G.N.スタイガー著(1927年) 藤岡喜久訳 光風社選書(1990年)
本書の原題は「中国とヨーロッパ-義和団の起源とその発展」で、著者は当時上海の大学で教授を務めていた中国史の専門家です。義和団事件は、1900年から1901年にかけて中国で起きた民衆の反帝国主義運動で、この事件については、このブログの「映画で中国清朝の滅亡を観て 北京の55日」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/08/blog-post_15.html)を参照して下さい。
欧米人の眼から見ると、義和団事件は突然起き、突然終わった紛争であり、事件後数年間は事件の経過についていろいろ論じられましたが、その原因について論じられることはなかった、とのことです。義和団事件が起きてから四半世紀たって、中国は国共合作から分裂に至る混乱の極みにあった時代に、著者は、中国の行く末を考える上において、当時の混乱の出発点ともなった義和団事件の原因を明らかにする必要があると考えました。そして義和団事件は、それより四半世紀前からの出来事の総決算である、という結論に達します。本書は、義和団事件に関する最初の本格的な研究書だそうで、本書が執筆されてから1世紀近くを経た今日でも、その価値を失っていないそうです。
全体の内容は、ヨーロッパと中国との関係を中心に、事実関係が詳細に描かれており、私自身はあまり詳細な内容には関心がないため、途中から読み飛ばしました。ただ、第1章における次の文章に興味を引かれました。
「辛亥革命以前にヨーロッパを訪れたヨーロッパ人は、常にその独裁政治の外観に驚き、その多くが中国を以て東洋的専制主義の典型であると考えた。しかしそれは誤りである。この一千年の間、中国の政治は極めて民主的であった。19世紀初めの中国は、世界で唯一の民主主義が正しくしかも大規模に行われていた国である。中国程に、人民の生命財産が政府の恣意のもとになく、皇帝を含む全官僚が人民に対して直接責任を負い、その不文法に対し忠実であった国はない。皇帝の絶対権は、確かに、完璧であったが、しかしそれは一定の枠内に関してのことであった。そして、その枠は明確に規定されており、皇帝といえどもそれを逸脱するには、重大な覚悟が必要であった。……国民の生活は高度の自由を享受し、……司法関係の諸事項も、刑事訴訟以外、隣保制に基づく共同体内の問題であった。一言にしていえば、中国は自治の国であった。」
中国に関して、この様なことが言えるのかどうか分かりませんが、少なくとも皇帝の権力が人民の末端にまで及んでいたとは言えないと思います。皇帝が誰であれ、平和な時代であれば、人々は比較的自由に生活していたことでしょう。奴隷制を基盤としていた古代ギリシアと比較した場合、中国の民衆の方が不自由であったとは言えないと思います。また現在の自由主義世界が、本当に民主的であるのかどうか、そして民主主義とは何かを、考えさせられます。
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