2016年4月13日水曜日

「紫禁城の黄昏」を読んで

 本書は、清朝最後の皇帝である宣統帝溥儀に仕えたイギリス人家庭教師ジョンストンの手記で、満州国成立後の1934年に出版されました。同年に日本でも翻訳されますが、私が読んだのには、1989年の岩波文庫版(入江曜子・春名徹訳)で、一部省略されています。2005年に祥伝社から完訳が出版されました(中山理訳・渡部昇一監修)。この完訳版の訳者は、岩波版で省略されている部分を子細に調べとところ、中華人民共和国に不利な内容を省略しているようで、意図的な削除であると批判しています。
 ジョンストンは、1898年、24歳の時植民地官僚として香港に赴任し、1904年には威海衛に赴任しました。そして1919年に、溥儀の家庭教師に選ばれ、ヨーロッパ人として初めて紫禁城に仕えることになりました。当時の紫禁城は奇妙な状態にありました。辛亥革命によって1912年に清朝は滅亡し、中華民国の時代となっていましたが、溥儀は紫禁城内では皇帝として生活することが許されていました。溥儀が皇帝となったのは1908年で、210カ月、そして1912年、6歳になったばかりの頃退位しますが、そのまま紫禁城に留まりますので、本人には事態の変化を何も理解できていません。1919年、中国が五・四運動で揺れていた時代に、ジョンストンが紫禁城に入ります。溥儀が13歳の時です。ジョンストンは、紫禁城に入ったとき、不思議の国のアリスのような気分だったと述懐しています。
 1924年に軍閥によるクーデタで溥儀とその一族が紫禁城を追放されるまで、ジョンストンは溥儀の家庭教師を務めます。溥儀は皇帝でないのに皇帝と名乗り、外の世界は激変していたのに、紫禁城内では時間が止まったかのごとく、清朝以来のしきたりが守られていました。本書は、この間の紫禁城内の様子や出来事を詳細に描いており、資料的に極めて重要なものです。また、紫禁城から追放される前後の事情をかなり詳しく記述しており、大変興味深い内容でした。

 一方、ジョンストンはかなり保守的で、当時中国革命で大きな役割を果たしつつあった孫文をあまり評価しておらず、本訳で削除された部分では、溥儀が満州を支配すべきだと述べていたようです。ただこれは、ジョンストンだけの考えというより、当時の欧米人の一般的な考えだったと言えるかもしれません。また、本書が書かれた当時、溥儀は満州国皇帝となっており、本書は溥儀に捧げられていますので、このように書くのは当然のこととは思います。そうした問題はあるにしても、本書は極めて面白く読むことのできる本です。この本に基づいて、「ラスト・エンペラー」という映画が制作されますが、これについては、このブログの「映画で清朝の滅亡を観て ラスト・エンペラー」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/08/blog-post_15.html)を参照して下さい。

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