2006年、スペインとアメリカの合作映画です。この日本語のタイトルは「家政婦は見た」のようで感心しません。原題は「ゴヤの幽霊」です。
実は、この映画の主人公はゴヤではなく、ゴヤが同じ時期に肖像画を描いた二人の男女が主人公です。一人はカトリック信仰への「信念」に生きるロレンソ神父、もう一人は富裕な商人の娘イネスです。時代は1792年で、隣国のフランスで革命が頂点に達していた時代です。ロレンソ神父は、こうした時代の風潮に対して異端審問の強化を主張し、その結果イネスが些細なことから異端者として逮捕され、拷問され、異端者であることを「自白」します。そしてロレンソ神父は、卑劣にも獄中で怯えるイネスと関係をもち、その後フランスに亡命します。
15年の歳月が流れた後、ロレンソは信仰を捨て、フランス革命精神の信奉者となり、ナポレオン軍とともにスペインに帰ってきます。一方イネスは、フランス軍によって異端審問が廃止されたため釈放されますが、かつての活発な面影は消えうせ、ほとんど正気を失っていました。15年の間彼女を支えていたのは、ロレンソへの一途な愛と、彼との間に生まれた子供(生まれた直後に取れ上げられ、行方が分かりません)への思いだけでした。やがてフランス軍が敗北すると、ロレンソは反逆者・異端者として逮捕され、処刑されます。彼が処刑されるときの哀れな顔と、正気を失ったイレネの顔が対照的に映し出されます。
かつてゴヤが描いた肖像画には、最後の二人の面影を想像させるようなものはまったくありません。この二人の人物は、一体何者なのでしょうか。これこそ、「ゴヤの幽霊」なのだと思います。人間の脆さ、醜さ、といった言葉だけでは、この二人の激しい変化は表現しきれません。人間はかくも激しく変わるものなのでしょうか、また、冷酷な体制や時代の変化によって、人間はかくも変化するものなのでしょうか。人間の複雑さを深く考えさせられる映画でした。
ゴヤは大変複雑な人物で、私には彼を適切に説明する能力がありません。彼はスペインを代表する画家で、宮廷画家として頂点に上り詰めます。そして、一方では王侯や金持ちにおべっかを使って仕事をもらい、富を蓄えます。また、ナポレオンによるスペイン支配の時代にはフランスにも仕え、スペインに蓄えられた名画をフランスに持ち出すことに協力さえしています。しかし一方で、彼は時代の鋭い観察者でもあり、当時の社会を鋭く風刺した作品を多数残しています。つまり彼は常に傍観者であり、また時代を描くジャーナリストでもありました。その意味においては、「宮廷画家ゴヤは見た」というタイトルは、ある程度この映画の内容を反映させてはいます。
私は、絵画の良し悪しについてはあまり分かりませんが、ゴヤの絵を見ると、そこに描かれた人物の「眼」に引きつけられます。その「眼」から、その人物の邪悪さ、怨念、狂気、絶望、嫉妬など、様々な内面がほとばしり出ているように思われます。それは、画家としてのゴヤが見たその人物の本質であり、それこそが「ゴヤの幽霊」たちなのだと思います。
ところで、ゴヤについては「裸のマハ」という映画があります。1999年、スペインとフランスの合作映画です。ゴヤには「裸のマハ」と「着衣のマハ」という有名な絵があり、とくに前者については、陰毛が描かれていたことから、大変話題になりました。
「着衣のマハ」のモデルは分かっているのですが、彼女は当時の流行で脱毛していたにもかかわらず、「裸のマハ」では陰毛が描かれているのです。では「裸のマハ」のモデルは誰なのかということが、宮廷内で噂となりました。こうしたことが、宮廷の人間模様とともに、スリラータッチで語られていくのですが、私にはよく分かりませんでしたし、あまり面白いとも思いませんでした。
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