2015年1月23日金曜日

映画でアメリカを観る(2)

アメイジング・グレイス

2007年にイギリスで、奴隷貿易廃止200周年記念して制作された映画で、18世紀末から19世紀初頭にかけて、奴隷制度廃止に生涯をかけたウィルバーフォースの半生を描いた映画です。映画のタイトルの「アメイジング・グレイス(すばらしき恩寵)」とは讃美歌のタイトルで、奴隷船の船長だったジョン・ニュートンがその非道さに目覚め、やがて牧師となり、この讃美歌を作詞しました。自分のような非道な人間でも、神は許してくださった、ということです。
すばらしき神の慈しみよ 
なんと美しい響きか
こんな悪人までも救って下さった
道をはずれた私を見つけてくださった
見えなかった目も、今は開かれた
 奴隷制度は、世界の多く場所で、あらゆる時代に行われてきました。奴隷制度や奴隷貿易については、このブログの「グローバル・ヒストリー 第21章 大西洋三角貿易」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/21.html)を参照して下さい。特に、18世紀を中心におよそ300年間にわたって行われた奴隷貿易は、人類の歴史上まれに見る非道な行為でした。この間にヨーロッパ人は、アフリカ大陸から1千万人前後とされるアフリカ人を強制的に連れ出したのです。これ程の非道な行為は、単に資本主義的な利潤の追求ということだけでは、説明し切れないものがあるように思います。
 ウィルバーフォースは富裕な商人の家に生まれ、1771年にケンブリッジ大学に入学して、ここでウィリアム・ピットと出会います。ピットは名門政治家の家に生まれ、14歳でケンブリッジ大学に入学し、1783年に24歳で首相となるという記録破りの秀才でした。誰もが、ピット首相は半年もたないと思っていましたが、実に17年間彼は首相の地位を守りました。一方、ウィルバーフォースはすでに21歳の時に国会議員になっており、学友であるピットに側近になるよう求められたのですが、この頃ウィルバーフォースは信仰に目覚め、聖職者になることを望んでいました。しかし、ジョン・ニュートンらが政治の世界に留まって奴隷貿易廃止に尽力するよう説得したため、以後彼は奴隷貿易廃止のために生涯を捧げることになります。ジョン・ニュートンは言います。
 名前を思い出したい、私といる2万人の亡霊の
全員名があった、美しいアフリカの名前が
だが我々は彼らを名前でなど呼ばなかった
我々が猿で、彼らが人間だった
 1790年に彼は奴隷貿易廃止の法案を提出し、あっさり否決されますが、以後彼は毎年法案を提出し続けます。そして方案を通過させるために、あらゆる手段を用います。例えば、奴隷貿易の実態を証明してその非人道性を訴え、議員たちの中にはそれに共感する人々も増えてきました。しかしここで民主主義の欠点が露呈されます。個々の議員個人としては、奴隷制を廃止すべきだと思っても、彼らを選んだ有権者の多くは奴隷貿易で利益を得ていたため、賛成票を投じることができないということです。つまり衆愚政治です。
 しかし社会が少しずつ変化しつつありました。第一に奴隷需要の増加のため奴隷価格が高騰し、逆に奴隷労働による農業生産量の増大のため、産物価格が低下し、奴隷制度はしだいに利益が減少していきました。それと同時に、当時イギリスで始まっていた産業革命は自由な労働力を基盤とするものであり、奴隷制とは相容れませんでした。この間、フランス革命やナポレオン戦争、そしてハイチでの黒人国家の成立などがあり、さらに1806年にピットが二度目の首相在任中に病死します。そして1807年、奴隷貿易廃止法案は圧倒的多数で可決されます。最初にこの法案が提出されてから、17年ぶりのことです。
 ドラマはここで終わりますが、その後もウィルバーフォースは奴隷制の廃止のために活動を続け、1824年からは病床につきますが、1833年に奴隷制廃止法案が成立し、その3日後に彼は死亡します。これで、イギリスに関しては奴隷制問題はなくなりますが、皮肉にもちょうどこの頃、アメリカ南部では奴隷制の綿花プランテーションが最盛期を迎えていました。

 アメリカ合衆国の独立後、北部の州では奴隷解放が進められましたが、奴隷主は解放前に南部の地主に奴隷を売却したため、南部に多くの奴隷が移送させられます。また19世紀の初めにアメリカでも奴隷貿易の禁止が行われましたが、抜け穴が多く、相変わらず奴隷の輸入が続いていました。ただ全体としては、奴隷を内部で再生産する方向に向かいます。そして奴隷労働によって生産された綿花はイギリスに輸出され、その綿花を原料として機械で大量の綿布を生産したイギリスは、世界の工場と呼ばれるまでに繁栄します。結局、イギリスでの奴隷制の廃止は、奴隷制をアメリカに遷しただけに終わり、相変わらずイギリス経済は、場所は異なるとはいえ、奴隷制を基盤としていたわけです。
 とはいえ、ウィルバーフォースによる奴隷制廃止の叫びには真摯なものであり、長い目で見れば、19世紀の半ば頃には世界的に奴隷制が廃止されていくことになります。



