2020年4月25日土曜日

映画「メアリーの総て」を観て

















2017年のアイルランド・ルクセンブルク・アメリカによる合作映画で、怪奇小説「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリーの半生を描いています。メアリーは1797年に生まれ、父は無神論者でアナキズムの先駆者であるウィリアム・ゴドウィン、母はフェミニズムの創始者とも呼ばれるメアリー・ウルストンクラフトですが、彼女はメアリーの出産とともに死亡しました。いずれにせよ、彼女は大変知的で自由主義的な雰囲気の中て育ちました。とはいえ、幼いころより母が埋葬されている墓地で、怪奇小説を読むのが好きで、「私の魂には不可解な衝動がある」と感じていたようです。
18世紀末から19世紀初頭にかけて、ゴシック小説と呼ばれる怪奇小説が流行しました。すでに18世紀半には墓場派と呼ばれる詩人が現れ、さらにゴシック式建築物の廃墟を舞台とした小説が生まれ、これがゴシック小説と呼ばれるようになります。また、このころ古代の調和と均衡より、中世の情念の世界を尊重するロマン派が形成されつつあったことも、ゴシック小説の形成に影響を与えたと思われます。ゴシック小説は、幽霊や怪物、その他の超自然的な現象が登場する神秘的で幻想的な小説で、メアリーの父ウィリアム・ゴドウィン自身が、犯罪小説風のゴシック小説を書いています。メアリーは、こうした環境のもとで育ちました。
 1814年メアリーが14歳の時に、ロマン派の詩人パーシー・シェリーと恋をし、彼には妻子がいましたが、16歳の時に駆け落ちします。この間流産し、さらに妊娠して子供を産みますが、まもなく死んでしまいます。また、母の思想を受け継いで自由恋愛を主張していたとはいえ、夫の奔放な行動に嫉妬し、自分が最も苦しんでいた時に夫が助けてくれなかったことに絶望します。そうした経験を10代半ばに重ねていくうちに、内面に大きな変化が起きてきたようです。そして18際の時「フランケンシュタイン」が誕生します。
 「フランケンシュタイン」が出版されたのは1818年で、原題は「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」です。スイスの科学者フランケンシュタインが、ドイツで勉強中に生命の謎を解き明かし自在に操ろうという野心にとりつかれ、それが神に背く行為であると自覚しながらも、自ら墓を暴いて人間の死体を手に入れ、それをつなぎ合わせることで怪物の創造に成功しました。誕生した怪物は、優れた体力と人間の心、そして知性を持っていましたが、容貌があまりにも醜くかったため、フランケンシュタインは怪物を残したままスイスへと逃亡しました。怪物は自分の醜さゆえ人間達からは忌み嫌われ、創造主たる人間に絶望し、フランケンシュタインの妻や友人を殺害します。憎悪にかられたフランケンシュタインは怪物を北極海まで追跡し、怪物もまた北極海に消えていきます。(ウイキペディア参照)
 これは、もはや怪奇小説の枠を超えています。当時フランス革命を通じて無神論が増えていたとはいえ、かつて神の領域と考えられていた生命を人間が創造したのですから、画期的な発想です。しかも呪いによってではなく、科学によって生命と人間を創造したわけですから、この小説はSF小説の先駆ともいうべきものです。考えすぎかもしれませんが、こうした発想は女性として生命を生み出した実体験によるものかもしれません。また、怪物は人との触れ合いを求めて博士に接しようとしますが、博士が恐れて逃げてしまい苦悩しますが、それは彼女と夫との体験に基づくのかもしれません。ただ、仮にそうした実体験が影響を与えたとしても、彼女の想像力の豊かさは、実体験をはるかに超えるものでした。

 映画は、墓場で読書するメアリーや、彼女や父との関係、14歳で恋をし、16歳で出産し、やがて「フランケンシュタイン」を出版するまでの過程が描かれています。16歳の出産は早すぎると感じるかもしれませんが、マリ・アントワネットは14歳で嫁いでいますので、当時としては決して早すぎるわけではないし、他の多くの女性も彼女と同様の苦しみを味わったはずです。ただ彼女は、想像力がずば抜けていたということだと思います。















 ところで、フランケンシュタインが創造した怪物の容姿はどのようなものだったのでしょう。左側の絵は1831年版の表紙に描かれた絵で、この時メアリーはまだ生きていますので、メアリーが同意していた絵なのでしょう。右側の写真は1931年に制作された映画での怪物で、この容姿がその後の怪物の容姿として定着していきます。なお、この怪物に名前はなく、今日ではこの怪物がフランケンシュタインとみなされることが多いようです。

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