2020年8月20日木曜日

インド映画「パドマーワト 女神の誕生」を観て

2018年にインドで制作された映画で、16世紀に生み出された叙事詩「パドマーワト」を映画化したものです。映画は莫大な資金を投じた160分を超える大作で、使用される言語は、インドの公用語であるヒンディー語と、パキスタンの公用語であるウルドゥー語です。










インドでは、仏教が隆盛した古代インドは7世紀には衰退し、各地にヒンドゥー教の国が建設されるようになります。さらに7世紀ころからアフガニスタン方面からいろいろな民族が侵入し、やがて彼らはヒンドゥー教徒と混交してクシャトリアを名乗り、ラージャスタンで強力な武装勢力を形成するようになり、彼らはラージプート族と呼ばれるようになりました。この映画の舞台となるメイワール王国は、ラージプート族の王国の一つです。

 一方、7世紀にアラビア半島で成立したイスラーム教は瞬く間に拡大し、アフガニスタンからインドへ繰り返し侵入しますが、ラージプート族はこれをよく撃退しました。しかし、13世紀に入るとデリーを拠点に奴隷王朝が成立し、以後16世紀までに、デリー・スルタン朝と呼ばれる短命な5つのイスラーム王朝が続くことになり、やがて16世紀にムガル帝国が全インドを支配するイスラーム王朝となります。そして、この映画で問題となるのは、2番目のハルジー朝(1290 - 1320年)です。この王朝のスルタンであるアラー・ウッディーンは野心的な人物で、積極的な領土拡張政策を採り、その結果メイワール王国と対立することになります。なお、デリー・スルタン朝については、「「インド・イスラーム王朝の物語とその建築物」を読んで」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2019/12/blog-post_11.html)を参照して下さい。

映画では、メイワール王国の王ラタン・シンが旅の途中で、スリランカのシンガール王国の王女パドマーワティに一目惚れし、后として国に迎え入れ、二人は華麗なチットールガル城で幸せな日々を過ごします。ところが、パドマーワティに横恋慕したアラー・ウッディーンがチットールガル城を包囲し、ラタン・シンは戦死して城は陥落し、パドマーワティは自ら炎の中に入って死亡します。
 パドマーワティをはじめ、映画で多くの女性がまとっているインド更紗はとても美しく、また、チットールガル城も華麗であり、その映像美に圧倒される映画でした。ただ、幾つかの問題があり、制作されてから一般公開されるまでに、かなり時間がかかったようです。第一は、映画の構成が「悪のイスラーム教徒」と「善のヒンドゥー教徒」の対立というステレオ・タイプとなっており、インドに多くいるイスラーム教の反発を受け、幾つかの州では上映が禁止されました。また、最後にパドマーワティが火の中に入って殉死する場面がありますが、インドの因習サティ(寡婦殉死)を美化するものではないかと批判されました。

