2018年8月29日水曜日

「テュルクを知るための61章」を読んで

小松久雄編著、2016年、明石書店
 「テュルク」とは「トルコ」のことですが、日本では「トルコ」というと、「トルコ共和国」あるいは「トルコ共和国」内に住むトルコ語を話す人々と理解することが多く、さらにかつてはソープランドを「トルコ」といっていました。しかし本書は、トルコ共和国からシベリアまで広く居住するトルコ人全般を扱うため、英語で「テュルク」と表記したそうです。そして本書は、世界中に分布するテュルクについて、28人の研究者が、61のテーマで解説しています。
 以前は、欧米や中国以外の歴史の研究は、まず欧米や中国の文献に依存していました。特に中国は「東アジアの記録係」とさえ言われ、日本も東南アジアもまず中国の史書に依存したし、またイスラーム世界やアフリカなどの研究については、まずヨーロッパの言語から学ぶことが多かったのです。しかし、最近ではそれぞれの地域の歴史を原語で学ぶ人が増えてきました。以前はこうした地域の固有名詞はヨーロッパ語の発音で行われることが多かったのですが、しだいに原語の発音に近づいていき、教科書の表記も大きく変わっていきました。見方によっては世界史の教科書の歴史は、固有名詞の表記の変遷の歴史だったと言えるかもしれません。
 また、テュルクについての研究が進展した理由の一つとして、ソ連邦の崩壊があげられるかもしれません。旧ソ連のイスラーム地域は、19世紀以来ロシア・ソ連の領域でしたので、西側の研究者による自由な研究が困難でした。もちろんソ連がこの地区の研究をしなかった分けでは決してありませんが、それを全面的に公表できない事情もありました。しかし最近では、こうした地域の調査も進み、このブログでも、この地域を扱った「カザフスタン 映画「ダイダロス 希望の大地」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2017/09/blog-post_30.html)や「映画「ライジング・ロード 男たちの戦記」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2017/03/blog-post_18.html)などの映画を紹介しています。
 本書は、多くの研究者が書いていますので、決して面白い本とは言えないのですが、テュルクについて相当網羅的に書かれているので、大変役に立つ本です。かつて私は、トルコ人についての断片的な知識を集め、トルコ人の歴史を整理し教えていたのですが、こうした本があれば何の苦労もなかったことでしょう。



2018年8月25日土曜日

タイ映画「ザ・キング」を観て



初めてタイの映画を観ました。以前にタイを扱った映画「王様と私」(映画で日本の第二次大戦を観て http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/09/blog-post_23.html)を観ましたが、この映画はタイでは上映禁止となっており、問題外の映画です。ここで紹介する映画は、16世紀のアユタヤ朝の名君ナレスワンを扱っており、全6部からなり、それぞれが3時間近くあるので、大変な大作です。この映画の原題は「キング・ナレスワン」で、2006年から2014年にかけて制作されましたが、私が観たのは「序章~アユタヤの若き英雄誕生~」と「第二部 ~アユタヤの勝利と栄光~」のみです。
インドシナを構成する民族の多くは、中国南部からメコン川、チャオプラヤー川、エーヤワディー(イラワディ)川などの大河に沿って南下してきた人たちで、ベトナム北部を除けば、インド文明の強い影響を受けて、独特の文明や国家を形成してきました。







 6世紀ころにメコン川流域にクメール人のクメール王国が、エヤワディー川からチャオプラヤー川にかけてモン人がドヴァーラヴァティー王国を建設しました。特にクメール王国は高度な文明を築き上げ、その後の東南アジア文明の形成に大きな果たしました。9世紀ころから、ビルマ人やタイ人が南下し、14世紀頃にはビルマ人がエーヤワディー川流域にタウングー朝を、タイ人がチャオプラヤー川流域にアユタヤ朝を建国します。ここに、今日のインドシナの国家の原型が出来上がることになります。





 アユタヤ朝は、豊かな稲作と交易の要衝として繁栄し、さらに東方のクメール地方に侵略し、高度なクメール文化を学び、さらにセイロンから上座部仏教の仏僧を招き、仏教理念に基づいた国家建設を行います。ただアユタヤ朝の国家形態は脆弱で、多数の独立した都市国家と同盟を結ぶ連合国家の形態を取っており、王位継承を巡ってしばしば対立が起ったり、王族が反乱を起こすこともありました。こうしたことを背景に、16世紀にはビルマのタウングー朝がしばしばタイへの侵入を繰り返します。









