2014年1月10日金曜日

第3章 グローバル・ヒストリーとは何か





1.ワールド・ヒストリー

2.近代世界システム

3.ネットワーク論

4.グローバル・ヒストリーの成立

付録.現代のグローバリゼーション





 
 
 









1.ワールド・ヒストリー

この角度から見た地球に、旧世界の大半が含まれています。近代以前のネットワークは、ここを中心として展開されました。


 









  従来「世界史」は、ワールド・ヒストリー(world history)と呼ばれてきましたが、近年グローバル・ヒストリー(global history)という言葉が盛んに使われるようになっています。ではワールド・ヒストリーとグローバル・ヒストリーとは、いったい何が違うのでしょうか。従来の世界史は、どちらかといえば、国あるいは地域単位での、いわば「縦の歴史」が重視され、「世界史」とはいっても、実際には国あるいは地域単位の寄せ集めにすぎませんでした。

その背景には、19世紀に生まれ、20世紀に一世を風靡()した「国民国家」を中心とする考え方があります。また、19世の思想家マルクスは、前の講でも述べたように、人類の歴史を階級闘争の歴史としました。つまり、古代ギリシア・ローマ時代は奴隷労働に依存した時代で、支配階級は大土地所有者であり、中世は奴隷ではないが不自由な身分の農奴の労働に依存した時代で、支配階級は荘園の支配者であり、近代は産業資本を中心とした資本家が賃金労働者を搾取した時代である、としました。つまり人類の歴史を、生産手段に基づいて時代区分したのです。
 
 マルクスの影響はきわめて大きく、その後人々は彼の考え方を世界の他の国にも当てはめようとしました。例えば日本や中国における奴隷制社会や農奴制社会はいつなのか、といった不毛の論争を長く続け、これを世界史の基本法則としようとしたのです。しかしマルクスの理論はヨーロッパをモデルとしたものであり、歴史的条件のまったく異なる他の地域にこれを当てはめることは不可能であした。さらに、研究が進むと、彼の理論はヨーロッパにさえ適用することが困難となってきました。また、マルクスの理論は、基本的には国・地域単位の発展理論であり、所詮各国別の歴史にすぎすぎませんでした。
 
 そこで、世界史の新しいとらえ方が模索され、「文明圏」という、より大きな枠組みで世界史をとらえる試みがなされました。オリエント文明、古代地中海文明、南アジア文明、東アジア文明、ヨーロッパ文明などであり、世界史の教科書は現在でも、このような枠組みをもとに記述されています。しかし、こうした「文明圏」による世界史のとらえ方は、各国史あるいは地域史の枠組みを拡大しただけであり、本当の意味での世界史とはいえないのではないか、という疑問が生まれてきました。
2.近代世界システム
 
 新しい「世界史像」の構築に突破口を開いたのは、アメリカの社会学者ウォーラーステインの『近代世界システム』(1974)でしたる。以下、彼の説を簡単に紹介します。
 



















 16世紀の西欧で成立した資本主義的「世界経済」は、他の地域を経済的に従属させるという特色をもっていました。最初、西欧への従属地域は東欧とアメリカ大陸のみでした。当時のヨーロッパは、中国やインドと比べて経済的に劣っていましが、とくにアメリカ大陸からの収奪によって富を蓄積し、しだいに力をつけ、徐々に従属地域を拡大していきます。そして、19世紀なって、ヨーロッパは全世界を経済的に従属させていきます。このような体制を、ウォーラーステインは「近代世界システム」と呼んだのです。

 この「近代世界システム」は、近代以前にしばしば存在した広域支配体制である「帝国」とはどのように異なっているのでしょうか。近代以前の「帝国」は、常に政治的・軍事的な支配をともなっており、それゆえに支配の拡大には限界がありました。それに対して、「近代世界システム」は、原則的には政治的・軍事的な支配を前提とせず、経済的な支配を目指すため、領域的な制限がなく、全世界を包含することが可能です。これによって、全世界にヨーロッパを中心とする分業体制が成立し、全世界がヨーロッパにとって都合のよい経済体制に再編成されていきました。その結果、アジア・アフリカ・中南米などは、歪んだ経済体制を押しつけられ、今日に至るまで経済的に自立することが困難な状況におかれています。
 
