃音に苦しんだイギリス国王ジョージ6(在位1936年-1952)の苦闘を描くとともに、大英帝国の衰退の様を描いています。
 まず、ジョージ6世に至るまでの歴史を簡単に振り返っておきたいと思います。19世紀前半に即位したヴィクトリア女王は、63年も在位し、1901年に死亡しました。次に長子エドワード7世は、即位した時すでに60歳で、わずか10年の在位で死亡します。その後を継いだジョージ5世の時代には、第一次世界大戦などの試練はありましたが、それでも植民地や自治領を含めて、形式上、世界人口の4分の1の人々がイギリス王冠のもとに服していました。1936年に長子のエドワード8世が即位しますが、彼は以前から年上の女性や既婚者に好意を寄せる傾向があり、即位当時二度の離婚歴のあるシンプソン夫人と付き合っており、即位後彼女と結婚すると言い出したのです。イギリス国教会の首長であるイギリス国王が、離婚歴のある女性と結婚することは許されませんので、エドワード8世は1年足らずで退位することになります。
 その結果、弟のジョージ6世が即位することになりましたが、問題は彼が吃音症だったということです。吃音症の原因ははっきりせず、したがって治療法も確立していません。自ら吃音症だった大杉栄が特異な見解を披露していますが(「大杉栄伝 永遠のアナキズム」を読んで http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2019/07/blog-post_31.html)、これも原因の一つという程度です。多くの吃音症は10歳前後までに治るそうですが、成人後も治らないケースもあります。ジョージ6世の不幸は、彼が国王の息子であり、兄がスキャンダルで1年足らずで退位し、国王になることを最も嫌っていた自分以外に国王になる者がいなかったということです。特に国王は、しばしば国民に向けてのスピーチを行わなければなりませんでした。すでに1925年に国王の代理で行ったスピーチは、大失敗に終わっていました。
 そこでジョージ6世は、たまたま新聞の広告で見た言語聴覚士であるオーストラリア出身のライオネル・ローグのロンドンのオフィスを訪ねました。ローグは医師の免許ももっておらず、そもそも言語療法士なる職業は存在しませんでしたので、かなり怪しげな人物でした。しかし彼は、第一次世界大戦後従軍のストレスで言語障害を患っていた人々の治療を行い、多くの経験を積んでいました。ローグはジョージ6世に心を開かせるため、わざと挑発的な発言を繰り返し、ジョージ6世は怒って帰ってしまうこともしばしばでした。そして1936年の戴冠式のスピーチにローグが付き添い、スピーチは見事に成功しました。さらに1939年にイギリスがドイツに宣戦布告する際、ジョージ6世はイギリスと世界の人々にラジオの生放送で、見事な演説を行いました。
 二人の関係は1952年にジョージ6世が死ぬまで続き、翌年ローグも死亡しました。映画では、吃音矯正のための二人の激しいやり取りが再現され、大変興味深く観ることができましたが、この矯正方法がすべての吃音症に効果があるかどうかは、分かりません。また、ジョージ5世の時代は大英帝国衰退の時代でもありました。イギリスは、第二次世界大戦で疲弊し、戦後は植民地が次々と独立し、それとは逆に世界は米ソという超大国の争いの場となり、イギリスの存在感は一層低下しました。もちろんそれは、ジョージ6世の責任ではなく、たまたまそういう時代にめぐり合わせた国王だったということです。

 なお、ジョージ6世の長女エリザベスが今日の女王エリザベス2世で、すでに2007年にヴィクトリア女王の在位記録(63)を抜いています。

2020年4月4日土曜日

映画「ターザン」を観て



「ターザン:REBORN」(ターザン リボーン(再生)、原題: The Legend of Tarzan)は、2016年にアメリカで制作された映画です。「ターザン」はアメリカの小説家エドガー・ライス・バローズが、1912年から連載を始め、早くも1918年に映画化され、以後今日まで数えきれないほど映画化が行われています。ターザンのイメージは、1894年に出版された「ジャングルブック」の強い影響を受けており、ヨーロッパが全世界を植民地化しようとしていた時代のジャングルと文明というテーマが描かれています。「ジャングルブック」については、このブログの映画「ジャングル・ブック」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2019/05/blog-post_22.html)を参照して下さい。
ターザンの父はイギリス貴族グレイストーク卿ジョン・クレイトンで、妻と赴任先の西アフリカに向かう途中船員の反乱に遭遇し、アフリカ西海岸に置き去りにされます。そこで1年後にターザンが生まれ、まもなく両親も死にますが、ターザンは類人猿(多分ゴリラのこと)によって育てられます。ターザンは育ての母がつけた名前で、「白い肌」を意味するそうです。成人後ターザンは、指紋鑑定によりグレイストーク卿ジョン・クレイトンの子であることが判明し、父の名と地位と財産を受け継ぎます。したがってターザンの正式名は、ジョン・クレイトンということになります。またターザンはジェーンというアメリカ人女性と結婚し、子供もおり、西アフリカで農場を経営して暮らすようになります。