 タウングー朝は、ポルトガル人の鉄砲隊を雇い入れ、執拗にアユタヤを攻撃しました。2001年にタイで「スリヨータイ」という映画が制作されました。この映画は、1548年にビルマとの戦いで王を守って死んだとされる王妃スリヨータイを描いたものです(第一次緬泰戦争)。なお、この映画でスリヨータイを演じた女性は、タイ王室の出身だそうです。さらに、第二次緬泰戦争(156364年)、第三次緬泰戦争(156869)で難攻不落といわれたアユタヤが陥落し、アユタヤ王朝はビルマの属国(156984)となることを認めました。映画は、こうした時代を背景としています。








 ナレスワンは、1555年に生まれ、ビルマ軍が侵攻すると、1563年に王族の子として、ビルマの人質として連れていかれます。「序章~アユタヤの若き英雄誕生~」は、少年時代のナレスワンのビルマでの生活を描きます。彼は僧として修業し、親友を得、さらに幼い恋人に出会い、逞しく聡明な青年へと成長していきます。物語の途中で、当時のビルマとタイとの関係が説明されますが、これは難しくてよく分かりませんでした。ただ、当時のビルマやタイでの日常生活がしばしば描き出され、それがどこまで正確なのかは分かりませんが、大変興味深い内容ではありました。
 1569年にナレスワンの父がビルマの傀儡としてタイ王になると、その娘がビルマ王に嫁ぎ、代わりにナレスワンの帰国が認められます。「第二部 ~アユタヤの勝利と栄光~」は、ここから始まります。1581年にビルマ王が死ぬとビルマは弱体化したため、ナレスワンは挙兵し、1584年に独立を宣言します。この映画のかなりの部分が戦闘場面で、どの程度の時代考証が行われているかは分かりませんが、相当見ごたえのある場面が続きました。また、アユタヤの街並みが再現され、和服を着た日本人女性が歩いていました。なにしろアユタヤには日本人町がありますので、日本人が歩いていても、何の不思議もありません。さらに、傭兵として山田長政も登場しており、かなりきめ細かく制作されているように思われます。
 その後アユタヤ朝は国力も増強し、対外貿易も繁栄しますが、強力になりすぎた日本人を追放し、さらにアユタヤとの交易で対立したポルトガル・オランダ・イギリス・フランスなどヨーロッパ勢力を追放し、事実上鎖国体制をとるようになります。ビルマでは、その後タウングー朝が一時復活しますが、やがて内部対立が激化し、1752年に滅亡し、1754年にコンバウン(アラウンパヤー)朝が成立します。そしてこの王朝が、1767年にタイに侵入して、アユタヤ朝を滅ぼします。その後、1782年にタイでチャクリ朝が創設され、都をバンコクにおいたため、バンコク朝と呼ばれるようになり、これが現在のタイの王朝です。
 このように、タイとビルマが長年にわたって消耗戦を続けている間に、イギリスやフランスが力をつけ、やがてビルマはイギリスの植民地となります。

2018年8月22日水曜日

「インカに眠る氷の少女」を観て


ヨハン・ラインハルト著、2005年、畔上司訳、二見書房、2007
著者は高地考古学者で、アンデス山脈の高地で発掘を行い、凍結された少女のミイラを発見しました。インカには、高地に少女を生贄にするという風習があり、そのような少女は、幼いころから生贄になるべく者として特別に育てられたようです。エジプトのミイラは、内臓を取り出して骨と皮だけにし、防腐剤を大量に用いて人工的にミイラをつくりますが、インカては温度の低い高地の永久凍土で保管されましたので、まるで生きているようであり、眠るような安らかな顔で保存されていました。
 本書は、このミイラ発掘過程を描きます。海抜6000メートル以上の高地で発掘を続けることは容易なことではありません。高山病をもちろんのこと、大量の荷物を運びあげ、荷物やミイラを運び下す作業は大変です。もっと大変なのは、下におりてから起きます。ミイラの所有権はどこにあるのか、だれに優先的研究権があるのか、マスコミとの対応、次の発掘のための資金の調達などです。こうした雑事に追われる中で、次の発掘に向かって行くことになります。結局、地上より6000メートルの山上のほうが、はるかに心が安らぐようです。
 ところで、我々は5000年前のエジプトのミイラを発掘することには何の抵抗も感じませんが、わずか500年前のミイラを発掘し、かつ展示することには強い抵抗を感じます。ましてや、そのミイラが生きているように見えるほど保存状態が良いと、なおさらです。我々に墓を発掘する権利があるのでしょうか。これが500年前だから問題なのでしょうか、1000年前なら問題はないのでしょうか。なかなか難しい問題です。
 筆者も、この点について少し気にしています。そして彼は、放置すれば遠からず盗掘されるので、今のうちに発掘すべきだと主張しています。それはそうかも知れませんが、かつて大英博物館が、世界中の歴史遺物を蛮人から守るため、すべて大英博物館に保存すべきという主張と似ていますが、著者の発想もこれに似ているように思います。いずれにしても少女は、自分の遺体がこのようなことになるとは、想像もしなかったでしょう。

