2014年1月10日金曜日

第5章 文字・鉄・貨幣の歴史


 



1.はじめに

2.文字の歴史-知識と情報の蓄積と交流

3.鉄の歴史-歴史の流れの加速化

4.貨幣の歴史-文明の血液

 
 
 









1.はじめに

 人類の歴史において、文字・鉄・貨幣はきわめて重要な役割を果たしてきました。この三つの発明なしには、文明の発展はありえなかったといえるでしょう。そして三つとも、その最初の発明はオリエントにおいて行われ、広く全世界に伝えられたのです。すなわち、文字はシュメール人が、鉄はヒッタイト人が、貨幣はリディア人が最初に発明したと考えられます。

2.文字の歴史-知識と情報の蓄積と交流

 

















結縄(キープ)
 結縄とは、紐に結び目をつけて数量などを表すもので、文字が発明される前段階で広く用いられました。インカ帝国ではキープ(結び目)と呼ばれ、人口・農産物・家畜などの統計に用いられ、相当高度な情報を伝達することができました。中国や日本でも、結縄が用いられた時期がありました。




 
 











 人間の思考伝達にはさまざまな方法があり、話し言葉や文字はその一つにすぎません。しかし、その中でも文字は、自分であれ、他者であれ、時間的・空間的に離れていても、コミュニケーションが可能であり、また情報を貯えることも可能とします。文字が発生される以前に、それに近い伝達手段、例えば絵や結縄などが用いられていました。絵と文字との境は曖昧でですが、思考を正確に表現できる文字体系を最初に生み出したのは、紀元前3千年頃のシュメール人でした。彼らが発明した文字はその形状から楔形文字と呼ばれ、その利便性ゆえに、またたくまに周囲に波及しました。

楔形文字














象形文字(ヒエログリフ)













インダス文字









甲骨文字
















社会が発達すればどこでも自動的に文字が作られるとは限りません。文字は人工的に作り出されるものだからである。おそらくシュメール人によって発明された文字体系は、エジプトの象形文字(ヒエログリフ)やインドのインダス文字の発明に何らかの影響を与えたと思われます。あるいは、前2千年紀前半に中国で発明された甲骨文字も、西アジアでの文字の使用に触発されて発明されたのかもしれません。これらの文字は、形も文字体系もまったく異なっていますが、言葉を文字で表記するというアイデアは、シュメール人のアイデアに由来するのと思われます。


 文字の発明は、それによる情報の伝達と知識の蓄積によって、文明の発展を加速させることになりました。これにより、従来以上に効率的な統治が可能となって、より規模の大きな国家が形成されるようになるとともに、商業取引がより効率的に行われるようになり商業発展も促進されます。今日残っている楔形文字の記された粘土板の多くが、商業取引に関するものであることが、このことを裏付けています。しかし、文字がさらに広く普及するためには、文字数が非常に多い表意文字から30程度の表音文字への転換が必要でありました。

フェニキア文字















アラム文字















ソグド文字
















アラビア文字





 













ビルマ文字















 すでに、楔形文字も象形文字もある程度表音文字化が進んでいましたが、これをさらに徹底させたのが、フェニキア文字とアラム文字です。紀元前1300年から紀元前1000年頃の間に、フェニキア人がエジプトの象形文字を母体としてアルファベットを発明し、さらにこれをもとに紀元前8世紀頃アラム人が独自のアルファベットを発明した。フェニキア文字はやがてギリシアに伝えられ、現在のヨーロッパのすべての文字の原型となりました。アラム文字は西アジアの商業文字、さらに国際文字となり、さらにアラビア文字や中央アジアのソグド人の文字を介して内陸アジアの多くの文字に影響を与えました。ソグド文字や内陸アジアの文字は今日では使用されていませんが、アラビア文字はコーランの文字として今日でも広く使用されています。また、アルファベットはインドのブラフミー文字に影響を与え、この文字は今日のインドの文字の母体となるとともに、東南アジアやチベットの文字に影響を与えました。もちろん、表音文字とはいえ、すべての言語にそのまま適用できるわけではなく、それぞれの言語に適用させるために長い年月をかけてさまざまな工夫がなされ、改変されて今日に至っているのです。

