2019年12月15日日曜日

映画「ソ満国境 15歳の夏」を観て















2015年に日本で制作された、文部省選定、少年向き映画で、田原和夫の同名の著書を映画化したしたものです。DVDジャケットの写真には2種類あり、左側は満州からの逃避行を行った15歳の少年たちを中心としており、右側は中国に取材に行った15歳の少年たちを中心としています。
 ことの起こりは、19455月に満州在住の中学生に、関東軍が食料確保のためと称して、ソ連との国境近くに少年開拓団を派遣しました。やがてソ連軍が侵入し、少年たちは必至で逃走します。日本の敗戦は明らかだったにも関わらず、なぜ関東軍はこの時期に少年開拓団を国境付近に派遣したのでしょうか。映画によれば、関東軍を撤退させるためのカムフラージュだったそうで、だとすれば少年たちはまさに帝国主義の犠牲者でした。関東軍の上層部とその家族は、さっさと逃亡し、列車も停止し、彼らは置き去りにされたのです。こうしたことは、決して彼らだけのことではなく、多くの人が満州に置き去りにされ、辛酸をなめることになります。少年たちは幸運にも、中国の村人に助けられ、国に帰ることができました。村人たちが少年たちは助けたのは、民族の違いとか過去のいきさつなどは関係なく、ただ困っている人々を助けたということでした。
 2011年東日本大震災が起き、津波と原子力発電所の事故が起きました。震災から1年後、発電所の近くに住んでいた人々は仮設住宅に住み、不自由で不安な生活を送っていました。中学では、未だに作業員たちが放射能の除染作業を続けていました。そんな中、中学の放送部員たちに、中国のある村の村長から手紙が届き、かつて満州から逃げてきた少年たちの物語を取材するよう招待していました。彼らは中国の村に行き、少年たちの苦労を知り、彼らに手を差し伸べた村人たちの心を知り、そしてこの村長が村に残った日本人少年の一人だったことを知ります。福島に帰った中学生たちは、そこでもう一つの事実を知ります。ボランティアで除染作業を行っていたお年寄りたちの中に、かつて満州から逃げかえった中学生たちがいたということです。

 全体として、何となく学芸会を観ているようで、満州からの逃避行と原発事故を結び付けるには無理があるように思いましたが、帝国主義と原発事故というという不条理のもとで苦しんできた人々がおり、苦しんでいる人々がいれば、手を差し伸べよう、というのがこの映画のテーマのようです。

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