2018年8月18日土曜日

インドネシア映画「ゴールデン・アームズ」を観て


2014年にインドネシアで制作された時代劇で、大変珍しく、大変興味深い映画でした。この映画も、前に観たベトナム映画と同様、中国映画の強い影響を受けて、ワイヤーアクションを用いるカンフー映画のようでしたが、それでも前のベトナム映画に比べれば、格段によくできているように思いました。











この映画の時代も場所もまったく分かりません。せめて宗教が出てくれば、ある程度時代を特定できたかも知れません。インドネシアでは、仏教、ヒンドゥー教、イスラーム教の順で主たる宗教が代わりますが、こうしたことは一般の民衆には関係ないのかもしれません。撮影された場所はスンバ島で、大変美しい島だそうで、映画でも美しい風景がたっぷり映し出されています。
この映画のテーマはインドネシアの武術です。非常に古い時代からシラットと呼ばれる武術があり、現在では東南アジア各地や欧米で人気のある武術です。シラットは非常に多様で、中国の多様な武術を大雑把にカンフーというように、インドネシアの武術をシラットと呼ぶようです。現在のシラットは主に組み手として知られていますが、この映画では棒術が中心となります。どこでも、庶民がもてる武器は「棒」しかなく、庶民の間に伝わる武芸は棒術が多いように思われます。私が住む町にも「棒の手」という武芸が伝わり、お祭りなどで披露されています。
映画では、棒術の名門流派である黄金杖流の女師匠チェンパカの物語から始まります。彼女は、「他者の死によってもたらされる勝利を否定し、勝者になる欲求を抑えねばならない」と考えていました。しかし彼女の長い人生において、どうしても殺さねばならなかった三人の人物がおり、彼女は彼女が殺した三人の子供たちを育て、武術を教えていました。ビル(男性)、グルハナ(女性)、ダラ(女性)で、さらに捨て子だったアギン(10歳くらいの男子)です。チェンパカは歳をとったため、黄金杖流の後継者を決めねばなりません。黄金杖流の後継者には、この流派に伝わる黄金杖と奥義である黄金杖抱地拳が伝えられねばならず、この両方をもつ者は、最高の武術者とされました。
弟子たちの中では、ビルが年長であり最も実力がありましたので、当然ビルが後継者に選ばれると思われていました。ところがチャンパカが後継者として定めたのは、まだ未熟でしたが、邪心のないダラでした。これに不満をもったビルとグルハナはチェンパカを毒殺し、ダラから黄金杖を奪います。これに対してダラは、激しい修行によって黄金杖抱地拳という奥義を会得し、ビルとグルハナを倒し黄金杖を取り戻します。そして二人が残した娘を、彼女が育て武芸を教えていきます。まるで輪廻のごとく、同じことが繰り返されていきます。
伝統的に、シラットには「稲穂の教え」という基本思想があり、それは鍛練を積むに従って礼節や他人への思いやりを身に付け、心豊かに生きる事を理想とするそうです。これは日本の武道に通じるものがあり、大変興味深く見ることができました。私はこの映画を通じて、インドネシアについて自分が何も知らなかったことを痛感しました。私が教えてきた王朝史も宗教史も、この映画では何の意味もありませんでした。

またこの映画を通じて、東南アジアへの中国の影響の大きさを痛感しました。前に観たベトナム映画も、中国のカンフー映画と区別がつきませんでした。この映画でも中国の映画人が協力したとのことですので、ワイヤー・アクションなどではかなり中国の影響が観られました。ただ先のベトナム映画とは異なり、かなりインドネシア的なものが認められ、大変興味深く観ることができました。