 結局これらの問題については、微修正された上で公開され、インドでも大好評でしたし、私にとっても、大変すばらしい映画でした。

2020年8月11日火曜日

台湾映画「セデック・バレ」を観て


2011年に台湾(中華民国)で制作された映画で、日本の支配に対する先住民セデックの反乱(霧社事件、1930)を描いています。「第一部 太陽旗」と「第二部 虹の橋」を合わせて277分の大作です。なお、「セデック・バレ」とは、セデック語で「真の人」を意味するのだそうです。台湾については、このブログの「台湾映画「非情都市」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_8669.html)「「図説 台湾の歴史」を読んで」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2020/08/blog-post_10.html)を参照して下さい。
 台湾の面積は日本の九州と同程度で、島をほぼ南北に縦走する5つの山脈が島の総面積の半分近くを占めており、耕作可能地は島の約30%にすぎません。台湾には、古くから先住民が住み、その言語系統は東南アジアのそれに類似している部分があるということですが、これについては今後の研究が待たれるとのことです。なお、日本では「原住民」という言葉は「野蛮」を連想させるので、「先住民」という言葉を使うことが多いのですが、台湾では「先住民」という言葉はすでに居ない民族を連想させるため、「原住民」という言葉を使用するのだそうです。
 17世紀末に中国(清王朝)による支配が始まると、中国から台湾へ移民する人が増大し、西部の平地の開墾が進められ、平地に住む先住民との混血も進みました。したがってこれ以降の先住民は、高地先住民のことです。この時代に移住した人々は、今日本省人と呼ばれ、台湾人口の85パーセントを占めています。日清戦争の結果1895年に締結された下関条約により、台湾は日本に割譲されます。ただしこれは日本と清朝との政府間で決定されたことであり、台湾に住んでいる人々の意志とは無関係です。当時台湾には、11万人の先住民と290万人の漢人が住んでいました。
 台湾統治は、日本にとって最初の植民地統治であり、とりあえず中国による統治形態を踏襲しつつ、試行錯誤を繰り返していきます。時には、日本の統治が台湾の発展に役立ったと強弁されることがあったとしても、植民地統治の本質は植民地からの収奪であり、50年に及ぶ日本支配の間に、漢人や先住民による反乱はしばしば起きました。特に先住民に対しては、日本は強力な警察権力を通して統制し、さらに労役を課していたため、先住民の間に不満が高まっていました。
 その他に、様々な問題がありました。当時日本は、先住民を日本人と同じ小学校に通わせ、先住民の同化を図っていました。そうした中で花岡兄弟(実際には兄弟ではない)という先住民は、警察官に採用され、名前も日本風に改め、日本にとっては蛮人でもこのように文明化できるという宣伝材料となりました。実際には、二人の給料は日本人警官よりはるから安く、また常に日本人から侮辱されていました。そして反乱が起きた時、二人は警察と先住民との板挟みになって苦しみ、結局遺書を残して自殺します。悲しい結末でした。
 また、当時日本は先住民の統治を利する目的で、警察官に先住民の有力者の娘を娶ることを奨励していました。しかしこうした警察官の多くは、日本本土にすでに妻子がいましたので、本人が帰国すれば先住民の妻は捨てられることになります。先住民はこうしたことにも不満をもっており、霧社事件を率いた頭目モーナ・ルダオの妹もまた日本人警察官に嫁いでいましたが、夫は数年前に行方不明になっていました。頭目の妹がこのように捨てられたとしたら、それは許しがたいことでした。
 一方、先住民も一致結束していませんでした。先住民には、言語さえ違う民族が含まれており、古くから部族間の争いは絶えませんでした。当然部族の中には親日派もおり、モーナ・ルダオに反感をもつ人もいましたし、勝てる見込みのない戦いに部族を巻き込むわけにはいきませんでした。その結果、先住民族は結束できず、親日派の部族の中には、報償目当てで反乱者の討伐に加担する部族もいました。これもまた悲劇でした。
 反乱のきっかけは、1930107日にモーナ・ルダオの長男が引き起こした日本人警察官殴打事件でした。モーナ・ルダオにとって、このままでは長男が逮捕されることは確実ですので、決起の決意をしたとされます。それは最初から勝利の見込みのない、部族としての誇りを取り戻すためだけの戦いでした。セデック族は、誰からも支配されることなく自然の中で狩猟をし、先祖から伝わる掟に従い、暮らしていました。当時の官憲の資料によると、モール・ルダオは「気性は精悍、体躯は長大、そして少壮のころより戦術に長じている」とのことです。
 戦いは、当初はセデックが有利でしたが、やがて日本は大砲や飛行機を投入し、最後には毒ガスを使用したとも言われます。さらに山岳戦に慣れた親日派の先住民が投入されると、セデックたちは次第に追い詰められ、殺害され、自殺する者もあらわれました。そうした中で、戦っている男たちの妻たちは、やがて日本人により凌辱されることは明らかでしたので集団自殺し、モール・ルダオも山中深く入り、自殺しました。そして蜂起したもの700人が戦死し、500人ほどが投降して処刑されました。まさに悲劇でした。
 蜂起に参加した人々はほとんど戦死したため、彼らの証言を聞くことは出来ず、日本側の資料に依存するしかありませんが、ただ、映画で描かれるセデックの姿は、日本人に対する憎しみというより、セデックとしてのアイデンティティの喪失に対する哀しみでした。しばしば映画で、古老がセデックの伝承を歌います。「虹の橋に行けば、古の英雄たちに会え、自らも英雄になれる」と。