 中国の漢字は、2千年紀前半に生まれた甲骨文字に始まり、篆書・隷書などを経て、1世紀前後の漢代に楷書・草書・行書が成立し、ほぼ現在の形となりました。その数は数万字におよび、世界に例のない文字体系となっています。ただし現在の中華人民共和国では漢字が簡略化されているため、従来の漢字をそのまま用いているのは台湾の中華民国と日本だけです。

チュノム(字喃)

















ハングル(訓民正音)












一方、漢字は中国周辺に大きな影響を及ぼしますが、この文字の体系を別の言語に適用するのには困難を伴ったため、長い間、漢文としてそのまま用いることが一般的でしたが、やがて、それぞれの地域でそれぞれの言語に漢字が適用されるようになりまた。ヴェトナムでは、漢字をもとにしたチュノムという文字が作成されますが、現在のヴェトナムではアルファベットが用いられています。また日本は、漢字の「音読」と「訓読」、さらに仮名を組み合わせて、世界で最も複雑といわせる文字体系を生み出しました。一方朝鮮では、15世紀にハングルが作成されました。漢字の影響を受けつつも、まったく人工的に作り出された文字で、世界で最も合理的な文字とされています。


 人類は文字という武器を獲得した。もし文字の発明がなければ、その後の文明の発展やネットワークの発展の歴史は大きく変わっていたことであろう。文字は、多様な地域の言語体系に適応させるため多様な変化をし、現在も変化し続けている。インターネットが普及し始めたとき、アルファベットと英語が「世界文字・言語」となるのではないかとさえいわれたが、むしろインターネットを通して多様な文字や言語が自己主張を強めている。

3.鉄の歴史-歴史の流れの加速化

 

ヒッタイトと製鉄
15世頃ヒッタイトが製鉄を実用化したと考えられています。アナトリアを拠点としたヒッタイトは鉄の武器を用いて領土を広げ、一時はエジプトと争いました。ヒッタイトは製鉄技術を極秘にしていましたが、前12世紀頃海の民により滅ぼされて以降製鉄技術が拡散し、これにより人類は本格的な鉄器時代に入ります。










 

 「鉄」は人類にとって最も有用な物質の一つで、炭素の含有量を変えるだけで鋼鉄の硬さやゼンマイのような柔軟性をもたせることができ、しかも鉄鉱石は豊富に埋蔵しています。製鉄は銅に比べてはるかに困難であるため、その実用化は銅よりかなり遅れますが、前1500年頃には小アジア(アナトリア)を支配していたヒッタイトによって本格的な製鉄が行われるようになったとされています。その後ヒッタイトは長く製鉄技術を独占していましたが、ヒッタイト滅亡後製鉄技術はオリエントや地中海地域に普及し、前1000年頃にはインドに、さらに中国には春秋戦国時代に、また日本には弥生時代に伝播しました。

アッシリア
鉄の普及は、人類の歴史を大きく変えることになります。鉄製の武器の使用によって国家間や民族間の戦争が激化しただけでなく、鉄製農具の普及により森林の伐採や耕地の開墾が可能となり、農業生産が飛躍的に増大した。その結果、商工業の発展も促進され、各地で都市の発達や国家形成が進み、やがて巨大な古代帝国の形成を促すことになります。さらに、製鉄には多量の木材資源が必要なため生産地が限定され、その結果鉄製品を商う交易も発達しました。ティグリス川上流に居住していた商業民族アッシリア人は、紀元前2千年紀の半ばにはヒッタイトとの鉄製品の交易で繁栄しましたが、やがて全軍を鉄器で武装した軍事国家へと変質し、紀元前7世紀には全オリエントを統一するにいたります。そして、紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシアという大帝国が建設されることになります。こうして鉄器の登場は、これまでのゆっくりとした歴史の流れを一気に加速させることになるのです。

