2016年4月9日土曜日

映画「聊斎志異」を観て

2010年に中国で放映された連続テレビ・ドラマで、全36話からなります。「聊斎志異(りょうさいしい)」とは、清代の初頭に蒲松齢によって書かれた怪奇小説集で、全12503篇からなります。聊斎は作者の号であり、「聊斎志異」とは「聊齋が怪異を記す」という意味です。
 蒲松齢は、1640年に山東省の名家に生まれましたが、父の代に家は傾き始め、彼自身妾の子として生まれたため、肩身の狭い生活をしていました。19歳の時、科挙の地方試験に次々と主席で合格しますが、その後は何度受けても落第を繰り返し、塾の教師などで生計を立て、75歳で死亡しました。彼は、20歳頃から小説を書き始めますが、小説書きなどというものは、当時一人前の知識人がすることではありませんでしたので、それを家業にするつもりはなかったと思われます。彼は大通りに座り、通りかかった人から奇異な話を聞き、それらを粉飾して文章にしたそうです。「聊斎志異」は40歳の時にほぼ完成し、その後推敲を重ねて、死後出版されました。本書は当時大変評判となり、日本でも、上田秋成の「雨月物語」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html)など、大きな影響を与えました。

 映画は、503篇のうちの6編だけを扱っています。「梅女」「画壁」「公孫九娘」「江城」「白秋練」「庚娘」です。幾分コミカルに描かれており、「雨月物語」のような暗さはありません。

1話 梅女

(泥妖)


潘雪梅(ばんせつばい)という美しい女性が、泥妖(でいよう)という妖怪と悪徳役人の策略で無実の罪を着せられ、首吊り自殺します。20年後、泥妖と悪徳役人は相変わらず悪事を働いており、彼女の霊は彼女がかつて住んでいた家の梅の木に宿っていましたが、梅の木が枯れかかっていました。ある時この家に、封雲亭(ほううんてい)という科挙の受験生が現れ、梅の木に水をやって再生させ、やがて二人は恋に落ちます。しかし、雪梅は幽霊ですので、結婚できません。結婚するためには、彼女が転生する必要があり、そのためには彼女の怨みを晴らす必要があります。そのため二人は、様々な困難を乗り越えて、泥妖と悪徳役人を倒し、彼女は転生して雲亭と結婚することができました。

2話 画壁

(黒山)

蘭若寺(らんじゃくじ)という寺には、黒山(こくさん)という妖怪が住み、寺の僧侶や寺を訪れた人を寺の壁画の中に取り込み、その精力を吸って自らの妖力の源としていました。一方、町に住む孟龍譚(もう・りゅうたん)という青年は科挙を目指していましたが、科挙に失敗し、さらに恋人にも裏切られてしまいます。また沈孝廉(しん・こうれん)は遊び好きで、素娘(そじょう)という美しくて貞潔な妻がいましたが、孝廉は相手にしませんでした。龍譚と孝廉は親友で、ある時蘭若寺を訪れ、二人とも壁画に描かれた二人の美女に魅せられ、壁画に取り込まれてしまいます。素娘は夫が帰らないので心配して、行者の助けを借りて自ら壁画の中に入り、夫を連れ戻しますが、龍譚は壁画の女性に恋をし、彼女と壁画の中で暮らすことを決意します。

現実と幻想、過去と現在が入り乱れ、またドラマ作りも雑でしたので、非常に分かりにくいドラマでした。

3話 公孫九娘

(九娘)

ある県の知事である胡嘯天(こ・しょうてん)は、悪逆非道な人物で、公孫家の嫁に横恋慕して、公孫家の人々を皆殺しにしてしまい、殺された娘の九娘(きゅうじょう)は怨霊となって復讐しようとしていました。一方、杜懐生(と・かいせい) 九娘の婚約者で、科挙に合格し、九娘と結婚するために、この町を訪れました。ところが、彼女も彼女の家族も殺されており、胡嘯天の悪行を知り、怨霊となった九娘とともに胡嘯天を殺そうとします。これに対して胡嘯天は、怨霊封じのために腕利きの道士を雇ったため、九娘は胡嘯天に近づくことさえできません。杜懐生には学問と道義心があるのですが、力がありません。また、皮肉にも胡嘯天の娘采霊(さいれい)が、杜懐生を愛してしまいます。しかし九娘と杜懐生は協力して胡嘯天を倒すことに成功します。幽霊と人間は結婚できないため、九娘は去って行き、杜懐生と采霊は生涯結婚しませんでした。

 この物語は妖怪物ではなく、霊魂は怨みを残したまま成仏することはできず、転生するためには怨みを晴らさねばならないという話で、第1話「梅女」に似ています。

4話 江城

(蛇妖)