 1937年に日中戦争が始まると、本格的な皇民化政策が推進され、台湾人の母語の使用が制限され、新聞の漢文欄も廃止され、伝統的宗教行事も禁止されました。さらに日本語の使用強制、天照大神の奉祀や日本式姓名への改姓名運動が終戦直前まで強行されました。そうした中で、先住民による「高砂義勇隊」が結成され、南方戦線に送られました。かつて日本と闘った先住民族は、今や「天皇陛下万歳」を叫びながら死に、靖国神社に奉られることになったのです。これもまた、悲しい話です。


2020年8月10日月曜日

「図説 台湾の歴史」を読んで

周婉窈(Wanyao Zhou)著 濱島敦俊監訳 2007(2013年増補版) 平凡社
 本書が出版されるまで、台湾には「台湾の歴史」がなかったそうです。台湾は、1945年に日本が敗戦した後、再び中国領となり、1949年に蔣介石が率いる中国国民党が中国共産党との戦いに敗北すると、蒋介石は台湾を制圧して拠点をここに遷し、これを中国の正統政府としました。以後、1975年まで蔣介石の独裁政権が続き、冷戦が終結した1989年に国民党の独裁も廃止され、言論の自由が認められるようになります。この頃の事情については、「台湾映画「非情都市」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_8669.html)を参照して下さい。
 戦後、台湾の「歴史」は、数千年の中国の王朝史と、それに続く欧米・日本の侵略と、国民党の中華民国の歴史として描かれます。アメリカ合衆国の歴史でも、古代ギリシア・ローマの時代から中世・ルネサンス・宗教改革・ピューリタン革命を経てアメリカ合衆国の歴史に入っていきます。このような歴史は、私たち日本人には違和感がありますが、アメリカの場合ヨーロッパ文明の影響が圧倒的ですので(もちろん少数民族は否定できません)、彼らの文明のルーツは古典古代にあるという意識が強いでしょう。しかし台湾には、数百年前から移住してきた中国系の人々がおり、さらにそれよりはるか昔から住んでいる先住民がいます。こうした中へ、突然大陸から蔣介石とその軍隊が台湾を征服し、彼らの歴史を捏造し、それを人々に押し付けたのです。
 ところで、通史とは何なんでしょうか。単純に言えば一国史で、それは政治的枠組みであり、民族的枠組みであり、文化的枠組みであり、地理的枠組みであり、郷土へのアイデンティティだったりします。そして従来からの「台湾の歴史」の場合、地理的枠組みや郷土へのアイデンティティが欠けています。では、一つの地域の通史を学ぶことに意味があるでしょうか。台湾の先住民は、何万年も前からここに住み、言語的にも民族的にも文化的にも中国とは無関係です。しかし、日本の縄文文化が今日の日本人と直接関係かなかったとしても、われわれの郷土の歴史の一部として愛着を持つでしょう。
 従来の台湾の歴史に欠けていたのは、この点なのではないかと思います。先住民も中国系も国民党系も、ともに共感できる台湾の歴史が必要でした。しかし1987年に戒厳令が解除されるまで、そのような歴史を書くことは困難でした。しかし戒厳令が解除されると思想的な自由がみとめられ、1997年に本書の初版が出版されました。本書は台湾で高い評価を受けて版を重ね、2007年には増補版の日本語訳が出版されました。
 私は以前から、台湾の歴史について書いたものを探していましたが、断片的な記述や日本の立場から書かれたものが多く、ようやく本書に巡り合い、目が覚める思いでした。台湾人も本書を好意的に受け止めているとのことですから、台湾もようやく「台湾の歴史」を手に入れたことになり、そして多くの人々が自らを台湾人と呼べる日も近いのではないかと思います。ただ、台湾の場合、個々の時代の研究が非常に遅れているようです。もちろん見方によっては日本の研究も遅れているのかもしれませんが、台湾の場合、政治的な事情からまっとうな研究ができなかったようで、著者自身も今後の研究に期待しています。

