2013年、ベネズエラ・スペインの合作による映画で、南米の独立の英雄シモン・ボリバルの生涯を描いた映画です。「リベレイター」とは「解放者」という意味で、ここでは南米をスペインの支配から解放したシモン・ボリバルのことです。
中南米については、これまでも何度も触れてきましたし、全体像については「入試に出る現代史 第7章ラテン・アメリカ」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/06/7.html)を参照して下さい。シモン・ボリバルについて私が知っていることは非常に少なく、とりあえずここでは、私がかつてよく使用した山川出版「世界史用語集」でのシモン・ボリバルについての解説を引用しておきます。
1783年~1830年 ベネズエラ出身のラテンアメリカ独立運動の指導者。1810年からの自国の独立革命に参加し、亡命後、19年に大コロンビア共和国を樹立して大統領となる。25年にはボリビアの完全独立を達成したが、30年に大コロンビア共和国を解体し、ラテンアメリカの統一という彼の理念は挫折した。
私がボリバルついて知っているのはこの程度のことです。ウイキペディアでは相当詳しく書かれていますが、詳しすぎてかえって分かりませんでした。映画は、シモン・バリバルの恋と新妻の死から始まりますが、なぜボリバルが独立運動に邁進したのか、はっきりしません。これは中南米の人々にとって自明のことなのでしょうか。また、多くの戦いが描かれますが、私にはほとん知らない戦いばかりです。これも中南米の人々には自明のことなのでしょうか。ただ不思議思ったのは、ボリバルの軍隊には先住民インディオも混血のメスティーソも黒人も、さらに女子供に至るまで多数参加しています。だからこそ、ボリバルの戦いは、あらゆる人々にとっての解放のための戦いということになるのでしょう。
しかし、現実は異なりました。中南米の社会は、植民地統治のためにスペインから来たスペイン人、中南米生まれの富裕なスペイン人であるクリオーリョ、白人とインディオの混血であるメスティーソ、そして先住民のインディオなどからなります。このうちスペインからの独立を最も望んだのはクリオーリョで、彼らはインディオを酷使することにより豊かになろうとしますが、スペイン本国は啓蒙思想の影響もあったインディオに対して寛大な扱いを要求しており、クリオーリョにとってスペイン人は邪魔な存在となりつつありました。そしてクリオーリョにとって最悪のシナリオは、インディオが中心となって独立国家を形成することで、すでにハイチで黒人国家が成立するという前例がありました。
ボリバルは相当理想主義的な人物だったようで、巨大な共和制国家のもとに、すべての人が自由で平等な生活を送れるよう夢見ていたとされます。事実映画では、ボリバルの軍隊にはインディオやメスティーソ、さらに女子供まで参加していました。しかしこの夢は最初から破綻していました。クリオーリョが望んだことは、インディオを抑え、彼らの利益を守ってくれる小規模な地域国家でした。こうした中で、ボリバルの側近たちはしだいにボリバルから離れ、1830年に47歳で死亡します。病死とも暗殺ともいわれています。
この映画を分かりにくくしている原因の一つは、映画制作当時のベネズエラ大統領チャベスの存在にあります。ベネズエラの歴史は、他の中南米諸国の歴史と同じで、クリオーリョによる土地支配、インディオを農奴として酷使、クリオーリョ支配体制維持のための軍事独裁体制、英米資本との癒着という特色を持ちます。ベネズエラは石油などの資源が豊富であるにも関わらず、貧富の差が大きく、改革への動きが高まると、アメリカの介入によって潰されてきました。1999年、シモン・ボリバルを尊敬するチャベスが大統領に当選すると、彼は国名をベネズエラ・ボリバル共和国と改名し、社会主義的な改革を進めます。2002年、アメリカのCIAの支援を受けた軍部のクーデタが失敗に終わると、チャベスは反米を鮮明にし、国内の保守派を徹底的に弾圧しました。しかしアメリカや保守派の妨害工作もあって経済が低迷し、そうした中で2013年チャベスは癌で死亡します。この年に、この映画が制作されたわけですから、チャベスのボリバル崇拝の影響がなかったとは言えず、そのため、この映画を客観的に見ることができません。
現在、ベネズエラでは経済が破綻し、大量の難民が流出していることが伝えられています。マスコミはこの混乱の責任をチャベスとその後継者にあるかのように伝えており、それも事実ですが、このような事態をもたらした真の原因はアメリカと保守派にあることを知らねばならないと思います。こうしたことは、中南米においては珍しいことではないからです。
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