2014年1月22日水曜日

ハーメルンの笛吹き男


原作の表紙











 


ハーメルン市の位置



















笛吹男の祭り













 「ハーメルンの笛吹き男-伝説とその世界」(1974年 平凡社)は、すでに故人となられた安部謹也氏の著書で、日本における社会史の研究に大きな影響を与えた本です。
 「ハーメルンの笛吹き男」という童話は日本でも知られています。ハーメルンというドイツの小さな町でネズミが大発生し、人々は大変困っていました。そこへ奇妙な姿をした男が現れ、報酬を貰う約束で笛を吹いてネズミを退治しましたが、市民は約束の報酬を払いませんでした。怒った男は町を立ち去りましたが、再びやってきて笛を吹き、その笛につられてついてきた子供たちを誘拐した、という話です。
 この物語は、「約束を破ってはいけない」という教訓をともなった童話ですが、この話は史実に基づいています。ハーメルン市の古文書に、1284626日に130人の子供たちが行方不明になったという記録が残っているのです。この記録をもとに、安部氏は、子供たちが何故行方不明になり、何処へ行ったのか、またこの史実がどの様に変形されて民話となっていったのかを、詳しく述べています。
 近代以前においては、民衆は読み書きができないため文字資料を残しません。残っているのは、口から口に伝えられた伝承だけです。阿部氏は、こうしたあやふやな伝承や周囲の状況を詳しく分析し、この時代のハーメルンを取り巻くヨーロッパの社会のあり方を解明します。子供たちが何故、何処へ連れて行かれたかについて、明確な解答はありませんが(今日では、もはやこれを解明することは不可能でしょう)、この本を読み進めていくと、私たちは、13世紀のハーメルン、あるいはヨーロッパで暮らしているかのような錯覚に陥ります。この時代の混乱、狂気、生活の苦しみ、そういったものが目の前に描き出されていくのです。
 
 
 ハーメルンの人々は、その後長い間、何か事件が起きると、子供たちが消えてから何年目という具合に、常に「この時」を出発点としてとらえました。それ程、この事件はハーメルンの人々にとって衝撃的な事件だったのです。ところが、はじめはこの民話に「鼠捕り」の話しはなく、16世紀になって初めて「鼠捕り」の話と結び付けられます。童話では何らかの「教訓」が語られるのが常ですが、ハーメルンの人々にとって、この事件は、少なくともこの時代まで、「童話」ではなく厳然たる「事実」だったのです。しかし、人々はこの様な恐ろしい事件が何故起こったのかを考え続けてきました。そうした中で、「鼠捕りに約束を守らなかった」、その懲罰としてこの事件が起こった、と考えるようになっていったようです。そして「ハーメルンの笛吹き男」の物語は、童話として世界中に広がっていったのです。
 我々が学ぶ「歴史」は、特別な人物や大きな事件を中心とした歴史であり、それらを暗記することが、歴史学習の第一歩となります。そこには普通の人々の日常生活は一切登場しません。その背景には、文字資料を残さない普通の人々の生活を再現することが極めて困難であると同時に、普通の人々の歴史を学ぶことに意味が見出させない、という意識がありました。しかし、どんなに特別な人でも、どんなに大きな事件にも、その背景には圧倒的多数の普通の人々がおり、彼らなしに特別な人も事件もありえないと、考えられるようになってきました。
 また、私たち自身が普通の人間であり、普通の人間として日常生活を送っています。こうした私たち自身の歴史を学ばずして、歴史を学んだといえるでしょうか。むしろ、こうした歴史こそが、本当の歴史なのだと、私は思います。ただ、残念ながら、この本は相当に専門的で、素人が気楽に読める本ではありません。こうした内容の歴史書が誰でも気楽に読めるようになって初めて、歴史学の進歩があるのだと思います。









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