 日本統治下での霧社事件、台湾の日本兵、さらに戦後の2.28事件とその後など、台湾では本当に心痛む事件が続きました。こうした事件について、一層研究が進むことを期待します。

2020年8月9日日曜日

「学校では教えてくれない世界史の授業」を読んで

佐藤賢一著 2018年 PHP
 本書のタイトルは、長年世界史を教えてきた者には、聞き捨てならない内容です。筆者が追求するのは「ユニヴァーサル・ヒストリー」だそうです。「ユニバーサル」というのは、一般的には「普遍的」というような意味で用いますが、筆者はこの言葉の語源から「一方向の歴史」と解釈します。ここでいう「一方向」とは、「他の総てを征服して、どこまでも一元的に支配して、自分以外のものを認めない、そのような国や地域の歴史」がユニヴァーサル・ヒストリーの一例となります。もちろん私も、このような歴史を否定するわけではなく、このブログの最初に掲載した「グローバル・ヒストリー」は、一つの方向から歴史を見ようとしているものです。しかし私は何よりも多様性を重視しますので、その後のブログの内容は、ほとんど「グローバル・ヒストリー」の批判と言えるでしょう。本書で示されたような「一方向」の歴史は、ドイツ第三帝国の成立で完結するという論法も可能となります。
 本書は、アレクサンドロスから始まり、ローマ帝国、西洋世界形成、イスラーム世界形成、東方世界(ロシア)と続き、現在の世界は西方世界・東方世界・イスラーム世界からなるというものです。そしてこのユニヴァーサル・ヒストリーには、インドや中国がまったく欠落しています。この点では、前に見たアメリカの世界史教科書と同じです。ただ、アメリカの教科書の違いは、欧米民主主義の勝利で終わっている点です。これについては、「「イスラームから見た世界史」を読んで」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2020/06/blog-post_10.html)を参照して下さい。筆者によれば、インドや中国が除外された理由は、インドは最終的に西方世界に吸収され、中国は世界帝国を目指さなかったからだ、と主張しています。

 もちろん著者は、これ以外の歴史を否定しているわけではないし、内容はシンプルで面白く、生徒は興味をもって読むことができるでしょう。しかし私自身は、こうした単線的な歴史ではなく、歴史の多様性を教えたいと思います。現在教えられている「世界史」が面白くないから、「ユニヴァーサル・ヒストリー」がよいというのは、少し違うような気がします。

「ジョン万次郎」を読んで

中濱武彦 2018年 ロング新書
 著者は万次郎の直系の曽孫です。万次郎は土佐の長浜で生まれ育ったことから、帰国後長濱万次郎と改名し、その姓が著者の姓に受け継がれているわけです。
 万次郎の人生は、幸運だったのか、不運だったのかよく分かりません。1841年に14歳で猟師見習いとして初めて海に出、難破し、死の直前まで追い詰められます。しかし、間一髪アメリカの捕鯨船に救われ、以後万次郎は多くの善意の人に助けられ、高等教育までうけます。彼は、帰国すれば処刑の可能性がありましたが、1851年開国間近の日本に帰国します。そして薩摩の島津斉彬や土佐の山内容堂などの理解を得、さらに江戸に出て、多くの人々に影響を与えます。

 彼の人生は不運の連続でしたが、著者によれば、結局万次郎は決して諦めないという強い心をもって、不運を幸運に代えていったということです。



映画「レッド・ウォリアー」を観て

2005年にフランスとカザフスタンによって制作された映画で、邦題の「レッド・ウォリアー」というのは意味不明です。原題は「遊牧の民」です。
 この映画の内容は、東方から侵入してきたジュンガルとカザフスタンとの戦いで、その内容は映画「ダイダロス 希望の大地」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/09/blog-post_30.html)とほぼ同じです。ただ、「ダイダロス 希望の大地」の主人公サルタイは実在した人物でしたが、この映画の主人公は創作です。