2018年8月15日水曜日

「ヨーロッパ中世ものずくし」を読んで

キアーラ・フルゴーニ著、2001年、高橋友子訳、岩波書店、2010
 本書の原題は「鼻の上の中世」で、つまりメガネのことです。「メガネが本当に偉大な発見だったことは、重ねて強調しておかなければならない。拡大レンズを使うと老眼でも物が見えるのは、物のサイズを大きくするからだ。それに対して、メガネの両凸レンズは老眼になった水晶体の不十分な凸状を補うので、実物大でくっきりと物体を見せてくれる。いうなればメガネは目と一体化し、レンズは物と一体化する。」歳をとれば誰もが老眼となり、本を読んだり、細かな細工をしたりすることが困難になります。メガネの発見(著者はあえて「発見」という言葉を使います)は、我々に多大な恩恵をもたらし、それは少なくとも13世紀には存在していたそうです。
 今日われわれが空気のように当たり前に用いているものの多くが、中世に起源があります。例えば「キリスト紀元」という暦の考え方は中世に生まれたこと、下穿きの歴史、フォークの登場など、本書は「鼻の上」という一見些細な事柄に注目し、こだわります。こうした細部にも様々な歴史があり、それが歴史をさまざまな局面から描き出します。少し言い過ぎかもしれませんが、細部の中に普遍性が存在するということです。その意味で本書は、カルロ・ギンズブルグの「チーズとうじ虫」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/blog-post_8234.html)に共通するものがあるように思います。
 また本書は多くの図像を用い、その図像に描かれた些細な事柄から、新しい事実を発掘していく手法は見事でした。特に、ほとんどの民衆が読み書きできなかった時代においては、図像の解析は特に重要であろうと思います。

2018年8月11日土曜日

ベトナム映画「ソード・オブ・アサシン」を観て


2012年にベトナムで制作されたワイヤー・アクション時代劇です。ベトナム映画については、「ベトナム映画を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html)以来久しぶりに見ました。ベトナムも最近は映画大国になりつつあり、こうした時代劇もたくさん制作されているようですが、残念ながら私が観る機会がありません。
この映画がいつの時代を背景としているのか、目を皿のようにして観ていたのですが、ヒントになるものがありませんでした。ベトナムは、10世紀頃までほぼ中国の支配下にあり、映画が扱う時代はそれ以降ということになります。ベトナムは中国文化の影響を強く受けており、例えば漢字を用い、衣服や建物も中国風で、しかも映画では中国好みのワイヤー・アクションがふんだんに登場しますので、これを中国映画だと言われれば、そう思ってしまったかもしれません。主人公の姓がグエン=阮で、19世紀に阮朝というのがありますが、グエンというのはベトナムでは最も多い姓だそうです。第一、舞台が19世紀のことなら銃が登場するはずですから、映画の舞台がこの時代でないのは明らかです。
映画は、山中の寺でヴー・グエンという青年が武術の修行をしているところから始まります。この武術も、なんとなくカンフーのように見えました。グエン一族は宰相を出す家柄でしたが、12年前に皇太后が息子を皇帝にするため、皇帝や宰相一族を殺害し、ヴーはグエン一族の唯一の生き残りでした。やがてヴーは一族の復讐のため都に行き、そこで同じく皇太后に両親を殺され、復讐に燃えているスアンという女性に出会います。やがて皇太后の子、つまり現皇帝が前皇帝の血を受け継いでいないことを明かす文書があることが分かり、この文書を巡って争いが展開されます。
ここまでは、ストーリーがあまりにありきたりで眠くなってきましたが、最後は意外な結末でした。ヴーはついにその文書を手に入れます。彼としては、それを使って皇太后を倒しグエン一族の復興を果たすことができたはずでしたが、宮廷の醜い争いを見て、このような文書が表ざたになれば、また多くの血が流れ、国土が戦乱に巻き込まれることを憂い、これを皇太后に渡し、すべてを皇太后に委ねて去っていきます。少し考えすぎかも知れませんが、戦後インドシナ戦争やベトナム戦争など30年に及ぶ戦争への反省が背景にあるのかもしれません。
最近は東南アジアの映画も少しずつ日本で公開されるようになっているようですが、私自身はあまり観る機会がありません。