コブラ・ヴェルデ―緑の蛇

1987年に西ドイツで制作された映画で、前に述べた映画「アギーレ」(「映画で古代アメリカを観る」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/09/1963-1000-10-3000-3000-900-900-400-400-a.html)と、監督も主役も同じでした。どちらも、何を言おうとしているのかよく分からない映画でしたが、どちらも画面から目を離せない強烈さがありました。

 19世紀の初めに、ブラジルに「コブラ・ヴェルデ(緑の蛇)」と名乗る山賊がおり、彼は人々から恐れられていました。やがて彼は農園の奴隷の管理のために雇われますが、農園主の3人の娘と関係をもって妊娠させたため、アフリカでの奴隷購入を口実としてアフリカに追放されてしまいます。彼が送られたのはアフリカの西海岸で、かつて奴隷海岸と呼ばれた地域で、当時そこにはダホメ王国が栄えていました。ここは、現在のベナン共和国にあたります。





ダホメ王国は17世紀に成立し、奴隷貿易で繁栄しました。王は軍隊を率いて周辺を征服して住民を拉致し、それを奴隷としてポルトガル商人に売り、代わりに銃などの火器を手に入れ、それを用いてさらに征服を行います。一般に、白人が内陸部に入って現地人を拉致するというイメージがありますが、白人は海岸の港で待っているだけで、現地人が連れてくる奴隷を購入するだけです。このことを理由に、白人には責任がないと主張する人がいますが、買い手がいなければ奴隷狩りなどしませんので、白人の罪が軽減されることは全くありません。内陸部における奴隷の取引は古くから行われており、一般的には奴隷はそれ程悲惨な生活を強いられる分けではありませんが、白人に売却されると悲惨な結果になるわけです。
 ところで、ハイチに連れて行かれた奴隷は、この地方の出身者が多く、ハイチ独立運動の指導者トゥサン・ルヴェルチュールの祖父はダホメ王国の首長で、その子が奴隷としてハイチに連れてこれら、その結果トゥサンがハイチで生まれたわけです。トゥサンについては、このブログの「カリブ海を読む ブラック・ジャコバン」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/10/blog-post_21.html)を参照して下さい。ダホメ王国出身の奴隷を通じて、今でもベナンで信仰されているヴォドゥンという信仰がハイチに伝えられ、これがカトリックなどと習合して、ブードゥー教が生まれました。ブードゥー教はハイチから世界各地に伝わり、今日では、日本でもマスコットとしてブードゥー人形が広く知られています。
 話しを元に戻しますが、1818年にダホメ王国で政変がありました。ゲソという王子がクーデタを起こし、兄(あるいは叔父)である王を倒して自ら王となります。これは史実であり、はっきりしませんが、この映画は、この時のダホメ王国を舞台にしているようです。映画では、王子がコブラ・ヴェルデに支援を求めます。結局クーデタは成功し、コブラ・ヴェルデは副王に任じられ、多くの奴隷も提供されます。まさにブラジルの山賊が、副王にまでのし上がったのです。しかし、各国で奴隷貿易が廃止されるようになると、彼のような奴隷貿易商人は目障りとなり、さらにダホメ王国にとっても彼は無用の長物となります。その結果、彼は海岸から小舟で脱出しようとしますが果たせず、砂浜に倒れて映画は終わります。
 ところで、この時代にダホメ王国は、4千人の女性軍団を擁していました。なぜ女性軍団なのかよく分かりませんが、これは事実です。映画では、半裸の多数の女性が戦闘訓練を受けている場面が映し出されますが、それが何を意味しているのか分かりません。ただ、映像には卑猥なイメージはなく、むしろバイタリティーに溢れていました。さらに、最後に何人かの女戦士が微笑みながらリズミカルに歌を歌いますが、私には彼女たちの微笑みに、ぞっとするような侮蔑感が秘められているように思われました。しかも、猿のような異様な姿をしたアフリカ人障害者(多分先天的な奇形)が、浜辺に倒れるコブラ・ヴェルデを、哀れそうに見つめています。ところが、それが妙に美しい。この映画は、一体何なんでしょうか。この映画の監督ヘルツォークは、神話的で土俗的な生命力を追求してきた人だそうで、その意味ではある程度納得できる映画ではありました。この映画の最後の場面で、「奴隷たちは主人を売り払い翼を手に入れる」という字幕がでますが、奴隷貿易の終末を暗示しているようです。


