田辺厚子著 1986年 サイマル出版会
著者は、若いころに単身メキシコに渡り、本書の執筆当時はメキシコ国立自治大学の助教授でした。彼女は以前に「住んでみたメキシコ」で、メキシコを批判的に描きましたが、本書ではメキシコの素晴らしさを描いています。
1937年にトロツキーがメキシコに亡命してきたことはよく知られていますが、彼は危険人物として世界中から追放され、最後にメキシコにたどり着いたわけです。ではなぜメキシコだったのか。また、これほどの危険人物をなぜメキシコが受け入れたのか。本書は、こうした問題をさまざまな角度から描いています。
1917年にメキシコ憲法が成立し、1930年代にカルデナスが大統領になるまでの間については、私はただ政治的混乱ということしか知りませんでした。しかしこの間にメキシコで文化的な革命が起きていたのです。きっかけは、1921年にディエゴ・リベラがヨーロッパから帰国し、革命後の荒廃した祖国を壁画で飾ろうということでした。至る所に壁画を描き、それには子供たちや村人たちも無償で手伝い、それは一大文化運動に発展していったのです。インディオやスペイン人やメスティーソが混在するメキシコで、長い動乱の後に、突如民衆文化が開花したわけです。この頃、ニューヨークで修行していた北川民治が、メキシコを訪問し、壁画に魅せられ、野外美術学校で子供たちに絵を教え始め、彼の教えを受けた子供たちの中から、後に多くのプロの画家が成長します。
このように世界各地から、メキシコに人々が集まるようになり、メキシコはそれらの人々を受け入れました。30年代にはドイツで迫害された左翼やユダヤ人が、またスペイン内戦で敗れた人々がメキシコに亡命してきます。彼らは世界中を放浪した後に、最後にメキシコに安住したのです。日本で治安維持法で弾圧された佐野碩も、世界中を転々としたのちにメキシコに移住し、やがて「メキシコ演劇の父」とまで言われるようになります。トロツキーが、厄介者として世界各地から追われ、最終的にメキシコにたどり着いたのは、こうしたメキシコの風潮があったからです。
著者はメキシコについて、「メキシコという国は、心を病む者にとっては、ほっと気持ちをなごませてくれる場所であると同時に、凶暴でおどろおどろしい幻想を抱かせる、強烈な刺激に満ちた国である」と述べています。
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