2004年にメキシコで制作された映画で、中米の小国エルサルバドルでの内戦を描いています。中央アメリカとエルサルバドルについては、このブログの「映画「サルバドル」を観て」に詳しく書きましたので、一部を引用します。
中央アメリカの歴史と社会は、どの国も似たような経過をたどります。構造的には、一握りの地主による寡頭支配とその利益を守るための独裁政権の存在、それに対する勢力との内戦が繰り返されます。20世紀になるとアメリカ資本が本格的に進出して、多くの国がその温暖の気候に適したフルーツを生産し、ますますアメリカ資本への従属が強まっていきます。こうした中にあっても、各国の内部で改革を行おうとする動きもありましたが、ことごとくアメリカの介入によって潰されてきました。今日多くの国では失業者の増大と貧富の差の拡大、犯罪者の跋扈による無秩序状態が蔓延しています。ホンジュラスから多くの難民がアメリカに向かうという事件がありましたが、それはこうした情勢を背景としています。そしてエルサルバドルも似たような状態にあります。
「サルバドル」とは「救世主」を意味し、それに定冠詞「エル」がついて「エルサルバドル」となります。また首都は、聖なる救世主という意味で「サンサルバドル」となりました。かつてスペインがアメリカ大陸を征服した時、キリスト教に関連する地名をつけることが多く、例えばかつてスペイン領だったカリフォルニアのサンフランシスコやロスアンジェルスなどがよく知られています。
第二次世界大戦後のエルサルバドルは比較的安定していましたが、1979年に隣国のニカラグアで革命政権が樹立されると、その影響を受けてエルサルバドルでも革命評議会による暫定政権が成立しました。これに対して極右勢力によるテロ活動が激化し、1980年にはサンサルバドル大司教が殺害され、これに対して左翼ゲリラが抵抗運動を起こします。これが、1992年まで続くエルサルバドル内戦で、この内戦で75000人を超える犠牲者が出たとされます。この間、1980年にアメリカ大統領に当選したレーガンは、中米の共産化を阻止するために「エルサルバドル死守」を掲げ、本格的に介入を始めたため、内戦は泥沼化していきました。
映画「サルバドル」は、内戦を取材するジャーナリストの姿を描いていましたが、「イノセント・ボイス」は内戦に巻き込まれる少年たちの物語で、まさに「無垢なる声」です。舞台となったのは、ゲリラと軍の狭間に取り残されたクスタカンシンということ小さな町です。この町では政府軍とゲリラとの銃撃戦は日常的であり、特に政府軍は12歳以上の少年を兵士として強制的に徴収していきます。過去においても今日においても、世界の各地で、紛争が泥沼化した地域においては、しばしば少年や少女を拉致し、洗脳して兵士として訓練することが行われてきました。このブログでも、以前に「ザ・テロリスト 少女戦士マッリ」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_11.html)を紹介しました。
主人公のチャバは快活な少年でしたが、まもなく12歳になろうとしており、12歳になれば徴兵されることになっていました。そのため彼はゲリラのもとに逃亡しようとしますが、その過程で友人や初恋の少女を政府軍によって殺され、快活だった少年は初めて絶望の叫び声をあげます。その後多くの人の援助を受けて、彼はアメリカに亡命します。もちろんアメリカでは彼は不法移民ということになるでしょうが、それでも故郷の家族に送金することができます。中南米では、多くの人々がこうした生活を送っており、アメリカへの不法移民の波は、止まることがありません。
アメリカからすれば、それぞれの国内であろうとアメリカであろうと、こうした低賃金労働者は不可欠であり、結局彼らはアメリカ資本主義の発展に貢献しているわけです。
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