2018年8月4日土曜日

アシュラ


1993年にインドで制作された映画で、170分の大作です。今まで私が観てきたインド映画は、歌とダンスをふんだんに盛り込んだ、明るく楽しい映画が多かったのですが、この映画は復讐物語という異色の映画です。

主人公のシヴァニーはスチュワーデス(客室乗務員・キャビンアテンダント)で、すでに恋人がおり、結婚も決まっていました。ところが、大金持の息子ヴィジャイが、空港でシヴァニーを見初めたことから、彼女の不幸が始まります。彼は、子供の時から欲しいものは何でも手に入れようとしてきました。「ママ、あの星を僕にちょうだい」というのが、彼の口癖でした。彼はあらゆる方法を使って彼女に付きまとい、彼女が結婚した後も夫を事業に誘い込み、結局夫は彼によって殺害されてしまいます。彼女自身も無実の罪で投獄され、やがて子供も胎児も死に、すべてを失った彼女は、復讐のみを生き甲斐とするようになります。
映画の最初の3分の1は、ムトゥのような陽気な楽しい物語です。ところが次の3分の1は、ヴィジャイの企みによりさまざまな困難が生じ、彼女は地獄へとおちていきます。そして最後の3分の1が、復讐の物語です。復讐はヒンドゥー教の女神ドゥルガーの信仰と結びつきます。ドゥルガーは、外見は優美で美しいのですが、実際は恐るべき戦いの女神で、3つの目を持ち、10本あるいは18本の腕にそれぞれ神授の武器を持ち、虎もしくはライオンに乗る姿で描かれるそうです。シヴァニーは、あたかもドゥルガーの化身のごとく、復讐を果たしていきます。
また、この映画ではインドにおける女性の地位の低さが問題とされます。女性が財産のように取り引きされたり、夫への絶対的な服従が強制されることなどが、問題となっています。もちろん、こうしたことは世界各地の前近代社会でしばしば認められることで、教育の普及や中流階級の増加とともに、減少してきてはいますが、なお一部に強く残っています。シヴァニーは言います。女は「涙を流すから弱くなる」、「女は我慢するから虐げられる」と。映画は、インドになお残る女性蔑視の問題を取り上げているように思います。
ところで、この映画の日本語版タイトル「地獄曼荼羅 アシュラ」、さらにサブタイトル「女・神・発・狂」は、単に恐ろし気な単語を並べているだけです。「曼荼羅」は密教の世界観を示したもので、別に恐ろしくはありません。アシュラ(阿修羅)あるいは修羅はヒンドゥー教の戦いの神であり、修羅場などといった言葉もあるので、一応適合していますが、映画ではドゥルガーという戦いの女神が登場するので、ここでアシュラを用いるのは不自然です。サブタイトルの「女・神・発・狂」に至っては、意味のよく分からない単語に「・」を入れて意味ありげにしているだけです。この映画の原題は、「成り行き」とか「結果」を意味するヒンディー語だそうです。DVDのジャケットも左側は日本で考案されたもので、右側がインド版です。
 
 私は今まで外国映画の日本語版タイトルについて、何度も非難してきました。確かにあまりにひどいタイトルが多いのは事実ですが、結局私はそのタイトルに引かれてその映画を観、結果的にタイトルからは予想もできない名画に出会うこともしばしばでした。例えばこの映画の原題は「成り行き」ですが、この原題のままであれば、私はこの映画を観なかったかもしれません。時には、この邦題をつけた人は映画を観ていないのではないかと思うこともありますが、彼は多分映画を観ており、承知の上でその邦題を用いたのだと思います。また、中には原題より良いと思われる邦題もあります。だから、私はこれからも邦題を批判しますが、それでもそのひどい邦題を許そうと思います。その邦題のおかげで、私はその映画に出会えたからです。

ウイキペディアによれば、インドでは2003年には877本の長編映画と1177本の短編映画が制作されたそうで、まさにインドは映画大国です。映画制作の中心はボンベイ(ムンバイ)だそうで、ハリウッドをもじって「ボリウッド」という造語まで生まれているそうです。日本でも膨大なインド映画のほんの一部が公開され、根強いインド映画ファンもいるそうです。私もインド映画を観たいのですが、レンタル・ビデオ店ではあまり手に入りません。こうした映画を比較的多く扱っていたレンタル・ビデオ店が近所にあったのですが、閉店してしまいました。今は旧作ビデオの場合レンタル料が100円であり、さらにシルバー割引があって、私は50円で借りています。これでは、人件費も払えないのではないかと思います。一方、最近ではネットによる「見放題」が普及しており、レンタル・ビデオの時代は終わったのかもしれません。


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