 映画では壮大な草原や、そこで暮らす遊牧民の生活が描かれ、戦闘場面も勇壮で、映像的には観るに対する映画でした。




映画「コーカサスの虜」を観て

1996年にカザフスタンで制作された映画で、コーカサスのチェチェン紛争を題材としています。カザフスタンやコーカサスについては、このブログの以下の項目を参照して下さい。
映画「ダイダロス 希望の大地」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/09/blog-post_30.html)2012
映画「草原の実験」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2019/05/blog-post_11.html)2014
映画でグルジア(ジョージア)を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/05/blog-post_16.html)
映画「厳戒武装指令」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/05/blog-post_19.html)
 この映画の原作は、トルストイの「コーカサスの虜」で、ここで扱われている時代は19世紀で、それを現在のチェチェンに当てはめました。チェチェンの捕虜となった二人のロシア兵の村での生活、解放交渉などが主なテーマですが、ロシア兵は村人から憎まれるわけでも、警戒されるわけでもなく、淡々と過ごしています。戦争などくだらない、平和が第一だという、トルストイらしいメッセージが込められた映画でした。


映画「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」を観て

 2018年にアメリカとイギリスの合作による映画で、16世紀後半のスコットランド女王メアリーを描いた映画です。
 メアリーの生涯は、波乱に富んだものでした。1542年に誕生した直後に父王が死亡したため、生後6日でスコットランド女王となり、さらにヘンリ8世の要求でイングランドの王太子エドワードと婚約させられますが、エドワードは早逝します。5年後にイングランド軍が侵入したため、メアリーはフランスに亡命し、1558年にフランスの王太子フランソワと結婚します。翌年フランソワはフランス国王となり、メアリーはフランスの女王となりますが、まもなくフランソワが病死し、1561年メアリーはスコットランドに帰国します。この間にメアリーは、イングランドのエリザベス女王が庶子であること、自らがエドワード6世の婚約者だったことを理由に、イングランドの王位を要求します。

 映画は、この二人の女王の対立を、メアリーを中心に描いています。その後メアリーはスコットランドから追放されてイングランドに亡命し、1587年にはエリザベス女王に対する謀反の罪で処刑されます。しかしエリザベスには子がなく、メアリーにはジョージという男子がいました。そしてエリザベスの死後、このジョージがスコットランドとイングランドの王位を継承し、その血統は現在のイギリス王家に引き継がれています。

映画「愛欲の十字架」を観て

1951年にアメリカで制作された映画で、旧約聖書に記載されているダビデを描いた映画です。この時代のアメリカでは、旧約聖書を題材とした映画が多数制作されました。「十戒」「サムソンとデリラ」「キング・ダビデ」「ソロモンとシバの女王」などで、このブログの「映画で聖書を観る https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/04/blog-post_3082.html」を参照して下さい。
この映画の原題は、「ダビデとバトシェバ」で、ダビデの後半生における女性問題を扱っています。信仰深かったダビデが、バトシェバに一目惚れし、彼女の夫を死地に追いやり、やがて神の怒りを買って罰せられ、信仰を取り戻すという話で、旧約聖書の他の物語と同じパターンです。

その後、改心した二人の間にソロモンが生まれ、彼が次の王となり、やがて「ソロモンとシバの女王」の物語に、つながっていくわけです。


映画「悪女」を観て

2004年にイギリスとアメリカの合作で制作された映画で、サッカレーの「虚栄の市」を映画化したものです。邦題は「悪女」ですが、主人公は悪女というわけではなく、虚栄の市を強かに生きた女性ですので、原題通り「虚栄の市」の方がよいのではないかと思います。
サッカレーは、19世紀半ばに活躍した作家で、ディケンズとほぼ同世代です。ディケンズが貧しい人々を描いたのに対し、サッカレーは上流階級を痛烈に批判しました。この時代のイギリスでは、一方では産業革命により貧富の差が拡大し、他方ではインドからの収奪により富める者はますます豊かになっていきました。サッカレーの父は東インド会社の職員で、サッカレー自身6歳までインドで暮らし、この映画でも色々な形でインドとの関係が描かれています。

この映画の背景には、ナポレオン戦争がありました。字幕に1802年とありましたので、一時的に平和だった時代です。主人公のベッキーは孤児だったので、寄宿学校の家政婦をしており、そこを出て上流階級の道を目指します。それは虚栄の市でしたが、彼女は逞しくいきていきます。