 この映画はアメリカとは直接関係ありませんでしたが、かつて繁盛を極めた奴隷商人という「生物」が、どの様なものなのかを知ることができました。「アメイジング・グレイス」のジョン・ニュートンのように心から懺悔する人や、コブラ・ヴェルデのように破滅していく人は、まだましだと思います。むしろ、何の疑いももたずに奴隷貿易を行い、それによって富を蓄積し、まったく良心の痛みを感じることなく豊かな生活を続ける人の方が、恐ろしいと思います。


マンディンゴ

 1975年にアメリカで制作された映画で、奴隷の再生産を行っている農場での物語です。時代は19世紀前半、南北戦争が始まる20年前で、場所はルイジアナです。






































 ルイジアナは、もともとミシシッピー川流域にあるフランスの植民地で、北米のほぼ中央にあります。その名称は、フランスの国王ルイ14世に因んでつけられたものです。このルイジアナの存在は、アメリカ人が西へ進む際の大きな障害となっていましたが、19世紀の初めにナポレオンがこの植民地をアメリカに売却したわけです。ただし、今日のルイジアナ州はミシシッピー川の河口地帯にある州のことです。
 一方、18世紀の末頃から、アメリカ南部で奴隷を用いた大規模な綿花プランテーションが発展します。ところが、綿花を同じ土地で長く栽培すると地味が枯渇してしまうそうで、そのため新しい土地を求めて西へ西へと移動していきます。そうしたなかで、ルイジアナでも綿花のプランテーションが発展することになります。ところが、この頃イギリスが奴隷貿易を廃止し、アメリカも奴隷貿易を規制するようになったため、奴隷が高価になってきました。18世紀に栄えたカリブ海の砂糖農場では、奴隷は使い捨てで、徹底的に酷使されて23年で死ぬのが普通でした。奴隷を大事に使って長生きさせるより、死ねば新しい奴隷を買う方が効率的だったのです。しかし19世紀に入って奴隷が高価になると、奴隷を内部で再生産するようになります。主人が女奴隷を犯し、子供が生まれることはごく普通にあることですが、生まれた子供は奴隷となります。また組織的に奴隷に子供を産ませて奴隷を再生産し、売買することもあったようです。
 映画では、農場の若い跡取りが、没落した名家の娘と結婚しますが、彼は美しい黒人女性に魅かれ妊娠させます。怒った妻は、妊娠した奴隷を階段から突き落として流産させ、さらに腹いせに黒人と関係をもって黒人の子供を出産します。怒った夫は、妻を毒殺するとともに、妻と関係をもった奴隷を沸騰する釜に放り込んで殺してしまいます。
 ところで、タイトルのマンディンゴというのは、西アフリカのニジェール川流域にすむ種族で、13世紀から15世紀頃まで高度な文明を築いたマリ帝国の子孫だそうで、彼らは体格が立派で壮健なのだそうで、いわば奴隷を再生産するための「種馬」として珍重されていました。そして妻を妊娠させた奴隷が、このマンディンゴ人だったのです。また、妻の殺害に使った毒薬は、年老いて役に立たなくなった奴隷を殺すための毒薬だそうです。農場では、種付けの話や毒殺の話、奴隷の売り買いの話が日常的に交わされます。中には、24人もの子供を生み、子供たちは全て奴隷として売られた女性もいました。
 人間を交配させて、奴隷を再生産するなどということは、想像するだけでもおぞましいことです。しかも白人が黒人女性に生ませた子供を、奴隷として売却するなど、「神をも恐れぬ」行為です。こうした中で生きていれば、人間の心が荒廃していくのは、当然だろうと思います。実は、主人公の妻は、少女時代に実の兄に犯され、そのトラウマを背負っていました。すべてが狂っていたのです。


この映画はあまり評判がよくなく、確かに多少低俗な感じがしないでもありませんが、アメリカ人はアメリカの恥部ともいうべきこうした醜悪な映画を見たくなかったのだと思います。この映画の少し後に、連続テレビドラマとして「ルーツ」が放映され、大変な反響を呼びお越しましたが、この映画に比べたら「ルーツ」は生ぬるい感じがします。もちろん奴隷主によっては、やさしい人物もおり、比較的幸福に一生を送ることができた奴隷もいたでしょう。また、当時のアメリカの奴隷の生活は、同じ時代にイギリスで長時間労働を強いられていた子供たちよりましだったという人もいます。しかし問題はそういうことではなく、19世半にアメリカ南部で行われていた奴隷制度のシステムが、「悪魔的」だったという点にあるのではないかと思います。


AMISTAD(アミスタッド)

1997年にアメリカで制作された映画で、監督は前に述べた「シンドラーのリスト」(「映画でヒトラーを観て」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/02/blog-post_24.html)のスピルバーグで、史実に基づいています。

