佐伯富著(昭和16年) 中央公論(1990年)
王安石は、11世紀半ばに北宋で活躍した政治家・詩人・文章家で、特に「新法」と呼ばれる一連の改革を断行した人物として知られています。王安石は、南宋時代以来長い間非難され続けてきました。特に明代には、王安石の新法は悪政を施行したから悪人なのではなくて、元来悪人だから悪政をしたのである、とまで罵倒されました。彼についてのこのような批判は、本書によれば意図的につくられたものだそうです。
王安石については、19世紀の末頃から再評価されるようになり、やがて高い評価が与えられるようになっています。私がずいぶん以前に呼んだ「王安石 濁流にたつ」(三浦國雄著 集英社 中国の人と思想 1985年)は、エピソードが沢山書かれていて、面白く読むことができました。これに対して本書は中国の近世という視点で論じており、日本における時代区分論争と関わっているため、別の意味で興味深く読むことができました。
内藤湖南氏が、宋から明または清までを「近世」として位置づける京都学派を形成し、中国に近世はなかったとする東京学派との論争が展開されてきました。こうした時代区分論争は、今日ではほとんど行われていませんが、昭和16年に書かれた本書では、京都学派の流れを汲んで、王安石を近世の政治家として論じています。このような説が、今日どこまで受け継がれているのか、私には分かりませんが、本書では王安石の個々の政策を近世的政策として論証しており、それはそれで納得のいくものでした。
なお、本書が描かれた昭和16年とは太平洋戦争が始まった年で、日本は激動の時代を迎えていました。そして唐末から宋にかけての時代も、社会が激変していた時代でした。著者は、当時の日本の状況を憂慮しつつ、本書を執筆したのではないかと思います。
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