2020年1月18日土曜日

映画「ワーテルロー」を観て

「ワーテルロー」(Waterloo)は、1970年のイタリア・ソ連合作映画で、1815年にナポレオンがワーテルローの戦いで最終的に敗北する姿を、イギリスの名称ウェリントンと重ね合わせながら描いています。ワーテルローの戦いについては、ヴィクトル・ユーゴーが「レミゼラブル」の中で詳細に描いており、またロシアのトルストイが「戦争と平和」でナポレオン戦争の悲惨さを描き出しています。またナポレオンとウェリントンについては、間接的ではありますが、「映画「ナポレオンに勝ち続けた男」を観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/05/blog-post_13.html)を参照して下さい。ロシア軍は、ワーテルローの戦いにはいませんでしたが、それ以前に何度もナポレオン軍と戦っており、ソ連=ロシアにとってナポレオン戦争には強い拘りがあるのだろうと思われます。



 ナポレオンは、ライプチヒの戦いに敗北した後、エルバ島に配流されますが、ヨーロッパの混沌とした情勢を観て、1815226日に千人の兵とともにエルバ島を脱出し、パリに向かいました。パリでは新たに即位したブルボン朝のルイ18世がナポレオンを制圧するために軍隊を派遣しましますが、これがナポレオン側に寝返ってしまい、その後ナポレオン軍は膨張を続け、320日はパリに入城します。要するにルイ18世は民衆に不人気で、ナポレオンは相変わらず民衆の英雄だったということです。
 そして、622日にワーテルローの戦いが始まります。ナポレオン率いるフランス軍72,000とウェリントン率いるイギリス・オランダ連合軍68,000[2]と、ほぼ互角の勢力同士が対峙しました。戦争巧者のナポレオンは敵の弱点を果敢に攻め、敵陣を崩壊させていくのに対し、ウェリントンは守備線を守り、その内側に敵軍を誘い込むことを得意としていました。ウェリントンはやがて劣勢となり、敗北直前まで追い詰められますが、その直前にプロイセン軍が駆け付け、ナポレオンは敗退します。この戦いでウェリントンの英蘭軍は戦死傷約17,000人・行方不明10,000人、プロイセン軍のそれは約7,000人、フランス軍は約40,000人でした。戦場は惨憺たる状態で、勝者にも敗者にも耐えがたい状況でした。

 この映画のソ連版は240分あり、私が観たのは130分でした。そのため内容が切れ切れで繋がりにくかったのですが、だからといって240分版を観たいとは思いません。ソ連が2万人の兵士をエキストラとして投入したとのことで、確かに戦場における頭数は相当のものであり、戦術的には史実に基づいて制作されているのだと思いますが、私にはあまり関心がありませんでした。

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