門田修著 筑摩書房 1990年
「スールー海賊訪問記」というサブタイトルがついています。著者の門田氏は、「漂海民」に憧れて、インド洋や東南アジアの海で彼らと生活をともにし、また「海賊」なるものにこだわり続けた人物で、私のような「小心」な人間には到底真似できないことです。スールー諸島(ウイキペディア)
スールー海は、フィリピン南部のミンダナオ島からボルネオにかけての島々で、一応フィリピン領ではありますが、フィリピン政府の統治がほとんど及んでいない地域のようです。15世紀半ばにマラッカ王国からアラブ人がここに王国を築き、この王国は実に19世紀末にアメリカに併合されるまで続きます。この王国の宗教はイスラーム教であり、アラビア語を公用語とし、中継貿易で繁栄し、海賊行為も行っていました。
陸を移動して暮らす人々がいるように、海を移動して暮らす人々がいます。彼らは船を住居として暮らし、漁業を生業とし、時には商業を行い、時には海賊行為も行います。我々が従来学んできた歴史は、陸の権力者の歴史であり、海に生きる人々は無視されてきました。しかし最近海のネットワークが注目されてきたことから、漂海民についても注目されるようになってきました。今日では、漂海民が生きていける場所はずいぶん減り、海賊もずいぶん減りました。それでも、スールー海、マラッカ海峡、ソマリア沖などは、今日でも海賊が出没しますが、マラッカ海峡では周辺国の協力により、ずいぶん海賊が減ったようです。最近ではソマリア沖の海賊が激増しており、スールー海の海賊事件数はソマリア沖の海賊事件数に一位の座を譲ったようです。
海賊というと「パイレーツ・オブ・カリビアン」に登場するような海賊を想像しがちですが、本書によると、スールー海の海賊は少し違うようです。筆者は何人かの海賊にインタビューをしていますが、彼らは海賊行為や殺人にほとんど罪悪感をもっておらず、強い者が弱い者を倒して物を奪う行為を、自然の行為と考えているようです。しかも、スールー海の海賊は、主に貧しい地元の漁師を襲います。漁で獲った魚や貝を、またそれを売って得た金を奪い、時には命も奪います。
なぜ彼らは海賊となったのか。貧困によりやむを得ず海賊を行うという説明があります。しかし著者の聞き取り調査では、親族に海賊がいたから海賊になったというケースがほとんどのようです。彼らは国家などはまったく信用せず、親族の繋がりのみを重視します。したがって親族やそれと関わる人は決して襲いません。著者が海賊に会うことができたのも、親族の繋がりに頼ったからでした。また、海賊行為はヨーロッパの侵略に対する反抗という見方がありますが、海賊行為はヨーロッパの進出以前からあり、それが現在一つの要因となっているとしても、本来の原因とは思われません。
結局著者の結論は次のようです。「弱い者は襲われてもしょうがない」「こんな海賊たちの非人道的な考え方、いや、感じ方は人間を生態系の一部として見做す意識が強いからではないだろうか。海底にころがるナマコや海面を走るアカエイや、ジンベイザメや、動かない珊瑚虫と同じように人間を観察するのだ。それら命あるものは、海で生きる者にとって採集の対象物である。人間もまた例外ではない。生命は護るべき、慈しむべきものでなく、狩り獲り利用すべきものなのだ。そのあとは熱帯の太陽が再生産してくれる。バランスが崩れない程度の採集を行っている。自然を熟知した者の行いだ。」
このような著者の結論が正しいのかどうか分かりません。人間は魚ではないので、ただ弱いから殺され奪われた、ですむのでしょうか。今一つ納得のいかない結論でしたが、人間の営みには、こうした側面もあるのだとは思います。
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