2017年1月25日水曜日

「中国科学の流れ」を読んで

J.ニーダム 1981年、牛山輝代訳 思索社、1984
本書は、中国の科学の歴史を、「火薬と火器」「長生法」「鍼灸療法」などを中心に概略しています。実はニーダムは、1954年以来、「中国の科学と文明」という膨大な作品を執筆・編纂中で、本書の「はじめに」で「わたしはいま81歳なので、もし90歳まで仕事を続けることができれば、長い航海の末、船が港に入りかけるところぐらいまでは、ひょっとしたらみられるかもしれない」と述べています。そしてニーダムは、1995年に95歳で亡くなり、その時点で16冊が出版され、今なお出版中だそうで、そのすべてが日本語に翻訳されているそうです。
この大作は、中国に対する西洋の知識人の認識を一変させるほどの衝撃を与えました。もともとニーダムはイギリスの生化学者でしたので、ヨーロッパの科学に精通しており、ヨーロッパの科学と中国の科学の相違と共通点、そして中国の科学が西方の科学に影響を与えたことについて論じます。この点については、中国科学を過大評価し過ぎているとか、中国科学の西方への影響を過大評価している、といった批判があり、その点について私には判断できませんが、もしそうだとするなら、それはニーダムがいかに中国科学にほれ込んでいたこということだと思います。ただ、科学はヨーロッパでのみ生まれたという根強い偏見が、ニーダムの主張への批判につながったことも事実でしょう。いずれにしても、「中国の科学と文明」は20世紀を代表する著作の一つであろうと思います。
もちろん、このような大作を私自身が読むことは不可能ですが、この「中国科学の流れ」は、香港で行った講演に基づくもので、比較的分かりやすく中国の科学史を述べています。とはいっても、具体的な説明に入ると、容易には理解できず、読み飛ばさざるをえませんでした。それでも、全体の特徴を説明する部分は、大変示唆的でした。例えば、西方と中学の化学の違いは、西方の化学が錬金術を出発点にしているのに対し、中国の化学は不老長寿を目指しているという点などです。

大変興味深かったのは鍼灸についてで、中国の医療について本書は次のように述べています。「病気とは、本質的には機能不全あるいは不均衡のことでした。体内の構成要素のどれか一つが、不自然に多の要素に優先するのです。近代的内分泌学が始まってから、この考え方はまた寿命を延ばしましたけれども、この概念は両方の文明にはじめからあったのです。荒削りかもしれませんが、ヨーロッパの瀉血と下剤の使用は、この直接の成果です。なぜならば、それは「病原性体液」は追い出さなければならない、という考え方だったからです。しかし中国では、陰と陽の不完全な均衡とか五行の異常な関係は、よくある診断例でしたが、ずっと深遠なやり方で変えていったのです。鍼療法はここでもまたいわば控訴裁判所でした。そこでの調停の多くは、神経とホルモンをもった生きている人間の身体を、もっとつり合いのいい、安定した状態に戻したのは間違いありません。もっとも、中世の医者たちが、二大要素の相互関係をどうやって具体化したかは、いまだに私たちにも理解し難いのです。」


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