 映画の舞台となるのは、コンゴ川流域です。コンゴ川はアフリカで2番目位の長さを誇り、その流域はアマゾン流域に匹敵する熱帯雨林が存在し、ここがターザンが育った場所と考えられます。アフリカ大陸について、あまりに自然条件が厳しいこともあって、かつてはヨーロッパ人は内陸に入り込むことはほとんどありませんでしたが、19世紀後半にスタンリーがコンゴ川流域を探検すると、ベルギー国王レオポルト2世はコンゴ川流域の植民地化を進め、1885年の国際会議では、この広大な地域がレオポルト2世の「私領」として認められました。この地域には独立など存在しませんでしたが、レオポルトはこれをコンゴ独立国と呼び、イギリスなどは自由などまったくないことを皮肉って「自由国」と呼びまた。
 コンゴについては、このブログの以下の項目を参照して下さい。
 映画でアフリカを観る 「ルムンバの叫び」
映画で観る二人の尼僧 尼僧物語
入試に出る現代史 第8章 アフリカ
 レオポルトがコンゴで行ったことは、2万人もの傭兵を雇い、先住民を捕らえて奴隷とし、彼らに宝石の採掘やゴムの採集をさせ、怠惰なものに対しては手首を切り落とすという蛮行を行っていました。映画では、アメリカの特使がこの蛮行を暴露するために、ジャングルに精通した元ターザンに案内を依頼することから始まります。穏やかな生活を送っていたジョン・クレイトンは、当初この要請を断りますが、いろいろあって、結局受け入れます。
 映画におけるターザンは、私の予想に反して、聡明で寡黙な人物でした。ジャングルには精通していましたが、決してゴリラ語やライオン語を話すわけではなく、彼らと心を通い合わせて意志の疎通を行っていました。また、当時の奴隷の集積場であったボマの港や、川を航行するために平底船が再現されており、大変興味深く観ることができました。
 結局ターザンは、ボマに集められた奴隷たちを先住民や動物たちの力を借りて救出し、映画は終わります。しかし、実はベルギーも含め欧米諸国によるアフリカ収奪は、これから本格的に始まります。ターザンはそのことを知ってか知らずか、ジャングルを去って再び穏やかな生活に戻っていきます。
 私は幼いころ父に連れられて初めて映画を見に行きました。映画の内容は、多分ターザンだったと思います。したがって、私が最初に観た映画は、ターザンだったことになります。私が観たターザンがどのバージョンだったかは分かりませんが、密林の中で叫ぶターザンの声を、今もはっきり覚えています。

2020年4月1日水曜日

映画「キングダム 見えざる敵」を観て


2007年にアメリカで制作されたサスペンス映画で、サウジアラビア王国の外国人居住地でのテロ事件を捜索するために派遣されたFBI捜査官たちの活動を描いています。この映画で興味深いのは、この事件が起きた背景の特殊性です。
サウジアラビアは、日本人にとって大変親しみのある国です。その親しみの原因の一つは「アラビアン・ナイト」を通じたロマンティックな連想かもしれないし、豊かな石油資源の国であることによるのかもしれません。1930年代にイブン・サウードが建国し、サウジアラビア王国と名付けられました。今日、王家の名が国名になっている国は滅多にありません。イブン・サウードは、建国に際して過激な原理主義の宗派ワッハーブ派と手を組み、彼らの影響力によって王家の求心力を強化しようとしました。一方、この頃アメリカの技師が油田を発見し、イブン・サウードはアメリカに油田の開発を認めます。その結果、サウジアラビア王国は大きな矛盾を抱え込むことになります。
第二次世界大戦後、油田の開発が進むと、莫大な利益が生まれ、それは王家の強化とサウジアラビア王国の国際的な地位の向上もたらしました。しかし、その結果多くの外国人や外国文化が流入しますが、ワッハーブ派はそのことに危機感を感じ、彼らの教義の遵守を強要し、外国人に対するテロ活動も行いました。特に過激派は、イスラーム教徒の土地を外国人に穢されていると考えているようです。そのため政府は、外国人に観光ビザを発給しておらず(最近発給されるようになったとも聞きましたが)、ビジネスや公務でサウジアラビア王国に滞在する人は、主要な都市に設置された外国人居住区域に住むことを求められています。
そして、この外国人居住地でテロ事件が発生し、事件の捜査のためFBI捜査官が派遣された訳ですが、当然のことながら、彼らは徹底的な隠密行動を強いられます。意外に思うかも知れませんが、中東におけるアメリカの最大の同盟国サウジアラビア王国には、少なくとも表向きにはアメリカの正規軍は配備されていません。ましてやFBIが勝手に捜査活動を行っていることが知られたら、一大事です。その意味で、この映画はスリリングでした。結局、任務を達成した捜査員たちは、密かにサウジアラビア王国を去っていきます。
ところで、欧米諸国は後発国で自由と民主主義が抑圧されると、常に強く抗議し、制裁を課します。しかし世界のどこよりも自由と民主主義が抑圧されたサウジアラビア王国に対しては、欧米諸国は批判も制裁もせず、それどころか大量の兵器を売っています。その理由はただ一つです。石油のためなら、自由も民主主義もどうでもよいということです。もちろんこうしたことは国際政治の現実ですが、それにしても欧米の外交のダブルスタンダードには呆れるばかりです。これでは、欧米がどんなに自由と民主主義を声高に叫ぼうとも、説得力に欠けています。