たたら
日本古来の独自の製鉄法で、足踏み式の「ふいご」で送風します。たたらを踏むさまが、空足を踏む姿と似ていることから、勢い余って踏みとどまれず数歩あゆむことをたたらを踏む」といいます。








 しかし、製鉄の普及は環境破壊を促進することにもなります。それは、鉄製農具による森林の開墾だけではなく、製鉄には高温を必要とするため、大量の木材資源を必要とするからです。かつて森で覆われていたヨーロッパでは、開墾や製鉄などのため森林資源が枯渇し、製鉄のための木材も不足するようになりました。しかし、鉄に対する需要はますます高まったため、木材資源を必要としない製鉄技術の開発が不可欠となってきた。こうした中で、18世紀初頭のイギリスにおいて、ダービー父子がコークス製鉄法を発明し、これによって産業革命を可能とする基礎産業である鉄鋼業が発展することになります。まさに産業革命は「鉄と石炭の革命」なのである。

エッフェル塔
 産業革命が進展すると、機械の製造や鉄道の建設のために鉄に対する需要がますます高まり、19世紀後半に行われた一連の技術革新により、鉄中の炭素量を自由にコントロールできるようになり、鋼鉄の大量生産も可能となりました。その結果、例えば建築物の構造材として鉄が使用されるようになり、従来の煉瓦や石材による建築物とは異なり、建築物の高層化が可能となり、都市に多数の住民を居住させることが可能となりました。これを象徴する建築物として、1889年パリで開催された万国博覧会でエッフェル塔が出品され、これは現在もパリにあって多くの観光客を集めている。

アルザス・ロレーヌ
この地方では、石炭と鉄の鉱脈が採掘場が隣接しているため運搬の容易で、経済効率が高く、二つの世界大戦はこの地方を巡るドイツ連邦共和国・フランスの戦いでもありました。そのため戦後ヨーロッパに恒久的な平和をもたらすためヨーロッパ石炭鉄鉱共同体が結成されて、この地方の石炭・鉄鋼を共同管理下に置きました。これが今日のヨーロッパ共同体の出発点となります。








一方、鉄鋼業は産業社会の主力産業となり、19世紀末には巨大な独占資本を形成する企業が排出し、とくに鉄鋼業から巨大な兵器産業に発展したドイツのクルップや、アメリカのカーネギーなどがよく知られています。また、鉄鉱石や製鉄に必要な石炭は国家にとって重要な戦略物資となり、国家間の争奪の的となった。なかでも、ドイツとフランスの国境地帯に存在するアルザス・ロレーヌ地方は、しばしば両国の紛争の的となり、二度の世界大戦の原因の一つともなりまた。さらに製鉄のための大量の化石燃料の使用は、大気汚染という環境問題の原因となっています。

4.貨幣の歴史-文明の血液

子安貝(宝貝)=貝貨










エレクトロン・コイン
 貨幣は「文明の血液」といわれ、古代から今日にいたるまで、経済の発展に大きな役割を果たしてきました。原始社会においては、物々交換が行われていましたが、やがて貝殻などのような特定の物品が貨幣として使用されるようになり、さらに保存性と等質性に優れた金属が貨幣として用いられるようになります。最古の鋳造貨幣とされるのは、前7世紀に小アジアのリディア王国で鋳造された金と銀の合金のエレクトロン貨で、この貨幣は直ちに古代ギリシアに伝えられました。ギリシアの貨幣は、ヘレニズム時代にはローマや西アジア、さらにインドにも影響を与え、この地域の貨幣経済の発展に大きな影響を与えました。

青銅貨幣                                                       秦の半両銭

 中国の貨幣は、当初は様々な物の形に似せて造られましたが、結局利便性という点から、環銭をベースとして丸に穴を開ける貨幣が定着します。この貨幣は、穴に紐を通して使用することができ、きわめて便利です。









