エドゥアルド・ガレアーノの著作で、原題は「ラテンアメリカの切り開かれた血脈」ですが、翻訳版では「収奪された大地」となっています。本書は1871年に出版され、翻訳本は1980年版です。訳者は大久保光夫、1991年、藤原書店出版です。
著者はウルグアイ出身のジャーナリストで、1973年にウルグアイで軍事政権が成立すると、アルゼンチンに亡命し、1976年にアルゼンチンで軍事政権が成立すると、彼は「暗殺者候補リスト」に載ったため、スペインに亡命します。この本も中南米各地で発禁となりますが、1985年にウルグアイで民政移管となると帰国し、その後ウルグアイで活動を続けています。それ以来、この本はラテンアメリカの学生、青年の必読書となっており、ベネズエラのチャベス大統領は2009年の第五回米州サミットの中で、アメリカのオバマ大統領にこの本を寄贈しそうです。
本書は、フランクの従属論(このブログの「第3章 グローバル・ヒストリーとは何か」を参照して下さいhttp://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/3.html)の影響を受け、コロンブスが大西洋を横断してから1970年頃までの500年近くに及ぶラテンアメリカの歴史を、ルポルタージュ風に描いています。「国際分業は一部の国々が利益をあげることに特化し、他の国が損害をこうむるように特化することで成り立っている。今日われわれがラテンアメリカと呼んでいる地域は、いわば早熟であった。この地域はルネサンス時代のヨーロッパ人が海洋を横断して押し寄せ、インディオ文明の喉元に噛みついたはるかな時代から、失うことに特化してしまったのである。」と述べます。著者は、常に支配され収奪される者の立場で書き、著者の怒りがわれわれに伝わってきます。その怒りは、ゲバラの怒りと同じもののように思われます。
本書は2部構成となっています。第一部は、「大地の富の結果としての貧困」で、最初は金・銀、次に砂糖など農産物、そして最後にアメリカによる地下資源の収奪です。「肺が空気を必要とするように、アメリカ経済はラテンアメリカの鉱物を必要とする」と述べます。そして、これら豊かな資源の結果、ラテンアメリカはますます貧困になっていきます。第二部は、「開発とは航海者を上回る数の難破者を従える船旅である」で、現代の略奪の構造について述べます。これらを通じて、500年にわたって収奪され続けたラテンアメリカの悲劇を描き出しています。ヨーロッパの繁栄も、アメリカの繁栄も、ラテンアメリカからの収奪なしには考えられません。
もちろん、本書は今から50年近く前に書かれたものであり、個々の点では異論もあるでしょうし、ラテンアメリカ諸国の中には、ある程度民主化が進んでいる国もありますが、本書で述べられていることは、全体としては今日にも適用することができるのではないでしょうか。何よりも、500年にもわたって他の地域から収奪され続けた地域は他にはなく、その結果生じた社会の歪みは、それ程簡単には修正できないのではないでしょうか。
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