掘立小屋が並んでいるだけの動物園
動物とは自由に触れ合うことができます
かなり汚い動物園です
犬と猿が共存しています
「旅には色々な出会いがあります。私は紀伊半島の旅が好きで、よく42号線を車で走りました。この道路の途中の紀伊長島の近くに、「動物園」という名前の不思議な動物園があります。当時(今から10年以上前)60歳を過ぎた「オジサン」が一人で経営している動物園で、入場料はわずか200円、客も少なく、どうやって経営しているのか不思議に思っていました。でも、私はこの動物園が何となく好きで、42号線を走る際には、必ず立ち寄り、何も語らず立ち去っていました。
ところが、あるときこの「オジサン」が、突然私に身の上話を始めたのです。自分は小学校のときに遠足で伊勢神宮に行き、そこで大きなガマガエルを見た。このガマガエルを自分で飼ってみたいと思ったのだが、伊勢神宮までは遠かったので、まず新聞配達をしてお金をため、自転車を買って伊勢神宮に行き、ガマガエルを捕まえた。これをきっかけに色々な動物を飼い始めるようになった、というのです。
この話を聞いて私は、私がこの動物園に不思議な魅力を感じていた理由を理解しました。この「オジサン」は動物園を経営しているのではなく、単に本人が色々な動物を飼いたくて、それが結果として動物園になっているだけだということ、したがって、この動物園は実は動物園ではなく、「オジサン」と動物が一緒に生活する「場」だったのです。だから私は、この動物園に不思議な魅力を感じていたのです。
この「オジサン」が、突然、私に身の上話を始めた理由は分かりません。さらに10年近くこの動物園には行っていませんので、現在この動物園がどうなっているのかも分かりません。この機会に、この動物園を再建するプロジェクトを立ち上げたいとも思うのですが、この「オジサン」は相当偏屈な人なので、私の言うことなど聞いてくれないでしょう。」
整然とした綺麗な動物園になりましたが、動物の気配がしません
実は2年前(2009年)の3月に、久しぶりにこの動物園を訪問しました。ところがこの「オジサン」は、前の年の12月、つまり4か月前に亡くなっていました。その後、「オジサン」のただ一人の協力者だった奥さんは、一人では動物園を経営できないので、実家のある鳥羽に帰ったそうです。そこで地元の人たちが話し合った結果、ボランティアによって動物園を維持することが決まり、また出資する人がいて、動物園はきれいに改築され、若いボランティアの人たちがせっせと働いていました。
私はボランティアの女性に、「オジサン」は面白い人でしたね、と言ったら、「無茶苦茶な人でした」という答えが返ってきました。この動物園は、「オジサン」のいい加減な動物管理のため、しばしば動物が逃げ出して、近所の人たちに迷惑をかけていたようです。確かに動物が逃げ出すのは問題ですが、動物園がきれいになり、動物の管理がしっかり行われるようになった結果、この動物園の魅力が失われてしまいました。結局この動物園は、オジサンの、オジサンによる、オジサンのための動物園だったのです。
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