同じ頃中国でも、春秋戦国時代に刀銭などといった青銅貨幣が鋳造されるようになり、さらに秦以降統一貨幣が鋳造されるようになり、貨幣経済が進展しました。ただ、西方世界では貨幣は貴金属を素材とする国際貨幣であったのに対し、中国の貨幣は卑金属を素材とし、強力な国家権力の統制下におかれた国内貨幣でした。このように中国が銅本位制を採用したため、中国は常に銅の不足に苦しめられることになります。


元の交鈔
紙幣はその材質自体には価値がないため、乱発すると価値が下がり、ただの紙切れになってしまいます。そして中国のように専制君主が支配するところにあっては、権力者が財政難を打開するため、恣意的に紙幣を乱発することがあり、結局紙幣は定着しませんでした。

 














  ローマ帝国の分裂後、西欧世界では一時貨幣経済が衰退したのに対し、ビザンツ帝国では金貨がさかんに鋳造され、さらにイスラーム帝国の下でも大量の金貨や銀貨が鋳造されて、商業の発展に大きな役割を果たしました。中国では、宋代に貨幣経済が発展して銅銭の需要が増大すると、銅銭が不足するようになったため、紙幣が発行されるようになります。紙幣は唐代後半に出現した約束手形が発達したもので、最初は商人たちが運営していましたが、やがて政府が官営化することによって紙幣が生まれました。元代にも交鈔と呼ばれる紙幣が発行されますが、元末に乱発されて財政破綻の原因となります。同時に、元代の中国で銀が流通するようになり、後の中国の貨幣制度に大きな影響を与えることになります。

 16世紀のヨーロッパにアメリカ大陸の銀が大量に流れ込むと、価格革命を引き起こすとともに、中国にも大量の銀が流れ込んで貨幣経済の飛躍的な発展を促しました。一方、この頃からヨーロッパ諸国は独自の通貨を発行するようになりまするが、同時に国際貿易が活発化するにともなって、安定した国際通貨の必要性が生まれました。これを実現したのはオランダで、オランダは安定した国際通貨を発行することにより、首都アムステルダムは国際金融の中心的な役割を果たすようになります。オランダの金融覇権はほぼ18世紀を通じて維持されますが、この間に徐々に金融の中心はイギリスに移っていきます。


イングランド銀行。
17世紀末に軍事費調達のため設立され、イングランド銀行券が発券されます。これはやがて近代的な発券銀行となり、こうした銀行はヨーロッパ各国で設立されます。日本でも、明治維新後日本銀行が設立されました。











この時代のイギリスにはブラジルから大量の金が流入し、やがてこれが金本位制をもたらしました。また、1694年に設立されたイングランド銀行は、限られた貨幣への渇望を癒すための近代的な発券銀行となり、これが紙幣の普及につながって、19世紀のなかばには鋳造貨幣と並んで紙幣が一般化するようになります。さらにイギリスの経済覇権の確立にともなって、19世紀後半から20世紀にかけて各国で金本位制度が採用され、ここに世界的な規模で貨幣制度の統一基盤が形づくられることになります。


≪映画≫

もののけ姫 

1997年 宮崎駿のアニメ
 このアニメの内容については、ここで述べる必要はないでしょう。私がこのアニメで注目したのは、製鉄と関わっていることです。舞台となった村は製鉄で栄える村で、実際に「たたら」と呼ばれる踏み台で女性たちが風を送り込む作業をしている場面が出てきます。問題は、製鉄には大量の木炭が必要であり、そのために森林が伐採されて自然が破壊されていく、ということです。このアニメのテーマは、自然を破壊する人と動物たちとの戦いであり、自然と人間の共生を訴えることだろうと思います。
 鉄は人間にとってきわめて有用な物質であり、製鉄法の発明がなければ、その後の人類の歴史は大きく変わったことでしょう。しかし、同時に鉄は自然破壊の原因の一つでもあったのです。
 






たたらのふいごを足踏む場面





















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