フランクリン・ピース・増田義郎著 1988年 小学館
またしても増田義郎氏の著書で、氏の持論である「四大文明」の概念を打ち壊すのだ、と主張しています。このことは、本書に掲げられたアンデス山脈の断面図を診れば明らかです。「四大文明」は大河の畔の平坦な土地に生まれますが、アンデス文明は標高4000メートルという垂直的な変化を利用して豊かな文明を築きあげました。この点だけでも、すでに大河を前提とする「四大文明」の概念は崩壊しています。ただ、地震の巣のような断面が気になりますが。
さらに次のように述べます。「インカ帝国には、近代国家に見られるような複雑な官僚制や徴税組織がなかったが、簡素で無駄のない国家運営の組織があった。行政は、地方においては伝統的なクラカたちに任され、限られた数のインカの巡察使や地方長官が彼らを統率した。税はすべて労働によって支払われ、しかも徴発される労働者には、食糧、衣料などの見返り品が支給されたから、治める者と治められる者との、完全な互恵関係が存在した。ひとつの巨大な国家が、きわめて簡素で無駄のない組織により、しかも地方地方の自律性を認めながら能率的に機能していたことは、まさに驚くべきことではないか。……乞食や盗人が横行し、汚職が日常茶飯事となっていた当時のスペインから来た人々は、インカ帝国には、物乞いする物も飢える者もおらず、社会正義が行われていることに驚いたのである。」これは、少し褒めすぎではないかとも思います。まるで、中国の周の理想国家のようです。
また、インカを征服したスペイン人たちは、当時の彼らの基準でインカを監察し、インカ帝国についての報告書を残したため、多くの誤解が生まれるようになりました。スペイン人たちの常識とは、戦いによって土地を奪い、その土地を私有物として領域支配を行うことでした。ところが、インカでは、土地ではなく労働力を支配し分配するというのが基本構造だったようです。何しろ4000メートルもの標高差では、地域によって栽培できる作物が異なっており、これらの作物をどのように生産し、配分するかが問題となります。インカ帝国は、これを達成するために形成された権力機構だったということです。この点でも、旧大陸とは権力の在り方が大きく異なっています。
本書では、タイトルに「図説」とあるように多くの図版が用いられており、大変読みやすい本となっています。第一、図版が多いということは、文字が少ないということなので、それだけ読むのが楽ということでもあります。
インカ帝国の虚像と実像
染田秀藤著 1988年 講談社選書メチエ
インディオ文明については、スペイン人やメスティーソ、さらにスペイン語を習ったインディオなどが、多くの記録を残し、それがインカ帝国の虚像を生み出したのですが、これらの記録には、記録者が意識していなくても、さまざまなフィルターがかかっていることが判明してきました。まず、スペインの記録者はこの帝国の壮大さに驚嘆し、ローマ帝国との類似性などに思いを巡らし、広大な領域を均質的に支配した「インカ帝国」というイメージが生まれてきます。しかし、そもそもインカは皇帝の名称であり、この国の正式名称は「タワンティン・スウユ」で、「4つの邦」という意味です。それは文字通り、この帝国が4つの邦から成り立っているという意味です。
17世紀初頭に著されたインカ・ガルシラッソの「インカ皇統記」は、「太陽が輝き、太陽の御子であるある王が定めた法のもと、正義が守られ、人々が平和に日々の暮らしを営んでいる国」というユートピア的イメージ定着させました。本書は、こうしたイメージが形成されていく過程を、多くの資料を用いて詳細に論じています。一方、そのユートピア的帝国を滅ぼしたのはスペイン人であり、これではスペイン人はユートピアを破壊した悪魔ということになってしまいます。
この様な、インカ帝国は善か悪かというような低レベルの議論の中から、20世になってようやくインカ帝国の実像を解明しようとする動きが活発になってきます。しかし、今日もインカ帝国の実像がはっきりしたとは言えないでしょう。今後も、こうした資料の厳密な批判と発掘調査により、実像を解明していく必要がありますが、相当気の長い話になりそうです。本書は、かなり詳細な資料の分析を行っており、読むのに苦労しましたが、インカ帝国についてのイメージが、どのような基盤の上に構築されたものかを理解することができました。
また本書は、冒頭で「古代アメリカ文明」という表現は不適切だと主張していますが、もっともなことだと思いました。そもそもインカやアステカやマヤの文明は「古代」なのでしようか。すくなくとも、ヨーロッパ的時代区分の意味では「古代」とはいえず、この場合単に「古い」とか「遅れた」という程度の意味しかないように思われます。むしろ事実に即して、「先スペイン期」というべきではないでしょうか。この意味においても、「先スペイン期」文明から世界史を見直す必要があるのではないでしょうか。
ペルーの天野博物館 古代アンデス文化案内
天野芳太郎 吉井豊著 1983年 岩波書店(岩波グラフィックス15)
著者の天野芳太郎氏は、1898年に生まれ、第一次世界大戦後実業家として世界各地を飛び回り、いろいろ苦労した後、第二次世界大戦後にペルーに落ち着き、実業家として成功するとともに、先スペイン期の文明に魅せられます。またまた、増田義郎氏が天野氏のプロフィールを寄稿しており、それによると天野氏は、インディオ文化を生み出したのが同じアジア人種として日本文明との親近感をもち、インディオ文化にのめり込んだとのことです。
1964年に天野氏はペルーのリマに、天野氏自身が集めたインカと先インカ期の博物館を建設しました。この博物館は、3階建ての小さな博物館ですが、入場料は無料です。さらに予約制で、天野氏自身が展示品の解説をしてくれます。天野氏は1982年に逝去され、1983年に天野氏自身が生前に行っていた解説が、多くの写真とともに一冊の本にまとめられたわけです。
アメリカ大陸の先住民はアジア系の人種であり、天野氏は同じアジア系人種の文化として、先スペイン期の文化に日本文化との共通性を感じたのだそうです。長く外国での生活を続けていると、こうしたものに心を惹かれるのだろうと思います。天野氏の説明は、展示されている器具を使っている人の心が伝わってくるようで、いまいまで見てきたようなインカの政治とか滅亡とかといった話ではなく、アンデスに生きる人々の生活が語られます。またアンデス地方の織物の展示も多く展示されています。この地方の織物は、綿花かアルパカの毛で作られるそうで、染色が美しく、ほとんど色落ちしないそうです。
天野氏は1982年に逝去されましたが、天野博物館は現在も続けられているそうです。
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