2018年8月8日水曜日

「消去」を読んで

リティ・パニュ+バタイユ著、2012年、中村富美子訳、現代企画室、2014
 1975年にサイゴンが陥落し、アメリカ軍がヴェトナムから撤退しました。カンボジアでも、同年左派のクメール・ルージュがプノンペンを制圧し、民主カンプチア政府を樹立します。そして4年間の間に百万人前後の人びとを、病気・飢餓・虐殺などで死に追いやります。なお殺された人数については諸説あり、ここでは深入りしません。
 著者は、13歳の時に両親や兄弟とともに強制労働に追いやられ、S21という収容所で暮らします。そこにはドッチという所長がおり、彼によって多くの人々が拷問され、殺されました。この間に両親も兄弟も死にましたが、運よく彼は生き延び、フランスに渡り、やがてそこで映画製作に携わります。そして「S21 クメール・ルージュの虐殺者たち」で注目されます。さらに、すでに逮捕され裁判を受けていたドッチに面会し、何百時間もの面談を行い、その結果生まれたのが本書です。
 著者はドッチに合うのが非常に苦痛でしたが、彼はこれを「トラウマ」というありきたりの言葉で述べることを嫌います。「私の場合は終わりのない悲しみだ。それは拭い去れないイマージュ、あまりに辛い仕打ち、私を苛む沈黙だ」と述べます。それにもかかわらず、彼はドッチに問い続けます。「あなたのようなインテリが、なぜあのようなことをしたのか」「あなたは夢を見ることがあるか」
 ある時著者は、50のスローガンをドッチに見せ、どれか一つを選ばせます。彼が選んだのは、「お前を残しておいても何の得もない。お前を消しても何も失わない。」で、さらに付け加えます。「もっと重要なスローガンがあるのをお忘れだ。『借りた血は、血で返せ』ですよ。私は驚いた。「なぜ、もっとイデオロギー的スローガンではなく、それを?」ドッチは私を見据えた。「リティさん、クメール・ルージュとは消去です。人間には何の権利もありません。」
これが、かつて世界中の知識人たちが称賛したクメール・ルージュの革命の実像だったのかもしれません。
リティ・パニュ                 ドッチ    



2018年8月4日土曜日

アシュラ


1993年にインドで制作された映画で、170分の大作です。今まで私が観てきたインド映画は、歌とダンスをふんだんに盛り込んだ、明るく楽しい映画が多かったのですが、この映画は復讐物語という異色の映画です。

主人公のシヴァニーはスチュワーデス(客室乗務員・キャビンアテンダント)で、すでに恋人がおり、結婚も決まっていました。ところが、大金持の息子ヴィジャイが、空港でシヴァニーを見初めたことから、彼女の不幸が始まります。彼は、子供の時から欲しいものは何でも手に入れようとしてきました。「ママ、あの星を僕にちょうだい」というのが、彼の口癖でした。彼はあらゆる方法を使って彼女に付きまとい、彼女が結婚した後も夫を事業に誘い込み、結局夫は彼によって殺害されてしまいます。彼女自身も無実の罪で投獄され、やがて子供も胎児も死に、すべてを失った彼女は、復讐のみを生き甲斐とするようになります。
映画の最初の3分の1は、ムトゥのような陽気な楽しい物語です。ところが次の3分の1は、ヴィジャイの企みによりさまざまな困難が生じ、彼女は地獄へとおちていきます。そして最後の3分の1が、復讐の物語です。復讐はヒンドゥー教の女神ドゥルガーの信仰と結びつきます。ドゥルガーは、外見は優美で美しいのですが、実際は恐るべき戦いの女神で、3つの目を持ち、10本あるいは18本の腕にそれぞれ神授の武器を持ち、虎もしくはライオンに乗る姿で描かれるそうです。シヴァニーは、あたかもドゥルガーの化身のごとく、復讐を果たしていきます。
また、この映画ではインドにおける女性の地位の低さが問題とされます。女性が財産のように取り引きされたり、夫への絶対的な服従が強制されることなどが、問題となっています。もちろん、こうしたことは世界各地の前近代社会でしばしば認められることで、教育の普及や中流階級の増加とともに、減少してきてはいますが、なお一部に強く残っています。シヴァニーは言います。女は「涙を流すから弱くなる」、「女は我慢するから虐げられる」と。映画は、インドになお残る女性蔑視の問題を取り上げているように思います。
ところで、この映画の日本語版タイトル「地獄曼荼羅 アシュラ」、さらにサブタイトル「女・神・発・狂」は、単に恐ろし気な単語を並べているだけです。「曼荼羅」は密教の世界観を示したもので、別に恐ろしくはありません。アシュラ(阿修羅)あるいは修羅はヒンドゥー教の戦いの神であり、修羅場などといった言葉もあるので、一応適合していますが、映画ではドゥルガーという戦いの女神が登場するので、ここでアシュラを用いるのは不自然です。サブタイトルの「女・神・発・狂」に至っては、意味のよく分からない単語に「・」を入れて意味ありげにしているだけです。この映画の原題は、「成り行き」とか「結果」を意味するヒンディー語だそうです。DVDのジャケットも左側は日本で考案されたもので、右側がインド版です。
 
