2018年9月27日木曜日

小説(3)コルト(麻実)



装飾の美しいコルトを手にとった。
金属的な輝き。冷たい感触に快感が突き上げる。
どんな感情もはねつける、その無慈悲さ。たまらない。
俺という人間を殺してくれるのは、こういう無機質な物質だと思う。殺されるなら、コイツがいい。
俺は銃口を頭蓋に突き付けた。鈍い感触に、俺の細胞の全部が、歓喜に打ち震える。甘い疼きが内側で広がる。
さあ、早く俺を殺してみせてくれ。そして、じっくりと感触を確かめるように、しかし躊躇なく、引き金を引いた。
一瞬ののちもなく、空まわったような音がした。
静寂。
当然か、装填されてない。弾倉は空だ。
一瞬の、しかし永遠的な、醒めてゆく感覚に襲われる。今なら、どんな残酷非道なこともできそうな気がするほどの、冷徹な引き潮。俺は、それを、押しやるように引き出しの奥深くに、コルトをしまった。

空。空はいい。なにしろ、果てしなく広くて、どんな主張もない。俺は空になりたい。なぜこんなところでこの人間をやっているのか理解できない。俺は何かでありたくないのに。なんにもいらないのに。全てに存在し、何者でもない、空がいい。

俺が学校の屋根から飛び降りようとしていた、という騒ぎがおきた。正確には、屋上でフェンスを乗り越え、空を眺めていたら、うっかり足を滑らせて落ちかけただけだ。
……どうして自殺しようと思ったの?
 やけに顔面がふくらんだような湿気で編み込まれたような、でかい目鼻口で。背景にがちがちに埋め込まれたたくさんの呪文みたいな規律がかかれた模様がべっとりと染みついていた。分厚い空気を発散させながら、なだめるようなおこったな怯えたような声で聞いてきた。俺はゆっくりと答えた。
……自殺願望なんて、ない
自殺願望、というと、何か違う。その言葉は様々な人間の感情で濡れている気がする。俺の死に対する欲望は、もっとまっさらな、純粋な、なにか。そう、たとえば宇宙空間を覗き込んだときのような、深く、暗く、神聖な情動だ。
それよりもなにより俺のこの特に生きていたいと思わない、という体質をどう説明するのだろうか。生に対する無関心さを、どう解釈するのだろう。
……心の病? 家庭環境? 遺伝子? 思春期特有の悩み?
 様々な色合いの推論が場を滑るように行き交ったけれど、どれもしっくりこない。そんな生やさといものじゃない。そんなもの、単なる後付けにしかならないじゃないか。俺を突き動かす情勢の一切をひとことで言い表すならこうだ。
 死にたい。
 この理解できない欲求、絶対矛盾。
 人生論なんて興味ない。感情論なんて、欲しくない。

 心の痛みを止めるために鎮痛剤を飲んでみた。効果は抜群。ゆったりと眠くなって充溢した宇宙に溶け出すときの甘い官能。それと真っ暗な、無。あるいは無が満ち溢れた闇色の光。それが楽しくてもう病みつき。ほとんど中毒者のように睡眠を貪る。このまま眼が覚めなければどんなにいいか。ああ、本当に何もしたくない。起きて何かをすることに特別な意味があるなんてどうしても思えない。
 大人になるということは、大人が作り上げた価値観に迎合してゆくことを言うのかな。それは大変だ。別に世の中が嫌になったわけじゃない。嫌になるほど興味もない。どうでもいい。大人になりたいとも、子供でいたいとも思わない。何かでなければならない俺なら、いらない。

 無。
 これより甘美に満ちた言葉を他に知らない。
 もっとも、舌の上を転がせるどころか、思考の内を泳がせることも叶わない。
 だからこそ、それが何か知りたい。手に入れたい。どうしてもそれが欲しい!
 俺の全存在をかけた、一世一代の無いものねだりだ。
 俺は、たぶん、死ねない。ほとんど悦びに似た悲しみである。
 永久に、神の秘に焦がされるのだ。
 瞬間、体が真っ二つに引き裂かれたような熱いものに貫かれる。畏怖というには優しすぎる。まるで精神と肉体が根底からズレていくような、そんな感触。俺は、と言おうとして、絶句する。言葉が、意味を滑り落ちる。声が霧散してゆく。息ができない。
 ただ映るのは、極彩色の虚無。
 深淵がまた俺を見つめてくる。恍惚とした表情で。
 俺は艶然と笑いかえしてみせる。
 まだ、気丈なふりをするくらいの余裕ならある。
 