この「近代世界システム」はヨーロッパを中心とする体制ですが、そのヨーロッパにも中核となる国家、つまり覇権国家が存在します。最初の覇権国家は17世紀のオランダであり、第二の覇権国家は19世紀のイギリスであり、第三の覇権国家は20世紀のアメリカ合衆国です。各時代に、これらの国を頂点として、世界経済体制が形成されたのです。

 そして、この「近代世界システム」が歴史を決定する最も重要な要素であり、各国あるいは各地域の内的要因は補助的な要素にすぎません。したがって、歴史の研究に必要なことは、もはや各国や各地域の特殊事情を研究することではなく、「近代世界システム」の具体的な内容と、各国や各地位がそれにどのように関わったかということを研究すればよいことになります。
 以上が、ウォーラーステインの「近代世界システム」の概略であり、彼の主張に従うならば、各国別の歴史の寄せ集めとしてのワールド・ヒストリーではなく、今やグローバルな規模で成立した「近代世界システム」という全体の中での相互の関連を研究するという、グローバル・ヒストリーが成立したことになります。
3.ネットワーク論
ウォーラーステインに対する批判は、さまざまな角度から行われました。その一は、一つのシステムがすべてを決定するという決定論的な歴史観、さらに経済を重視しすぎているという点です。そして何よりも、ウォーラーステインに対する最も大きな批判は、内容が近代に限定されており、さらに、あまりにヨーロッパ中心的である、ということです。アメリカの社会学者・歴史家であるアブー・ルゴドが、『ヨーロッパ覇権以前―もうひとつの世界システム』において、世界システムは近代世界システム以前にも存在したと主張し、13世紀における交易ネットワークの存在を主張した。また、同じくアメリカの歴史家で、『リオリエント』の著者であるA.G.フランクは、アブー・ルゴドでさえ手ぬるいとしてアジア中心の世界システムを提唱しました。





















 









 こうした批判にもかかわらず、ウォーラーステインの「近代世界システム」は、世界史を体系的にとらえるための一つの可能性を示したし、これをきっかけに、近代以前についても同じ手法で研究が行われるようになりました。例えば、先のアブー・ルゴドや、『東アジアの地域ネットワーク』などを著し、東アジアの海域世界について大きな成果をあげている濱下武志らが、近代以前のネットワークの研究を進め、さらにネットワークの接点ともいうべき東南アジア史に関する研究も急速に進んでいます。その結果、今日われわれは、便宜上、近代以前の世界史の捉え方を「ネットワーク論」と呼び、近代以降を「システム論」と呼んでいます。