 私は今まで外国映画の日本語版タイトルについて、何度も非難してきました。確かにあまりにひどいタイトルが多いのは事実ですが、結局私はそのタイトルに引かれてその映画を観、結果的にタイトルからは予想もできない名画に出会うこともしばしばでした。例えばこの映画の原題は「成り行き」ですが、この原題のままであれば、私はこの映画を観なかったかもしれません。時には、この邦題をつけた人は映画を観ていないのではないかと思うこともありますが、彼は多分映画を観ており、承知の上でその邦題を用いたのだと思います。また、中には原題より良いと思われる邦題もあります。だから、私はこれからも邦題を批判しますが、それでもそのひどい邦題を許そうと思います。その邦題のおかげで、私はその映画に出会えたからです。

ウイキペディアによれば、インドでは2003年には877本の長編映画と1177本の短編映画が制作されたそうで、まさにインドは映画大国です。映画制作の中心はボンベイ(ムンバイ)だそうで、ハリウッドをもじって「ボリウッド」という造語まで生まれているそうです。日本でも膨大なインド映画のほんの一部が公開され、根強いインド映画ファンもいるそうです。私もインド映画を観たいのですが、レンタル・ビデオ店ではあまり手に入りません。こうした映画を比較的多く扱っていたレンタル・ビデオ店が近所にあったのですが、閉店してしまいました。今は旧作ビデオの場合レンタル料が100円であり、さらにシルバー割引があって、私は50円で借りています。これでは、人件費も払えないのではないかと思います。一方、最近ではネットによる「見放題」が普及しており、レンタル・ビデオの時代は終わったのかもしれません。


2018年8月1日水曜日

「赤い大公」を読んで


ティモシー・スナイダー著 2008年 池田年穂訳 慶応義塾大学出版会 2014
 本書の主人公はハプスブルク家の大公ヴィルヘルムで、彼はウクライナを愛し、ウクライナの君主になることを望み、民衆のための社会革命を提唱して「赤い大公」と呼ばれました。本書は、2004年にウクライナでの民主化運動であるオレンジ革命を念頭において、ウクライナの建設に、このハプスブルク家の大公がどのように関わったかを描こうとしているようです。
しかしヴィルヘルムの夢は、二度の世界大戦、ハプスブルク帝国の崩壊、ソ連とナチスという全体主義の台頭、米ソ冷戦という現実の中で消えていきます。この過程で彼は、社会主義的な王朝国家の建設を提唱したり、パリで享楽的な生活をしたり、ナチスやソ連のスパイをしたり、そして冷戦が激化していく中で、彼はウィーでソ連軍により逮捕され、1948年にキエフの獄舎で死亡します。私には、彼の行動のすべてが時代錯誤的で、滑稽に思われてなりません。ウクライナについては、このブログの「映画でロシア史を観る 「隊長ブーリバ」」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html)を参照して下さい。
本書は、小説風に描かれます。「むかしむかし、マリア・クリスチーナという愛らしいお姫様がお城に住んでいました。お城でお姫様は、終わりから遡って始まりまでという風な読書の仕方をしていました。そこへナチスがやってきました。その後にはスターリニストたちがやってきました。この本はお姫様の家族の物語です。だからこの本は終わりから始めるとしましょう。」このお姫様はヴィルヘルムの姪であり、この物語はヴィルヘルムの獄死から始まります。