2019年2月6日水曜日

「鴨緑江は流れる」を読んで


李弥勒(イ・ミルク)著、1946年、平井敏春訳 草風館 2010
 著者は、1899年に地方の両班階級に生まれ、1918年に京城医学専門学校に入学しますが、1919年に万歳独立運動に関わって、鴨緑江を越え中国を経由してドイツに亡命します。その後ドイツで医学研究者となり、同時にドイツを中心に文筆活動を行うようになり、世界的にも知られる文筆家となり、1950年に死亡しました。彼の作品はドイツ語で書かれており、したがって本書もドイツ語からの訳です。
 本書は、著者がドイツへ行くまでの半生を語っています。話は、幸せだった5歳の頃から始まり、かなり優秀だったようで、10歳のころには「中庸」「孟子」など中国の古典をかなり暗記していたようです。これが当時の上流階級の教育だったようで、かつても日本もおなじようなものでした。このころ朝鮮が日本に併合されますが、彼の生活には何の影響もありませんでした。ただ、この頃から「学校」なるものが各地に設立され、父は子供に最新の教育を与えるべきと考えて、息子を「学校」に通わせることになりました。当初弥勒は、初めて学ぶ化学、物理、数学などがまったく理解できず苦労しますが、やがて優秀な生徒に成長し、医学専門学校の入試に挑戦します。
 医学専門学校の試験科目は、数学、化学、物理のほかに、日本語の古文と古典漢文を現代日本語にする問題があり、当時の朝鮮の教育事情の一端を垣間見るようでした。弥勒は合格し、充実した学生生活を送ります。当時、彼は日本による朝鮮統治について不快に思っていたことは確かでしたが、特に政治活動を行ったわけではありません。ただ、たまたま友人に誘われて三・一(万歳)運動の会合に出席し、事件の後関係者は厳しく弾圧され、弥勒は外国に亡命することになります。夜中に小舟で鴨緑江を渡って出国し、ドイツに亡命し、狭い部屋にこもって難しいドイツ語の勉強に励みます。彼にとって鴨緑江は、彼と故郷を隔てる永遠の壁となります。
 本書はここで終わりますが、全体に穏やかで抑制された文章でかかれ、一人の人間が日本との関りで、どのように人生を変えていったのかが、淡々と描かれています。


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