ホイジンガ著、1918年、橋本富朗訳、世界思想社、1989年
ホイジンガは、20世紀前半に活躍したオランダの歴史家で、とくに「中世の秋」の著者として知られています。私は以前に、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」を読んで衝撃を受け、その後の私の歴史観の形成に大きな影響を受けました。彼は、「遊戯が人間生活の本質である」「戦っている人だけが歴史を作っているわけではない」と言います。以前にある生徒が、「歴史にはどうしてこんなに戦争が多いのだ」と質問しましたが、確かに歴史の教科書にはやたらに戦争の記述が多いのは確かです。これでは、戦争をしている人たちのみが、歴史をつくっているかのごとくです。もちろんホイジンガが言う「戦っている人」とは、戦争をしている人だけでなく、宗教闘争や階級闘争・政治闘争などあらゆる分野で戦っている人々も含まれますので、歴史の教科書はそういう人々や事件で溢れています。
本書は、「中世の秋」の著者による著書としては、唐突な感じがします。私は、ホイジンガについてあまりよく知らないのですが、彼は歴史家というより、文明批評家と言うべきなのかもしれません。本書が出版された1918年というのは、第一次世界大戦の末期、アメリカが大規模に戦争に介入し、連合国を勝利に導こうとしていた時代でした。今まで、ヨーロッパの人々はアメリカについて、経済的繁栄という点では意識していても、アメリカについて深く考えることはありませんでした。「はじめてアメリカ合衆国の歴史を研究しようとする人なら、望遠鏡をのぞいているのになかなか焦点が合わないような感想を抱いたとしても、無理からぬ話であろう。望遠鏡を伸ばしたり縮めたりするのだが、像はぼうとしてかすんだままになっている。もっと複雑な比喩をお望みなら、厳格で透徹した古典音楽の形式に慣れた人が、初めて現代音楽を聴いているようなものだ。」
アメリカについて論じた古典としてはトクヴィルの「アメリカにおけるデモクラシー」とブライスの「アメリカ共和国」が知られており、前者はアメリカに民主主義の理念型を求め、後者はアメリカの制度と国民をあるがままに記述しようとしました。そしてホイジンガは、アメリカ精神の真髄を探ろうとしました。本書は、今日ではアメリカについて論じた三番目の古典として定着し、アメリカ史に関する多くの本で引用されています。ただ、本書はアメリカを一刀両断するのではなく、「およそ文化の進展とは、絶えざる矛盾の平衡状態のなかで説明されてはじめて把握しうるものであり、……アメリカ以上にこのことが当てはまる国はどこにあろうか」というホイジンガの主張に基づいて書かれており、アメリカを多様な側面から論じている名著です。
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