 主人公のシンケは、西アフリカの現在のシェラレオネに住んでおり、村ではライオンを倒した男として英雄と言われていました。ところが、1839年に突然拉致され、鎖に繋がれ、奴隷船に乗せられました。そしてキューバで「アミスタッド」に乗り換えますが、皮肉にもこの船の名が「友情」という意味でした。



























 映画では、航海中に食糧が不足していることが判明し、100人程いた黒人が錘を付けて海に沈められるという場面もあります。船がスペインの植民地であるキューバ沖を航行中、シンケは鎖を外すことに成功し、仲間の鎖も外して反乱を起こし、船を操縦させるために二人の船員を残して他の船員を殺し、故郷に返すように命じます。ところが二人の船員は、黒人たちをだまして北上し、ニューヨーク沖合まで航行し、ここでアメリカ船に拿捕されます。こうして、世に言う「アミスタッド号事件」が始まります。
 問題は黒人たちをどうするかということですが、国際問題もからんで非常に複雑でした。アメリカはすでに奴隷貿易を禁止していますが、奴隷制は維持されており、南部では奴隷制の綿花プランテーションが繁栄しています。つまりアメリカの奴隷はアメリカ生まれでなければならないのです。もしシンケたちが直接アフリカから連れてこられたのなら、奴隷貿易禁止に違反するため、アフリカに帰さなければなりません。ところが、生き残った二人の船員は、キューバの奴隷が船を襲って乗っ取ったのだから、船も奴隷も自分たちの所有物だと主張し、さらにスペインの女王(当時9)は大統領に手紙を書き、船も奴隷もスペインの所有物だからスペインに引き渡せと要求します。一方南部の人たちにとって、奴隷をアフリカに帰すということは奴隷制の根幹を揺るがすため猛反対し、内戦も辞さない覚悟でした。そして当時のアメリカでは大統領選挙戦の真っ最中で、再選を目指す当時の大統領は、南部の支持を得たいことと、スペインとの外交問題もあって、シンケたちをアフリカに帰すことに反対していました。
 こうした中で、奴隷制に反対する人々は、ボールドウィンという若い弁護士を雇い、法廷闘争に持ち込みます。問題の焦点は、彼らが直接アフリカから連れてこられたかどうかなのですが、シンケたちの言語がまったく分からないため、意思の疎通ができません。そこでボールドウィンは言語学者に頼んで、シンケたちから1から10までの言葉を聞き出し、その言葉を黒人が多く集まる場所で大声で叫んで歩き、この言葉が分かる人物を探し回ります。そしてついにその人物が見つかりました。ボールドウィンは、彼を通訳としてシンケたちがアフリカ生まれであることを証明し、裁判所はこれを認め、シンケたちをアメリカの費用でアフリカに帰すことを決定します。
 ところが、南部の反発を恐れた大統領が、最高裁に上訴します。最高裁の判事の多くは奴隷の所有者であり、シンケたちをアフリカに帰すことを認めるはずがありません。万事休すです。そして、ここでアダムズが弁護士として登場します。彼は元大統領であり、彼の父は第2代大統領です。大統領としてのアダムズはさしたる業績を上げていませんが、ワシントンやジェファソン以来の建国の精神を引き継いでいました。そして彼は、最高裁の法廷で最高の弁論を展開します。
 今までの論争では、シンケたちが誰の所有物かということが問題の焦点であり、シンケたちは「物」として扱われていました。しかしアダムズは、彼らを「人間」として扱います。アダムズは、突然拉致された彼らが自由を得るために鎖を解き、乗組員を殺したのは、建国の祖たちが自由を得るためにイギリスと戦ったのと同じではないか、と主張します。法廷にはワシントンを初めとする建国の祖たちの胸像が飾られており、アダムズは裁判官たちに、「自由のために」という建国の祖たちの精神を忘れるな、と主張します。結局、最高裁はシンケたちの解放を決定します。
 この事件が起きたのは、前に述べた「マンディンゴ」と同じ時代です。アメリカという国には、「マンディンゴ」で見たようなおぞましいアメリカが存在すると同時に、つねに良心のアメリカも存在しているようです。人々はすぐに建国の精神を忘れ、信じられないような非道を平気で行いますが、いつも土壇場で良心に目覚め、建国の精神を思いだし、歪んだ軌道を修正するようです。そしてこの事件は、奴隷解放への出発点となるとともに、南北戦争への出発点ともなっていきます。
 シンケたちは故郷に帰りましたが、村はなくなっていました。おそらく、皆奴隷に売られたのだと思われます。その後のシンケの消息については、まったく分かりません。シンケは奴隷商人になったという噂も流れましたが、真偽は不明です。

なお、事件の経過が非常に複雑であるため、主人公であるシンケについて触れることができませんでした。映画では、シンケは非常に聡明で、指導力のある人物として描かれています。

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