高蕃(こう・ばん)と樊江城(はん・こうじょう)は幼馴染で、久しぶりに再会して愛し合い、結婚しました。ところが、江城に蛇妖(じゃよう)が憑りつき、江城の体を使って高蕃を殺そうとしました。実は、前世において高蕃は傷ついた白兎を助けますが、これが江城の前世の姿であり、これが高蕃と江城の縁でした。ところが蛇妖が白兎を殺したため、高蕃はこの蛇妖を殺してしまいます。そして現世において、蛇妖は前世での怨みを晴らすため、高蕃が愛する江城に憑りついて高蕃を殺そうとしたのです。

 二人は何度も危機に陥りますが、結局最後に道士が蛇妖を退治し、二人の愛が勝利したという話です。

5話 白秋練

(菩薩様の審判)

 大きな湖(洞庭湖)に、魚の精である白秋練(はく・しゅうれん)と白秋菊(はく・しゅうぎく)という姉妹が住んでいました。つまり、彼女たちは妖怪ですが、妖怪にも良い妖怪と悪い妖怪がいるそうで、彼女たちは良い妖怪ということになります。彼女たちは、しばしば人間の姿をして町に出かけ、白秋練は慕(ぼ・せんきゅう)という男性に恋をし、白秋菊(はくしゅうぎく)は妖怪退治を使命とする真君(しん・くん)に恋をします。しかし妖怪と人間とが結びつくことはできず、さらに龍宮の太子が白秋練に横恋慕し、白秋練を奪おうとします。
白秋練・慕宮と白秋菊・真君は龍宮太子と戦って死を迎えますが、この最期の時にそれぞれのカップルは愛を確認し合って、人間と妖怪の壁を乗り越えようとします。

 ここで菩薩様が登場し、龍宮太子を罰するとともに、白秋練を人間にして慕宮との結婚を許し、真君を魚にして白秋菊と洞庭湖で暮らすことを許します。こうして、人間と妖怪の壁を乗り越えて、愛が勝利したという物語です。

(洞庭湖)


 なお、舞台となった洞庭湖は長江中流域にあり、比較的浅い湖ですが、その面積は琵琶湖の約4倍あり、古くから歴史と文学と神話が育まれてきたことで知られています。










6話 庚娘(こうじょう)

(天の神様)

庚娘(こう・じょう)は、夫と三世にわたり仲を引き裂かれるという悲惨な運命を背負っていました。まず、前々世では、日照りのため湖に水を汲みに行った夫が崖から落ちて死に、前世では夫が科挙に合格し、帰国途中に突然の嵐で湖に落ちて死亡、今生では夫は盗賊によって殺害されます。湖に住む龍女は、人間界と天をつなぐ精霊ですが、庚娘の三世に及ぶ悲劇を憐れみ、庚娘と合体して盗賊に対する庚娘の復讐を手助けします。これをきっかけに、運命の歯車が狂い始め、いろいろな人が生き返ったり死んだりします。ちょうどタイムマシーンで過去に遡り、歴史を変えてしまうようなものです。

 最後に天の神が出現し、庚娘が前々世よりはるか昔に重い罪を犯したため、三世にわたって罰を課せられたのだということ、そしてこれが最後の罰のはずだったのですが、庚娘が運命を狂わせてしまった、と語ります。そして神は庚娘に、今のままの状態で罰を受け続けるか、それとも塵となって消滅するかを選ばせます。庚娘は塵となって消滅することを選び、これによって庚娘の消滅以外は、すべて元に復することになります。

画皮 千年の恋

 2011年に中国で制作された連続テレビ・ドラマで、34話からなり、これも「聊斎志異」の中の一編です。白狐の妖怪が人間の男性に恋をするという物語で、幾分おどろおどろしく、かつコミカルで艶やかな物語で、上の「聊斎志異」と比べると、格段に出来の良い映画です。狐が人間に化けるために、美しい女性の膚を剥いで身に着けることから、このタイトルが生まれたのだと思います。

 そして映画の最後で、道端で旅人から面白い話を取材している蒲松齢が登場し、大変興味深い内容でした。











私は原作読んでいませんので、上に述べた内容はすべて映画に基づくものです。全体にコミカルに描かれているのは、原作に基づいているのか、映画制作者の意図なのかは、分かりません。それぞれの物語は、一途な女性の思いや、「縁」「前世」「転生」「道士・降魔師」などといった言葉が頻繁に登場し、仏教・道教・儒教などが混然一体となっており、大変興味深く観ることができました。また、悪徳役人や科挙受験生が頻繁に出てきますが、これは何度も科挙を受けた彼自身の経験に基づくものだと思われます。

日本の「雨月物語」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html)は、人間の底知れ情念をしっとりと描いていますが、「聊斎志異」では妖怪と人間との激しいバトルが展開されますので、日本の怪異小説とは幾分趣が異なるように思えました。











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