4.グローバル・ヒストリーの成立
こうした中で、「ネットワーク論」と「システム論」を統合して、「グローバル・ヒストリー」と呼ばれる研究分野が成立してきました。しかしこの分野の研究はまだ始まったばかりであり、まだ、どのような方向に進んでいくのかもはっきりしていません。
しかし、こうした研究動向は、今日の高校の世界史教科書に大きな影響を与えています。たとえば、ある教科書では「近代になって世界の一体化を推進した諸力(近代工業力や科学技術)は、地域の格差を強め、支配・従属関係をつくり出し、」と述べ、さらに別の教科書は「世界規模でのヒト・モノ・資金・文化の動きや世界各地域の相互作用を重視する本教科書では、こうした格差、いわゆる南北問題が、世界の歴史のなかで、どのようにして生まれてきたのか、ということをも大きな問題として扱った。結論からいえば、貧困な国は、怠惰な後進国なのではない。これらの国々の多くは、そこに暮らす人々の意思とは関係なしに、いまの先進国の手によって開発され、その影響を大きく受けているのである。」と述べている。
ただし、高校の世界史教科書では、各国別・地域別、あるいは文明史を中心としたワールド・ヒストリーとグローバル・ヒストリーが混在しているため、かえって分かりにくくなっているのが現状です。そこで、ここでは、論点を明確にするために、グローバル・ヒストリーという観点から世界史の再構築を試みることにします。もちろん、グローバル・ヒストリーが「歴史」のすべてではなく、地域の特殊性や個々の人間の果たした役割も、「歴史」の重要な要素であることは、間違いありません。しかし、現代のグローバリゼーションのルーツを探るという今日的な課題を念頭においたうえで、あえてグローバル・ヒストリーという観点を、ここでの主要なテーマにしたいと思います。
付録.現代のグローバリゼーション
 第二次世界大戦後、アメリカ合衆国を中心に大量生産・大量消費が全世界に拡大し、高速化された交通・通信手段などのネットワークが全世界を覆うようになった。とくに、1970年代以降コンピューター技術が躍進して、膨大な量の情報を高速かつ正確に処理できるようになり、「情報革命」が始まった。今やインターネットという超高速のネットワークが地球上に張りめぐらされ、世界中の経済情報がコンピューターで処理され、24時間休みなく大規模な金融取引が繰り返されている。
 「情報革命」にともなう世界的な規模の企業や銀行が、地球的な規模の経済活動を展開するようになると、従来国民国家=主権国家が果たしてきた役割が低下し、民間組織の果たす役割が増大するようになった。また、ビジネス都市と呼ばれる卓越した経済機能をもつ都市が出現するようになった。ビジネス都市は、情報の発信・指令センターとしてグローバル・ネットワークの結節点に位置づけられ、モノ・ヒト・カネ・情報は、国家の監視の枠を超えて世界各地のビジネス都市を結ぶネットワーク上を高速で移動するようになった。その結果、世界各地にビジネス都市が急速に発展しつつある。
 しかし都市の発展は、一方で深刻な問題を引き起こしている。もともと、都市は食料供給などのために自然を破壊することによって、その機能を維持してきた。最近では、第三世界でも急速に都市人口が増大したこともあって、都市住民の生活と欲望を支えるため、歯止めのきかない資源の略奪が行われるようになった。油田では膨大な量の原油が採掘され、大型タンカーにより都市にエネルギーが供給されている。また、世界中から大量の食料が都市に送り込まれている。その結果、自然の調和により維持されているエコシステム(生態系)は、破壊の危機に瀕しているのである。


マングローブの危機
マングローブは、熱帯・亜熱帯地域の河口にある密林地帯で、多様な生物が棲息しています。近年伐採などによりマングローブの破壊が進んでいますが、これは地球の温暖化や海水の浄化を阻害する原因となっていると言われています。
 
 
 
 
 
 
 

 
サヘルの砂漠化
サヘルSahel)とはサハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域で、サハラ砂漠より湿潤ですが、近年乾燥化が進み、1980年代には何百万人もの人々が死亡したとされています。
 
 
 
 
 
 
 
 
≪映画≫

「キャラバン」

1999年 フランス・イギリス・ネパール・スイス合作
この映画の舞台となったのはヒマラヤ山脈のどこかの村、時代ははっきりしませんが、過酷な自然の中で生きる人々の姿を描いた映画です。この地域は、栽培できる農作物は限られており、農業的に自給できないため、この地方で採れる塩を遠隔地まで運んで麦と交換し、食料を補っていました。そのため、この村の人々は、おそらく何百年もの間、あるいは何千年もの間、毎年キャラバンを編成して塩と麦を交換する交易を続けてきました。人類の交易とグローバリゼーションの第一歩は、おそらくこうした交易から始まったのでしょう。
 物語は、村の人々から尊敬される長老が年老いたため、キャラバンを率いることがしだいに困難になってきたことから始まります。やがて一人の若者が長老に逆らい、キャラバンを率いて出発し、そのあとを長老のキャラバンが追います。つまり村の中で世代間の対立が起こったわけです。旅の過程で長老も若者も大変な苦労をし、長老は世代交代の必要を感じるとともに、若者は長老の知恵と経験に感服します。
 このように人類は何千年も前から、一歩一歩大地を踏みしめながら他の地域との交流を続け、交流の範囲がしだいに拡大し、やがて世界全体が結びつけられていったのです。

白い馬の季節

2005年 中国
中国の内モンゴル自治区を舞台としています。草原の砂漠化が進行し、放牧生活が困難になっていく様子を描いています。
















トゥヤーの結婚

2006年、中国
内モンゴル自治区で牧畜生活を送る家族の物語です。一人の女性が、怪我をして働けない夫と子供を養うため、夫と子供の面倒を見てくれる男性との再婚を考えます。モンゴルの珍しい風習を観ることができると同時に、草原での牧畜生活の困難さを知ることができます。

















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