2014年1月10日金曜日

インド映画「ムトゥ」を観て

  インドの映画「ムトゥ」は、1995年にインドで公開され、1998年には日本でも公開されて、大変評判になりました。この映画には、「踊るマハラジャ」というサブタイトルがついていて、インド風の歌とダンスをたっぷり楽しむことができます。映画の舞台となっているのは南インドで、時代ははっきりしませんが、画面に出てくる自動車の形からすると、195060年代ではないかと思われます。映画の内容は、大地主のもとで働く有能な召使いムトゥの活躍を中心に、ドタバタあり、笑いあり、涙ありの陽気な物語です。
 インド映画には、こうした歌やダンスを中心とした陽気な映画が非常に多いようで、日本にもかなりインド映画のファンがいるようですが、私自身はこうした映画をあまり観たいとは思いません。ただ、この映画を見て感じたのは、この陽気さはどこから出てくるのだろうか、ということです。人口10億人を超えるインドには、カースト制や貧困の問題、さらに最近の急速な工業化による公害や格差の拡大といった深刻な問題が存在しており、これ程陽気な映画が幅広く受け入れられていることに、驚きを感じました。

 以前、1950年代に製作された「大地のうた」という映画を観ました。この映画は、ある村のある家族が、貧困の中で大地にはりつくように生き、報われることの少ない日々を送るという物語です。この家族とともに暮らす老婆は、「向こう岸に渡してください、私は十分に生きました」と歌います。活発な少女は、ある時肺炎で死んでしまいます。映像がすばらしく美しいだけに、悲しみが一層深く感じられます。人間はこのように、何万年もの間、昆虫や植物と同じように大地で生き、大地で死んでいったのでしょう。
 「ムトゥ」と「大地のうた」のどちらが、本当のインドなのでしょうか。多分どちらも本当のインドなのでしょう。デカン地方で広く信仰されているガネーシュ(人間の体に像の頭をもった神様)は陽気な神様であり、お祭りの日に人々は大声で歌い、踊り狂います。一方、カースト制では、その身分は親から引き継がれるため変更できませんが、生前の行いによって来世で上位カーストに生れ変れると考えられているため、下位カーストの人には今でも自殺者が多いとのことです。
 ところが、「ムトゥ」の主人公は出生が明らかでない(最後に明らかとなります)ため、恐らくカースト以下の不可触民(最も卑しめられた出自)だと思われますが、映画ではそんなことを感じさせることなく、大変おおらかに描かれています。一方、「大地のうた」の家族は上位カースト出身ですが、貧困の中で苦労しています。要するにインドは多様であり、たった2本の映画でインドを理解しようなどということが無茶であり、私がインドについて、いかに無知であるかということが証明されただけでした。しかし、同時に、インド思想の深遠さが、この多様性を多様性のまま受け入れることにあるのだ、ということも分かったような気がします。
 でも、この映画自体は、あまり難しく考えなくても、十分に楽しめる映画です。



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