内側から外側から蔓延する奇態な電波音を無防備にえんえんと聞かされたかのような、無内容なやりとりに、ほとんど吐き気がする。気持つ悪い。
他の人は平気なのだろうか。くだらない内容を言葉に乗せて、くだらない人間だと自分で公言して回るなんて。そんなことをするくらいなら、死んだほうがマシじゃないか。言葉は、その人のすべてを余すことなく映し出す鏡のようだ。言葉は嘘をつかない。なぜなら本当のことを語らないからだ。口にした瞬間に、心の気配が俺という背景を持ち、言葉の魔力に捕まってしまう。言った言葉は、全部本当で、全部嘘。そしてどちらでもない。俺なんて、いない。俺という人間は、いない。どこにも。
俺はどうしても、この神経が発狂したような現実(ものがたり)が受け入れられないのだ。中途半端なウソで繕うなら、上質なウソに弄ばれるほうがいい。俺は部屋にこもり、空想にふける。俺の最愛の友は、静寂と、ひたすらに無情のコルトと、本物の言葉。

思考するという行為は、自殺するのと似ている。その鋭い切っ先で躊躇なく切り刻んで無感情を遊ぶ。その刹那、こちらも一緒に切り付けられたのではないかと、ひやりとする。あるいは、流れ落ちたしずくは、汗なのではなくて、赤い滴りかもしれない。傷口が深ければ深いほど、痛みは失われていく。

自分の意志とは無関係に、訪れる青い夜に突き落とす、魅惑的な傷跡。空気抵抗とも言うべき壮絶な氾濫は、独自の人格を持ち、はっきりとした閃光を描いて純粋にまっすぐに射抜いて行こうとする。言葉の刃に彩れて。焦がれるように狂おしく。魂が溶けるほどの悦楽にひれ伏す。俺を置き去りにして。そして、眠ることも食べることも話すことも何もできなくなる。それは閉じていると同時に凍てついたままどこまでも開ききり、方向がちりぢり、底の知れない漂白にさらされて、醒めた眼差しに射抜かれて、見つめられて、動けない。無防備さを打ち抜けるあらゆる激情。その舞台と化した俺の中身、からっぽという名の満花。全開というのはこういうことなのかとぼんやり思う。あるいは、全壊。言葉である幸福を感じるのと同時に、言葉の檻から逃れたくてたまらないのだ。そんなときは、睡眠薬を使って強制終了するか、もうひとつの方法をとる。それは、夜の公園へ行くこと。

誰もいない、言葉とは無縁な場所。静かな夜の優しさに、言葉なき者たちの饒舌さに救われる。
遠くで鳴く虫の声。鉱物と植物のささやき。生き物の気配。月光に濡れた夜露の足音。宇宙の息づかい。そのすべてが俺とどう違うのか、分からない。この心地よい混沌。あらゆるものが俺の中で呼吸する。あらゆるものの中に俺が鼓動する。時空をこえて彼らと混ざり合う。幾何学模様を描いて、織り上げる風のにおい。宇宙の心臓の奥底で夢をみる。あれ、俺はどれだったけな。周波数のように頼りない、屈強な、輪郭。密で編み込まれた、氷結した時間に。在るとも無いともどちらでもない一切を透過する意識の細さ、無彩色のほとりで誘惑する、全感覚に引きずりこまれそうになる。肉体と精神の奏でる神々しい不協和音。ああ、還りたい。すべてがきらきらと砕けていく。奇麗。パチパチと火花のように弾ける感受性。ああ、体が、邪魔だ。
溶け出した意識の底で問いが反響する。本当は俺は何を望んでいるのだろう。本当に? 俺? 望んでいる? その疑問符も優しく無限の彼方に吸い込まれていく。俺は無意識と意識のはざまでゆらゆら蠢く幽霊みたい。
部屋へもどり、コルトを装填させた。お前だけが俺の味方だ。どんな感情も宿さない、優しく冷たいコルト。その鋭利な眼差しで優しく俺を殺して。銃口をこめかみに置いた。
一切の悲性を拒絶する、死への未知数な歓喜。
いざ。

 ところで、眠っている俺は、さて生きているのか死んでいるのか、どちらでしょう。時々、眠っている間は死んでいることと同じだから、起きて何事かをするほうが人生が得だと言う人がいる。人生を損得だと思っていることは差し引いても、意識が活動していないイコール死んでいる、という発想が持てるということは、人は無意識に生死が肉体だけに訪れるとは限らないと、暗に感じているのだ。生死は、目で見えて手で触れるものではないと、その口が行っている。この場所にたって本当に問うことができるのだと。生きて死ぬとは何か?




(写真と文章の内容とは、直接関係がありません)

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